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室井八雲は憂鬱のため息を吐く―②






 一限目の授業は、ただの地獄だった。


 好奇心丸出しのざわめきと視線が背中に突き刺さる中、窓際になる左隣には白鳳院さんが、右隣には藤原さんがという両手に花ポジションで座っている僕は、全身から変な汗をダラダラ流し続けていた。



 たった二日で許婚が一人増えました。



 青天の霹靂にもほどがある。


 しかも――


「あの、白鳳院……さん?」


「好き。」


 授業中なので小声で呼びかけると、間髪入れずにそんな愛の告白が返ってくる。


 ただし。


 白鳳院さんは、広げたハードカバーの文字列を追うのに夢中だ。


 その声にも甘さなどは微塵も宿らず、表情と同じぐらいの『無』しか存在していない。冷たいとか凍えるとかを超越しているために、ドキドキなんかしたりしない。


 むしろ、死ねとか殺すぞとか言われてるような気分にすらなる。


 訳がわからないのに、何の情報も引き出せそうにないのはよくわかった。


 あと。


 余談の類だけど。


 授業中なのに、白鳳院さんが余裕で読書をしていられるのには理由がある。


 まず第一に本人の性格的なものがあるのだろうけれど、この学園は基本的に『優秀』である限りはかなりの自由が認められている。


 その授業で得られる(・・・・・・・・・)内容を理解している(・・・・・・・・・)のなら(・・・)何をしていてもいい(・・・・・・・・・)


 わりと特殊な人たちも多くいる学園なので、ある種の暗黙の了解のようなものらしいのだけれど、二日目――というか、最初の授業からそのルールを駆使しているクラスメートが何人かいる。


 天城財閥麾下十二企業の一角である皇・姫野の若社長なんかはその筆頭だ。


 己の周囲にいくつもの空間ウィンドウを展開しながら、授業を片手間に仕事をこなしている光景には驚かされる。


 棲む世界の違いを感じさせられるね。


 それはさておき。


 白鳳院さんは、そのあからさまな態度に憤慨した英語教師の意地悪な問いを、本から顔を上げもせずに即答したので条件を満たしたのである。


 英語教師はこめかみをピクつかせてはいたものの何も言わなくなった。


 やっぱり頭がいいんだなぁ……。


 感心と呆れが半分こぐらいな感じで白鳳院さんの整った顔を横目でちらりと見てから、僕は教室前方の大型スクリーンに映っている内容をノートに書き取っていく。


 気が休まらず、胃が痛み、神経の削られるような一限目がようやく終わった頃には、精神的に疲労困憊になっていた。


「大丈夫ですか?」


「なんとかね」


 倒れてもいいなら倒れてしまいたい。


 藤原さんは心の底から心配してくれているようだったが、前の幼なじみ二人は好奇心丸出しの目をしていた。


 アイコンタクトすら可能な勢いだったので、とりあえず『僕も訳がわからない』と伝えておく。


 幼なじみの以心伝心だ。本当に伝わっているのかどうかは知らない。


「ところで、藤原さんは白鳳院さんとは?」


「子供の頃に何度かお逢いしています。私のとても大切な友人です」


「そのわりには、藤原さんに無反応だけど……?」


「本に意識が向いている時は、よっぽどでない限り周囲が見えないぐらいに集中してしまうので……気づいていないだけだと思います。あまり人付き合いが得意な娘でもありませんので……」


 苦笑する藤原さん。


「だろうねぇ。

 ……で、え~っと、この件については何か聞いてる?」


「いえ」


 フルフルと首を左右に振る藤原さん。


 ふわりと舞う黒髪が綺麗だ。思わず手を伸ばして触りたくなるが、そんな衝動は実際の行動にまでは反映されない。


「それじゃあ、わかっていそうな人に聞くしかないか」


 胸ポケットからスマフォを取り出して、僕は腰を浮かせる。


「それでは、私は芙蓉さんから少しお話を聞いてみます」


「いいの?」


「はい。私も白鳳院の方々が何を考えているのか気になりますので。」


 なんだか含みのある言い方だった。


 だけど、まあ、正統な許婚である藤原さんからしても、いきなり二人目が登場すれば穏やかではいられないのだろう。しかも、友人だ。


 でも。


「会話になるのかどうかがまず疑問なんだけど……」


 すぐ傍で僕らが話していても無反応を決め込み、速攻で自前の新聞部を創設したと噂の峰倉さんが突撃取材をしても無反応を決め込み、動きを見せるのはページをめくる時だけという完璧な読書スタイルになっている白鳳院さんが反応するかどうか。


「大丈夫です」


 にっこりと微笑む藤原さん。


 なんだか自信ありげなので任せることにして、僕は廊下に出る。


 あの人に直通の番号を選択して、通話ボタンを押す。


 相手が出るまで1コールも必要なかった。


『どうしたのかな、愛しの我が息子(マイ・サン)よ☆』


 言うまでもないだろうけれど、相手は実父の時人さんだ。


 あの外見からは想像もできないであろう弾んだ声だった。


「いや、あの、その………」


 想像を上回るハイテンションに若干引きながら、ついでに現在進行形で距離感もわかっていないので、いくらか言葉を詰まらせながらも言う。


「今朝方、また許婚を名乗る女の人が転校してきたんですけど………どういうことか説明してもらえませんか?」


『………………………………ぉぅ。』


 明らかに何かを知っている反応だった。


『思ったよりも動きが速いな』


 続いて、やたらと冷静な感じに思案しているような呟き。


 どうやら時人さんにとっては、遅いか早いかの違いはあったみたいだけども既定路線の展開だったみたいだ。


 なにやら小声でブツブツ呟いているようだけど、さすがに僕の耳まで届いてこない。


「実父さん?」


 放って置いたら休み時間が終わりそうだったので、時人さんにやたらとよく効く『魔法の言葉』を呟いた。


『はぅっ!?』


 電気に打たれたような叫びが聞こえた。


「とにかく、僕はわけがわからないので、説明が欲しいんですが?」


『あー、うん。それな。簡単に説明するとだな』


 なにやら気まずそうに頭を掻いていそうなのが容易に思い描ける。


「うん」


『愛しの我が息子(マイ・サン)の情報が世間に出回った際に、小鳥君の情報も流れているのだよ。こちらから意図的に流したとも言えるが』


 新聞の一面を飾る自分の記事なんかを読み耽るような趣味はないので、それは初耳だった。


 ――ていうか、そんな情報まで世間に流す必要があるのだろうか?


 藤原さんが昨日の自己紹介の場で暴露していたので、クラスメートには――あと光の速さで学園中にも――知れ渡っているのだから、個人的には今さら感が微妙に漂わないでもない。


 けれど。


 世間的には、それさえも一騒ぎになるようなゴシップネタなのだろう。


 隠れ御曹司と一途に想いを育んできた許婚の少女――如何にも世間受けしそうな話だ。


 だが――


「藤原さんの許可は得てるんですよね?」


 一つの学園と世間に知れ渡るのでは、規模が違い過ぎる。


 僕が物珍しげな視線に晒されているように、藤原さんも同じ視線で見られることになる。


 名家の娘さんなのだから、他人の視線など慣れっこなのかも知れないけれど、当人からの許可の有無は大事だ。


『無論だ』


「なら、いいけど……」


『愛しの我が息子(マイ・サン)は優しいなぁ』


「そーゆーのはいいんで。とりあえず、話を聞かせてもらえますか?」


『うむ。話そのものは単純なのだが、藤原家をライバル視している白鳳院家が、私に苦情を入れてきたのだよ。藤原家を贔屓しているとかそういう類のね』


「藤原さんの家と白鳳院さんの家は、仲が悪いんですか?」


『不倶戴天の宿敵みたいなものかな。一方的に白鳳院家がライバル視していたのだが、近年は嫌がらせの度が過ぎてきているために両家の関係は悪化の一途を辿っている』


「うわぁ……」


 藤原さんが微妙に含みのある言い方をするわけだ。


『悪意的なまでにライバル視している藤原家の娘が、私の息子と許婚――将来的に結婚するとなると穏やかではいられなくなるというのはわかるか?』


「あんまりわかりたくはないけれど……」


 ライバルに差をつけられる――それも向こうの基準からすると挽回不能なまでに圧倒的な差を付けられるとなると、黙ってみているなんて選択肢なんか選べそうにない。


『だから、機会をよこせと言ってきたのさ』


「機会?」


『うむ。白鳳院の娘も許婚にしろとな』


「そんな無茶なっ!?」


『連中からしてみると起死回生の一手なのだろうなぁ……。娘さんからしても私の息子という肩書きだけでも嫁ぐには十分な理由になる』


「いや、あなたの息子でも、僕に行使できる権力なんかないんですが……?」


『私が息子(キミ)を溺愛しているのは、既に周知の事実だからね。その事実一つで、夢はいくらでも膨らんでいくものだ』


 溺愛する息子のためなら、ちょっとやそっとの無茶など躊躇わないとでも思われているのなら、確かにいくらでも都合のいい妄想を思い描けるだろう。


 なにしろ、時人さんはあの(・・)『天城財閥』の現総帥なのだから。


 お小遣いという名目で、一億も渡そうとするような人だ。


 ………………怖くて受け取れなかったけども。


『もしも、送り込んだ娘に愛しの我が息子(マイ・サン)が惚れ込んだりしたら、小鳥君と藤原家の顔に泥を被せられるおまけ付きだ。連中からしてみると躊躇う理由がないな』


「メリットしか見てなくて、デメリットが見えてないような気がするんですがね」


 白鳳院さんに僕が見向きもしなかったら、面子が丸潰れになりそうなもんだけど。


『愛しの我が息子(マイ・サン)が気にするような事ではないと思うが……。

 ちなみに、その娘さんの名は?』


「白鳳院……芙蓉さん」


『あぁ、彼女か。……ふむ。これは意外な一手だな。

 ――いや、そうか。愛しの我が息子(マイ・サン)と同い年の娘となると彼女しかいなかったか。ふむ。昨日の今日という素早さからしても、これは余計な企みをしていそうな感じだな』


「はい?」


『いや、愛しの我が息子(マイ・サン)は気にしなくていいよ。

 とにかく、私としても断り切れなくてね。小鳥君には悪いが、白鳳院の提案を受け入れざるをえなかった』


「………………。」


 いくら『天城財閥』の現総帥でも好き勝手ができるわけでもないし、いろいろと柵があるのもわかる。むしろ、そうしたものに縛られているために、極端に自由が制限されている部分もあるのだろう。


 でも、それはあくまでも大人の事情であり、子供の僕を巻き込まないで欲しいと思わなくもない。


 時人さんが可能な限り、余分なものを排除してくれているのもわかっているので、迂闊に愚痴のようなものを零さないように僕は口を閉じておく。


『あくまでも、許婚として年頃の娘を一人だけ寄越すのを許可しただけで、向こうにチャンスをくれてやったに過ぎない。愛しの我が息子(マイ・サン)も迷惑をしているとは思うが、しばしの辛抱をお願いする』


「軽く言ってくれますねぇ……」


 白鳳院さんにその気があるのかないのかも定かではないけれど、許婚が二人もいる状況が既に大問題だ。


 藤原さんだけでも持て余しているのに、もう一人追加とか悪夢でしかない。


『すまないと心から思っているので、いろいろな問題をまるっと解決する助言を一つ、愛しの我が息子(マイ・サン)の耳に入れておこう』


「助言?」


『参考になるかどうかは愛しの我が息子(マイ・サン)次第だが、一夫多妻やハーレムという選択肢を考慮に入れてみるのはどうだろうか?』


「正気ですか?」


 下手な人間が口にすれば、即座に人生が終わってしまうであろう突っ込みを光の速さで返してしまっていた。


『無論、正気だとも』


「そんな無茶な解決策に飛びつく気はありませんが……」


『普通に育ってきた愛しの我が息子(マイ・サン)ならそう言うだろうと思っていたが、君にはそういう選択肢もあるのだと覚えておくといい。愛しの我が息子(マイ・サン)本気で(・・・)好意を寄せてくる女性たちを幸せにしたいという気持ちが芽生えるようになったら、無駄に思い悩んだりせずに世間の常識の方を足蹴にするなり、私の持つ権力を利用して書き換えるなりすればいいのだとね』


「………………………………無茶苦茶だなぁ……」


 これからたくさんの女性と心を通い合わせていくのだと『予言』されたような気がした。


『ほら、愛しの我が息子(マイ・サン)には幼なじみの雛森明日香君もいただろう? 小鳥君に送っていた君の映像記録集を観る限りでは、彼女も愛しの我が息子(マイ・サン)を憎からず思っているフシがあるようにも思えるのでね』


「………………………………人並に女の子が好きだという自覚はあるんですが、節操無しみたいに手を出しまくる趣味はないですよ」


『奥手かね。男盛りの思春期でそこまで謙虚だと、孫の抱ける時期が心配になるのだが?』


 頭が痛くなってきた。


「話を戻しますけど?」


『うむ』


「白鳳院さんは正式なんだか、変則的なんだかよくわからないけれど、一応の手順を経て、僕の許婚としてこの学園にきたんですね?」


『その通りだ。愛しの我が息子(マイ・サン)がどうしても気に入らないというのならば、即座に排除するので連絡してくるように』


 排除って。


「怖いこと言わないでください」


 今さらになって言うぐらいなら、最初から話しそのものを処理しておいて欲しかったと思ってしまう。


 それが出来ない大人の事情があったからこその現状なのだとしても。


『はははっ☆ まだしばらくは大変な日々が続くと思うが、私は何時でも愛しの我が息子(マイ・サン)の幸福を祈っているよ』


 事の元凶に励まされても、反応に困る。


「なんだか、僕が困っているのを楽しんでませんか?」


『困っている愛しの我が息子(マイ・サン)に頼られるのを心待ちにしていないと言えば嘘になる』


 もっとタチが悪かった。


 でも、そんな冗談めかした言葉の端々に、この程度で僕がどうこうなるとは思っていない信頼のようなものが垣間見えている。


 買い被りだとため息を吐きたくなるけれども。


「いろいろと聞かせてくれて、ありがとうございました」


 言葉といっしょに頭を下げながら、通話を終える。


「どうだったよ」


 気づけば、いつの間にか傍らに刃が立っていた。


 心配してくれたのだろう。


「どうも実父さんには、ちゃんと話が通ってるらしい」


「そりゃそうだろうなぁ……。いま世界で一番有名なお前は、同時に世界で一番の『力』に守られてるわけだし……」


 言いながら刃は、ちらりと窓の外に視線を向ける。


 僕には何もわからないけれど、剣術家としての勘みたいなものが〝見えない護衛〟の存在を感じ取っているのかも知れない。


「上に話を通さずに送り込んでいたら、お前の視界に入る前に排除されるわな」


「それはそれで怖いよ」


 刃は気のない素振りで肩を竦める。


「で?」


 促されたので、実父から聞いた話を簡単に話す。


「お前に彼女の処遇は丸投げされたわけか。モテる男は辛いな」


「やめてよ」


 片手で顔を覆いながら、ため息を吐く。


「で、どうするんだ?」


「どうするって言われても、藤原さんだけでも状況を持て余しているのに、この上さらにもう一人追加なんて勘弁してよとしか言えないよ」


「なら、追い返すのか?」


「事と次第によってはと言いたいとこだけど……」


 そこが頭の痛い点だ。


 白鳳院さんが、藤原さんのように本気の好意を抱いて僕の元に来たとは思えない。


 事によれば、彼女の意思さえ無視されている可能性も否定できない――だけではなく、なんかこう深入りすると胃が痛くなりそうな事情が覗いている。


 実父さんも意味深な発言をしていた。


 その点を踏まえると、無碍に白鳳院さんを追い返すと愉快ではない展開が、彼女を待ち受けているのではとさえ思う。


 我ながら想像力が豊かになっているような気がしないでもないが、物語の中でしか見聞きしたことのないような話もありそうなのが、今の僕の立ち位置なのだ。


 少なくても気になっている点が明らかになるまでは、安易に白鳳院さんを追い返すわけにはいかない。


「大体、お前が何を考えているのかわかるが、相変わらずの苦労性だな」


「ただの八方美人の優柔不断だよ」


 今のままの現状を維持すれば、最終的にみんなが痛い目に遭うのがわかっているのに、決断を先延ばしにした選択しか出来ないだけだ。


「仕方がない。たった数日で劇的に環境が変化したとはいえ、いきなり適応できるような人間は稀だ。お前はよくやっている方だよ」


「ありがとう」


 褒められてもあんまりうれしくないのは、自分に忸怩たるものを感じているからだ。


 流されても仕方がなくても、流されている自分を不甲斐なく思う気持ちがあるからだ。


 ………情けないと卑下する気持ちが消えず、ため息となって吐き出されていく。


「何か冴えた解決法が見出せればいいんだけどね」


「あるぞ」


「………………………………………………は?」


 刃があんまりにも普通に言うものだから、反応がかなり遅れた。


 この八方塞がり同然の状況を一発で改善できるような夢のような一手が、刃には見えているというのか。


「ぼ、僕はどうすればいい」


「雛森を選べばいい」


 刃は真顔で言い切った。


「………………………………………………………………は?」


 僕の表情は、ベタで塗り潰されたように完全なる『無』になった。


「そもそも、俺はこうなる前は雛森とお前がくっ付くんじゃないかと思っていた」


 突拍子もない発言をした友人は、さらに上塗りを続けていく。


「明日香と? 僕が?」


「俺はあくまでも友人の立ち位置から変わらないが、もう一人の最も身近な幼なじみは変えようと思えば、その関係を変化させられる」


「いや、それは………」


 考えたことが全然ないとは言わないが、今の状況で言い出せるはずもないし、明日香は藤原さんがすっかり気に入ったようで応援するとさえ宣言している。


 それなのに、明日香が好きとか告白したら、右ストレートが飛んでくる。


 いや、告白する気とかないけど、仮定として。


「本音と建て前はあるものだし、雛森もまだ自分の気持ちに気づいていない可能性もある。今までの距離が近すぎたからな。だが、お前は選べる。藤原や白鳳院のような『上』の人間の立つ舞台でも、雛森と歩む『普通』の人生も。俺が思うに、今のお前の望み(・・・・・・・)に一番近い相手は雛森じゃないのか?」


「………………………………。」


 そう言われてしまうと返答に詰まってしまう。


 考えもしなかった選択肢ではあったけれど、確かに僕の望む平穏に即していると言えなくもない。


 明日香とゴニョゴニョなのは脇に置いた上ではあるけれども。


 でも、そうなると藤原さんと白鳳院さんがなんて思ってしまうと、雁字搦めになってしまうのである。


 我ながら、八方美人で優柔不断なクズヤロウの典型例である。死にたい。


「それでもダメなら、全員まとめて面倒を見ればいい。ハーレム万歳☆」


「その選択肢が選べないから、頭を悩ませているんじゃないかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 頭を抱えて絶叫する。


「実父さんといい、刃といい、どうしてそう倫理観の欠如した選択肢を嬉々として勧めてくるんだぁっ!?」


「だが、このままではお前は確実に何かを失うぞ。藤原を選べば、白鳳院は必要ない。白鳳院を選べば、藤原が必要ない。二人を選ばなかったら、お前は二人を失うし、そんなお前には雛森も愛想を尽かすだろうな。そんな胃を痛めるような取捨選択をするよりも、全員をまるっと囲ってしまえば、お前以外が幸せになれる。お前も開き直ったら幸せになれる。ほら、みんなが幸せになれる」


 そうかもしれないが、失われるものも最もデカいと言わざるを得ない。


 天城財閥の隠れ御曹司は、最低最悪のハーレム野郎と後世に語り継がれるのは御免被りたいです。


「………………………………僕を絶望のどん底に突き落とすのは、そんなに楽しいか」


「楽しいぞ♪」


「刃ぁぁぁぁっ!?」


「冗談はさておき、そんなに急いで結論を出そうとするな。根が真面目なお前は現状をよくないものと決め付けているようだが、猶予があると考え方を切り替えろ。彼女たちとはこの学園で三年間を一緒に過ごすんだ。その期間中に、お前の『答え』を出せばいい」


「………。わかった」


 確かに、今日、明日に結論を出さなくてはいけないわけではない。


 ただし、まだ時間があると高を括っていると致命傷にもなりかねない。


「個人的にはハーレムを勧めるが」


「それはない」


「それを選ばん限り、お前は必ず胃に穴が空くぞ。血を吐くぞ」


「………だと思う。それでもハーレムはないよ」


 藤原さんは魅力的な娘だし、白鳳院さんは今の段階では何ともいえないし、……明日香も決して嫌いなわけじゃないけれど、そんな三人全員と関係を持つ未来なんか想像もできないし、一夫一婦が普通の環境で育ってきたので抵抗があるし、根本的に受け入れてもらえる保証もない。こういうのは女の子の方が、抵抗が強そうな気がする。


 などと考えていると、


「あらあら。よいではないですか」


 いつの間にか刃の背後に立っていた女の子がにこやかに微笑んでいた。


 可愛いと評されるのが相応の年齢でありながら、端的に美しいとため息とともに言葉が漏れてしまうほどに整った面立ちをしている。背中まで伸ばしている髪も下手にアクセサリーなどを付ければ、持ち前の可憐さが翳ると言わんばかりに生のままだ。


 文字通りの意味で『お人形のような』というフレーズが思い浮かぶ。


「あぁ、海棠さん」


 海棠(かいどう)添琉(そえる)


 藤原さんほどではないと謙遜していたけれど、古都の方では有名な名家のお嬢様だ。


「なんだ、来たのか?」


 やや嫌そうに眉をしかめる刃。


 僕にとっては昨日知り合ったばかりのクラスメートだけど、刃にとっては随分と前からの既知だったらしい。


 夏休みや冬休みになると『修行』と称して央都を離れる刃が、かなり田舎にある修行地に向かう途中にある街で知り合ったらそうだ。


 中学卒業をして地元の高校を進学先に選ばずに、この天城学園を選択した海棠さんとわりと奇跡的な再会した形になるのだけど、刃があんまり嬉しくなさそうなのが不思議だ。


 海棠さんは、ちょっと過剰なぐらいのスキンシップをするぐらい刃に好意的なのに。


「少し用事があったので遅刻してしまいましたが、入学早々に欠席するのは避けたいので」


 刃の態度を気にした様子もなく、どころか身体を触れ合わせるぐらい寄り添うようにしながら海棠さんは口元を手で隠して、楚々と笑う。


「そうか」


 寄ってきた海棠さんから逃げるように動く刃だが、にこやかに微笑みながら海棠さんは追いかけていく――だけでなく、腕を取って組んでしまう。


 制服の上からでもわかる膨らみを押し付けるように。


「おい」


「ところで、室井さん」


 刃の抗議などどこ吹く風で、満足げな海棠さんが僕を見る。


「なんですか?」


 イイトコのお嬢様で所作も洗練されているのに、茶目っ気もあるのでそのギャップに戸惑ってしまう。


「不躾ではありますが、途中からお二人のお話を聞かせてもらっていました。

 その上でわたくし個人の意見を言わせていただくと、色恋沙汰には正答などありませんわ。それぞれが納得し、受け入れられるのならば、それが答えとなるのです」


「………………。」


 わりとよく聞く類の意見ではあったけれど、真摯に僕に向き合ってくれている海棠さんの言葉に素直に感じ入る。


「わたくしも水城さんの鋭く尖ったもので、わたくしの大切なものを貫き奪っていただきたいという気持ちを抑えられなくなる時があります」


「………………………………………はぁ?」


 聞き間違いかと思った。


「また誤解の余地がありまくりの、血腥いことを」


 誤解の余地も何も、普通にエロい方面しか思い描けないんだけど。


 まさか、お嬢様の口からそんな卑猥な連想をさせる発言が出てくるとは思わなかった。


 刃も苦々しい顔をしている。


 この二人の関係をまだ詳しく聞いていないけれど、もしかして、僕の想像をぶっちぎる地平に到達していたりするんだろうか?


 うっとりと夢見る乙女のように頬を染める海棠さんは、その光景に想いを馳せているかのようだった。


「刃? こんな素敵な彼女がいたんなら、もっと早くに紹介してくれなきゃダメじゃないか」


 昨日の帰り道の途中で、明日香が冗談交じりに「彼女?」と聞いていたのを、違うと即答していたのは単なる照れ隠しだったのか。


「彼女じゃねーよ。俺は央都(こつち)でまで面突き合わせることになって迷惑してるんだよ」


「またまたぁ、素直じゃないですね♡」


 刃の胸元に指を這わせる海棠さん。


 怖気でも感じたように背中を震わせる刃。


 昨日もこんな感じだったけれど、やっぱり二人の関係がよくわからない。刃もあんまり話したくなさそうだったので昨日は深く聞かなかったけれど、機会があれば海棠さんからも聞いておいた方がいいのかもしれない。


「え~と……」


「あぁ、すみません」


 じゃれ合う二人に困っていると、海棠さんがはっと僕に向き直る。


「人によって考え方は違いますし、築き上げる関係もまた千差万別なのです。わたくしの望みに比べれば、室井さんが複数の女性を手篭めにするぐらいならば、とても可愛らしい行いではありませんか?」


「さり気なく僕を貶めようとしないでくれるかなっ!?」


 真っ当な恋愛――ただし、ちょっと先走ってアダルティ――を望んでいる海棠さんに比べれば、僕のハーレムの方が極悪非道に決まっている。


「?」


 きょとんと首を傾げる海棠さんとは、認識に大きな齟齬があるようだった。


 僕はその溝の深さに戦慄し、理解をしてもらうのに途轍もない困難を伴う予感にため息を吐くのだった。







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