逃げられない距離
二月十四日、バレンタインデー。
朝早く起きてしまった私はキッチンに立ち、生クリームとチョコレートを入れた鍋の中を、泡立て器で混ぜ合わせていた。
毎年二人で一緒にバレンタインのお菓子を作ってたけど、今年は一人で作ることにした。
だからなのかな? 心臓の音がうるさい。
「なんでこんなに緊張してるんだろ……」
相手は光希だよ……? 毎年あげてるし、友チョコだし! 緊張する要素なんて……たくさんある……。光希がイケメンになっちゃったから余計に。
そんなことを考えていたら、トリュフチョコが出来上がっていた。
光希とは午後三時くらいに会う約束をしている。
今はまだ午前九時。
「早くできちゃった……」
とりあえず箱に入れて、リボンを結んだ。
時間があり余ってるから、たまにはちゃんと服を選ぼう。そう思って衣服を色々出して、鏡の前で何度も服を合わせては外す。
「ちょっと待って、なんでこんなに悩んでるの、私」
髪を整えて、ネックレスまでつけて。
そこまでして、やっと気づいた。
「彼氏に会う前の彼女みたいじゃん……!」
ぶんぶんと首を振る。
「違うし。友達だし! 友チョコだし!」
でも、ネックレスは外さずに、光希の家に向かった。
光希の家の前で、ドキドキしながらインターホンを鳴らす。
すぐに「はーい」と返事があり、扉が開いた。
「いらっしゃい小春ちゃん。ささ、寒いから入って入って」
中に入ると、光希が玄関の鍵を閉めた。
「小春ちゃん、今日は気合い入れてきてくれたの?」
「え……?」
「いつも可愛いけど、今日は一段と可愛いからさ」
さらに、光希の目が首元に落ちる。
「それ、高校生のとき、僕があげたやつだ。バイト代貯めてプレゼントしたやつ」
光希は嬉しそうに目を細めた。
「つけてきてくれたんだ」
私はなんだか恥ずかしくなり、光希の前に、トリュフチョコが入った箱を渡した。
「これ、バレンタイン……」
差し出した箱を、光希は大事そうに受け取った。
「ありがとう小春ちゃん。すっごく嬉しい」
光希に手招きされ、リビングに案内された。
「僕も、用意してるんだ」
差し出されたのは、赤いバラが描かれた小さな箱。
「マカロン。特別な人にあげるお菓子なんだって」
心臓が止まりかけた。
思わず光希の顔を見ると、いつもの穏やかな笑み。
「開けてみて」
そっと箱を開くと、中にはマカロンが三つ。そのうちの一つには、アイシングで描かれた小さなバラ模様がついていた。
「オシャレだね……これどこで買ったの?」
「いや、手作りだよ」
「手、作り……?」
「うん。綺麗にできたのが三つだけだったんだ」
光希はさらっと言った。
「本当はもう少し作るつもりだったんだけど、割れちゃってさ。やっぱり難しいね」
そう言いながらも、どこか少し得意げだった。
「紅茶淹れるから、ソファーで待ってて」
と、光希はキッチンへ向かった。
私は言われた通りソファーに座り、箱の中のマカロンを眺めていると、「お待たせ〜」と光希がやってきた。
「ローズティーだよ」
ティーカップに注がれるローズティーから、ふわりと漂う華やかな香りがした。
「今日はバラばっかりだね?」
「気のせいじゃない? バレンタインだからじゃないかな」
と、光希はどこか意味深に微笑み、私の前にティーカップを置いた。
「どうぞ召し上がれ」
そう言いながら私の隣に座った。
私は箱の中のマカロンを一つ取り、口に運ぶ。
「どうかな? 美味しい?」
不安そうな顔で覗いてくる光希に、私は素直な感想を口にした。
「美味しい!」
「そっか……良かった……」
安心したように微笑んだ光希は、私があげたチョコの箱を開けた。
「トリュフチョコか。手作り?」
ドキッとしてから、「そうだよ」と答えた。
光希はニヤニヤと笑いながら、私のチョコを食べた。
「ふふ、すっごく美味しい」
すると光希はマカロンを一つ取った。
「これ味違うんだよ」
そう言いながら、私の口元に差し出し、ゆっくりと距離を詰めてきた。
「小春ちゃん、あーん」
言われるがまま口を開けると、光希は私に顔を近づけてきた。
私は咄嗟に光希の口元を抑えた。
「ちょ、ちょっと待って⁉」
光希は一瞬きょとんした後、そっと私の手を外し、
「バレちゃった?」
少しだけ声が低くなった。
「キスしようとしたこと」
心臓が跳ね上がった。完全に逃げられなくなった距離。
「なんで、こんなことするの⁉」
「なんでって……小春ちゃんのことが好きだから」
目を少しだけ細めた光希の手が、そっと私の頬に触れてきた。
「口はさすがに許してくれないみたいだし、今日はこっちで我慢するよ」
そう言うと、光希は私の頬にキスを落としてきた。
もう、友チョコだからっていう言い訳は、どこにも残っていなかった。




