第五話 ダンジョンと風邪(前編)
「ミリー起きて、朝よ」
「……うーん」
「ほら、起きて!」
ダンジョン・ティバリス地下百層にあるチシィとミルミラーレの住まい。その寝室にて、チシィはなかなか起きてこないミルミラーレの体をゆすって起床を促します。
朝に弱いミルミラーレのために、チシィが起こしにやってくるのは、いたって普通の光景でした。ですが、この日はいつもとは少し違ったのです。
「チー姉、なんか頭痛い……」
「え?」
「あと、だるい……」
チシィが慌ててミルミラーレの額に手をやります。
「……どうしよう、熱がある!」
チシィは焦りました。普段、めったに体調を崩さない妹が苦しんでいることに、どうしていいかわからず右往左往します。
「えーと、風邪かしら? 風邪……、風邪……、そうだ! エリクサー! あれがあれば風邪なんて一発で治るわ! ちょっと待っててねミリー、すぐ届けてもらうから!」
「待ってチー姉、そんな高いのダメだよ……。薬箱の中に風邪薬が入ってるはずだから、それ取ってきて……」
チシィとは対照的にミルミラーレは冷静でした。これではどっちが熱を出しているのかわかりません。
「わかったわ! ちょっと待ってて、すぐ取ってくるから! ミリーはちゃんと寝てるのよ、いいわね!」
そう言うとチシィは、風邪薬取りに走って行ってしまいました。
「チー姉、大丈夫かな? 薬箱そっちじゃないんだけど……。まあ、でも、焦ってるチー姉はかわいかったなぁ。風邪ひくのも悪くないかも」
ベッドの中でニヤニヤしていたミルミラーレでしたが、チシィが風邪薬探しで手間取っている間に、再び眠ってしまいました。
「ミリー起きて、薬取ってきたわよ」
「……うーん」
「ほら、起きて!」
朝と同じようなやり取りでミルミラーレが目を覚ますと、時刻は既にお昼を過ぎていました。
「チー姉、薬探すのに時間かかりすぎだよ」
そう言って、姉の声がしたほうを向いたミルミラーレは、それが一瞬何なのかわかりませんでした。
「はい、薬取ってきたからちゃんと飲んでね」
チシィは持ってきた薬をミルミラーレに差し出しますが、様子が少しおかしいです。いえ、姿が少しおかしいと言ったほうが正確でしょうか。
「チー姉、成長期なのはわかるけど少し成長しすぎじゃない?」
そこにいたのは、普段の姿から三、四倍の大きさとなったチシィでした。頭は天井すれすれで、長いウサギ耳が天井の壁をこすっています。
「そうかしら? 普通じゃない?」
見上げるほどの大きさとなったチシィが首を傾げます。その姿に圧倒されたミルミラーレは、心の中で『普通じゃないと思うよ』とつぶやいたのでした。
「そんなことはいいから、ほら、薬飲んで」
「いや、チー姉、それ……、チョコボーロだよね?」
「何言ってるのよ? 苦いのはわかるけど、飲まなきゃだめよ!」
チシィが持っていたのは、風邪薬――、ではなく、アタリが出るとおもちゃのビンヅメがもらえる、子どもに人気の丸いチョコレート菓子でした。
「いや、だから――」
「もー、文句言わないの。ほら、飲ませてあげるから口開けなさい」
ミルミラーレは『文句とかそういうことじゃなくて……』と思いつつも、チシィが何を言っても聞いてくれそうにないため、渋々ながら口を開けます。
「よろしい。はい、ちゃんの飲むのよ」
そう言うと、チシィは左手に持っていたチョコボーロのパッケージから、中身を全て取り出し、それをそのままミルミラーレの口に押し込みました。
「ふぎゃ!」
口の中に無理矢理入れられた大量のチョコボーロのせいで、ミルミラーレはうまく呼吸ができません。
「はい、ごっくんして」
できるわけありません。
「ひ、ひーへえ。ひず!」
「水? 水……、みず……、そうよ! 霊水! その手がったわ! あれなら風邪なんてすぐ治るわ。待っててミリー、すぐダンジョンに行って汲んでくるから!」
霊薬とは飲めば万病を癒し、不老長寿になるといわれている水のことです。実際にはそこまでの効果はありませんが、風邪くらいなら治るかもしれません。
霊薬のことを思い出したチシィは、それを採取するため、巨大な体からドタドタと大きな足音をさせつつ、玄関の方に向かって走りだしました。
「ま、待ってチー姉!」
チョコレートの中に入っているピーナッツに苦戦しつつも、なんとかチョコボーロを咀嚼し、飲み込んだミルミラーレは、チシィを呼び止めようとしますが、その声は届いていないようです。既にチシィの姿は見えなくなってしまいました。
「うちのダンジョンにそんなもの――」
「――ないから!」
目を覚ましたミルミラーレは、掛けてあった布団を跳ね除け、ガバッと起き上がりました。
「ど、どうしたの!?」
ミルミラーレの発した大声に、チシィが心配そうに駆け寄ります。
「夢? あ、チー姉が、チー姉になってる。よかった~」
駆け寄ってくるチシィがいつも通りの大きさでであることに、ミルミラーレは安堵しました。
「何? 何かあったの?」
「ううん、なんでもないから」
「そう……、ならいいけど。起きたなら薬飲んどきなさい」
チシィが指さしたテーブルの上には、普通の風邪薬と、コップに入った水が置いてありました。
「……全部は飲まなくていいよね?」
「当たり前でしょ。なに? 飲みたくないの? 飲ませてあげよっか?」
「いい、いらない。自分で飲める!」
先程見た夢で、大きくなったチシィに、チョコボーロを飲まされたことを思い出したミルミラーレは、大げさに首を振ります。
チシィの気が変わらないうちに、素早くテーブルに置かれた薬に手を伸ばすと、一回分の風邪薬を水と共にゴクッと飲み込みました。
「よろしい。うーん、まだちょっと熱っぽいけど、元気みたいだし、大丈夫そうね」
ミルミラーレの額に手を当てたチシィは、少し熱が下がったことにホッとします。
「あのね……、実は、お姉ちゃんちょっと出かける用事ができたんだけど、ミリー、一人でも大丈夫?」
「うん。まだ少しだるいけど、寝てればよくなると思うし、問題ないよ」
「そう、つらいのにごめんね。夜までには帰ってこれると思うから」
そう言ってミルミラーレの頭を撫でてからチシィは寝室を後にしました。
ミルミラーレは再びベッドの中で横になりますが、チシィの外出先が気になります。
「チー姉どこ行くんだろう? ……って行き先はダンジョンの中くらいしかないか。うーん、ちょっとくらい起きてても大丈夫だよね」
そうひとりごちたミルミラーレは、モソモソとベットから這い出ると、体中を毛布でグルグル巻きにしてリビングのソファーまでやってきました。
「えっと、リモコンどこかな?」
ミルミラーレはソファーで横になったまま近くにあったリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れます。
すると、この部屋に設置された大型モニターにダンジョン内の様子が映し出されました。
「チー姉、どっこっかな♪」
しばらく、ポチポチと映像を切り替えていると、ほどなくしてダンジョン内にいるチシィがモニターに映し出されました。