黒煙
バンの中にあった工具箱を確認すると、針金やペンチ、滑り止めつきの軍手などはすぐ見つかった。だが、肝心のホースがない。
俺達は、プールの用具置き場をあさって、長いホースを拝借した。プール洗い用の何十メートルもある奴だ。
「まず、わが社に寄ります。マンホールの蓋開けを調達したら、ガソリンスタンドに直行。作業は僕と伊集院さんでやります。僕はマンホール担当、伊集院さんは給油ノズル担当。それでいいですか」
初めてトラさんが仕切った。
「異議なし」
と鈴木さん。
俺達はそれぞれのバンに乗り込み、俺と柿さんは、荷台に陣取って、バーナーから炎を噴射する準備を整えた。
トラさんの車が先導し、後ろの扉がなくなった俺達のバンが後を追う。
狭い生活道路をクネクネと走り、大通りは突っ切った。
トラさんは、地の利を生かして、触手が動き回りやすい広い道路を避けて会社に向かっているようだ。
後ろの扉がないのは心細いが、俺は恐怖心を押し殺して後方をじっと見ていた。
こいつはゲームだ。マンホールがはねて中から触手が出てきたらバーナーで迎え撃つ。あ、これいい。どこかのゲームメーカーに売り込もう。
そんな、罪作りな事を考えているうちに、バンが止まった。
前のバンから、トラさんと響子ちゃんが飛びだす。
おっと、響子ちゃんか?
なるほど、緊急時に車を発進させられるのは、鈴木さんてことね。2人の姿が、建物の裏に隠れてそうしないうちに、再び現れた。
トラさんは、手に長い十字架みたいな道具を持っていた。あれが、蓋開け?
再びバンに乗り込んだトラさんは、車を急発進させた。
どこをどう通っているのか分からないが、急に大通りに出た。そのすぐ先に、お目当てのガソリンスタンドが見えた。
トラさんのバンのスピードが落ちる。そして、ブレーキランプが点灯。道路の上を見ると、マンホールがあった。
俺達のバンも、マンホールの蓋を開けるのに邪魔にならない位置に停車した。
「よし、みんなでトラさんを囲むんだ」
伊集院さんの言葉にうなづくと、ガスバーナーを持ってバンを降りる。
トラさんは、マンホールの端にある鍵穴みたいなところに蓋開けを突っ込んでいた。
俺達は、トラさんを背にして、外側を向いた。
人っ子ひとりいない街中の静けさは、やはり不気味だ。どこからあの触手がはい出してくるかと思うと、不気味さは1.5倍だ。
後ろでマンホールが擦れるような、ギギギという音がした。俺はてっきり、トラさんがマンホールの蓋を開けたところだと思った。
「やばい!」
トラさんの緊迫した絶叫で、俺は後ろを振り向いた。
そこには青黒い触手が宙に向かって伸びていた。
一瞬目の前で起こっている事が理解できなかった。
ポカンとしていると、触手が跳ね飛ばしたマンホールの蓋が背後に落ちる凄まじい音がした。
「伏せろ!」
鈴木さんの声がした。
俺と隣にいた響子ちゃんはあわててしゃがみこんだ。
次の瞬間、触手に向かってガスバーナーの炎が噴射される。触手は一瞬、噴射を避けようと変な形に触手をひねらせたかと思うと、あっという間にマンホールの中に引っ込んだ。
むかし、モグラたたきゲームとかあったな。引っ込む様は、まるであんな感じだった。
いやー、でも危なかったな。あのまま立っていたら、鈴木さんのバーナーでこっちまで丸焼けだ。今度は髪の毛をチリチリにさせずに済んだ。
伊集院さんが、灯油用バーナーの長い炎をマンホールの中に向かって放つ。
「トラさんの見立てが正しければ、奴はこのマンホールからは二度と出てこない」
と伊集院さん。
「・・・・それだ」
と鈴木さん。
「それ?」
「マンホールは50メートルおきって言ったな。そこで奴が出てくるのを待ち構えてバーナーを噴射するんだ。そうすれば、そのマンホールから二度と奴は出てこない。そうすれば、混合燃料を動かされる心配もなくなる」
なるほど。
「伊集院さんは、わたしたちに任せて」
響子ちゃんが言う。それは、つまり、俺にも行けと?
「俺は向こうのマンホールに張り付く。裕也はあっちだ」
と鈴木さん。もう決まりなのね。
俺達は、ガソリンスタンド組と、鈴木さん、俺の3方向に分かれた。柿さんは、女子たちのフォローで、作業組に張り付いた。
鈴木さんが走り始めたので、俺も走った。
後ろを振り向くと、伊集院さんがホースの先を給油ノズルに突っ込んでいるところだった。
しばらく走ると、さっきと同じサイズのマンホールがあった。俺は、ふとガス残量が心配になり、バーナーをオフにした。
大丈夫だ、ここから出てくるとわかっていれば、点火し、バーナーを噴射できる。怖いのはガス欠だ。
だが、何かが出てくるかもしれないマンホールの蓋をじっと見ているのはやはり怖い。
俺は、何となく鈴木さんの方を見た。
鈴木さんが、バーナーを構えたところだった。
途端に、鈴木さんの目の前の蓋が跳ね跳び、触手が飛び出してきた。狙い澄ましたように、青黒い触手にバーナーを噴射する。マンホールに引っ込んだ触手を追うように、バーナーをマンホールの中に向ける。
鈴木さんはすぐ近くに落ちていた蓋を蹴飛ばして、蓋を閉めた。
鈴木さんがこっちに駆けてくる。
助かった。援軍だ。
その時、こっちに駆けてくる鈴木さんが叫んだ。
「裕也!」
俺は、マンホールの方を見た。
途端にマンホールの蓋が俺の方に飛んできた。俺はあわてて蓋を避けて転んだ。
ガスバーナーが手から離れる。
やべ!
俺は、ガスバーナーを拾い上げ、触手の方を向いた。
緑の口が目の前にあった。
三度目の正直。あれ?この言葉ってこういう時使うんだっけ?バーナーに点火している暇はなかった。
俺があきらめかけたその時、触手が突然口を閉じてマンホールの中に退散した。
響子ちゃんが、バーナーを噴射しながら、倒れた俺の横を走り抜けていく。
俺は立ち上がって、バーナーに点火し、マンホールに向かって炎を噴射した。そこへ、鈴木さんが到着。
「裕也、危なかったな。あのままだったら間に合わなかったぜ。響子ちゃん、ナイス判断」
鈴木さんがよくやったと言うように響子ちゃんの肩をつかむ。俺は、何が何だか分からず、鈴木さんに「何これ?」と顔で訴えた。
「お前がマンホールじゃなくて俺の方を見ているのに気付いて、響子ちゃん、すぐに走り出したんだよ。まるでこうなることを予測していたみたいにな」
響子ちゃんは、照れ笑いして俺の方を見た。
「もう、よそ見なんかしちゃダメよ」
なんだか叱られる幼稚園児の気分になった。
助けられたのはこれで3度目。ファミレスの時と、団地の時と、それに今回。俺は、もう響子ちゃんの方に足を向けて眠れなくなった。
マンホールの蓋を閉めて、ガソリンスタンドへと向かう。ちょうど、バンがガソリンスタンドに入って行くところだった。
「伊集院さんが、ガソリンを下水に入れ始めたらマンホール近くでエンジンをかけるのは危険だからって、先に車を動かすよう指示したの」
なるほど、火気厳禁てことね。
俺達がスタンドについたとき、伊集院さんは、ノズルのレバーを引いて、針金を巻きつけているところだった。
力を込めて、ペンチで針金を絞め上げている。ガソリンメーターが回り始めた。
「退散だ」
伊集院さんが言う。
「待った!」
トラさんが、バンの荷台から混合燃料の入った缶を取って、マンホールに走った。
マンホールの蓋は、ホースを入れるための僅かな隙間を残して、穴の上に乗っかっていた。マンホールの枠から、その隙間に張り出すように缶を置く。これなら気化したガソリンに確実に引火する。
俺達はバンに乗り込み、スタンドを出た所で止まった。
鈴木さん運転の前の車が横開きの扉を開け、トラさんを拾うと、スタンドから遠ざかる。
車は、その通りを直進し、伊集院さんが、鈴木さんの車を追い抜いた。
ガソリンスタンドから一区画隔てた所に、1階がビルトインガレージになっている建物があり、伊集院さんはそこにバンを入れた。後続のバンもあとに続く。
伊集院さんが、バンを降りる。鈴木さんの車からも皆降りてくる。
「ここで、30分様子を見る。柿さん、この距離なら行けそうか?」
柿さんは、外に出て距離を目測した。
「十分射程範囲内です」
「よし、トラさん、鈴木君、裕也君、3人でこのビルのトイレをチェックしてくれ」
「ラジャー」
鈴木さんはそう言うと、先頭に立ってビルの奥へと進んだ。ビルは、雑居ビルらしく、上へと続く階段の脇にトイレの扉があった。
「奴がここにいなけりゃ、30分ここで見張りだ。いっそ、この扉を開けた瞬間に奴にいてもらった方がいいな。そうすりゃ、バーナーをお見舞いしておしまいだ」
そう言って、扉を開けると、そこに待ち構えていたように、触手が緑の大口を開けて宙に浮いていた。
「ありがと」
そう言うと、鈴木さんはバーナーをその触手にお見舞いした。
「どうした?トイレは?」
俺達が予想以上に早く帰ってきたので、伊集院さんはまだトイレに行っていなかったと思ったらしい。
「一本退治してきた。これで、もう背後からはやられない」
鈴木さんは報告した。
あとは、30分何ごとも起きなければ、柿さんが混合燃料を撃ち抜いて終わりだ。今度こそ。
・・・30分て、こんなに長かったっけ?
おそらく、俺の人生史上最長の30分だった。
柿さんが、銃を持って外へ出ていく。
全員が、柿さんを囲むように出ていく。ビルトインガレージのトイレ以外からは、いつ触手が出てきてもおかしくはない。
柿さんは、銃身の前にある逆Vの字型のスタンドを立てると、道路に腹ばいになって銃床を肩に当てた。
照準器はついていないけど、柿さんは両目を開けたまま銃身に顔を付けた。
「まずい」
柿さんのそんな声、初めて聞いた。
柿さんが立ち上がり、スタンドの方を見る。
全員がスタンドの方を見た。
そこに、どこから現れたのか、細長い触手がうねうねとマンホールの上のあたりを動いている。
「どこから出てきやがったんだ?痛い目にあった所からは出てこないんじゃなかったのか?」
鈴木さんが唸る。
「触手はスタンド側から出てきました。マンホールからじゃありません」
と柿さん。
「ガソリンスタンドのトイレか・・・」
伊集院さんがつぶやく。
そうか、マンホールばかり気にしていて、そっちに気が回らなかった。
柿さんが時計を見る。
「まだ30分経過していませんが」
伊集院さんを見る。
伊集院さんは黙ってうなづいた。
柿さんは、再び腹這いになった。
全員が、スタンドの方を見ていた。
誰も背後に気を向けていなかった。柿さんだけが、その気配に気づいた。
腹這いになっていた柿さんが、銃を持ったまま突然くるりと仰向けにひっくり返った。まるで、俺達に銃を向けるみたいに。
「伏せろ!」
全員がその場にしゃがんだ。
次の瞬間、銃声が鳴り響いた。
そして、俺は見た。先端を鋭くとがらせた触手が柿さんを貫くのを。
俺が茫然としている間に、伊集院さんと鈴木さんは、硬直化していない青黒い部分に向かってバーナーの炎を噴射していた。触手は先端を白銀に輝かせたまま、出てきたマンホールに姿を隠した。
「柿さん!」
伊集院さんが近寄る。
奴が貫いたのは、柿さんの右肩だった。
命に別条はない。だけど、出血がひどい。
迷彩服の緑が血の赤に染まり、どす黒くなっていく。
伊集院さんは、その怪力で迷彩服を引き裂き、傷口を確認した。響子ちゃんが、リュックからタオルを出して傷口を抑える。伊集院さんは、背広とYシャツを脱ぐと、Yシャツをタオルの上から巻き付け、きつく縛りあげた。
「柿さん、辛いかもしれないが立つんだ。傷口を心臓より上にして出血量を少しでも抑えるんだ」
「・・・それより、混合燃料を・・・」
痛みをこらえて柿さんが言う。
「柿さんは無理です!」
響子ちゃんが叫ぶ。
「じゃ、誰が・・・・」
と、トラさん。
さすがに、万能の伊集院さんも、飄々とした鈴木さんも、押し黙っている。
銃なんて扱ったことなんてあるわけないんだから当然だよな。これで「俺がやる」なんて言ったら、それこそカッコつけだけのカラ勇気。今ここにカラ勇気はいらない。
「あたしにやらしてもらえませんか」
そう言ったのは、晴香ちゃんだった。
「晴香ちゃん・・・?」
響子ちゃんが言う。
「あたし、アーチェリーやってるんです」
「アーチェリー?」
そう言えば、室一のアーチェリー、20年ぶりで全国大会出場していきなり優勝したすごい1年がいるって新聞で読んだぞ。
「室一のアーチェリー、たしか1年生が全国大会優勝したよね」
響子ちゃんも知ってた。
「それ、あたしです」
げっ、こんな可愛い顔してアーチェリー全国大会優勝かよ。天は二物を与えないんじゃねえのか?嘘つき。
「でも、アーチェリーと銃じゃ全く別もんだ」
鈴木さん、正解。
「この中であの小さい的に照準を合わせられる人は、あたし以外にいますか」
静かな声だったけど、そこに込められた強い意志は全員が感じたはずだ。
「ミノリはアーチェリーのライバルで、無二の親友だったんです。ミノリは今年3位でした。来年必ずあたしを抜くって言ってたんです。なぜ、あのときあたしじゃなくってミノリが犠牲になったんだろう。なぜ、勝者を生かして、これから頑張ろうとする者を奪っていったんだろう。全国大会に優勝したって、こんなことになったら、あたしなんて何の役にも立たないのに・・・。でも、もしかしたら、このために、この瞬間のために生かされたのかもしれない。だから・・・あたしにやらせて下さい」
伊集院さんは、地面に落ちていた銃を拾い上げると、黙って晴香ちゃんにそれを渡した。
晴香ちゃんは、銃を受け取ると、さっき柿さんがしていたのと同じように地面に腹ばいになった。
銃床を肩に付け、両目を開けたまま顔を銃身に近づける。
セーラー服の美少女が地面に腹ばいになって銃を構えている。ロリ系バトルゲームの1シーンが目の前にあった。おっと、失礼。
だけど、なかなか発射しようとしない。
そりゃそうだよ。これで失敗したら、ガスと灯油がなくなるまでの命。ほぼ生き残るのは絶望なんだから。
ガソリンスタンドの方を見ると、細い触手がいつの間にか2本になっている。その1本が地面の方に向かった。
やばい!混合燃料の缶が動かされちまう!
次の瞬間、銃声が響き渡った。
だが、爆発は起きない。
外した。
そう思った時、晴香ちゃんはもう一度銃を放った。
彼方に黄色い灯りがわずかに点灯したように見えた。
その黄色い灯りは、見る見るうちに地面に沿って広がり、ガソリンスタンドの方に生き物のように這い寄って行く。
次の瞬間、轟音とともにガソリンスタンドが爆発した。
それが合図になったかのように、マンホールの蓋が次々跳ね上がり、炎が宙に舞い上がった。
そして、はるか彼方で、ひときわ大きな炎が上がった。
俺達は、車に乗り込んだ。伊集院さんは、ホームセンターに向かい、屋上駐車場にあがった。
車から出る。
隣の下水処理施設は火の海と化していた。
タコ入道は炭化して、黒い煙を吹き上げている。
「もう、俺達の行く手を遮るものはなくなった。建物だらけの西に向かうぞ」
伊集院さんはそう言うと、再び車に乗り込んだ。




