↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/20

20話

 槍が水を打つ音。剣が泥を叩く音。ペーターの短い火線。

 ビィが帳面を拾い上げたころには、鳴動草の効いた第一群は三人が処理し終えていた。


 葦を割って戻ったノアが告げる。


 「二群目、東へ十一。細水路へ入りました。貯水路まで、曲がり二つです」


 ハインツがビィを見る。


 「ビィ。外した理由は分かるか」


 向けられた言葉に、息が戻った。慌てて、濡れた帳面を開く。

 昨夜、同じ場所の観測なのに風向きが食い違っていた三つの記録。

 誤記かもしれないと思い、それぞれへ印をつけていた。


 顔を上げる。


 水面を這う霧と、腰の高さにある葦の穂が、違う方向へ流れている。


 記録が間違っていたのではない。

 測った高さが違った――?


 けれど、ここから見ただけでは、水面近くの正確な風向きも、水の流れも分からない。

 誰なら――。


 探り棒を持ったノアへ、視線を向ける。


 「ノアさん! 水面だけなら、風はどっちですか。流れも一緒に見てもらえますか」


 ノアは葉を一枚、水面へ落とした。浮いた泡の動きも追う。


 「風は南東。水は東。腰の高さだけ西です」

 「やっぱり……高さによって、風向きが違う」


 ノアの答えを聞いた瞬間、ばらばらだった条件が一斉につながった。


 水面なら、腰の高さを走る西風の下を通せる。下流へ向かう流れへ油紙を乗せれば、鳴動草を乾いたまま貯水路の手前まで運べる。

 岩間鼠は音だけでなく、強い匂いと熱も避ける。荷には小獣避けの樟油がある。

 ばらばらだった道具と条件が、頭の中で位置と順番を得ていく。


 書店で読んだ一節が浮かんだ。


 足りない部分だけを、補えばいい。


 「三息で言え。何が要る」


 ハインツの声に、ビィは息を吸った。

 樟油の揮発温度。油紙の耐水時間。流れの速さ。作戦の根拠も、成立に必要な条件も、失敗しうる点も、次々と頭に浮かんでくる。でも――。


 全部ではなく、今、要るものだけ。


 「水面の流れで、鳴動草を貯水路の手前まで送ります」


 一息。


 「樟油と熱で、群れを北岸から押して、南の浅瀬へ落とします」


 二息。


 「ノアさんに流れと合図を。ペーターさんに熱を。ハインツさんとリーゼさんには、浅瀬で逃げ道を絞ってほしいです」


 三息。


 ハインツが、ビィの手にある油紙を顎で示した。


 「鳴動草は?」

 「舟に包みます。水路の狭いところでノアさんに射抜いてもらえば、水が入って、そこで鳴ります」


 ノアが泥へ、細い水路を一本引いた。北の岸、南の岸、下流の先に貯水路。南の岸へ、浅瀬の縁を浅く掻き足す。

 リーゼが、その浅瀬の両端へ指を置いた。


 「ハインツが奥――貯水路側。私が手前。両側から水路を狭めて、群れを舟の方へ寄せる」


 ビィは泥の図の北岸へ、樟油を温める三つの位置を加えた。

 ペーターが首を振る。


 「細い熱を三か所へ同時に置くと、俺の術じゃ経路がつながって、一枚の熱壁になる。上昇流で匂いが上へ逃げるぞ。これ以上、出力を下げれば術そのものが崩れる」


 ビィの頭の中で、三本の魔力経路が組み上がった。


 「それなら、同時でなくて大丈夫です。北から順に置いてください。あ、二点目だけ半拍遅らせると、経路が別々に閉じるので、壁になりません。消費も少し減るはずです」

 「……聞いただけで分かんのかよ」

 「今、教えてもらった出力なら」


 ペーターは、泥に記された三点を駒のように指で辿った。


 「……半拍だな」


 「先頭、一つ目の曲がりを抜けます!」


 ノアの報告に、ハインツが全員を見た。


 「やる。合図はノア。浅瀬を前衛、漏れはペーター。おまえは舟を流したら追うな」


 五人が動いた。


*


 ビィは樟油を落とした油紙を三枚用意し、残る一枚へ鳴動草を包んで細い舟を作った。

 ノアが油紙を三枚、北岸へ間を空けて置いていく。ハインツとリーゼは浅瀬へ走った。

 水路の上流から、灰色の背が重なって近づいてくる。


 群れとの距離を測っていたノアが、声を落とす。


 「第一」


 ペーターの指が、北の油紙を指す。

 炎ではなく、赤い陽炎が立った。

 樟油の鋭い匂いに、群れの先頭が進路を折る。


 「第二」


 半拍。


 二点目の陽炎は一つ目とつながらず、離れたまま揺れた。

 ペーターが自分の指を一度見て、ビィへ目をやる。


 「第三!」


 三点目から立った匂いが、群れを南の浅瀬へ押し出した。

 ハインツが剣の腹で奥を塞ぎ、リーゼが槍の石突で手前の水面を叩く。

 行き場を失った群れが、上流へ向き直る。


 「今」


 ノアの合図に、ビィは鳴動草の舟を細流へ置いた。

 そっと指を離す。


 ――行って。


 舟は腰の高さの風に触れず、水面を滑った。南東の風と東向きの流れに運ばれていく。

 匂いと熱を避け、二人の前衛に進路を絞られた群れが、狭い水路へ集まった。

 その正面へ、舟が滑り込む。


 ノアの矢が、舟の中央を射抜いた。

 穴から水が入り、鳴動草が震える。


 ――ビィィィィン――――!


 不協和音に、灰色の背が一斉に伏せた。


 ハインツとリーゼが踏み込み、動けない群れを端から処理する。

 音の外へ這い出した一匹をペーターの火弾が戻し、貯水路へ近い個体をノアの矢が止めた。


 水音が、戻った。


 自分一人では、最後までできなかった。

 けれど、自分がいなければ、この形にはならなかった。


 ビィは泥だらけの両手を見た。遅れて指が震え、膝から力が抜ける。

 今度は、少し笑った。


 「終わった……?」


 ハインツが剣の泥を落とす。


 「逃走なし。終わりだ」


*


 帰路につく前に、五人は乾いた中洲で息を整えた。

 討伐数を確かめ終えたハインツは、リーゼの槍袋から垂れた革紐を結び直している。

 ペーターは焦げた手袋の縫い目を摘まみ、顔をしかめていた。


 ビィは濡れた帳面を膝へ広げ、頁の端へ書く。


 ――湿地の風は、二枚。


 書きつけを覗き込んだノアが言った。

 「西岸は、風が三枚ある日もありますよ」

 「三枚?」


 「水路が曲がってるから。もっとも、古い水路は、ここしばらくほとんど流れてませんけど」

 「流れてない……」


 ビィは帳面へ、「西岸、三枚? 旧水路、停滞」と書き足した。


 「じゃあ、次は西岸で確かめます」

 口にしてから、少し驚いた。次があるつもりでいた。


 「それと」

 ノアが思い出したように言った。

 「弟の勉強法。次は紙と弟がいるところでお願いします」

 「あ、はい。まず受験科目と参考書と、一日に取れる勉強時間と、魔力経路の得意側と――」


 ハインツが立てた三本の指を思い出し、口を閉じる。


 「……得意な科目と、苦手な科目と、入試までの日数を。三つだけ、聞いておいてください」

 「三つですね」


 ノアも指を三本立てた。


*


 支部へ戻ったころには、陽が傾いていた。


 ハインツは討伐対象が推定数を超えていたこと、逃走も住民側水路への侵入もなかったことを報告した。

 初回散布の失敗も、ビィが風向差を特定して誘導策を修正したことも、同じ平らな声で読み上げる。


 受付の女性が帳票へ記した。


 「後方支援。作戦修正および誘導への寄与あり。評価、C。加算報酬、銀貨一枚」


 帳票の、自分の名前の横へ記された評価。

 ――C。

 失敗も、そのあとにしたことも、消されていない。

 掌へ落ちた銀貨は、角が少し痛かった。


 ビィは帳面を開き、昨日書店で控えた値段の下へ「銀貨、一枚」と書き足す。先は遠い。

 それでも、今朝までは一枚もなかった。


 受付台の横で、ペーターがハインツを呼び止めた。


 「次、こいつと組むなら、術士枠には数えるな。そこは変わらねえ」


 朝と同じ言葉に、身体が強張る。


 ペーターは言いにくそうに口の端を曲げた。


 「……けど、現場からは外すな。こいつ、しくじっても、その場で次の手を組める」


 ハインツが報告書を指で叩く。


 「もう入れた」

 「ならいい」


 踵を返した背中へ、ビィは声を掛けた。


 「次は、外す前にも気づきます」


 赤い髪が半分だけ振り返る。


 「まず、そこからだ」


 リーゼがぼそりと言った。


 「前口上の長い褒め方」

 「褒めてねえ!」


 扉の向こうから声だけが返り、ノアが笑った。ビィも笑う。

 目の縁から落ちた一滴が、帳面の「一枚」を丸く濡らした。


*


 街灯へ火が入り始めたころ、ビィは支部を出た。

 カーターは、朝と同じ場所で待っていた。


 兄の前まで歩き、足を止める。

 全身は泥だらけで、外套の裾は濡れている。頬の火傷が、まだ薄く熱い。

 鼻の奥はまだ詰まったままで、乾いた眦が、夜気に冷えた。きっと、目も赤い。


 何から話せばいいか分からなかった。

 失敗したことも、怖くなったことも、そのあと、自分で考えて、みんなに頼ったことも。


 全部、話したかった。


 口を開きかけたとき、カーターが言った。


 「がんばったな」


 いつもの言葉だった。

 失敗して、泣きそうになって、兄に助けてもらったあとで、何度も聞いた。


 今日は、違った。


 泥へ転んだあと、自分で立った。

 分からないことを人に聞き、できないことを、できる人へ頼んだ。

 兄がいないところで失敗して、兄がいないまま、その次へ進んだ。


 「……うん!」


 ビィは、くしゃりと笑った。


 二人は宿へ向かった。

 ビィは半歩前を歩きながら、さっそく口を開く。


 「最初は、外したんだ。記録どおりに投げたのに、風が違って。それで群れが割れて、隠れてた二群目が貯水路の方へ逃げて――僕、泥に転んで、ちょっと、動けなくなった」


 背後の足音が、一瞬だけ止まった。

 けれどカーターは何も言わず、すぐ同じ速さで歩き出した。


 「でも、水面と腰の高さで、風向きが違ったんだ。ノアさんに測ってもらって、油紙を舟にして流した。ペーターさんの熱も、二点目だけ半拍遅らせれば経路がつながらないから、三つに分けられて。それで樟油の匂いで鼠を追い込んで、最後はノアさんが矢で舟を射抜いて――」


 言葉が、何度も話の順番を追い越した。

 それでもカーターは遮らなかった。


 「それでね。岩間鼠、西岸の古い水路が詰まって、西と南の群れが集まったんだと思う。直しとかないと、また別の群れが来るかもしれないから、支部にも、水路を調べた方がいいって伝えといた」


 ビィは、水溜まりを一つ跨いだ。


 「あ、それから、評価はCだった。銀貨も一枚もらった。欲しい本までは、まだ遠いけど」


 銀貨を掌の上で転がす。


 「何かおいしいものでも食べたいな。ちゃんと評価をもらえた、お祝いに」

 「そうか」


 話しているあいだも、カーターはビィの肩から荷袋を取ろうとしなかった。


 濡れた帳面、残った道具、自分で得た銀貨。背中の荷は、朝より重く感じた。

 それでも、宿までなら持てる。


 ビィは半歩前のまま、朝より少しだけ広い歩幅で歩いた。


*


 翌朝、街の上は雲ひとつなく晴れた。

 城壁の外の低地にだけ、白い朝霧が残っている。


 ビィは寝癖のついた頭で、帳面へ昨日の散布の弧を描き直していた。


 「ここが高かったんだよなぁ……。もう少し手首を下げて、放すのを一拍遅くして……」


 観測。鼻歌の調子、上向き。指先の動き、活発。


 机の端には、銀貨が一枚。

 帳面には、濃紺の専門書の書名と値段。その下に「銀貨、一枚」。


 銀貨の横で、指を何度も折り直している。


 「ねえ兄さん、聞いて。西岸に行くなら、乾燥布をもう一枚増やした方がいいと思うんだ。それでね、ノアさんが、次は――」

 「今日、街を出ようか」


 指先、停止。

 鼻歌、停止。


 「……え?」

 「朝の馬車を取ってある。次の街は、パンがうまいらしい」

 「もう出発? でも、僕、ノアさんと西岸を……。それに、あの本も、まだ――」


 まばたき、二回。視線が、帳面へ落ちる。


 平穏、下落の予測。


 「焼きたての白パンに、木苺の蜜をかけるそうだ。昨日、頑張っただろう」


 視線が上がる。目、見開く。


 「昨日の、お祝い……」

 「朝の便なら、昼前に着くぞ」


 視線が、帳面、銀貨、カーターの順に動いた。

 銀貨を握る。


 「……それなら、そのパン、これで買えるかな」

 「買えるな」


 口角、上昇。


 「えへへ。じゃあ半分こしよう。……兄さんは、今日も優しいなぁ」


 観測。声の調子、上向き。

 平穏――回復。


 予測と、一致。


 夜間集計の頁を、再照合する。


 ――試行。四、任せる。


 損害。

 散布失敗。第二群、離脱。転倒。軽微な負傷。帳面、汚損。自己評価の低下。涙腺の活動。平穏、下落。


 利益候補。

 評価、C。銀貨一枚。外部評価の上方修正。他者との協働、四件。斥候との「次」。新規情報、「湿地の風は、二枚」。


 いずれも、平穏への寄与は確定できない。

 涙と笑顔は、同じ欄に入らない。


 帰還後、出力「がんばったな」。

 直後、笑顔。発話、活発。平穏、回復。


 回復をもたらしたのは、手を離したことではない。

 「がんばったな」の出力である。


 出力は、同行しても再現できる。

 危険に晒す必要はない。


 ――判定。四、任せる。失敗。


 ――結論。この頁は、二度と開かない。


 三、出立を早め、この街を離れる。

 宿の精算。乗合馬車の席。荷造り。

 実行済み。


 末尾の一件。


 ――選択の記録のない動作。右手。原因、不明。再現性、なし。


 頁を閉じる。


*


 幌を張った乗合荷馬車が、走り出す。

 ビィは後ろ向きに座り、開いた幌の口から、遠ざかる街へ片手を振った。


 朝の通りに、昨日の四人の姿はない。

 見送り、なし。


 湿地への再進入。斥候および赤髪の魔導師との再接触。第三者との、新たな協働。

 街との距離、増加。


 ――危険要因、減少。


 ビィは前へ向き直り、帳面を膝へ広げた。


 開いた頁に、専門書の書名と値段。

 「湿地の風は、二枚」

 「西岸、三枚?」


 その余白へ、低い弧を描く。

 馬車の揺れで線が歪む。隣へ、もう一本。


 街道が低地へ下る。

 馬車が朝霧へ入った。


 街の輪郭、消失。

 視界、白。


 観測。鼻歌の調子、上向き。指先の動き、活発。平穏、良好。


 ――正しい形に、収まった。


 昏い水底は、凪いでいる。

 波紋ひとつ、立たなかった。


 「ねえ、兄さん」


 ビィが顔を上げ、笑った。


 「これからも、ずぅっといっしょだね」

 「ああ、約束だ」


 馬車は、霧の底を進んでいる。


 約束は、静かだった。


これにてビィと兄さんのお話は終わりです。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。