罪を憎んで竜を憎まず
ギゼルの話を聞き終えたとき、俺の全身は冷たい汗に濡れていた。
ギゼルの母親が遺したという呪いの言葉が、耳にこびりついて離れない。
……知らなかった。
ギゼルが竜狩人になった背景には、そんな事情があったのか。
というかそもそもフーヴェルオが子どもの頃、竜に攫われたなんて話も寝耳に水だ。しかも、よりにもよってジュンコと同じ古代竜に殺されかけた、なんて。
「そ、そうか……だからおまえは竜狩人に……けどさっき、ブルグント家は騎士の家系だって言わなかったか? なのによく狩人になれたな……」
「当然父には猛反対されたがな。しかし私は病床の母に誓ったのだ。日に日に窶れてゆく母の無念と苦しみが、少しでもやわらぐように……と思ってな」
「い、いや、けど〝ブルグント西方騎士団〟って言えば、帝国内でも一、二を争う強さで有名な超エリート騎士団……ってことはあんたの父親って、もしかしなくても〝青獅子伯爵〟……!?」
「……今頃気がついたのか? 普通は私の姓を聞いた時点で、誰もが我が父の名を思い浮かべるものだがな」
「な、何だよ、その〝青獅子伯爵〟って?」
「げ、現在のブルグント伯爵の異名ですよ。ブルグント卿のお父様は配下の騎士団を率いて、大陸西部の反乱を何度も鎮めていらっしゃる英雄なんです。しかも戦場では伯爵自ら前線で武勇を振るい、獅子奮迅のご活躍をされるとか……おかげでいつしか〝青き鬣の獅子のよう〟とお噂が広まって……」
「な、なるほど、それで〝青獅子伯爵〟……どうりでご子息も剣の腕が立つわけですね……?」
「本気で狩人を志すなら、決闘で父に勝利しろと言われたものでな。ゆえに成人の日を迎えるまで、剣術だけは死に物狂いで鍛え上げたのだ」
「えぇっ!? じ、じゃあもしかして、あの青獅子伯爵を決闘で倒したの……!?」
「でなければ私は今ここにいない。父も本気で行かせたくなかったようで、勝負がつくまで一昼夜かかったが……まあ、私にも負けられない理由があったのでな」
と、目を伏せたギゼルとは裏腹に、ヘスペルは今にも腰を抜かしそうな勢いで戦慄していた。俺は武術とかそういうのはからきしだからよく分からないが、噂の青獅子伯爵はどうやら傭兵界隈でも恐れられるほどの人物らしい。
さしずめアゴログンドの呂布奉先といったところか。そんな猛将と戦って勝とうと思ったら、文字どおり血の滲むような努力が必要だったことだろう。普段の取り澄ました態度からは想像もつかなかったが、こいつも結構苦労してたんだな……。
「だけどその話が事実なら皮肉なものね。そうまでして狩人になったというのに、皇帝が代替わりした途端、竜の狩猟は全面的に禁じられたわけでしょ? なのにあなたはどうして今も皇属竜狩猟団に籍を置いているのかしら?」
ところがギゼルに同情しかけた俺の頬を打つように、刹那、ラドニアが鋭い疑問を投げつけた。これまで散々狩猟団に煮え湯を飲まされてきたラドニアとしては、今の話を聞いても「だからどうした」という感想しかないようで、依然眼鏡の向こうからギゼルを睨み据えている。
しかし言われてみれば確かにラドニアの言うとおりだ。ギゼルが竜狩人になったのは、竜を地上から駆逐しろと遺言した母への誓いを果たすため……。
だとしたらいくら勅命とは言え、変わってしまった皇属竜狩猟団に居続ける理由はないはずだ。何しろ今の狩猟団は竜を殲滅するどころか、むしろ生かすために存在しているのだから。
「……無論、私とて当初は戸惑った。陛下もまた乳母と乳兄弟を竜に奪われたも同然で、ならば当然、私と同じお気持ちでいて下さるはずだと信じていたからな。ゆえに陛下から竜の虐殺を禁ずるとのお達しがあったとき……私は耳を疑った。たったひとりの理解者に裏切られたような気がしてな」
ギゼルが皇属竜狩猟団の一員となったのは十七のとき。
ところが単身領地を離れ、いよいよ母の無念を晴らせると胸踊らせてメアレストに辿り着いたギゼルを待っていたのは、先帝崩御の知らせと新帝が発した信じ難い勅令だった。すなわち今後フーヴェルオ三世の治世では、皇帝の許しなく竜に危害を加えることを禁ず、と。
その瞬間、母を失った日から信じてやまなかったギゼルの正義は崩れ去った。
竜狩人となるべく重ねた必死の努力も、信念も、何もかもが否定された。
そんな結末を突きつけられて、絶望するなと言う方が無理な話だ。
当然ながらギゼルは荒れた。母のため、兄のため──ひいては同じ境遇に置かれたフーヴェルオのためにと、己のすべてを捧げた十年間は何だったのかと。
けれども自暴自棄になったギゼルを諫め、今の道へと導いた女がいた。それがギゼルの従姉にして皇属竜狩猟団の現団長、フリーダ・ゴンデシャルだった。
「帝都へ来た目的を失った私は入団早々、狩猟団を辞めて領地へ戻ると言ったのだがな。フリーダ様はそんな私の軽挙を叱り、こうおっしゃった。〝ギゼル、おまえの兄と母を殺したのは竜ではない。すべてはつまらぬ私情に駆られ、進むべき道を過たれた先帝陛下の咎である〟とな」
「あ、あの陛下ひと筋のフリーダが……その父親である先帝を否定したのか?」
「ああ、そうだ。何しろフーヴェルオ三世陛下は、己の妻子や国の大事を顧みず、生涯竜を殺し回ることに明け暮れたお父上を心底軽蔑しておられたからな。だからこそ先帝の政道を否定し、絶滅が危惧される竜族の庇護というまったく真逆の勅令を打ち出されたのだ。先帝の暴走さえなければ、人も竜も愛する者を失い苦しむ必要などなかったはずだと……ならば竜に罪はないと、そうおっしゃってな」
俺は正直呆気に取られた。〝竜に罪はない〟……つまりフーヴェルオは、竜族をこれっぽっちも恨んじゃいないってことか?
あいつが憎んでいるのはむしろすべての元凶を作った先帝で、だからそいつを反面教師に、竜と人間が争わずに済む世界を目指そうとしていると?
確かにそれなら辻褄は合う。
というか仮に俺がフーヴェルオの立場でも、息子の命よりつまらない私情やプライドを優先する父親など、たぶん一生かかっても許せないだろう。
ならば今、フーヴェルオが為そうとしているのは父親への復讐だ。
先帝の人生を真っ向から否定し、未来永劫、史上最悪の暗君として歴史に名が残るようそのすべてを貶めること。
そう考えるとまったくとんでもない親子喧嘩だが、まあ、しかし勝者への副賞として人と竜とが共存する世界がついてくるのなら悪くない。
ギゼルもそう思ったから、狩猟団に留まることを決めた。
家族を奪った竜を許せない気持ちは今もある。けれども憎しみを乗り越えることで、もう誰も自分やフーヴェルオが背負った悲しみを味わわなくていい世界へ辿り着けるなら、それを亡き兄と母への手向けに代えよう、と。
「……なるほどな。つまり陛下とおまえは〝罪を憎んで竜を憎まず〟の道を行くことにしたわけだ。けどそう言うわりには、陛下はちょっと竜に対して無関心すぎやしないか? 竜の園で何匹竜が死のうと気にしてないような素振りだったし、イヴのことだって平気な顔で化け物呼ばわりしてたし……」
「あれは急な政策転換による貴族たちの反発を防ぐためだ。先帝の時代……つまりつい七年前まで、貴族たちの懐を潤していたのは竜討伐による国からの報奨と竜遺物の売買だった。ゆえに今も陛下の決定に不満を抱える者は多く、些細なことが反乱の火種になりかねんのだ。そういう思惑があって、陛下は仕方なく竜を匿っているという体裁を取っておられる。竜族庇護の勅令は、表向きには竜の急激な減少が引き起こす様々な問題を解決するため、という理由づけになっているしな」
「様々な問題?」
「竜族狩り以降、アゴログンドでは異常気象の増加や竜術の衰退といった問題が表面化しているのよ。どちらもまだ竜族減少との因果関係は証明されていないのだけれど、竜の個体数が減れば減るほど確実に問題は深刻化している。その事実を受けて最近では、竜族は源素のバランスを保つ役割を担っていたのではないかという仮説が広まり始めているの。つまり竜族の減少によって源素が薄くなり、気候が狂ったり竜術が使えなくなったりしているんじゃないか、ということね」
「ええ……実際、竜が消えた地域では竜術師が激減していて、竜族狩り以前は何の苦もなく術が使えていたのに、今は低級竜術すら使えなくなってしまったという人が大勢います。加えて竜族の不在は生態系にも甚大な影響を与えていて……世界中で竜害が減少する一方、魔獣による獣害は急増しているようです」
「まあ……普通に考えりゃそりゃそうだよな。魔獣を捕食して自然界の均衡を守ってた竜が忽然と消えちまったんだから。ついでに竜術まで使えなくなってるってのは驚きだが、仮にそれも竜の減少と関係してるなら、アゴログンドの文明も一緒に衰退しちまうんじゃないか?」
「リュージさんのおっしゃるとおりです。今の帝国の繁栄は、竜術の進歩の上に成り立っていると言っても過言ではありませんから……竜を救うことは人類を救うことと同義だと、近年、多くの竜術師が気づき始めています」
「今頃気づいたところでもう遅いと言うべきか、取り返しがつかなくなる前に気づけてよかったというべきか……答えが分かるのは百年後の未来でしょうけどね」
呆れ果てたようにそう言って、ラドニアが前髪を掻き上げた。隣ではヘスペルもこくこくと頷き「つまりラドニアさんが世界で一番正しかったってことですね!」と、自分の手柄でもないのに勝ち誇ったような顔をしている。
まあ、でも実際、ラドニアの行動と先見の明はもっと世間に賞讃されるべきものだ。欲にまみれた人間どもが獣にも劣る獣となって大陸中で踊り狂っている間、彼女だけが竜を守るべきだと主張し、勇敢に戦い続けた。
その功績に見合った讃美がもたらされるのは、それこそ百年後の未来かもしれないが……しかしラドニアは一体何がきっかけで竜の側に立ったのか?
そういやそこをまだ聞いてなかったな。
そう思い至ったら猛烈に気になり始めて、俺は好奇心のままに口を開いた。
「まあとりあえず、陛下が竜の保護を命じた理由には納得したけどさ。そう言うラドニアは、そもそもなんで竜の研究を始めたんだ? まさか世界がこうなることを事前に予見してたとか?」
だとしたらこいつはノストラダムスも真っ青の予言者だ。
俺がそんなことを思いながら尋ねると、ラドニアは「ああ……」と何でもないような顔で眼鏡を押さえ、そして言った。
「それは話せば長くなるけど……簡潔に答えるなら、竜狩人だったからね」
「ん?」
「私の家はそこの伯爵令息とは真逆で、竜殺しを生業にしてきた狩人の家系だったのよ。で、当然のように私も狩人だった──ある竜を殺し損ねるまでは、ね」




