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Chapter 36


話は、また静流達の所へ戻り…。



季節は、桜が散り、山の木々や、通りの街路樹達が青々とし始めていた。



あれから俺は、何社か面接を受けた。



が、話に折り合いがつかなかったり、社風が自分には合わなかったり…。



更に、不景気な世の中と言う「決して抗う事の出来ない事情」も手伝って、学歴も能力もない俺には、なかなか就職先が決まらなかった。



なかなか決まらず、俺の焦りは募る一方。



そんな時でも、麻紀は、優しく俺に語りかけてくれた。



「大丈夫だよ、静流。焦って決めても良い事ないよ?静流なら、きっと見つかるから、焦っちゃダメだよ。だから、もうちょっと気長に探そう?」



「麻紀…」



不甲斐ない俺は、麻紀の優しさに、どれだけの元気と勇気をもらった事か。



「ありがとう。麻紀。ホントにありがとう」



俺は、麻紀に感謝してもし足りない程、元気づけてもらった。



「俺、絶対仕事見つけて、いつかは麻紀と一緒になるから…」



その時の俺は、麻紀に、ただ、そう言うしかなかった。



「クソっ…。俺は、音楽取ったら何も出来ない…。ただの能無しじゃねぇか…」



俺は、自分の無能さに腹が立ち、歯痒さを覚えた。



それから、更に、2ヶ月が経った。



麻紀と出会って、2回目の夏。



麻紀が、ある日、俺に、とある観光ガイドのような雑誌を見せた。



「ねぇねぇ、静流?」



「うん?どうしたの?」



俺は、麻紀が手にした雑誌に目をやった。



「麻紀?水族館行きたいのか?」



「うん。ここの水族館って、いっぱい生き物がいるんだって。イルカやアザラシの芸も可愛いらしいよ」



「へぇ。楽しそうだね。じゃあ、今受けてる会社の内定出たら、一緒に行こうか?」



「うん。絶対だよ?約束だよ?」



嬉しそうな麻紀の声を聞くだけで、俺は幸せな気分だった。



「あぁ。絶対に連れて行ってあげるよ」



俺は、麻紀に微笑んで約束をした。



それから、数週間が経ったある日。



俺は、麻紀のバイトが終わる頃に合わせて、マンションを出た。



「後、15分か…」



バイトが終わって、麻紀が出て来るまで、俺は、近くの路上に車を停めて麻紀を待った。



「良し。18時になった。麻紀が、もうすぐ帰って来るな…」



俺は、ソワソワしながら麻紀を待った。



「今日は、麻紀に大事な話があるんだ。麻紀、喜んでくれるかな?」



俺は、車の助手席のダッシュボードの中に、小さな四角い包みと、会社の内定通知を忍ばせていた。



運転席から、車の外へ目を向ける。



「おっ。帰って来たな」



俺は、麻紀が社員用の出入口が出て来るのを確認して、車から降りた。



「麻紀っ!!」



麻紀が、俺の方を見た。



「あっ。静流。ただいま」



「おかえり」



麻紀は、左右を確認して、ゆっくりと、俺に向かって歩き出す。



その時。



俺の左手の方から、一台の車が走って来た。



その車は、スピードを緩める事無く、止まる素振りも見せないまま、麻紀に向かって進んで来る。



俺は、とっさに走りながら叫んだ。



「麻紀っ!!危ねぇっ!!避けろっ!!」



「えっ?」



一瞬、俺より早く、車が、麻紀に突っ込んで行く。



「キィィィィーッ!!」



急制動をかけられたタイヤは、けたたましい摩擦音を辺りに響き渡らせた。



「ドンッ!!」



俺が、ふと、目にした光景は、とても信じられるような物ではなかった。



車に飛ばされ、数m先で、路上にぐったりと転がる麻紀。



それはまるで、冷たい人形のようにさえ感じられた。



俺は、急いで麻紀に駆け寄った。



「麻紀?麻紀?」



俺は、必死に麻紀に呼びかける。



麻紀から返事は無かった。



「誰かっ!!救急車呼んでくれっ!!」



俺は、辺りに群がる野次馬に大声で叫んだ。



俺は、麻紀に人工呼吸を試みた。



「う…」



微かに、麻紀から反応が感じられた。



でも、それはとても弱々しく、さっきまで元気だった麻紀が、まるで嘘のようだった。



俺は、麻紀の生きる力を信じて、ただ、ひたすら人工呼吸を繰り返した。



一時間は経ったように思えるくらい、救急車が来るまでが、とても長く感じた。



事故から、15分程経って救急車が到着。



麻紀は、担架に静かに乗せられ、救急車に運ばれた。



俺は、麻紀を轢いた車を運転していた男の所へ、ゆっくりと向かった。



その男は、まだ若く、20代前半くらいだった。



車から降りて、放心状態になっていた男の胸元を掴み、男の顔を無言で、思いきり殴り飛ばした。



俺は、怒りや麻紀の痛みを、感情のままにぶちまけた。



「テメェ…!!麻紀に、もし何かあったら、絶対に許さねぇからなっ!!」



そう吐き捨てて、俺は、救急車に乗った。



「麻紀…。しっかりしろ…。頼むから…、また、声を聞かせてくれよ…」



俺は、麻紀の右手を力強く握り締めた。



病院に着くまでに、救急隊員が、麻紀に人工呼吸器を付け、応急処置を施す。



病院に着くと、救急搬送口から病院内へと入る。



そのまま麻紀は、検査と手術の為、手術室に運ばれて行った。



俺は、麻紀の手術中、一人、暗くなった待合室の長椅子にうつむいて座っていた。



俺の目から、涙が止めどなく溢れ出す。



両手を合わせ祈った。



「麻紀が、元気になるように…」



ただ、それだけを願った。



暫くして、麻紀の両親が、慌てて病院へやって来た。



俺は、麻紀の両親に、事故の一部始終を説明した。



そして俺は、病院の床に正座をし、頭を床につけて謝った。



「ごめんなさい。俺が、付いていながら…、こんな事に…。本当にごめんなさい…」



俺は、声が震えた。



麻紀の父親が、俺の目の前にしゃがみ込んで、優しく語りかけてくれた。



「何を、君が謝る必要がある?むしろ、私達の方が、君にお礼を言わなきゃいけない。君が、麻紀の傍でずっと介抱したり、声をかけてくれてたんだろう?ありがとう。もう泣くな。男の子だろう?麻紀は大丈夫。きっと、元気になるから…」



「お父さん…」



麻紀の父親が、優しい笑顔で俺を見た。



「そうよ。静流君。ありがとね。ほら、これで涙を拭きなさい…」



麻紀の母親は、目に涙を溜めて、俺にハンカチを差し出した。



「ありがとう…。お父さん、お母さん…」



麻紀の両親が微笑んだ。



「手術はまだ終わらないのか?」



麻紀の父親が、腕時計を見ながら言った。



「…はい」



俺は、言葉が出なかった。



俺は一人、トイレへ向かった。



トイレの洗面台に掛けられた鏡を見た。



「情けないヤツだな。お前は…。結局、好きな女、一人守れやしない…。所詮、お前は、ちっぽけな虫ケラのような存在だよ」



俺は、自分の情けなさ、不甲斐なさに怒りが込み上げた。



「クソッ」



「パリーンッ…」



気付いたら俺は、拳を握り締め、目の前の鏡を叩き割っていた。



俺の右手の甲から、赤い血が流れ出す。



「麻紀の痛みはこんなもんじゃないっ!!」



俺は、自分が許せなかった。



大切な人が、目の前で無惨な姿になる様子。



俺は、黙って指をくわえて見ているだけだった。



俺の心の中は、そんな情けない自分を、殴り飛ばしたい気持ちでいっぱいだった。



その時、鏡が割れる音に気付いた若い看護師が、トイレに慌てて駆け込んで来た。



「ちょっと、あなた、大丈夫?血がいっぱい出てるじゃない。ちゃんと手当てしないと…」



「良いです。このままで。アイツの…、麻紀の痛みに比べれば、こんなケガ…」



俺は、看護師の手を振りほどこうとした。



「駄目です。ちゃんと処置しますから。こっちに来てください」



看護師は、俺を叱り、嫌がる俺を無視して、無理矢理、処置室へ引っ張って行った。



俺の血は、止まる事を知らないくらいに流れ続けた。



右手の傷の処置が済み、包帯が巻かれた自分の手を見つめながら、俺は、病院の外へ出た。



タバコを口にくわえ、震える指先で火をつけた。



夕闇の空には、三日月が昇り、星が輝き始めていた。



「俺は、本当に情けない…」



夕闇の空を見上げ、自分を恨んだ。



俺が、外に出て暫くすると、麻紀の父親は、俺の事を気にしてか、俺の後を追うように、正面入口から外に出て来た。



「静流君…。そう、自分を追い込むな…。傷つけるな…。君の悲しそうな顔を見ていると、私達も辛い。でも、麻紀はもっと辛いと思うぞ?」



麻紀の父親は、俺の右手を見ながら語りかけた。



「麻紀は、今、頑張っている。先生と麻紀を信じて、今は待とう…」



俺よりも誰よりも、麻紀の父親が一番辛いはずなのに、そんな時でも、俺の目を見て優しく励ましてくれた。



「…うん」



俺の頬を涙が伝って、地面にこぼれ落ちた。



「さぁ。暗くなった。そろそろ終わるかもしれない。中へ入ろう…」



麻紀の父親に促され、俺は、病院の中へ戻った。



手術室の前では、既に麻紀の母親が待っていた。



俺達が、ちょうど手術室に着いた時、「手術中」の赤いランプが消えて、中から、一人の医師が出て来た。



「先生、麻紀はどうなんでしょうか?」



麻紀の父親が、落ち着いた声で医師に問いかけた。



医師が、重い口を開く。



「手術自体は、問題無く終わったのですが…。ただ…、打ち所が悪く、意識もまだ、はっきりしていません。後は、麻紀さんの回復力次第ですが、回復したとしても、もしかすると、後遺症が出るかもしれませんし…。暫くは安静にして、様子を見て行くしか…」



「そうですか…」



麻紀の両親は、医師の診断に肩を落とした。



俺は、うつむいたまま何も言えず、ただ、涙がこぼれ落ちるばかりだった。




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