弱点
望みは絶たれた。
俺がそう思った瞬間、トラさんの車が突然バックした。
トラさんは、後ろをガードレールにぶつけながら切り返し、猛然とこっちに向かってきた。
結果が間違っていた時は、方向転換の決断をいかに早くするか。それが、生き延びるための秘訣。
トラさんの方向転換早かった。
伊集院さんもバックして、トラさんの車に道を開ける。そして、トラさん同様に切り返す。
体が前後左右に激しく揺さぶられる。
タンク付きの灯油用バーナーが車のあちこちにガンガンぶつかっている音がする。俺は、車の中で爆発なんてしねえよな、なんて全く違うことでビビってた。
で、後ろを振り向いちまった。
バンのデカイ後方窓に、車を追ってくる触手が見えた。
触手は見る見る車に追いつくと、後の扉に吸いついた。次の瞬間、扉は触手の吸引力で外されてしまった。
ガンガン車のあちこちにぶつかっていたタンク付きガスバーナーが、扉を失ったバンの後方から転がり落ちそうになる。
それを、柿さんが必死につかんで、手元に引き寄せた。
柿さんは、灯油用バーナーにチャッカマンで点火した。灯油用バーナーは、灯油が気化するまでに時間がかかる。その時間がヤバイ。
俺は、装填済みのガスバーナーを持つと、背もたれを乗り越えて、後ろに移った。
俺は、ガスバーナーを点火した。
ガスバーナーはすぐに青白い炎を噴射する。次の瞬間、扉を外した野郎が性懲りもなくバンに頭(?)を突っ込んできやがった。俺は、バーナーの炎をそいつにお見舞いした。
触手は、硬直化することなく、すぐに退散した。
やはり、炎が奴らの弱点だ。
柿さんの灯油用バーナーも、炎を噴き出し始める。
柿さんと俺は、扉がなくなったバンの後方に向かって炎を噴射し続けた。触手は少なくともバンの後方には寄りつかなくなった。
「柿さん、前だ!」
伊集院さんの声で、前方を振り向いた俺は見た。
フロントガラスの向こうに見えたのは、マンホールを跳ね上げ、下水道から飛び出してきた触手。
奴は、地上ではなく、下水道を移動していたんだ。
目の前にあったトラさんの車が、横道にそれる。
伊集院さんもその後を追った。
下水道から現れた触手が細道を突っ走る車に追いすがるが、バーナーの炎で近づく事が出来ない。再び急カーブ。右に左に振られるので、バンの後ろから転がり落ちないようにするのも一苦労。
いくつかの角を曲がるうちに、触手の姿は見えなくなった。
車が急に止まる。
俺は、嫌な予感を感じた。今まで車が止まるのは、奴が現れる時だったからだ。
「俺達はどうやら高校に戻ってしまったようだ」
伊集院さんが言う。俺は、車の窓から見た。
そこは、室一の北側、ちょうど、プール側の外壁の下だった。
前に止まっていたトラさんの車から、響子ちゃん達が降りている。
外に出るのは危なくねえか?
でも、橋は壊され、下水道をあの怪物が這いまわっている。
そんな奴が相手じゃ、もう今更じたばたしても無駄ってことだ。
俺は、ガスバーナーをオフにして、扉のなくなった後方から車を降りた。柿さんも降りる。
「ここまで来てしまったのなら、ミサイルにやられ黒こげになった怪物の遺体があるかどうか確認しましょう」
柿さんが言う。
俺達は、壁を回り込み、裏口から校舎の敷地に入った。
皆、ガスバーナーの準備をし、プールへとつながる階段を上る。
そして、俺達は見た。
プールの底は、完全に抜けて巨大な穴があいている。そこに、タコ入道の姿はなく、異様に臭い匂いが穴の底から吹きあがっていた。
「なんだこの臭い匂いは」
伊集院さんが鼻を片手で覆う。
「下水の匂いです」
トラさんが答える。
「プールの下に下水が通っているのか?」
伊集院さんの問いに、トラさんの語托が始まる。
「この街の下水道は、合流管と言って、雨水と家庭用排水、トイレやキッチンで使った水が同じ排水管で排除されるようになっています。そうすると、大雨の時には、排水の量が増えて、下水処理施設では処理しきれなくなる。それを避けるために作られたのが滞水池。ここに排水を一時的に貯めておき、処理施設に流れ込む量を抑える。滞水池はこの街に全部で5カ所ありますが、滞水池は広い敷地の下に作るので、公共施設の下に作られる事が多い。実は、この高校の下にも、その滞水池の一つがあるんです。奴は、下水道の中のこの広い空間に潜んでいた。だが、体が大きくなりすぎて、滞水池に収まりきらなくなり、それで、プールの底を突き破って地上に体を現わしたんでしょう」
「そのあとがこれ・・・」
と鈴木さん。
「俺達は、奴が地上を這いまわってるものとばかり思ってた。このプールにいた姿を見りゃ、誰も下水道の中を移動するなんて思わない。だが実際は皆も見たろう。奴は下水道の中を這いまわり、獲物を見つけるとマンホールから出てくるんだ」
「そう言えば・・・」
伊集院さんの言葉に、柿さんが反応する。
「柿さん、何か?」
「いや、団地で触手に遭遇した時、他の自衛隊員が、トイレ、トイレだ、と叫んでたんです。その時は混乱していて何のことかさっぱり分からなかったんですが」
「そういうことか。奴は、外にいる人間はマンホールから、家の中の人間はトイレから侵入して、みんな飲み込んじまったんだ」
「でも、それなら、トイレに隠れていた晴香ちゃんはどうして助かったんだ?」
と俺。
「団地の住人達は、自衛隊に連絡した時はまだ生きていました。それから自衛隊が到着するまでの間に犠牲になったんです。つまり、奴は、人間がいればすぐに捕食するわけじゃなく、一度捕食した後はしばらく休むということです。晴香ちゃんはうまくその休んでいる間だけトイレに隠れていたということなんじゃないでしょうか」
と柿さん。
晴香ちゃん、君はなんて強運の持ち主なんだ。
「ホームセンターにいた時もトイレから襲われなかった」
と響子ちゃん。
「あそこは、浄化槽で下水処理していると言ったでしょ。つまり、ホームセンターのトイレは下水道とつながっていないんです」
なるほど。トラさんの説明にうなづく俺。
「さてと。これで、ここにいた奴と団地にいた奴は別物じゃないってことが分かった。焼きつくされた遺体はどこにも見当たらないからな」
「つまり奴は、下水道の中でつながっている一体の個体ということ?」
鈴木さんの言葉を受けて俺が言う。
「そういうことだ」
「でも、それならなぜミサイルの炎に焼かれなかったのかしら?」
と、響子ちゃん。
そうだ。もし、一体の個体なら、炎に焼かれてここで焼きつくされてたはず。
「ここで硬直化したんだ。それ以外考えられない」
「でもなぜ?ミサイルの炎とガスバーナーの炎に何の違いがあるの?」
「でかい炎には硬直化して、小さい炎には反応しないってことなんですかね」
とトラさんが言う。
「・・・いや、もう一つ違う事があります」
と柿さん。
「もう一つ?」
鈴木さんが聞き返す。
「ミサイルです。ここにいた奴はいきなり炎を食らう前に、ミサイルの直撃を受けました。ミサイルの速度はマッハを越える。奴は、校庭で機関銃の直撃を食らい、高速で接近する物は危険だと学習した。その直後にミサイルが高速で接近してきたんです。当然、奴は硬直化したはず。しかし、我々がガスバーナーを使う時は、奴にマッハで近づくなんてことはしない。だから硬直化しないんじゃないでしょうか」
「つまり、静かに近づけば奴を黒こげにすることもできるってことか」
柿さんの言葉を受け伊集院さんが言う。
「下水道に潜んでるなら、下水道の中で丸焼きにしちまえばいい」
と鈴木さんが興奮したように言う。
「ちょっと待って。下水道の中にいるはずの怪物の触手が、どうして川から出てきたの?」
響子ちゃんの鋭い突っ込み。
「実は、大雨の時、排水を滞水池にも貯め込めなくなると、下水道の雨水吐きという所から、一定量を越えた排水を川に直接流してしまうんです。雨水吐きは、室川には何カ所もある。触手はその雨水吐きから川に出て、橋を破壊したんです」
へー、そうなの。トラさんの説明は俺達の知らないことばかり。
でも、それ、ホント?自分でガセネタ作ってたりしないよね。
「もう、逃げるのは無理だ。橋を渡ろうにも、奴が先回りしている。西へ向かってもマンホールがあれば、今までと同じ事が起きるだけだ。こうなれば、奴を倒す以外、俺達の生き残る道はない」
伊集院さんが言う。
「奴を倒すって、どうやって・・・」
と鈴木さん。
「さっき君が言ってたじゃないか。下水道の中で丸焼きだ」
「でも、どうやって?」
「ガソリンだ」
「ガソリン?」
うなづく伊集院さん。
「ガソリンを下水道に流す。下水道は下水処理施設につながっているから、最後はあの本体にたどり着く。ガソリンが下水処理施設まで届いたらガソリンに点火。ボン」
伊集院さんは、両手を使い、ガソリンが爆発する様を表現した。
「待った待った。簡単に点火なんて言ってるけど、いったいどうやって点火するつもりだ?ガソリンはすぐに気化するんだぜ?ガソリンの近くで火を付けようものなら、俺達も丸焼けになっちまう」
鈴木さんが、伊集院さんの案に待ったをかける。
「混合燃料を遠方から銃で撃ち抜きます。そうすれば、点火する場所に人がいる必要はない」
柿さんが援護。
「ああ、そう。で、ガソリンはどうやって下水道に流すつもりなんだ?」
「ホースを使う」
と伊集院さん。
「ホース?」
「ガソリンスタンドから一番近いマンホールと給油ノズルをホースでつなぐんだ」
「一体どれだけ長いホースが必要なんだ?100メートルか?200メートルか?」
鈴木さん、狂ったように突っ込むな。なんか、ドキドキしているけど、俺には伊集院さんを援護する材料が何もない。
「そんなに長いホースは必要ありません。この街のマンホールの間隔はだいたい50メートル。場合によっては、ガソリンスタンドの目の前の道路にある可能性もある」
下水道オタク、トラさんの本領発揮。
「その心配より、むしろ手間取りそうなのはマンホールの蓋だ。簡単に開けられないようになっているので、マンホール用の蓋開けが必要になる」
「その蓋開けはどこに?」
「まあ、スタンドに行く前にウチの会社に寄ってもらえればすぐに調達できます」
「この近くなのか?」
「すぐそこです。昨日は徹夜明けで、家に帰る途中だったんですけどね」
「徹夜明け?そんなに忙しかったのか」
「処理場に流れ込む流量の調査でね。流量が急に減った原因を調べてたんですけど、原因なんか分かるわけはありませんよ。答は怪物のエサになってたってことですからね」
「で、マンホールと給油ノズルは誰がどうやってつなぐんだ」
またしても鈴木さんに語託をぶった切られるトラさん。
鈴木さんのツッコミ続くなあ。でも、確かにどうするのか聞いておきたい。
伊集院さんは少し間をおいた。
穴のあいたプールの底を覗き込む。
「・・・やるとすれば、全員の力が必要だ。作業する人間とそれを守る人間。俺のイメージはこうだ。まず、先に車でマンホール近くに乗りつけ、蓋をあけてホースの先をその中に突っ込む。そのあとスタンドに乗りつけ、給油ノズルとホースをつなぐ。簡単に外れないように、針金で連結部を絞めつけておく。キチンとつながったのを確認したら、レバーを引き、給油が止まらないように、これも針金で留める。給油が開始されたら、車で安全な場所まで待避する。作業をする人間は2人。あとは残り全員で2人を囲み、触手の襲撃を防ぐ」
伊集院さん、それ、無理ないですか?
「混合燃料はどうする?」
「マンホールの蓋近くに置いておきます。ガソリンは気化すると下に沈みますが、下水道の狭い空間ならすぐにいっぱいになって地上に漏れてきます。それに引火させれば、一気に爆発します」
「ガソリンが爆発するのは空気と混ざった時。空気中にガソリン1.4%~7.6%の範囲内。ガスでいっぱいになった下水道の中より空気中に出て希釈された方が爆発しやすい」
柿さんに続いて、トラさんの解説が続く。あなたはいったい何オタクですか?
「道のど真ん中に、混合燃料の缶を置いとくってのかい?奴に動かされちまったらどうする?」
「・・・動かされない方に賭けるしかないな」
伊集院さんの苦しい返答。
「・・・柿さん、何か他にいい案はないのか?」
鈴木さんが聞く。
「わたしには思いつきません。必ず成功できるかと言われれば何ともですが、伊集院さんの策であれば、このメンバーでもやれる。無理や不可能は全くないと思います」
柿さんが、伊集院さん側に着いた。
俺は、何ともだけど、危険に立ち向かう時は、全員が同じ方向を見ていなければならない。
「やりましょう。奴を燃やすのがその方法しかないなら、それをやるしかないです」
ああ、言っちまった。でも、これが俺の決断。
伊集院さんを見ると、また穴の底を見ている。
まさか、奴が戻ってきたのか?
あわてて、穴の底を見るが、黒々と穴が開いているだけで、触手がうごめいている様子はない。
「・・・伊集院さん、穴の底に何かあるんですか?」
俺は気になって尋ねた。
「・・・いや、何もないから見ていたんだ。これだけデカイ穴が開いていれば、俺達の気配を察知して触手の1、2本くらい出てきそうなものだが・・・」
「あの怪物は学習するんです。一度痛い目に遭った場所には近づかない。そういうことなんじゃないですか」
とトラさん。
「・・・そういうことか・・・」
さすがにこれには、半信半疑の生返事をする伊集院さん。だが、
「つまりここなら安全てことだ」
と鈴木さんは断言した。
「こうしよう。もし、奴を燃やすのに失敗したらここに戻る。そして、防災無線で、もう一度助けを求める。来てくれるかどうかは怪しいが・・・」
なるほど、失敗の先を決めておくのも重要だ。そうすれば、方向転換も早くできる。
・・・お、ということは、つまり・・・。
「だが、やる以上は、成功を目指すぜ」
鈴木さんの表情が変わった。
俺は、全員の表情を見た。どうやら、全員が伊集院さんの案にのっかったようだ。
俺達は、車に戻った。鈴木さんが、住宅地図を広げる。
「ガソリンスタンドは、ここから近い所だと3箇所ある」
「下水処理施設に一番近い所は?」
「ここだ」
伊集院さんの問いに、鈴木さんが一点を指差す。
「この地図の縮尺から言って、だいたい2キロは離れている。トラさん、この距離ならガソリンは何分くらいで処理場に流れ込む?」
「下水の流れる速度は、秒速1m前後。そう考えると、2キロ流れるのには最低でも30分はかかりますね」
トラさんが、伊集院さんの問いに応える。
「30分」
長い。その間、ホースと混合燃料は大丈夫だろうか。
「・・・皆で知恵を出し合えば、30分もちこたえることはできるはずです。だって、今までだってそうしてここまできたんだから」
響子ちゃんが言う。
そうだよな。今までだってもっと危ないところを生き延びてきたんだ。これからだって・・・。
こういうときの女の子の勇気ある発言は、ギュツと気持ちを引き締めるな。
伊集院さんが、うなづく。
「よし、その30分に賭けよう。皆、それでいいか」
伊集院さんの問いに全員がうなづく。
「これが最後の希望だ。なんとしても成功させるぞ」




