こいつ・・・喋るぞ!
目の前に置かれた瓶の中に、ぶよぶよの物体が入っていた。
そいつは譬えるなら、巨大な水飴に似ている。
しかも青とか緑とか、かき氷シロップみたいな色がついてるやつ。
そいつは瓶の中で無機物のようにじっとしているが、体が透けているおかげで、青い水飴の真ん中に埋め込まれた梅干しみたいな物体が見える。
よーく目を凝らして見てみると、そいつが規則的に拍動しているのも分かる。
つまりこいつは本当に生きているわけだ。
単細胞生物が巨大化したような見た目は正直、人が〝生き物〟と言われて思い浮かべる姿とはかけ離れすぎていて、にわかには信じられなかったが。
「これはスライムと呼ばれる魔獣で、わたしが今、最も研究に力を入れている生き物です。体の中央に見えているのはスライムの〝核〟と呼ばれる器官で、心臓と脳が合体したような機能を有しています。とても単純な構造をしている生物なので、知能はさほど高くはないのですが、彼らは半液状の体を自在に変形させて、他の生き物の真似をすることができるんです。たとえば自然界では、天敵に襲われそうになるとより強い捕食者の姿に変形し、威嚇する例が確認されています」
と、俺たちが瓶の中のキテレツな生き物を食い入るように見ていると、その瓶の上に手を置いて、アリスター博士がそう説明してくれた。
〝スライム〟……そうか、こいつがアゴログンド版スライムなのか。
日本でスライムと言えば某国民的RPGに登場する、青くてタマネギみたいな形のアレを思い浮かべる人が結構いるんじゃないかと思う。
しかし今、俺の眼前で瓶詰めにされているそれには目も鼻も口もありはしない。
共通しているのは体色が青いということだけ。何なら真ん中にチェリーを埋め込んだ特大のソーダゼリーだと言えば、子どもたちが喜んで群がりそうな外見だ。
博士曰く、スライムは食べる餌によって体色が変わりやすいから、生息地によっては赤や緑や黄色のスライムもいるという話だが。
「そしてこのスライムの最大の特徴は、無性生殖をすることにあります」
「……無性生殖?」
「はい。要は個体ごとにオスとメスの区別がなく、子孫を増やすのに交尾を必要としないということですね」
「ってことはもしかして……分裂して数を増やす?」
「あら、さすがリュージさん、よく分かりましたね!」
「いや、〝魔獣〟って括りの中にいるわりにはまったく獣っぽくないなとは思ったが、マジでデカい単細胞生物……」
両手を合わせて感激している博士には悪いと思いつつ、アゴログンドの生物学者はなんでこいつを〝魔獣〟に分類してるんだ? と、俺は頬を引き攣らせた。
雌雄の別を持たず、自己分裂して子孫を増やす生き物と言えば地球ではゾウリムシやミカヅキモといった単細胞生物が有名だ。
〝単細胞〟の名のとおり、彼らはたったひとつの細胞だけで完成している生き物で、核を分裂させることで自らのコピーを作り増殖していく。
つまり博士の言うとおり、繁殖に交尾を必要としないというわけだ。
ま、とは言え核分裂による増殖ということは、すなわち自身のクローンを作り続けるということで、それだけでは遺伝子上の脆弱性が生まれてしまう。
たとえばAという病気に弱い遺伝子を持つ個体だけが増え続けたら、いざAが蔓延したときに、種全体が滅んでしまう絶滅の危機に陥るという理屈だ。
だから単細胞生物もある程度分裂と増殖を繰り返すと、他の遺伝子を持つ個体と合体して遺伝子情報を更新する。上の例でたとえるなら、Aという病に強い個体を見つけて合体し、弱点を補う……って感じでな。
「確かにスライムの形質は、魔獣のイメージとはちょっとかけ離れているかもしれませんが、わたしはこの子たちが様々な魔獣の祖先に当たるのではないかと考えているんです。というのも、他の生物の化石がほとんど見つからないとても古い地層から、彼らの化石がいくつも見つかっているからで……それによってスライムは、太古の時代からアゴログンドに生息し、当時からほとんど姿を変えていないことが明らかになっています」
「へえ……ってことはますます単細胞生物っぽいな……けど博士がドラゴン・パーク計画に参加することとこいつに何の関係が?」
「あ、えっと、そ、その件なのですが……」
と俺の素朴な疑問に肩を竦めたアリスター博士が、気まずそうに大きな眼鏡を押し上げた。そこはアリスター魔獣研究所の研究室。ブルーの手術が成功した翌日、俺たちはラドニアとアリスター博士をドラゴン・パーク計画の仲間に引き入れることに成功し、早速今後の方針について話し合っていた。
第一回ドラゴン・パーク計画会議とも呼ぶべきミーティングの席に居合わせているのは、竜の園管理責任者の俺とイヴ、皇属竜狩猟団所属の目付役であるギゼルと竜学者兼竜医のラドニア、そして顧問のアリスター博士。
あと、おまけの傭兵ヘスペルを加えた計六人。
ここからアゴログンド初の竜専門動物園が動き出そうとしてるってわけだ。ようやく計画のスタート地点に立てた俺は、昨日からワクワクが止まらなかった。
ギゼルの話を聞く限り、フーヴェルオは俺の想定よりも遥かに頼れる後援者みたいだし。ラドニアも元竜狩人という肩書きには度肝を抜かれたものの、今は本気で竜を救おうとしている気持ちに偽りはないらしく、俺の計画に全面的に協力すると約束してくれた。
結局なんで狩人から竜学者に転身したのかっていきさつは、詳しく話してもらえなかったが……本人曰く、竜狩人時代のことはあまり思い返したくないらしいから仕方がない。何でも当時は若気の至りが過ぎたとか何とか。
まあ、いわゆる黒歴史ってやつだな、うん。
しかしラドニアは昔、ある竜に命を救われたことがあるそうだ。
以来竜への恩返しのために竜学者を志し、狩人稼業からは足を洗ったと話していた。死ねばたちまち無に帰すような、くだらない名誉や金のために竜の命を奪う愚かしさに気づいたら、もう二度と弓を引けなかったと彼女は言った。
ラドニアから竜狩人へ向かう憎しみは、すなわち無知で盲目だった過去の自分へ向かう憎しみでもあったのだろう。
結果として、ギゼルが狩猟団に入ってから一度も竜を殺していないと判明したこともあり、ふたりの間にあった険悪な空気がほんの少しやわらいだのもよかった。
やっぱ人間、話し合えば穏便に解決できることだってあるよな、うん。
だって俺たちはそのために〝言葉〟という武器を持って生まれたんだから。
けど、これでようやく計画が始動できると思ったのも束の間。
今度はドラゴン・パーク計画顧問という立場に着くことを承諾してくれた博士から「話がある」と言われ、俺たちはこうしてまた研究室に集ったわけだった。
唯一話し合いに参加できないイヴは、博士がスライムの飼育瓶を置いた机の傍らにしゃがみ込み、空色の瞳を真ん丸にして瓶の中身を凝視している。
それが生き物だと分かっているのか、はたまた何だか分からないからなのか、とにかくスライムに興味津々で、瓶越しにつんつんとつつく仕草をしたりしていた。
「あの、ですね。顧問のお話をお受けしますと言った手前、今さらこんなお話をするのは心苦しいのですが……皆さんもご存知のとおり、この研究所は現在わたしがひとりで管理しています。つまり飼育している魔獣の世話や、実験用器材の運用もわたしひとりでしているということで、今すぐ計画に携わる……というのは難しい状況なんです」
「あ……」
言われてみればそのとおりだ。俺はすっかり、明日には博士も帝都へ上ってラドニアと一緒に正式な任命を受けたのち、早速竜の園の管理に着手してもらえるつもりでいたが、そうトントン拍子にことが運ぶわけがなかった。
何しろ博士には博士の研究があり、実験魔獣として飼育されているシリウスたちの世話と訓練も続けなければならないのだ。
とすれば博士には当面の間、アリスター魔獣研究所にいながら計画をサポートしてもらう形になる。博士もゆくゆくは研究所を数日留守にしても支障のない体制を整えたいと話してくれたが、そのための助手を探したり、研究所の管理を任せるための準備をしたりするだけで数ヶ月はかかるだろうという話だった。
「というかアリスター博士ほどの権威が助手も雇わずに、たったひとりで研究所を切り盛りしていたというのが驚きなのだけど……過去に雇用していた助手や研究員もまったくいないの?」
「うっ……い、いえ、遠い昔には何人か助手を雇ったこともあったのですが……皆さん、わたしがうっかり逃がしてしまった魔獣に噛まれて怪我をしたり、一緒に向かった現地調査で遭難したりするうちに、次々と辞めてしまわれて……」
「……」
「と、とにかくそういうわけなので、助手を雇うにしてもまた一から人選を始めなければならない状況なんです。ですので当分研究所を離れられそうもないと思いまして……そこでこのスライムを一度、リュージさんたちにお預けしておこうかと」
「……はい?」
「あ、え、えっと、これはわたしが培養して育てた子で、改良した個体同士を何代も掛け合わせてつくった人工スライムなんです。名前は〝フレディ〟というのですが、ちょっとした芸ができまして……先程スライムは体を変形させて、別の生き物の姿を真似ることができるとご説明しましたよね?」
「ええ、確かにそう伺いましたが……」
「実はスライムには他にももうひとつ、特筆すべき能力があるんです。それが──〝同核感応〟」
「て、テレパシー?」
「はい。彼らは同じ核から生まれた個体同士で未知の信号を使い、遠く離れていても意思の疎通を図ることができます。この信号の正体や詳しい原理はまだ解明されていないのですが、スライムはこれを使って同核族──つまり同じ親から分裂して生まれた子孫の集まり──によるコミュニティを形成し、ある一定のテリトリー内で協力して暮らしていることが分かっているんです。たとえば強大な天敵が現れると、テリトリー内に散らばった仲間を呼び集めて集団で防衛したり、いい餌場が見つかると情報を共有したり……」
「うーん。それなら猫みたいに人間には聞こえない周波数の音でやりとりしたり、蟻みたいに餌場までの道ににおいを残したり……って可能性も考えられるが、少なくともこいつには、そんな高度な感覚器官が備わってるようには見えないな……」
「そうなんです。ですのでわたしは彼らの能力が、魂の正体や原理を解明する上で重要な手がかりになると踏んでいるのですが……まあ、この話はまた別の機会にするとして、フレディにはその同核感応を利用して、研究所と帝都の連絡役になってもらおうと思います」
「……連絡役?」
何だか話が見えつつあるようなないような。俺は博士が言わんとしていることを先読みすることができず、思わず首を拈ってしまった。すると博士は楽しそうにふふっと笑い、まるで子どもを抱くように瓶ごとフレディを持ち上げる。
「これはたぶん、口で説明するよりも実際に見ていただいた方が早いですね。早速実験してみようと思うので、皆さんついてきて下さい」
小柄な博士の片腕にすっぽりと収まった瓶の中で、フレディの体がほんのちょっと、頷くように上下した……ように見えた。
俺たちは一体何が始まるのか見当もつかないまま、博士についていくしかない。
かくして案内されたのは昨日、ラドニアの竜術によって水浸しにされた応接室だった。もちろん水を被った床やソファは既に乾いていて──こちらも竜術で乾かされたせいか──シミひとつ残っていない。
「ではリュージさん、フレディはあなたに預けますので、こちらをお持ち下さい」
「へ?」
ところが応接室に入るなり、俺はスライム入りの瓶と首紐つきの小さな笛を渡されて、ぽかんと立ち尽くしてしまった。笛は金属を筒状に加工して穴を開けた単純な作りのもので、イヴの小指ほどしかない。……この笛をどうしろと?
という疑問を視線に乗せて博士を見やれば、博士はにこりと笑って白衣のポケットに手を入れた。取り出されたのはこれまた小さな紙の包み。
博士がそれを掌の上で広げると、中には白っぽい丸薬のようなものがいくつか包まれていた。何かを練って作られたと思しきもので、サイズは森永のチョコボールくらい。ひょっとしてアゴログンドの菓子か何かだろうか?
と俺が首を傾げると、博士は白玉をひとつ摘まみ上げてこう言った。
「こちらはわたしが自作したスライム用の固形飼料です。わたしは今から少し席をはずしますので、こちらもリュージさんに預けていきます」
「はあ」
「わたしが部屋を出てしばらくしたら、恐らくフレディが活性化して動き出すと思うので、そうしたら瓶を開けて下さい。蓋を開けても逃げたりはしないので大丈夫です。笛とペレットの使い方はのちほど説明しますね」
博士はそう言い置くや、包み直したペレットを追加で俺に託し「ではでは~」と部屋を出て行った。残された俺たちは、ただただ博士を見送るばかり。
えっと……つまり俺たちは、これからフレディが動き出すのを待てばいいんだよな? 相変わらずここから先の展開がまったく予想できないんだが……。
「リュージ!」
とりあえず言われたとおり待つしかないか、と俺たちは目配せだけで合意して、各々ソファへ腰かけた。
するとほどなく、何かに気づいたらしいイヴがぐいぐいと袖を引っ張ってくる。
彼女が興奮気味に指差す先には、俺がテーブルに置いたスライム瓶があった。その中に閉じ込められたフレディが、突如青い粘体を激しく上下に動かし始める。
まるで「早く蓋を開けろ」と急かしているかのような行動。
しかも心なしか体内の核が白い光を帯びているように見える。
明らかな異変に気づいた俺は慌ててコルク製の蓋を引き抜いた。
途端にフレディが体の一部をぐいーんと伸ばし、触手のように瓶から突き出す。
スライム瓶は口の部分が窄まっていて、ちょうどフレディの核が通るか通らないかのギリギリのサイズだから、全身抜け出すことはできないようだ。
けれども俺たちが度肝を抜かれたのはそこから。
なんとフレディは瓶からにょろにょろと伸ばした触手を変形させ、やがて俺たちも見慣れたあるものを作り出した。それは他でもない、アリスター博士の顔、だ。
『リュージさん、リュージさん、聞こえますか?』
そして直後、フレディの口から発せられた声を聞いて俺たちは度肝を抜かれた。
しゃ……喋ってる。博士の顔に化けたスライムが、間違いなく!
『あ、よかった、無事につながったみたいですね。こちらのスライムも今、リュージさんのお顔になりました。実験は成功です!』
と青いゼリーで作られた彫刻みたいな顔を綻ばせ、博士は嬉しそうに破顔した。が、俺たちは揃いも揃って呆然と博士のふりをするフレディを見ているしかない。
「ひょ、ひょっとして……博士が言ってた〝ちょっとした芸〟って、これ?」
口の端を引き攣らせたヘスペルが、上擦った声で誰にともなくそう尋ねた。
ああ、なるほど。
とすると、さっき博士が研究室で言わんとしていたことがおおよそ理解できる。
粘体を自由自在に変形させて、何にでも化けられるスライムの能力。
同核族と呼ばれる群の間で交わされるテレパシー。
でもって博士が何代にも渡って飼育と培養を続けた人工スライム……。
それらすべての条件が揃って、初めて実現された神秘の技がこれというわけだ。
だけど、博士。少なくともこれは〝ちょっとした〟なんてレベルの話ではなく。
誰がどう見ても、世紀の大発見だと思います……。




