第13話 ピンク色の向こうへ
「なつきっ、もしかすると行けるかもよ!」
君枝が日曜日の朝だというのに早くから家までやって来た。
結局ほとんど眠れなかった私は、寝ぼけ眼で玄関に顔を出した。
「行けるって、また高良山に登る気なの?」
「違うわよ!ピンクよ、ピンク色の向こうに行けるかも知れないの!」
私は興奮気味にまくしたてる君枝の言葉にドキッとした。
一晩中あれほど葛藤したゴイっちとの関係が、ピンク色を超えることによって動く予感がしたからだ。
家族に聞えたら、変なことを相談しているのではないかと勘ぐられそうなので取りあえず私の部屋へ移動した。
君枝は高良山からゴイっちを連れ帰れなかったことに責任を感じて、私が明かした「ピンク色」について調べたらしい。もしかすると彼女も寝ていないのではないだろうか。
ゴイっちが妹を誘拐した男の部屋から姿を消したあと、私は久々に交信しながらゴイっちの脳内がピンク色になる現象に気づいた。そうなるとスムーズにリンクできなくなってしまうのだ。
「私はピンク色と聞いたとき、なつきがまた突飛なことを言い出したぐらいに思ってたの」
君枝が私の目を見ながら打ち明けた。きっと学者がとんでもないことを発見したときはこんな顔になるのだろう。
「関係があるのよ。脳というか精神とピンク色って」
君枝によると、座禅やヨガをするときにピンク色をイメージしながら行うと幸せな気持ちになるという説があるらしい。「ピンク色の呼吸法」まで提唱されているそうだ。
「論より証拠と思って、私もやってみたの。呼吸法はいつもやっているし、それにピンク色が入ってくる感じをイメージするだけだからすぐできたわ」
秀才だけに何でも知っているとは思っていたがいつも呼吸法をやっているなんて、もはや『鬼滅の刃』で全集中の呼吸を続ける「全集中常中」だなっ!
私は君枝のポテンシャルに感心しながら、まずは指導を受けて呼吸法を行った。座り方はあぐらでよいそうだ。漫画を読むときは寝転がるかあぐらをかいているので、これはすぐにクリアできた。
肝心な呼吸は、背筋を伸ばしてうっすらと目を開ける半眼になり、腹式呼吸を意識して鼻から4秒かけてゆっくり息を吸い、口から8秒かけて細く長く吐き出す(※他にも呼吸法はさまざまなやり方がある)。
腹式呼吸とはお腹に空気が入るわけではなく、横隔膜が下がることによってお腹がふくらみ、それに伴って肺に空気が入るのだという。
君枝のいうとおりに呼吸法を続けていると、体がポカポカしてきた。意識せずとも姿勢がよくなり、集中力が増したように感じる。
ほどよい頃だと判断したのか、君枝が次の段階について優しく説明してくれた。
「目を閉じて太陽の方を向いたときに赤色に包まれたように見えるでしょう。それに似た感じで、呼吸法をしながら集中していると青色だった脳内がピンク色に変わる瞬間があるはずよ」
私は先ほどから瞼なのか脳内なのか知る由もないが、確かに青色が見えていた。
心を穏やかにしてさらに呼吸法を続けていると、青色だった世界がピンク色に変わったのだ。太陽の方を向いたときのように強烈な赤ではない。癒やしてくれるようなピンク色だった。
「ピンク色になったわ」
私が君枝に伝えた瞬間、青色に戻った。ピンク色を保つには呼吸法を練習して集中力を持続できるようになる必要があるらしい。
「頑張ったね、なつき。その調子で続けたらゴイっちと交信するときにピンク色の向こうに行けるかもよ」
「うん。ありがとう。君枝のおかげだよ」
私は心から君枝に感謝した。ただ彼女にさえ、中学時代に「推しに似た顔なんて精神的にムリ」という理由で“陰キャ”になったと言ってごまかしたままだ。いつかトラウマの真相を明かさねばならないだろう。
私は来る日も来る日も呼吸法を練習した。君枝が教えてくれたように頭の中が「ピンク色」になれば、ゴイっちとスムーズにリンクできるように思えたからだ。
はじめのうちは腹式呼吸を意識しながら鼻からゆっくり吸い込み、口から細く長く出していく感じで息をしているつもりでも、しばらくすると気が緩んで普段通りの呼吸に戻ってしまう。
忘れても「いかんいかん」と自分を鼓舞しながら続けているとやがて体が覚えて、調子がいいときはほかのことをやりながら呼吸法ができるようになった。
授業中も周りに気づかれないように呼吸法を行ない、登下校時はもちろん、自宅でもやり続けた。トイレでも、お風呂でも、ベッドに入ってからも……。
ベッドに寝てからやっているとすぐ眠くなるが、夢の中でも呼吸法をやっていたような気がした。脳内に「ピンク色」が広がる時間も、当初は5秒ほどたったのが今や1分ぐらいにまで延びた。
ゴイっちとは高良山で再会して以来、脳内交信をしていない。ゴイっちはいずれ私の協力が必要になるときがくるとほのめかしたのに、いまだ音沙汰ない。
私はゴイっちの真意を確かめたいとも考えたが、納得がいく答えをもらえる自信がなかった。一方、このままゴイっちとリンクしなければ、どんどん離れていってしまうようで怖かった。
葛藤する中で脳内交信したいとの思いが募る。ゴイサギが夜行性であることを考慮するとこちらも自分の部屋で集中しやすい就寝前がリンクしやすいという結論にいたった。
私はおよそ1週間ぶりにゴイっちの脳にリンクを試みたのだ。
「ゴイっち!ゴイっち!!」
脳内交信をしようと呼びかけても返事がない。今までリンクしたときは前触れのようなものを感じたが、それすらない。
「ゴイっち!お願い、返事をしてちょうだい!」
強く念じたがやはり反応がない。
そうか呼吸法だ。私は気持ちばかり先走ってしまい、せっかく練習してきた呼吸法を十分に行なっていないこどに気づいた。
「落ち着くのよなつき」
自分に言い聞かせると、あぐらをかきなおしてゆったりと鼻から息を吸い込む。口から細く長く吐き出しながら穏やかな気持ちになって呼びかけてみた。
「ゴイっち、いるんでしょ? リンクをつないでよ」
「受け取ってるよ。なつき」
ゴイっちだ。ゴイっちから返事があった。
「この前、高良山の祠で会ってからずいぶんたつじゃない。大丈夫なの?」
「ああ、ケガはすっかり癒えてもう飛ぶこともできるよ」
「そっかぁ。安心したわ」
お互いに無難なやり取りをしていると、ゴイっちから切り出した。
「なつき。わかってると思うけど、君が悩んでいることはボクも把握している」
それを受けて、私も真剣に返した。
「だよね。だけど私はハッキリ確認したいのよ。あなたが私を信用しているのか。私があなたを信頼できるのか」
「そうだね……これからのこともあるからハッキリ言っておくよ……君には命を救ってもらった恩がある。それにこれまでの付き合いで悪い人ではないと判断している」
ゴイっちはそう前置きして明かした。
「でもボクらゴイサギや野生の生き物にとって“人間は敵”であることは否定できないんだよ」
私はゴイっちの本心を知って、幻想から現実に引き戻される思いがした。
ゴイっちとの関係も終わっていくのだと感じながら、ゴイっちが私を「悪い人ではない」といってくれたことに一縷の望みを託した。
ざわつく心をなんとか静めて呼吸法に集中し、脳内のピンク色をシンクロしようと試みたときだ。
「それは止めておいた方がいい!ピンク色の部分はボクにもまだよくわかっていないんだ。君にとって危険なことかもしれないから止めておけ!」
ゴイっちが必死に制した。
「だって、ゴイっちの脳にリンクしていて違和感を持ったのはこのピンク色が現れてからなんだもん!きっとそこにあなたの心境に変化が起きた原因があるはずよ!」
「ピンク色のところは神様がボクとだけ交信するために作ったところなんだよ。君もわかるだろう。神様を怒らせたらどうなるか。だからヤバいんだって!」
ゴイっちからたびたび“神様”という言葉が出てくるとのが気になった。私の考えていることはお見通しかもしれないが、そんなことを気にしている場合ではない。
「ゴイっちが私の脳とリンクして“神様”をどう学んだか知らないけど、人間にとって“神様”はいろいろな意味を持つ存在として捉えられているのよ。誤解をまねくかもしれないけど悪い神様だっているし。何なら詐欺まがいな神様だって作り出されているんだから」
私は個人的解釈ながらそう指摘した。これまではゴイっちが脳にリンクして私のことを全てわかっているように錯覚していたのだ。よく考えると私自身が曖昧にしか理解していないこともある。ゴイっちの方も経験値をもとにした範囲でしか理解できないはずだ。
「違うよ、なつき。ボクは君の脳にリンクすることでいろいろな知識を得ている。でも“神様”に関しては人間たちが尊敬したり崇めている存在ということぐらいしか学んでいなかったんだ」
「なによそれ。私が勉強不足ってことを言いたいわけ?」
私はゴイっちの遠慮ない感想に、思わずツッコんだ。
「それもあるけど……ボクの命の恩人なんだから、たとえなつきでも悪いように捉えてほしくないだけさ」
ゴイっちが不満そうに説明するのを聞いて思い当たった。
あの時“幽霊アパート”から姿を消した後、私の夢にリンクしてきたゴイっちは「神様に助けられた」と話していた。あれは本当だというのか。
しかし高良山まで移動させる力を持ちながら、負傷したゴイっちをあんな山奥の祠に放っておいたことがどうも引っ掛かる。
「ねえ、その神様ってどんな名前だった?」
「んっ?なんだっけな……難しそうな名前だったからよく覚えてないや……」
私に聞かれてゴイっちはしどろもどろになった。何か隠していることはバレバレじゃん。
やはりそうか、ピンク色の向こうにその神様の秘密があるに違いない。
私は力を抜いて呼吸法を行ないながらピンク色に意識を集中した。
「やめろー!頼むからやめてくれー!」
私はゴイっちの叫びを感じながら、どこまでも落ちていくのがわかった。
「何が起きたの!これって神様の罰が当たったていうこと?」
しかし後悔はない。ピンク色を超えるからにはただではすむまいと覚悟していたからだ。
「奈落の底に落ちる」
私はふとそんな言葉を思い出した。




