第二話 ダンジョンとトラップ(後編)
一つ目のトラップが設置されていた地下二層を後にしたチシィとミルミラーレは、次の目的地である地下四層に到着しました。ここも地下二層と同様に目の前は土の地面ですが、そこには、ミルミラーレが仕掛けた二つ目の落とし穴が設置されています。
「今度はまともなんでしょうね?」
「えっ? さっきもまともだったじゃん」
「えっ?」
微妙にかみ合わない二人。しかし、ミルミラーレはさほど気にすることもなくビシッと目の前を指さします。
「ではではチー姉、もう一度ピョンッと行っちゃってー」
「やっぱり私が飛び込むのね……。なんとなくわかってたけど……」
ミルミラーレの言葉にガックリとウサギ耳と肩を落とすチシィ。
「ほらほら」
「はいはい、行けばいいんでしょ」
ミルミラーレに促され、先ほどと同様にチシィが両足で一歩前にジャンプします。すると、着地直前に地面が消え、二つ目の落とし穴が現れました。
そのまま落ちていくチシィでしたが、落下中は何も起こらず、そのまま落とし穴の底にストンと着地します。
「何もないわね。今度はただの穴なの?」
落とし穴の中は何か仕掛けてあるわけでもなく、殺風景なものでした。しばらく穴の中を調べてみますが、やはり何もありません。
チシィが困惑していると、突如、上から何か降ってきて、ボトッという音とともに地面にぶつかりました。
「スライム?」
チシィが落ちてきたものに近づくと、それは大きさが三十センチほどの茶色っぽいプニプニとしたスライムでした。
「あっ、たくさん落ちてきた」
今度は先ほどと同じスライムが、ボトボトと大量に降ってきました。落とし穴はみるみるうちにスライムに埋め尽くされていきます。
「あー、スライムぜめで落ちた冒険者を溶かして倒す感じのトラップね。ありがちだけど、効果的なトラップだと思うわよ。でもなんかこのスライム、あったかいわね」
「違うよ、チー姉」
チシィの膝丈ぐらいまで埋め尽くしたスライムは、触るとほのかに温かさがあります。チシィが疑問に思っていると、上からミルミラーレの声がしました。
「このスライムはね、さわっていると火傷や切り傷、神経痛や筋肉痛なんかを癒してくれる効果があるんだよ。しかも温かいの。いっぱい集まると温泉に入っているみたいでしょ」
「またあなたは変なトラップを作って……。でも、そうね。なんだか気持ちいいわ」
落とし穴の底でスライムまみれという状況にもかかわらず、チシィはリラックスモードで顔を弛緩させていました。その間にもスライムはどんどん追加され続け、水位ならぬスライム位がみるみる上昇していきます。
「こうしてると、お酒がほしいわね」
肩までスライムにつかったチシィがポツリとつぶやきます。落とし穴の底でまず聞くことはないセリフでした。
「ミリー、そろそろスライムはいいわ。止めてちょうだい」
追加され続けた温泉スライムせいで、足先が地面に付かなくなってきたチシィは、上にいるミルミラーレに声をかけました。
「あ……、止める機能付いてないや」
チシィの言葉を聞いたミルミラーレがそうひとりごちます。かなり目が泳いでいますが、そうしている間にもスライムは追加され続け――
「え? ちょ! あ、顔にスライムが――」
――増えたスライムによって顔まで埋まったチシィが、落とし穴の底でもがき始めました。手をばたつかせていますが、見る見るうちに沈んでいきます。そして、ついにはウサギ耳の先っぽまで見えなくなってしまいました。
「あ、これヤバいやつだ」
ミルミラーレは背中に冷たい汗を感じつつも、スライムで埋め尽くされていく落とし穴を、呆然と眺めるしかありませんでした。
しばらくすると、トラップがスライムを吐き出し終えたのか、スライムの追加は止まりましたが、落とし穴の八割近くが茶色いプニプニで満たされています。
そんな中からズボッと何かが生えてきました。はい、先ほど温泉スライムに飲み込まれたチシィです。
「ぷはっ! あー苦しかった、本気で死ぬかと思ったわ。でもすごいじゃないミリー! リラックスしているところをスライムで窒息させるトラップなんて、よく思いついたわね!」
興奮気味に穴から這い出たチシィは、ミルミラーレを賞賛しつつ、スライムまみれの手で、その頭をなでまわし始めました。
「う、うん。す、すごいでしょ……? でね、チー姉、その手でなでられるとすごくベトベトするんだけど……」
ミルミラーレとしては、ただのスライム温泉をやりたかっただけなのですが、予想外の結果に本人が一番驚いています。
「ごめん、ごめん。今手を拭くわね。でもこれなら三つ目のトラップも期待できるわ。さぁ、次行きましょ!」
「あ、うん。期待しててね……」
満足そうなチシィを先頭に、二人は最後のトラップが仕掛けてある地下五層に向かうのでした。
「ここだよ」
ミルミラーレが目の前を指さします。今二人がいるのは地下五層。例によって目の前にはトラップが仕掛けてあります。
「で、また私が落ちるの?」
「さすが、チー姉。話が早いね」
「はぁ……」
想定通りの回答にチシィは肩を落とします。
「このトラップはね、けっこう自信作なんだよ。運悪く引っかかった冒険者の人が、パーティを辞めちゃったり、冒険者のお仕事を引退するくらい、ダメージが大きいと思うんだ」
ミルミラーレは胸を張りながら、チシィにトラップの概要を説明しました。それを聞いたチシィは、感心しつつもどこか不安そうです。
「それはすごいわね。私たちがケガしないのはわかっていても、そう聞くと飛び込むの躊躇しちゃうわ」
「そっか、じゃあミリーが押してあげるね。ハイッ!」
「え?」
ミルミラーレに背中を押されたチシィが、心の準備をする間もなく目の前を落とし穴へ落ちていきます。悲鳴を上げながら慌てたように空中で手足をばたつかせるチシィ。それでも何とか両足で着地することに成功しました。
「ちょっと、ミリー! 危ないじゃない!」
「大丈夫だよチー姉。落ちてもケガしないんだから」
そういう問題ではないとチシィが抗議しますが、ミルミラーレには柳に風です。
「まったく……、そういえば、今度の落とし穴も何もないわね。また何か降ってくるのかしら? 変なものじゃないといいのだけど……」
落とし穴の中を探ってみますが、特に何もありません。それならば、何か降ってこないかと上を見上げたチシィに、今度は物ではなく声が降ってきました。
『見上げた空に浮かぶ、あの二つの雲はあなたと私』
突然聞こえてきたのは機械を通したような音声でしたが、なんとなくチシィの声に似ています。意味が分からず首を傾げていると、また声が聞こえてきました。
『近づくことなく離れるあなたに、私の心は綿雲のように溶けてゆく』
またも聞こえてきたチシィのような声に、チシィ本人が疑問を抱いていると、突如あることを思い出しました。
「そういえば昔、こんなポエムを書いたような……」
チシィの記憶がだんだん鮮明になっていきます。そう、これは昔、チシィがこっそりノートに綴った自作のポエムでした。それを理解したチシィの顔が、見る見るうちに真っ赤になっていきます。
『あなたと会えない私の心に浮かぶのは黒い雨雲――、アイムレイン』
「ああああああああ!!!」
自身が雨になったあたりで、チシィは絶叫しながら地面を転げまわり始めました。その後も詩の朗読は続きましたが、その間もチシィの絶叫は止まりません。そしてすべてが終わったころには、チシィはピクリとも動かなくなってしまいました。
「どうだったチー姉? この落とし穴はね、落ちた人の黒歴史を公開するトラップなんだよ。すごいでしょ?」
自慢げなミルミラーレの言葉も、心を砕かれたチシィには届いていませんでした。
「あれ? ちょっとやりすぎたかな?」
ミルミラーレが心配そうに穴の中をのぞき込むと、死んだようにうつ伏せで倒れていたチシィがむくっと起き上がり、素手で落とし穴の壁を上り始めました。それもすごい勢いで。
「あ、よかった。元気そ――」
ミルミラーレが言い終える前に、穴から出てきたチシィが、ミルミラーレの両肩をガシっとつかみます。
「今すぐ撤去しなさい!」
「い、痛いよチー姉……」
「もう一度言うわよ。今すぐっ! このトラップをっ! 撤去しなさいっ!」
「どうしたのチー姉? ちょっと怖いよ。チー姉の心に浮かぶのは雷雲なの? いだっ!――」
チシィのチョップがミルミラーレの頭を直撃しました。
「ミルミラーレ。あなたの頭にたんこぶができる前に、さっさと言う通りになさい!」
「わかったよチー姉……、はい」
ミルミラーレが手をかざすと落とし穴は消えてなくなりました。それを確認したチシィはゆっくりとミルミラーレの肩から手を放します。
「さ、帰るわよ」
「チー姉。最後のやつ感想聞いてないよ。どうだった?」
ミルミラーレの言葉を無視して、無言で地下百層への転移ゲートを開くチシィ。
「あ、雲で例えてもいいんだよ? ぐぎゃ!――」
その後、地下百層のに戻ってきたミルミラーレの頭には、大きなたんこぶができていました。