12 二人でお酒を
時は過ぎ、最終学年5年生のアンヌは、あと3ヶ月程でいよいよ学園を卒業する。
卒業式の翌月には王太子とオレリアの結婚式が予定されている。国を挙げての一大イベントだ。挙式当日は【国民の祝日】となるらしい。王家に連なるビュシェルベルジェール公爵家の当主夫妻(舅&姑)及び長男であるエドモンと妻のアンヌはもちろん式にも披露宴にも招待されている。アンヌは内心⦅メンドクサ⦆と思っているが、コレも公爵家の嫁としての仕事だ。仕方あるまい。そろそろ準備を始めるとしますか。
そんなある日、夫エドモンに心配そうに尋ねられた。
「アンヌ。まさかとは思うが……君が最近練習しているゴリラの縫いぐるみを使った【腹話術】は、何処で披露するつもりなんだ?」
「へ? ああ。心配しないでください、エドモン様。いくらお調子者の私でも、国を挙げての王太子殿下の結婚披露宴で【腹話術】の余興なんてしませんよ。しかもゴリラの縫いぐるみを使ってなんて。外国の要人もたくさんいらしてる場でそんな非常識なことはしませんから、安心してください」
アンヌの返事にホッとした様子のエドモン。そこまで浅慮な女だと思われていたのか? 心外も心外である。
「それを聞いて安心した。けれど、それならあの芸は一体何処で披露するつもりなんだ?」
「あれはジスランとソフィの結婚パーティーを盛り上げる為の余興です。練習に練習を重ねて、けっこう上手くなったんですよ!」
「……そうか。伯爵家の結婚パーティーならいいか(ホントにいいの……か?)」
ジスランとソフィの結婚式の日取りはまだ未定だが、1年以内には挙式したいと二人から聞いている。【腹話術】は技術を必要とするので付け焼き刃では人前で披露できない。今から練習を重ねなければ間に合わないのだ。と、エドモンに熱く語ると、彼は「アンヌのそういうところ、何事にも一生懸命取り組む姿勢は素晴らしいと思うが、あんまり根を詰めるなよ」と言って、アンヌの額にチュッと口付けた。相変わらず甘々である。恥ずかしくなったアンヌは自らの口は開かずゴリラの縫いぐるみを操りながら「エドモン様。大好き!」と【腹話術】で伝えた。
学園の卒業式まであと1ヶ月となった頃。誰もが予想だにしなかった事件が起きた。
オレリアが失踪したのである。
卒業式の翌月に王太子との結婚を控えているオレリアが突如消えたのだ。学園はもちろんのこと、貴族社会は大騒ぎとなった。王太子の結婚式を楽しみにしている一般国民(平民)には伏せられているが、このままオレリアが見つからず結婚式が中止になるような事態になれば、王家から何かしらの発表をしなければならないだろう。
大嫌いな女ではあったが、あの淑やかなオレリアがまさか失踪などという大それた事をするとは……。一体何があったのだろう? とアンヌは気になった。
「エドモン様。もしかして、彼女は王家から何か理不尽な仕打ちを受けたのではないでしょうか? 余りの事に我慢できずに逃げ出したとか?」
ついつい自分の経験に照らし合わせて、そう考えてしまうアンヌ。
だが、エドモンは首を横に振った。
舅と夫エドモンは今回の件で王宮に呼び出され、先程帰邸したばかりだった。
オレリアの失踪と今後の対応(何せ結婚式の日程が迫っているのだ)について、国王夫妻と王太子、国の重臣達とともに王家に連なるビュシェルベルジェール公爵家も協議の場に出席を求められたのである。もちろんアシャール侯爵家の当主(オレリアの父)もその場(針の筵)に呼び出されていた。当の王太子は思いも寄らぬ事態に真っ青な顔で席に着いていたそうだ。
「いや。実はオレリア嬢は14歳でアンヌとともに殿下の【婚約者候補】に指名された当初からずっと『辞退したい。殿下とは結婚したくない』と父親であるアシャール侯爵に訴えていたそうなんだ。今回の件で陛下に問い詰められたアシャール侯爵が打ち明けた」
「え?」
アンヌは仰天した。
あの女、王太子妃になりたくなかったの?!
えぇっー!?
あの女に負けたくなくて、必死に王太子妃を目指していたアンヌの立場は?!
「侯爵様は彼女の訴えを聞き入れなかったという訳ですのね?」
「ああ。まぁ、正当な理由もなく侯爵家から王家に辞退を申し入れるのは難しいからね。今回の失踪は、長年悩んだ末に結婚式の挙行日が間近に迫って追い詰められたオレリア嬢が、最終手段として逃亡したという事らしい」
「彼女がそこまで王太子妃になりたくなかった理由は何なのでしょう? 個人的にはあまり認めたくはありませんが、彼女が有能で優秀で気品ある【淑女の鑑】であることは疑いようのない事実です。王太子妃となる事にそれ程のプレッシャーを感じていたとは思えません。王太子殿下に恋愛感情は持っていなかったかもしれませんが、貴族の婚姻は大抵が政略結婚ですから、生理的に受け付けないとかで無ければ特別問題があるとは思えませんし……一体、何がそこまでイヤだったのでしょう?」
「正解だ。アンヌ」
へ? どこら辺が?
「先程の王宮での協議の場で、オレリア嬢が残した【書き置き】を開示するようにと陛下が命じられたのだが、アシャール侯爵がなかなか応じなくてね」
「え? 陛下の御命令なのにですか?」
「そうだ。結局、最後には侯爵から無理やり【書き置き】を取り上げることになってしまったのだが、その便箋にはオレリア嬢の美しい筆跡でたった一言、こう記されていた」
「たったの一言ですか? 失踪の【書き置き】が?」
「ああ」
「エドモン様。私、何だかドキドキしてきました。サスペンス歌劇を観ている気分です」
「サスペンス歌劇に喩えると、その【書き置き】の一言は、まさに歌劇終盤で断崖絶壁に追い詰められたオレリア嬢がついに明かした真実というヤツだな」
「ついに明かした真実? 一体何と書いてあったのですか?」
「≪生理的にムリ≫だ」
「は?」
「だから≪生理的にムリ≫と一言、書かれていたんだ」
えぇぇぇぇぇぇぇっっっ!?!?
「あの彼女が?! 本当に!?」
「いやぁ、その場にいた誰もが信じられないという表情だった。全員絶句だよ。王太子殿下に至っては真っ白な灰になってしまったんだ」
「ソレハソレハオキノドクニ(ざまぁ!)」
「全く心がこもってないぞ、アンヌ。まぁ、気持ちは分からぬでもないが」
王太子には酷い仕打ちを受けた。
まさか、今になってオレリアが【ざまぁ】してくれるとは!
やるじゃん! オレリア! ありがとぉうっ!
「はは。あははははは」
「どうした、アンヌ?」
「だってエドモン様。【淑女の鑑】と謳われた彼女の残した一言が、まさかの≪生理的にムリ≫だなんて。私、彼女の事を誤解していたのかもしれません。もしかして、ちゃんと付き合っていれば彼女と私は気が合う友人になっていたかも知れませんわ」
「……なるほど。そうかもしれないな。案外、オレリア嬢もアンヌと似た部分があったのだろう。破天荒なところとか、行動力があるところとか、嫌いなモノはどうしても嫌いだと絶対に受け付けないところとか……な」
言われてみればその通りだ。
もっと彼女と話をしてみれば良かった。
王太子の悪口も、ぜひ二人で語り合いたかった。
今更ながらアンヌは思った。
********
今日も今日とて、アンヌはゴリラの縫いぐるみを操り【腹話術】の練習に励んでいる。アンヌの腹は最近少しふっくらとしてきた。
そんな妻を笑顔で見守る夫エドモン。
「アンヌ。今日の練習はもうその辺にしておかないか。身重なのだから無理は禁物だよ」
「は~い、エドモン様♡」
あれから、オレリアの行方は杳として知れない。
王家はオレリアの病気療養を理由に一旦結婚式の延期を発表し、その後、回復の見込みが無い為やむを得ず婚約そのものを白紙にする旨改めて公表した。一般国民(平民)は信じただろう。だが、少なくとも王都にいる貴族は皆、オレリアの失踪を知っている。例のオレリアの書き置きの内容が洩れていない事だけが王家(特に王太子)にとっては救いだろう。
オレリアは今頃どうしているのだろう?
賢いオレリアが衝動的に家を出たとは思えない。おそらく何年も前から周到に準備をしていたのではないだろうか? それほどまでに王太子と結婚するのがイヤだったのだろう。何せ≪生理的にムリ≫なんだもんね。こればっかりは仕方ないよね。
オレリアのことを【美の女神】と崇拝する信者や隠れ信者は国内のみならず外国にも多くいると聞いている。盲目的に彼女の指示に従う者も、何の見返りも求めずに彼女を援助する者もいくらでもいるはずだ。オレリアは上手いこと彼らを利用しているのだろう。利用されてると分かっても喜びそうだしね。オレリア信者の変態率は半端ないから。
ねぇ、オレリア。
どうか逃げ切って。
そして生きて。
大嫌いだったオレリア。
大嫌いだけど、
いつも貴女を追いかけていた。
結局、追いつけないまま、
私たちの道は分かれてしまったけれど。
ねぇ、オレリア。
いつの日か、きっと逢いましょう。
それは数年後、
いいえ、数十年後になるかも知れないけれど、
その時は、
「お互い色々あったよね」って笑いながら、
二人でお酒を飲みましょうよ。
恨みっこなしでね。
ねぇ、オレリア……
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「お互い色々あったよね」
「……貴女、童顔のままなのね」
「貴女、ほうれい線が酷いわね」
「イヤなこと言わないで頂戴」
「うふふ。さっ、今夜は二人で飲みましょ」
「そうね。では30年ぶりの再会に」
「「乾杯」」
終わり