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8 真剣勝負2

(ずいぶんと整った……)


 乱雑であろうと勝手に予想していた室内は、意外と言ったら失礼だが、見事に整然としていた。

 本棚もカテゴリ分けされアルファベット順とくれば、性格の片鱗も窺(うかが)えるというもの。


(几帳面な方だったのですね……)


 ――などと、驚き感心している場合でもなく。


「アシュリー様にお話がございます」


 部屋の主はソファーの上で体を丸め、クッションで顔を隠している。傍(かたわ)らに立っても、体を起こすでもない。

 それでも「出て行け」とは言われないのだから、話す許可は得たとした。


「先程は、手合わせしてくださりありがとうございました。自分の不甲斐なさ、覚悟のなさを再確認させていただけて、感謝しております」

「……感謝なの? 偉そうな上司の下で働くのは嫌だなー、とかじゃなくて?」

「アシュリー様は、わたくしを正してくださっただけではないですか」

「騎士団、辞めないでくれるんだ……?」

「辞める?」

「アレクが言ってたでしょ。俺のせいで、団員が一時期バカスカ辞めちゃったの。あれには俺も参ったよねー……」

「アシュリー様が悪いわけではないかと」

「ぅんでもさ、アレクに怒られちゃったもん。君は、自分の強さを他の団員にも求めすぎるって。相手を高めたい気持ちを批判はしないけど、いきなりは無理だって。だから、訓練では剣を持たないようにって言われたんだ。……そしたら突然、エマちゃんとやれとか言い出すし」


 ようやく体を起こしたアシュリー様が、口を尖らせながらソファーの生地を、いじいじといじり出す。


「俺としてはさ、嬉しかったのよ。エマちゃんってば俺が予想してたよりすげーいい反応で、久しぶりに興奮しちゃって……。自分でも、あっやばいって気づいて剣を下ろしたら……その態度が逆に、君を怒らせちゃった。あと、手合わせで相手の力量に合わせられないのは、俺の不徳の致すところっていうか修行が足りないっていうか……」


 どうやらこの人は、明るく自由に生きているように見せているだけで、見た目よりも繊細な性格だ。

 面倒くさい人だとも思うが、なかなかに興味深くもある。だからといって、このままでいいはずもない。


「行きましょう、アシュリー様」

「はぇっ!?」


 手を取り強引にソファーから立ち上がらせ連れ出せば、握りしめたままの手を彼は大慌てで振り払おうとした。


「ちょっ、あれっ? ここで握力発揮する!?」

「はい。離したら、またソファーの上で膝を抱えてグチグチと呟かれそうなので」

「俺、そこまで暗くないもん!」

「わたくしも、アシュリー様の明るさは好きです」

「あ――……」


 「あ」の口の形で、アシュリー様の表情が固まっていた。


「わたくしは表情も声色も豊かではなく、アシュリー様のそういう点も尊敬いたしますし、羨ましくもあります。同じようには、決して出来ませんので」

「…………」

「騎士団をやめたいなどとは、欠片も考えておりません。変わらず……いえ、これまで以上、アシュリー様を尊敬しております。いつか、稽古の相手に選んでいただけるよう今後も努めますので――」


 きゅっ、と手を握り返される。「ほんとに?」と問われている気がして、私からも改めて握り返した。


「本心です」

「……っはい。あの、嬉しい……です……」

「それは何よりです」

「はい……」


 ――て、俺は乙女か!

 と、小声とはいえ自分に突っ込んでいるのが聞こえる。


「ふっ……」

「……エマちゃん、笑った? 笑ったよね!?」

「そうですか?」

「うん、笑った! 初めて見た! もっと見たい!」


 私の前に出て、向き合う形で両手を握られ。

 その体勢のまま後ろ向きで歩き続けられては、さすがに転ばないか心配になった。


「危ないです」

「いいのっ。エマちゃんの顔、見てたいんだもん」

「今は笑う要素がないので笑いません。それと、もうついて来る覚悟は出来ているようですが、手を繋いだままなのはなぜでしょう」

「後ろ向きで歩くの、危ないから」

「…………」


 あはっ、と軽やかに笑ったアシュリー様は、ごめんね? と、手を離した。


「ぅんでもどこ行くの?」

「ずっとお茶に誘われていたので」

「それって……」

「こちらの不甲斐なさのお詫びも兼ねて、ご馳走させてください」

「あー……そっちの感情かー……。でもうん……ありがと、嬉しいよ。お勧めある?」

「わたくしが知っているのは、こちらのみです」


 並んで立ち止まり、見上げた建物。


「城の食堂って……」

「美味しいですよ」

「俺、ふたりきりでお茶したいの。ここ、人目ありすぎるじゃん」

「人目があってはいけませんか」

「よくないでしょ。俺が君に迫ってるとこ、ご披露するのは」

「そもそも迫らなければ良いのでは?」

「ぜっったいに無理!」

「ですがわたくしは、ここ以外を知りません」

「んー……じゃあさ。ここで飲み物だけもらって、別の所へご案内するのはあり?」

「もちろんです」


 最近、城下町でも人気だという香りの良いお茶を水筒に入れてもらい戻ると、アシュリー様が「こっち」と案内してくれる。

 いつもの裏庭とは対極の位置にある、別の裏庭。いや、庭と名付けるのもどうかと思うような、雑木林といった場所だ。


 当たり前に人気(ひとけ)はないし、昼間でも薄暗いその雑木林の中を進み、アシュリー様は城壁付近まで私を誘い込んだ。


「はい、到着。俺の秘密基地にご招待」

「これはまた、ずいぶんと味わい深い……」


 秘密基地と名付けられているそれは、見事な廃屋。

 けれどこれも執務室と同じで、室内は綺麗に整えられていた。


「はいどーぞ」


 ソファーにかけられていた布を剥いだアシュリー様が、座るよう促してくれる。

 古いが座り心地は悪くなく、聞こえるのは鳥の鳴き声や木々の葉擦れの音だけというのも悪くなかった。


「なるほど、穴場ですね」

「でしょー? 前王の時代までは、庭師の休憩所だったらしいよ。ぅんでもアレクは興味なくて、俺の好きにしていいって。だからちょいちょい手を加えて、城内にある秘密基地にしちゃったってわけ」


 お茶を飲みながら始まるのは、いつもの質問とは少し違った。


「たまには、君が俺に質問したら? いっつも俺ばっかりだしさ」

「質問ですか……」


 手合わせをしない理由は、もう知った。

 父親のことなど彼の過去を知りたい気持ちはあるが、あまりにも立ち入った話題だ。

 アシュリー様の「質問したら?」に、そこまでの重さはなかった。あくまで日常的な部分での質問を受け付けているのだとしたら、この質問しか思い浮かばない。


「アシュリー様は、おモテになられます」

「へ?」

「町の見回りなどでお嬢様がたから、今日はアシュリー様はいらっしゃらないのですか? と、問われるのです」

「あー……それね。町の子たちのアレは、軽くあしらって大丈夫。一種の熱病みたいなもんで、冷めるのも早いのよ。ほら俺、ご覧の通りで見た目は天使だし職業は騎士団長だし、伴侶もまだいないし」

「選ばれないのですか」

「俺、エマちゃんが好きだって何度も言ってるよね?」

「わたくしも何度かお伝えしております。自分が誰かの伴侶になるという想像が出来ません。結婚したいと思っていないからだと推測しております。これは、相手がアシュリー様でなくとも同じ返事をいたします」

「俺を好きになっても?」

「その状況下にないので、返答しかねます」

「そりゃそうなんだけどさ。可能性ってのもあるじゃない。はいといいえの間にある答えも大事よ?」

「おっしゃる意味は理解出来ますが、これがわたくしなのです。アシュリー様のように軽やかな性格にもなれませんし、陛下のように穏やかな雰囲気も出せません」

「君のそういうところも、俺は好きだけどねー」

「珍しいだけかと。そのうち飽きられます」

「飽きられた経験あんの?」

「恋愛経験も、誰かとお付き合いした経験もないので――……」


 ああ、そうだ。これも伝えておくべきだろうか。


「ちなみにわたくしは、まだ処女です」

「ふぼっ……!」


 お茶を飲んでいたタイミングでの発言だったからか、アシュリー様が盛大にむせた。


「ッゲホ! ごほっ……!」

「大丈夫ですか」

「大丈夫なわけない! つか俺、そこまで聞いてないよ!? 教えてもらったところで、やったー、エマちゃん処女なんだ! とか言わないよ!?」

「伴侶という関係には、性行為も含まれると記憶しておりますが」

「そうなんだけどそうじゃない感……!」

「男性にとって、結婚相手側が処女であるかそうでないかは、重要ではなかったのですか?」

「……月並みな台詞ですが。俺は、エマちゃんがどっちだろうと関係ない」

「では、アシュリー様にご経験は」

「――――」


 唇が、ピクリとも動かなくなる。

 しばらくの沈黙後、アシュリー様はちびちびとお茶を飲みだした。


「……あるにはあるよ。ただ、恋人を作ったことはなくて……」

「あれほどファンがいるのにですか」

「うちの騎士団、恋愛は自由よ。誠実であれ、不義理はしない、相手を敬うといった規則は当然あるけどね。ただ俺の立場上、街で騒いでる子たちに、可愛いからって手を出すわけにいかないのよ。遊びではなく本気だとしても……相手は一般人だもん。その点、きっちり商売としてくれてる女性のほうが、金銭のやり取りで終わる。それだって、ちゃんとした紹介でお願いしてた」

「街の女性だろうと、本気ならば良いのでは?」

「……俺に向けて、一生懸命手を振ってくれる子たちも可愛いよ? 嬉しくもあるよね、誰かからの見える好意っていうのもさ。でも俺、ああいう子たちの想いに応えられない。末永く一緒に、なんて想いにはね」


 小さなテーブルに水筒を置いて、アシュリー様がだらしなくソファーへ背を預ける。


「だって俺は、騎士団長なんだ。騎士団長は有事(ゆうじ)の際、自分の家族よりも真っ先に国王陛下を守りに行く。それっていうのは、一番に死ぬ可能性が高いってこと。嫌でしょ? 自分の夫がいつ死ぬかも分からないのに、家でひとりで待ってるなんて。俺も、自分の奥さんにそんな悲しい思いはさせたくないんだ」


 いつもどおりの笑顔。

 いつもどおりの軽い口調。

 この人は、本心ですら見えないオブラートで、悲しみや辛さを包むのか。

 そんな彼に何か伝えたいのに、その「何か」が判然としない。こんなもどかしさも、私は経験がなかった。


「まーね。国王陛下であるアレクが、騎士は国王のために死ぬのではなく、守るべき弱者のために生きろって考えだからね。俺もこのまま戦のない平和な国であるよう努めるし、簡単に死ぬつもりもないけど死なない保証もない。だから俺は、強い子が好きなの」

「自分の夫が死んでも泣かないような?」

「泣いてくれていいよ。死んだら忘れてくれてもいい。顔も、声も。徐々に記憶から薄れて、名前だけが残るんでもいい」

「それは、あまりにも残された側が悲しいのでは……」

「うん。だから俺は、伴侶に強い子を……君を望んでる」


 彼の背筋がしっかり伸びて、向けられる眼差しも声色も真摯(しんし)であった。


「俺がそういう仕事を持つ男だって、ちゃんと理解してくれてないと駄目なんだよ。だって、俺が死んだら俺は自分の奥さんを守ってあげられない。子供がいたら、その子供も。死んでも大丈夫な環境は作ってあげられても、抱きしめてはあげられない。自分の身を自分で守れる、俺の代わりに子供を守る、それぐらいの強さを持ってないと。そういう意味でも、エマちゃんは超理想」

「強いからですか」

「見た目も大好き。その黒髪を俺が毎朝梳かしてあげたいし、漆黒(オニキス)の瞳で俺だけ見つめてほしい。クールな性格だって大好き。俺、エマちゃんとなら安心して家庭を築ける。これ、プロポーズよ?」

「…………」


 さすがに「ご冗談を」と言える雰囲気でもなく。かろうじて視線は逸らさずにいられたが、すぐに口は動かなかった。


「……とかねー。君が困るの知ってて言っちゃう、俺も俺だよね。完全に拒絶されるまでは……なんてのも、俺の勝手な言い分だし」

「わざと冷たい態度など取りたくありません。ですが、わたくしのこの態度がアシュリー様を惑わせているのだとしたら……」

「冷たくしちゃう?」


 本音を言えば、したくはない。

 出会ってすぐの頃とは違い、彼は良識人であり信念のある、尊敬に値する人物であると私は知っている。

 けれど彼の伴侶になる自分が、やはり脳裏に浮かばなかった。

 ならば、嘘でも冷たくしたほうがいいのだろうか。そうしたら彼は私に遠慮し、今みたいな時間を作ろうとしなくなるのだろうか。


「…………」

「あー……うん、ほんとごめんね?」

「いえ、こちらこそ……」

「…………」

「…………」


 気まずい雰囲気の払い方も分からず完全にうつむいていると、アシュリー様がソファーから飛び立った。


「ちょっと待ってて」


 ひとりきりになれて、フッと体の力が抜ける。


(受け入れられないなら、団長と団員というだけの関係になればいい。アシュリー様も納得し、必要以上、接するのをやめるはず……が、困りました。わたくしは、それがどうやら嫌なようです)


 子猫(キトゥン)の青(ブルー)の瞳が、こちらに向かなくなるのが。

 真っ直ぐな想いが、こちらに向かなくなるのが。

 なのに私は、彼の気持ちに応えられないと言う。

 なのに私は、ふたりきりにもなって相手に期待させてしまっている。


(女としてというより、これは人間として失格なのでは……)


 胸の痛みを減らしたいとため息をついても、減るはずもなく。

 アシュリー様にこの感情を伝えるべきかも迷っていると、ドアが開かれた。


「はい、エマちゃん。これあげる」


 戻って来たアシュリー様の手に、小さな花束。


「前ね、アレクに花でも贈れって言われてさ。本当はもっと綺麗な部屋で、売られてる花束を贈るほうが女の人は嬉しいんだろうけど……俺、エマちゃんは野花なイメージなんだ」

「わたくしが野花……」

「力強く地に足つけて、太陽に向けて花開く感じとかがね。真っ直ぐで強くて…………君は綺麗だよ」

「っ……」


 今までにない甘さを含んだ声色に、耳の奥がくすぐったくなる。


「俺を期待させてるとか、悩まないでいいよ」

「ですが……」

「俺の勝手で独りよがりの感情に、君は振り回されてるだけなんだ。君はなんにも悪くない。ただ、騎士団長じゃない俺って男を知って、それから返事をちょうだい? 俺の想いから、わざと視線を逸らされるほうが辛いよ」

「……はい」


 花束を受け取れば、アシュリー様がパアッと顔全体で喜びを表してくれる。


「ありがとっ。じゃあ、そろそろ戻ろうか」


 ことさら明るく言い。私を部屋まで送ってくれると、アシュリー様は誰にでもそうするように、バイバイと手を振り帰って行った。

 私室で、コップに野花を生ける。可愛らしく綺麗で、彼の目に私はこんなふうに映っているのだとしたら……。


 思い立って、閉じたままの窓から空を見上げる。

 すっかり日は暮れ、姿を表していた月は直視出来た。太陽とは違い、柔らかい光だから直視出来るのだ。


「……アシュリー様」


 その柔らかな強さに触れてみたいと手を伸ばしたのに、私の指は窓の冷たさに阻まれた――。


 **********


 親愛なるお父様、お母様へ


 お父様、お母様、お久しぶりです。 

 以前のお手紙に書かせていただきました、難題の件を覚えていらっしゃるでしょうか。これはクリア出来たと、ご報告させていただきます。

 とはいえ「どうにかクリア」程度でもあり、わたくしには至らぬ点が多すぎると実感しました。今は新人として許されているだけで、そうではなくなった時。私は、アシュリー様の役立つ者となっていたいのです。


 彼は真面目であり、誠実で、尊敬に値します。わたくしも彼のようになりたいと、願わずにはいられません。

 なぜなら、強い彼を守れる者がいないのだと気づいたからです。それは、あまりにも不公平ではないでしょうか。


 アシュリー様は優しい方でもあります。きっと自分よりも相手を守るため、迷わず飛び出すのでしょう。その時に、少しでも彼を守れる者であればと願うのです。


 まだまだやるべきことは多いですが、わたくしの日々は充実しております。

 お父様もお母様も、お体を大事にお過ごしください。また、お手紙させていただきます。


 エマ = ウィルバーフォースより

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