『元日の地味な没個性とその周辺』(16)
「打てば響くような返し♪」
「なんだか安心する存在感のなさ♡」
「慣れてくるとクセになる会話のテンポ♪」
「地味なのに面白くて、没個性なのにちょっと可愛い♡」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………あの~」
大富豪の大富豪地獄から解放されたと思いきや、皆喜さんと烏丸先輩になんだか面白がられて、可愛がられるという展開が待ち構えていた。
両サイドを美少女に挟まれ、ケーキを食べさせてもらったり、チヤホヤされたり。
男としては「ひゃっほうっ☆」と喜ぶべきなのかもだけど。
実際の感覚としては、姉にオモチャにされる弟のようなものだ。
「ウラヤマシイネ」
それを横目で見ながら、日下部くんが小さく呟いてるのが聞こえた。
本当に羨ましいのなら、代わってあげてもよろしいのですが?
そんな意思を込めた熱い視線を注ぐのだけど、日下部くんは決してこっちを見ようとしない。わざとらしいくらいに視線を逸らして、紅茶を飲んでいる。
………カップの中身が、とっくに空になってるのはわかってるんだよ?
「役者にはなれそうにない棒読みですね」
誰かに聞かせるような呟きではなかったんだろうけれど、どうも甘粕先輩の耳にも届いていたらしい。
軽く肩をすくめながら、日下部くんに視線を向けていた。
「私の人生にそんな選択肢はない」
「確かに、医者ではないあなたを想像するのは難しいですね……」
甘粕先輩が苦笑を浮かべる。
先輩後輩という間柄にしては、妙に親しげな雰囲気だ。
僕は「?」と首を傾げてから、
「お二人は、仲良しなんですか?」
――と、聞いてみた。
「あら? ここでも、新たな好きの予感?」
「それとも、実は恋人同士だったりするのかしら?」
皆喜さんと烏丸先輩が一瞬で食いついた。
よし。女の子は甘いものと恋話に目がない。
地味な没個性をオモチャにしているよりも、そっちの方が有意義なはずだ。
………がっちり両サイドをホールドされたままなので逃亡は不可能だけど、少なくても意識は逸らせた。
あとは、もう少し話の方向性を誘導すれば、日下部くんを生贄にできるはずだ。
考え方がちょっとブラックになってるけど、気にしないで欲しい。
僕にだって、苦手なことぐらいはあるんだ。
腕に押し付けられている柔らかい感触とかね。もぉどうしろっていうのさぁっ!?
「よしてくれ」
うんざりしたように日下部くんは、手をひらひらと振り。
「残念ながら、ご期待にはお応えできそうにないですね」
甘粕先輩も涼しい顔で、あっさりと否定する。
動揺の欠片も生じない。
当たり前のような調子で、当たり前に否定しているので、色恋沙汰のような関係性は一切合切ないのだろう。
基本がクール系で感情を表に出さないタイプの二人でも、わりと不意打ちぎみだったので疚しいところがあるなら、完璧に隠しきれるタイミングでもなかったはずだ。
僕はともかく、そういう嗅覚が鋭そうな皆喜さんと烏丸さんも同様の結論に達したようで、ちょっと残念そうにしている。
「逆に、どうして、そういう発想が出たのかを聞きたいな?」
自前のメスでケーキを切りながら、日下部くんが興味深そうな視線を向けてくる。
「会話のテンポと雰囲気。少なくても、ただの先輩・後輩って感じじゃないように思ったんだ。僕の基準で、最低ランクでも友だちぐらいの親しみがあったかな」
下手に身動ぎすれば、それだけで柔らかいところとの密着度が上がってしまう際どい状態なので、微動だにせずに口だけを動かす僕。
たったそれだけでも罪深さが増していくような気がして、なんだか堪りません。
この場に『嫉妬団』がいたら、間違いなく襲われる確信がある。
………………なんでさ?
「相変わらず、妙なところで目敏い奴だな。些細な違和感ぐらい適当に流してもらいたいのだが……」
「それじゃあ……」
「やっぱり?」
目を輝かせる皆喜さんと烏丸さん。
身を乗り出しながら、何かの義務感のように僕の口に小さく切ったケーキを突っ込まなくてもいいんですよ?
「いや、単にお得意様の一人というだけだ」
「「お得意様?」」
「あ~、日下部くんの患者さん?」
「そういうことだ」
わずかに考えるような間を挟んで、日下部くんは口を開く。
「……誤解が後々まで尾を引くと面倒なことになりそうな予感がするので、この際だからはっきり言っておくが、私は甘粕ひふみがあまり好きではない。積極的に嫌っているわけではないが、人間としても女性としても好意的な感情を抱いてはいない」
随分ときっぱりとした物言いだった。
感情を含めずに淡々とした口調で言うものだから、紛れもない本音だと伝わってくる。
「理由も言っておかなければ、別の方面での誤解を受けそうなので、これもまた言っておく。私は医者として、生命に貴賎はないと考えている。だが、好みはあるんだ。自分の生命を大事にしていない奴は、好きではないんだよ」
「「「………………。」」」
思いがけずに重たげな内容だったのでコメントに困り、僕たちの視線はそのまま甘粕先輩へとスライドする。
甘粕先輩は困ったように眉を下げていた。
「彼の物言いは少し極端な方向に偏っているのだと、まずは言わせてもらいます」
「……はぁ」
「私の家系が要人の護衛――所謂ところのボディガードを生業としているのは、ご存知のことと思います。その職務の内容から危険度の高い仕事も多く、必然的に負傷をしてしまう確率も決して少なくはないのです」
「そちらの実力ならば、無傷で凌げる場面も多々あるというのに、護衛対象を気にかけるあまりに己を疎かにしてしまうのは失態以外の何でもない」
理解を求めるように僕たちに語りかける甘粕先輩の語尾に被せるような勢いで、冷たい口調の日下部くんが割り込む。
「職務上、自分よりも護衛対象を優先するのは当然かと。自分を優先して、任務が疎かになってしまっては、それこそ本末転倒というものでしょう? 自分と護衛対象を平等に考えるようでは、ボディガード失格です」
すっと目を細めた甘粕先輩が反論する。
この時点で、僕らはちょっと置いてけぼりです。
「ボディガードだろうがなんだろうが、生命は誰にだって一つしかないものだ。それを守る自信がないのならば、そもそもボディガードなどをやるべきではない。自分の生命を完璧に守れない者が、他人を守ろうなどとはおこがましいにも程がある。己の身を守れなければ、必然的に護衛対象も守れない。まさかとは思うが、そんな当たり前の事実を忘れているのではないだろうな?」
「改めて言われるまでもない心構えです。常に完璧な仕事を心がけているのは当然として、その上で不測の事態に対応しなくてはならないのが護衛という任務なのです。如何なる可能性を考慮に入れたとして、人間の悪意は容易く想定を超えてくる場合がある。……考えたくもないいざという場面に、やはり盾とすべきは己の身体なのです。死ぬつもりなど毛頭無いとしても、それでも動くべき時に躊躇っていては、護衛の任務は全うできない。多少の負傷は、最初から考慮に入れておくべきなのです」
「……私は常に完璧な仕事をしろと言っているわけではない。無用の怪我を負うなと言っているんだ」
「勿論、私とて負傷をしたくてしているわけではないのです。それなのに状況も理解せずに、ちょっとやそっとの負傷をする度にネチネチと小姑のように責め立てて、いい加減に言い飽きてはこないのですかっ!」
「貴様らの状況なら常に耳に入れているし、ちゃんと理解もしている。その上での失態のみを挙げているのだ。特に貴様は自分を蔑ろにする傾向が強い。とっさの反射行動が、身を挺して庇う自己犠牲前提の悪癖を修正しろとさっきから言っている。私が縫合までしているから傷が残っていないだけで、並の医者ならば歴戦の猛者(笑)とかいう惨状になっているのだということが何故わからんっ!」
「名誉の負傷を恥じたりはしないっ! とっさに動けずにみすみすと護衛対象に傷を負わし、あまつさえ生命を奪われてしまえば、それこそが恥ですっ!」
「女が傷を残して喜ぶなっ! 生命さえ繋いでいれば、どんな負傷であろうと私が直すといつも言っているだろうっ!」
「なら、私の傷を大人しく文句を言わずに直していればいいでしょうっ! 守るべき者がいる限り、全ての傷は私が負う。その覚悟で自らの職務に殉じているのです」
「殉じるなと言うとるんだっ!」
「言葉の綾や意気込みとの区別も付きませんかっ! どうもあなたは私を自殺志願者か何かのように勘違いしているようですが、無為に捨てる生命など持ち合わせてはおりませんっ!!」
「己の生命に意義を見い出せば、容易く捨てると言っているも同然だと自覚もしていないからタチが悪いっ! 自殺志願者ではないにしても、自らの生命を軽んじているのが見え透いているから、私は貴様が好きになれないんだっ!」
「好きになって欲しいなどとは、こちらも思ってはいない。ただ互いの職務を全うするだけのビジネスパートナーで十分でしょっ!」
「ならば、お得意様呼ばわりされるほどに、日常的に負傷するのを少しは改めろっ!」
「好きで怪我をしているわけではないと何度言わせるのっ!」
「何度も同じ事を言わされているのはこちらだっ! 貴様ら脳筋集団は本当に物覚えが悪いのだなっ! 頭を開いて脳を診てやればいいのかっ!」
「そっちこそ、その頑固な頭をカチ割って、突いたり捏ねたりしてやれば、少しは物分りがよくなるかしらっ!」
………などなど。
ヒートアップする余りに言葉使いまで荒れてきたお二人の迫力は、正に竜虎の如し。
緋衣先輩なんかは目を丸くしているし、大富豪の大富豪も中断されてめっちゃ注目されてるしで、なかなかに大変な様相を呈してきている。
でも。
僕と皆喜さんと烏丸先輩の目は、とっても生温かかった。
だって。
あ。これ、ただの痴話喧嘩だわ。
――という結論に、一直線で到達していたからね。うん。
● ● ●
十分後。
「「誠に申し訳ありませんでした」」
日下部くんと甘粕先輩が深々と頭を下げる光景が爆誕していた。
みんなに暖かく見守られていた日下部くんと甘粕先輩の痴話喧嘩(♡)は、二人がはっと我に返るまで続いた。
そして。
そこまでいっちゃうと、もう言い訳なんかはできないわけで。
みんなに囲まれて、根掘り葉掘りと聞かれる状況に陥ったのである。
あそこまでノリノリで盛り上がっちゃうと、流石に『友だち未満の先輩後輩』とか『お得意様♡』なんて関係で納得できるわけないよねぇ?
せっかく完璧なカモフラージュで疑いを逸らしていたのに、壮絶な自滅で台無しである。
「あ、幼なじみなんですか?」
「子供の頃から、ずぅっと訓練のケガの治療をしていたと?」
「ほうほう。結婚の約束をしたと?」
「へ~。二人きりの時は、仁くん♡ ひふみん♡ って呼びあってるんですね?」
「身体の隅々まで余すところなく、日下部さんに見られちゃってるんですかぁ……。ふぅ~~~~~~~ん♪」
「生理周期まで完璧に把握してるとか、医者でもちょっと引くわ~」
ちょっと待ってくださいっ!?
なんかもういろいろと根も葉もない話を捏造するなっ!!
――とかなんとかいう雑音が入りましたが、スタジオのみなさんは気にしないでください。
「日下部くんが中二の夏の時に、甘粕先輩が仕事中に負った大怪我の治療が、『神の手』伝説の序章って……それなんてラブロマンス?」
「映画化待ったなしっ☆」
「詳しく♪ 詳しくっ♪」
「当時の気持ちの詳細をどうぞ☆」
「どんな気持ちで手術に挑んだのですか? ひふみんは、俺が絶対に救けるってノリですかっ♪」
「「もう許して下さい」」
心を解放するようにブチ切れるという選択をするには、どうにもこうにも理性的である上に、興味津々なのが女性陣であることも手伝い、日下部くんと甘粕先輩は土下座を敢行するほどに追い詰められてしまうのであった。
こうして、また意外な人間関係が明らかになったのである。
本当にわからないものである。




