就任演説①
――就任演説当日。
その日は、日が昇るよりも早くから王都パラキアでは人が動き始めていた。
ここ数日間、この街から灯りが消えることはなかった。
レマリス城の屋上では、演説のための巨大な舞台が設営されていた。
床板が敷き詰められ、演説台が中央へ運び込まれる。その周囲には、魔力を増幅するための魔道具や、拡声魔法を補助するための魔法陣まで次々と配置されていった。
「そこ、もう少し右!!」
「柱を固定しろ! 風で倒れたら洒落にならんぞ!」
「魔力増幅器の調整、終わりました!」
兵士たちの声が飛び交う。その数は、決して少なくない。
夜通し続いた設営作業にもかかわらず、誰一人として手を止めようとはしなかった。
城の下――王都の大通りでも、すでに準備は始まっている。
道路の両脇には簡易的な柵が設置され、一定の間隔でロープが張られていた。
まるで、大規模なパレードでも始まるかのような光景だ。
沿道には臨時の売店まで並び、ルカの就任を祝う旗や横断幕が掲げられている。普段なら静まり返っているはずの早朝だというのに、王都には人の姿が絶えなかった。
そして――その熱気は、街の至るところへ広がっていた。
「まだ席は空いてるか!?」
「いや、もう満席だって!」
「次の料理が来るまで待ってくれ!」
酒場では、朝から大勢の人間が酒を片手に盛り上がっている。
「今日の演説、どんな話になるんだろうな?」
「そりゃ、新王女様の意気込みとかじゃないの?」
「それより、俺は直接姿を見られるだけで満足だよ~~!」
中には、昨晩から酒場に居座っている者までいた。
そして、そんな王都で最近急激に増えているものがある。
「『ルカ姫殿下笑顔のパン』、焼き上がりましたー!」
店先に並べられているのは――ルカの顔を模したパン。
その紅い瞳まで細かく再現されている。
「こっちは新作! ルカ姫殿下のドレスをイメージした服だ!」
「それ、昨日も売ってただろ!」
「今日は就任記念版なんだよ!」
衣料品店では、ルカをイメージした赤を基調とした服が飛ぶように売れている。
アクセサリー、菓子、旗、置物。街を歩けば、どこへ行ってもルカの姿を模した商品が目に入る。
ほんの数年前まで――ラウナホール国が、これほどまでに活気に満ちた国になるとは、誰も想像していなかった。
ルカが『暗躍』し始めてから、数年。停滞気味だったラウナホール国は、大きく変わった。
街には人が集まり、商業が活性化し、各地で新しい産業が生まれていった。
そして国民たちは、薄々気づいていた。この変化の中心にいる人物が誰なのか。それは前国王のソールド・ラウナホールではない。
――ルカ・ラウナホール。
彼女が国を動かし始めてから、すべてが変わった。
だからこそ。今日という日に、国民たちは大きな『期待』を寄せていた。
新たな王女となる彼女が――この国を、どこへ連れていくのか。その答えを聞くために。
やがて――東の空が、ゆっくりと明るくなっていき、太陽が昇る。
それを合図にするかのように、王都パラキア中の家々で窓が開かれていく。
ガラッ。ガラッ。ガラッ。
そして、それは王都だけではなかった。
ラウナホール国全土。各地の街で、村で、そして辺境の小さな集落でさえも――一斉に窓が開かれていく。
眠っていた者たちも起き上がり、家族とともに外へ顔を出す。
皆が待っているのは、ただ一つ。新王女――ルカ・ラウナホールの『演説』だった。
そして、その頃。王都パラキアにある各国の大使館では、特別な来賓たちが迎え入れられていた。
大使館内に設けられた特別スペース。そこには、各国から訪れた王族たちが集められ、豪華な食事や飲み物が用意されていた。
「こちらをどうぞ。長旅でお疲れでしょう」
「ありがとう」
給仕たちが忙しそうに動き回る。
その中心にいたのは、ダバナ国第一王子、バルド。グリムベルの兄。
そして、サンガリア国第一王子リアーデと、第二王子ダリル。
さらに、エルフの国から訪れた王族の姿まであった。これだけの国の王族が一堂に会する光景は、そうそう見られるものではない。
「これだけの国の王族が揃うのは珍しいな……」
思わず、バルドが呟いた。
「それだけ、大国ラウナホールの『変わり様』にみんな注目しているってことですよ」
リアーデが穏やかに応じる。
しかし――その言葉とは裏腹に、部屋の空気にはどこか張り詰めたものがあった。
王族たちは互いに視線を交わす。
誰もがルカについて考えていた。わずか数年で、1つの国を大きく変えた少女。
それが、今日。正式に国の表舞台へ立つ。
「……注目、か」
バルドが小さく呟く。
「それだけなら、ここまでの顔ぶれにはならないでしょうね」
その言葉に、誰も反論しなかった。
ラウナホール国が変わった。それは、周辺諸国にとっても決して無視できない変化だった。
期待、警戒、そして――畏怖。
様々な感情を抱えながら、王族たちはレマリス城へ視線を向ける。
その瞬間だった。
――ドクン。
空気が震えた。
「……っ!?」
レマリス城の屋上から、膨大な魔力が一気にほとばしった。
まるで巨大な魔力の奔流が、城そのものから噴き出したかのようだった。
大気が震え、窓ガラスが微かに揺れる。
街にいた人々が、一斉に動きを止めた。
「城から……?」
「ついに、始まるのか!?」
酒場にいた者たちも、街道を歩いていた者たちも。
家の中で待っていた者たちも。
――ラウナホール国中の人間が、レマリス城へ視線を向けた。
レマリス城の屋上に設営された巨大な演説台の上に、一人の少女が優雅に降り立つ。
深紅の髪に深紅の瞳――その瞳はすべてを見透かしているかのようだった。
その身に纏う鮮やかな深紅のドレスを揺らし、彼女は静かに前を見つめる。
そして、大規模な拡声魔法が発動した。
その声は、王都だけではなく――ラウナホール国全土へ届くほどの巨大な魔法。
大気そのものを震わせながら。ルカの声が、国中へ響き渡った。
『……ええ、コホン』
一瞬の沈黙。そして――
『皆様、ごきげんよう!!』
その一言だけで国中の視線が、彼女へ集まった。
『これより、この私――ルカ・ラウナホールの就任演説を始めます』
その瞳が、ゆっくりと細められる。
『どうぞ、よろしく♡』




