秘策
メイドの悲鳴を聞き、俺とフィリアは慌てて屋敷の扉の前に来た。
フィリアの表情が一瞬で凍りついている。
「……え?」
メイドは涙目になりながら続ける。
「す、すでにお父上――ダリア様は現場へ向かわれております!! 間もなく迎撃戦になるかと……!!」
「タイミング最悪ーーー!!」
フィリアは頭を抱えて叫んだ。
その叫びに、俺も反射的に声を張る。
「フィリア!! ミズル結界まで転移できるか!?」
「う、うん! ついこの間マーキングしたばかりだから……!」
フィリアは慌てて魔力を練る。
次の瞬間、周囲に淡い光が走る。
「――《テレポーテーション》!!」
視界が大きく歪んだ。
身体が引き裂かれるような浮遊感。
一瞬で景色が切り替わる。
そして俺たちは――ミズル結界へと転移していた。
「きゃっ!?」
急いで発動したせいだろう。
フィリアは着地に失敗し、その場に尻もちをつく。
だが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「グォォォオオオオオオッ!!」
轟音。
目の前には巨大な影があった。
岩のような鱗に地面を砕くほどの巨体。
そして、鋭く伸びた鉤爪。
――アースドラゴン。
その巨大な爪撃を、たった1人で受け止めている男がいた。
魔法壁を展開しながら、剣でかろうじて軌道を逸らしている。
「お父様!!」
フィリアが叫ぶ。
男――ダリア・ミズルは、こちらを振り向いた。
「フィリアか! ……その人は――援軍?」
「お父様危ない!!」
フィリアの悲鳴が響く。
アースドラゴンは再び巨大な鉤爪を振り上げていた。
速い――!
「『アース・ウォール』!!」
俺は反射的に叫んでいた。
ゴゴゴゴッ!!
瞬時に土壁が隆起し、ダリアの前へ割り込んだ。
次の瞬間。
ドォォン!!
凄まじい衝撃とともに土壁が大きくひび割れる。
「助かった!」
ダリアは即座に踏み込み、そのまま剣を振り抜いた。
鋭い斬撃。だが――。
キィン!!
金属音にも似た高い音と共に、剣が弾かれる。
――ドラゴン。
まさしく恐ろしい魔物。
何といっても、その最大の特徴は『魔力の防護膜』だ。
全身を高密度の魔力膜で覆っているため、並の攻撃ではまともに届かない。
さらに、膨大な魔力量を伴って攻撃してくるため、一撃一撃の威力も絶大。
そしてドラゴンは、常に魔力を求める。
その性質上、奴らが最も好むものが――『天然魔石』だ。
これほど効率よく魔力を摂取できるものは存在しない。
だからこそ、天然魔石を基に成り立つ結界は、ドラゴンにとって格好の獲物だった。
「総員!!『アレ』を使えーー!!」
ダリアが叫ぶ。
「はっ!!」
兵士の1人が、何かの『玉』を投げつけた。
地面へ落ちた瞬間。
パンッ!!
玉が破裂する。
「――っ!?」
すると鼻を突き刺すような強烈な臭気が周囲へ広がった。
「くさああああああああっ!!」
俺は思わず叫んだ。
「お父様!! もう使うなんて!! 早く言ってぇぇぇぇ!!」
フィリアも涙目で叫ぶ。
それは――『激臭玉』
臭いでドラゴンを追い払うためにミズル領で開発された秘蔵兵器だ。
「グ、ギャアアアアアッ!!」
アースドラゴンが露骨に嫌そうな悲鳴を上げる。
巨大な翼を乱暴に広げ、そのまま山の方へ飛び去っていった。
土煙だけが残る。
「……追い払えたのか? ドラゴンを……?」
俺が呟くと、ダリアは剣を肩に担ぎながら首を振った。
「いや、あれはその場しのぎに過ぎない」
真剣な目だった。
「いつもの傾向なら、あと2時間ほどでまた来るだろう。今度は興奮した状態で、この結界を襲ってくる」
ダリアは空を見上げる。
「……だが、そのおかげで我々にも『戦う準備』をする時間ができた」
そして、こちらへ視線を向けた。
「――ところで君は誰だ?」
「ソック・ブライドです」
「ほう! ブライド領の!」
ダリアの眉が上がる。
「噂は聞いたことがあるぞ。魔石を作れるんだったか?」
「何個かは作れます。ですが――まずはこのドラゴンを何とかしないとですね……」
「とりあえずみんな臭いから匂い取ろう!!」
フィリアが半泣きで叫んだ。
「早くお風呂ぉぉぉーーー!!」
「ああ……わかった。悪かったよ、フィリア」
ダリアは苦笑する。
「悪いが、みんなを屋敷までテレポートさせてくれ……」
「――《テレポーテーション》!」
一度では転移しきれない人数だったのだろう。
フィリアは何度も魔法を発動し、ミズル領の兵士たちを次々と屋敷へ転移させていった。
「《テレポーテーション》!《テレポーテーション》!!」
フィリアはひたすら叫ぶ。
最後の兵士が消える頃には、フィリアは肩で息をしていた。
転移1回でも相当な魔力消費のはずだ。
ここまで連発できるのは通常であればありえないはずだ。
フィリアの魔力量がもともと高いのか、効率よく魔力を消費できているのか。
「よ、よし……全員戻した……」
するとダリアが大声を張り上げた。
「ドラゴン対策会議はこの後すぐ開く!! ……が!!」
そこで一拍置く。
「全員まずは匂いを取れぇぇぇぇぇ!!」
兵士たちから一斉に歓声が上がった。
「うおおおお!!」
「助かった!!」
「ほんと臭ぇんだよアレ!!」
そんな兵士たちに連れられるようにして向かった先。
そこで俺は思わず目を見開いた。
「……でかっ」
ミズル領主の屋敷、その屋上。
そこには――巨大な露天風呂が存在していた。
湯気が立ち上る広々とした湯船。
絶えず新しい湯が流れ込み、透き通った水面が陽光を反射している。
この世界では珍しい設備だ。
ブライド領にも、ミッドライト学園にも風呂なんてものは存在しなかった。
あるのは、身体を洗い流す程度の簡易的なシャワー設備だけ。
だからこそ。
「これが……風呂……!」
俺にとっては、この世界で初めての風呂体験だった。
「『激臭玉』のせいで、どうしても臭くなってしまうからな……」
隣でダリアが苦笑する。
「特にフィリアの不満がすごくてな。“臭い! 最悪! 無理!”と毎回騒ぐものだから……やむなく、私の方で頑張って作り上げたんだ」
「当然でしょう!?」
仕切りを隔てた先の、女性用の風呂にいたフィリアが大声で抗議した。
「女の子にあの臭いは拷問なの!!」
「ははは……」
そんなやり取りを聞きながら、俺は兵士たちと共に湯へ浸かった。
「…………ふぅぅぅ」
身体の力が抜ける。
温かくて、風が心地いい。
昼間の露天風呂というものが、ここまで破壊力のある存在だとは思わなかった。
「……牛乳飲みたい」
思わずそんな感想が漏れる。
だが当然、この世界に風呂上がり牛乳文化など存在しない。
それが少しだけ残念だった。
それからしばらくして、全員風呂を出た。
「皆の者!! 対策会議を始める!!」
ダリアの大声が屋敷中へ響き渡った。
会議室には、兵士たちを含めて30人ほどが続々と集まってくる。
誰も無駄な動きをしていない。
ドラゴン襲来の頻度が高いのだろう。
全員の行動が異様なほど迅速だった。
そして最前列へ立ったダリアが口を開く。
「では、ドラゴンの迎撃だが――いつも通りの編成で――」
「待って、お父様!」
フィリアが遮った。
会議室の視線が一斉に集まる。
「いつもみたいな正攻法だと、また怪我人が出るかもしれない」
フィリアは真っ直ぐ前を見据えた。
「でも、今この場にはソック・ブライド卿がいるわ!」
その言葉にざわめきが広がる。
「ブライド領の話は聞いてるでしょう? ソックなら何か作戦があるかもしれない」
ダリアは腕を組み、こちらを見る。
「……ソック殿。何か思い浮かんでいる案はありますか?」
俺はゆっくり口を開いた。
「そうですね――あります。とっておきの『秘策』が」
そして、静かに笑う。
兵士たちの視線が集まる。
「名付けて――『ハニーポット作戦』です」




