Chapter 38
その翌日も、俺は、麻紀の傍にいようと、病院へ向かった。
「コンコン…」
ドアをノックして、病室へ。
病室には誰もおらず、ただ、静かに眠っている麻紀だけがいた。
「麻紀…」
俺は、そっと麻紀の元へ。
ベッドの脇の椅子に腰掛け、麻紀の手を握る。
「麻紀…。偉いな…。よく頑張ってる…」
決して答える事のない麻紀に、俺は、必死に話かけた。
ただ、「奇跡」だけを信じて。
昼を回った頃、麻紀の母親が、病室に戻って来た。
「あぁ。静流君。いらっしゃい。いつも来てくれて、ありがとね」
麻紀の母親が、俺に微笑みかけてくれる。
「お母さん?先生は何て…?」
俺は、今朝の回診時間の事を聞いた。
「今は、薬で落ち着いてるんだって。暫くはこのままだけど、そのうち目を覚ますかもしれないからって。だからね、心配しなくても大丈夫よ。きっと、元気になるから」
「良かった…」
麻紀の母親の言葉に、俺は、安堵した。
きっと、麻紀の母親は、俺に気を遣ってくれたのかもしれない。
麻紀の具合は、思った以上に悪いのかもしれない。
でも、俺は、母親のその言葉を信じる事にした。
「麻紀…。良かったな…。早く元気になろうな…」
俺は、麻紀の頭を優しく撫でた。
日がすっかり落ちる頃、俺は、一旦、家に戻ろうと病院の外に出た。
夕闇の空を見上げると、流れる薄紫の雲の間から、星が輝き始めていた。
俺は、家に戻ってシャワーを浴びた。
浴室から出て、自分の部屋で着替えていると、突然、ケータイが鳴った。
着信は、知らない番号からだったが、俺は、何のためらいもなく電話に出た。
「もしもし?静流君?」
電話の声の主は、麻紀の母親だった。
「あのね、悪いんだけど、これから病院まで、また来れるかな?」
「はい。大丈夫です。何かあったんですか?」
「ううん。先生が、検査の結果が出たからって。だから、静流君も一緒に、先生の話を聞こう?」
麻紀の母親は、俺に気を利かせてくれた。
「分かりました。すぐに行きます」
そう言うと、急いで準備をし、姉に検査の結果を聞いて来る事を伝え、マンションを飛び出した。
さっきまで、輝いていた星は、雲の中へ消えて、暗闇が夜空を覆っていた。
病院に着くと、入口で麻紀の父親が待っていた。
「待っていたよ。さぁ、行こうか?」
麻紀の父親は、優しく俺の肩を叩いた。
「はい」
その時。
「大変です。藍沢さん。良かった、彼氏さんも一緒で…。とにかく、すぐに来てください」
ひどく慌てた様子で、看護師が俺達を呼びに来た。
俺達は、ただ事ではない事態だと悟り、急いで病室へ向かった。
病室に入った、俺の目に飛び込んで来た光景…。
俺は、それを一生忘れる事が出来なかった。
それは、目を疑う光景だった。
「麻紀さんの容態が急に悪くなって…」
若い看護師が、唇を噛んだ。
医師が必死に、麻紀の蘇生を試みていた。
「麻紀っ!!しっかりしろよ。元気になるんだろ?」
俺は、必死で麻紀に呼びかけた。
その時。
麻紀がうっすらと目を開けた。
俺の方を見ながら、麻紀は、何かを伝えたそうに口を弱々しく動かした。
俺は、急いで麻紀に駆け寄り、麻紀の手を握った。
「麻紀?どうした?」
俺は、顔を麻紀の顔に近付けた。
「し…、しず…る…。あ…、あ…り……と…う……」
そう言うと、麻紀の目から一粒の涙が、頬を流れ落ち、そのまま眠るように動かなくなった。
握った麻紀の手から、力が抜けて行くのが分かった。
「…麻紀?なぁ…?どうした?なぁ…?目を開けてくれよ…?名前呼んでくれよ…?声を聞かせてくれよ…?」
俺は、気が動転してしまった。
「おい…、嘘だろ?なぁ?麻紀?嘘だって言ってくれよ?起きろよ?なぁ?一緒に水族館行くんだろ?頼むから、目を開けてくれよ。俺の手を握ってくれよ…。麻紀、何とか言えよっ…」
錯乱状態の俺の目から、涙が一気に溢れ出した。
麻紀の肩を揺さぶり、俺は、必死で麻紀に呼びかけた。
だが、麻紀は目を閉じたまま動かない。
「先生っ!!麻紀を助けてくれよ?俺、何だってするからさ?頼むから、麻紀を助けて…」
俺は、医師の白衣を掴んで必死に訴えた。
麻紀の母親は、崩れ落ちるように床に座り、声をあげて泣いた。
麻紀の父親は、ただうつむいて唇を噛み締めていた。
「先生頼むよ…。麻紀を…。麻紀を…」
「残念ですが…」
医師はうつむいて、ただ、そう言うだけだった。
「何で、麻紀がこんな目にあわなきゃいけないんだ?おかしいだろ?何で…?俺達、結婚する約束もしてたのに…。幸せだったのに…」
俺は、麻紀の顔を抱き、人目もはばからず、泣き崩れた。
暫くして、涙声で俺は、医師に言った。
「先生?麻紀、今寝てるんだろ?明日には目を覚ましますよね?先生、何とか言ってくれよ…」
「静流君…。もう良いんだ。麻紀は、よく頑張った…。もう、ゆっくり眠らせてやろう…」
麻紀の父親が、取り乱す俺を制止する。
麻紀の父親の目から、涙が流れる。
俺は、その場に崩れ落ちた。
「うわぁぁぁ…」
そんな、俺達を気遣ってか、医師達は、病室を出ようとしていた。
「お父さん、お母さん。それに、先生…」
三人が、俺を見た。
「お願いがあります…。この部屋、暫く、俺と麻紀だけにしてもらえませんか…?」
麻紀の両親は、涙を流しながら微笑んだ。
「あぁ。良いよ。静流君は、麻紀の旦那さんだから…。最期くらい、麻紀と一緒にいなさい…。先生?娘夫婦を二人きりにしてやってもらえませんか…?」
麻紀の父親も、そう言って、医師に掛け合ってくれた。
「もちろん、良いですよ。明日の朝、また来ます。それまでは、二人でゆっくりしてください。では、私達はこれで…」
医師は快諾して、病室を後にした。
「じゃあ、私達も邪魔したら悪いから…。母さん、少し出ようか?」
「そうね…。静流君?麻紀の事よろしくね…」
そう言って、麻紀の両親も病室を離れた。
「みんな…。ありがとう…」
俺は、麻紀のベッドの窓側に腰掛け、動かなくなった麻紀をそっと起こして抱き締めた。
「麻紀…。まだ…あったかいじゃん…」
まだ温もりが残る、麻紀の身体が余計に、悲しみを誘う。
俺は、力強く麻紀を抱き締めた。
俺は、麻紀の頭を膝の上に乗せ、頭を撫でながら、麻紀に優しく語りかけた。
「麻紀?俺達が出会えた事、俺は、ホントに嬉しかった…。幸せだよ?目を覚ましたら、絶対に、水族館に行こうな」
麻紀の頬に、一粒の涙が落ちた。
「そうだ。忘れてた。麻紀…。これ…」
そう言いながら、俺は、ジーンズのポケットから、小さな箱を取り出した。
「麻紀が目を覚ましたら、渡そうと思っていたんだ…」
俺は、麻紀の左手の薬指に、箱から取り出した小さなダイヤの指輪をはめた。
「俺と、結婚して欲しくて…。ちょっと無理したけどね…。良く似合うよ。麻紀」
「嬉しい。ありがとう。静流。大事にするね」
そんな声が聞こえて来そうだった。
「麻紀?覚えてるか?」
そう言いながら、俺は、麻紀との昔話を始めた。
麻紀と出会った頃の事、花火をした事、麻紀の誕生日の日の事、クリスマスの日の事…。
挙げれば、キリが無いくらい、麻紀には色々な、たくさんの思い出をもらった。
優しさをもらった。
愛をもらった。
幸せをもらった。
「麻紀…。今まで、ありがとう。俺は、ホントに幸せだったよ」
ゆっくりと二人だけの時間が流れる。
気が付けば、俺は、麻紀が好きだった歌を口ずさんでいた。
夜がだんだんと、朝に近付く。
ゆっくりと夜が明ける。
俺は、いつの間にか冷たくなった麻紀を、両腕で強く抱き締めていた。
「今まで、ありがとう。麻紀…。俺は、ずっと、麻紀を愛してるよ…」




