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踊る喋る猫と男の秋旅行計画  作者: みなと劉


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12/12

来月の編集後記は休むことにした

 本誌の編集後記は、二十年間、定型の三行で済ませてきた。

 今月は紙幅をもらう。

 記者には見せていない。

 彼がこれを読むのは、読者諸氏と同じ発売日である。

 先月号の少年の手紙を校正していて、赤鉛筆が止まった。

 犬の耳の先のくだりである。

 直すところは一字もなかったが、その晩はそれ以上仕事にならなかった。

 私にも、帽子の知らないことがひとつある。

 私は十二歳まで、橘という姓だった。

 橘一座の座長は父である。

 父は紺の帽子を被ると、どんな寒村の客でも沸かせた。

 脱ぐと無口な男で、靴紐を結ぶのが下手だった。

 毎朝、私の靴紐を三度結び直し、それでも片方は昼までにほどけた。

 昭和六十年の秋、父は舞台の上で、残り一つと口上を述べた。

 自分の喉から出た言葉に誰より驚いていたのは、父だった。

 翌年の霜月、あの農村舞台が最後になった。

 奈落で棒を押していたのは私で、柱に墨で一座の名を書いたのも私である。

 丹後さんの名の横の小さな帽子は、誰に言われたのでもなく、私が描き足した。

 その冬に父は死に、紺の帽子は三味線の小寺さんが島へ持ち帰った。

 私は伯母の家に引き取られて姓が変わり、二度と旅はすまいと決めた。

 それがどうして旅の雑誌の編集者をしているのかは、自分でもうまく説明できない。

 何年も前、記者の原稿に帽子を被った猫が現れたとき、私は赤線を引いた。

 うちは紀行で童話じゃない、と余白に書いた。

 字が曲がったのは、手が震えていたからである。

 ほどなく彼は、踊るのにちょうどよい広さである、という一文を記事に紛れ込ませるようになった。

 その言い回しを、私は知っていた。

 楽屋で飴をくれた人の口癖である。

 赤を入れることを仕事にしてきた私が、あの一文にだけは一度も入れなかった。

 どこかの町で、あの人が読むかもしれないと思ったからだ。

 記者はそれを、編集長が自分の文体だと思い込んでいる、と書いた。

 好きに書かせておいた。

 魚市場で赤鉛筆を落としたのは、猫が喋ったことに驚いたからではない。

 聞き覚えのある声が、昔と同じように生意気だったからである。

 あの朝のホームで、丹後さんは初対面の客にするように頭を下げた。

 猫は口を結んで、髭一本動かさなかった。

 ふたりとも、私が誰なのか知っていたのだと、今はわかる。

 どちらも何も言わずに、四十年分の知らないふりに付き合ってくれたことになる。

 読者には関係のない話を書いた。

 ただ、あの長い題をつけたのは私なので、一度くらいは署名をして責任を取るべきだと考えた。

 来月の編集後記は休む。

 校了は代理に任せ、有給を取った。

 奈落の押し棒が十二歳のころより軽くなっているかどうか、確かめに行く。

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