封印
「アンナ!! 無事だったのか!!」
『……無事では――ありません』
返ってきた声は、いつものアンナとは少し違っていた。
どこか遠く、そして――弱々しい。
『アリア。早く【鏡】を生成してください。時間がありません』
「……不本意だけど、やってあげる。最後の我儘だもの」
そういって、アリアが右手を振り上げると無数の水滴が集まり始めた。それらは塊となって、一瞬で薄く広がり、巨大な1枚の鏡へと姿を変えた。
「これでいい?」
『ありがとうございます』
鏡の表面が、ゆらりと揺れる。そこに映し出されたのは――外の光景だった。
「…………」
俺は、言葉を失った。
鏡に映っていたのは、俺が知っているブライド領ではなかった。
建物は跡形もなく崩れ落ちており、その周囲には砂と瓦礫が広がっている。
そこだけ世界から切り離され、砂漠へと変えられてしまったかのようだった。
「どうなってる……!? これが……ブライド領なのか!?」
思わず、声が震える。
『はい。そうです』
「何が……何がどうなって――」
俺は鏡の中を必死に見回す。
そして、黄金色の光の中心にアンナが立っていたのを見つけた。
「アンナ!! その瞳と魔力は!?」
黄金に染まった瞳と、これまで見たこともないほど濃密な黄金の魔力。
それは明らかに、いつものアンナとは違っていた。
『色々ありました。とにかく、こうなったのは私の責任です。ソック様』
アンナは静かに答える。
「アンナ……」
『口で説明するのは時間がかかります』
アンナの黄金の瞳が、鏡越しに俺を見つめる。
『ですから――私の【記憶】をお渡ししましょう』
「……え?」
その瞬間、アンナの瞳が強く輝いた。
――ドクン。
「っ!?」
頭の奥で、何かが弾けた。
「ぐっ……ああああああああああっ!!」
頭の中へ、大量の情報が流れ込んできた。
アンナが見た映像、聞いた声、感情。それらが区別されることなく、一気に押し寄せてくる。
サラ・アメリヤとの記憶も含まれていた。
「やめ……っ!! なんだ……これ……!!」
俺は頭を抱えた。知らない記憶なのに、まるで自分自身が経験したかのように鮮明だった。
サラの声が聞こえ、アンナの様々な感情が流れ込んでくる。――その決意も。
「ぐっ……うぅ……!! やめろ……! アンナ……!!」
俺は息ができなった。
自分の感情なのか、アンナの感情なのか――わからなくなるほど、頭の中が混乱する。
『……』
「これ以上は……無理だ……!!」
俺は身体から力が抜けていくのを感じ、その場に倒れこんだ。
「ソック君……!!」
アリアの声が聞こえた。だが、もうその声すら遠い。
「……アン……ナ……」
最後にその名前を呟いて――俺の意識は、暗闇へと落ちていった。
◇ ◇ ◇
「ソック君、耐えきれるの?」
アリアが、ぶっきらぼうに鏡の向こうのアンナに声をかける。
『魂の試練を乗り越えたソック様なら大丈夫です』
『もっとも――【前のソック様】にとっても、深い傷を負わせることになりますがね』
「あら、そう。私にとっては、どーでもいいけど」
アリアは淡々と答え、アンナを見つめる。
「アンナ」
『はい』
「私はね――【使命】を放棄したあなたを許す気は、さらさらない」
その声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。
「さっさと消えてちょうだい」
『……申し訳ありません』
「まったくよ」
アリアがそう吐き捨てた――その瞬間。
ジャラ……。
どこからともなく、金属音が響いた。
そして――アンナの周囲に無数の鎖が出現した。
『っ……!』
鎖は瞬く間にアンナの身体へ絡みついていく。
腕や脚、首に複雑に絡みついた。そして、鎖が一斉に引き絞られる。
『……っっ!!』
アンナの身体が強制的に上空へと引っ張られていく。
ギギギギ……!!
地面から離れ、鎖に引き絞られながらアンナの身体が宙へ浮かび上がる。
『これは……魂レベルで拘束する鎖ですね』
「永遠の封印――」
アリアは鎖を見上げる。
「それも、想像を絶する苦痛を伴うもの......ね」
『痛いですーー。アリアー、助けて~~』
アンナの声は、いつも通りだった。
「そんな顔で言われてもねぇ......。ってか、自業自得☆」
『いや、ほんとに痛いです。調子乗ってすみません。やばいです、これ』
「知らないわよ」
アリアは呆れ顔でため息をついた。
『アリア、最後に1つ』
アンナの声から、冗談めいた響きが消えた。
『ルカ・ラウナホールと決着をつけられるのは――やはりソック様だけ』
「……」
『そんな気がします』
鎖が軋む。
『そして彼女が――世界の均衡を破滅させる存在なのは、間違いないです』
アリアは黙ってアンナを見つめる。
『だから――どうか、どうかソック様を支えてください』
「……あなたの『私情』は、どうでもいいけれど」
アリアは静かに目を細める。
「私たちすべての大精霊にとっても――『選択の時』が近づいてるのは間違いない」
そして、少しだけ寂しそうに笑った。
「それに――あなたの『後任』もどうするか考えないとねぇ」
『……あんなクソしょうもない、生産性のない会議ばっかりしているからですよ』
『……うううぅっっ!! 限界かっっ!!』
鎖が一段と強く締めつけられた。
その瞬間――。
パキッ。
アンナの身体に、小さな亀裂が走った。
「……アンナ?」
黄金の光が、亀裂の隙間から漏れ出す。
パキ、パキパキパキッ――。
今までアンナとして形を保っていたものが、内側から崩れさっていった。
『…………』
声が途切れ、アンナの肉体が黄金の光となって崩れ始めた。そのすべてが光の粒へと変わっていく。
やがてそこに残ったのは――手のひらほどの、弱々しい光球だけだった。
その光球にも、無数の鎖が絡みつき始めた。
がんじがらめにされた光球は、もはや動くことはできない。
「……アンナ」
アリアが呟くが返事はない。もう――話すことすらできないのだ。
そのとき、光球の遥か上空に、黒い穴が開いた。空間そのものに生じた、異質な裂け目。
それは、この世界とは別の場所へと繋がる『次元の穴』と呼ぶべきものだった。
鎖に縛られた光球が、ゆっくりと引き上げられていく。
アリアは、ただ見つめていた。
そして――。
「……アンナ。いや――アーセラ」
小さく呟く。光球が、上空の次元の穴へと近づいていく。
「さよなら」
アリアの声は、ほんの少しだけ震えていた。
「もし……もしね。あり得ないほどの奇跡が起きて、また会えたなら――」
アリアは静かに微笑んだ。
「最高の『紅茶』を、真っ先に飲ませてあげる」




