宿敵との仁義なき闘いの前に
……その乙女ゲームが始まる10日前。イヴは宿敵との真っ向対決に向かう戦士の心情でいた。
(必ず勝って、ここに戻ってくる!)
闘いに勝つには、敵を知らねばならない。10年以上闘ってきたイヴは、敵の情報を沢山持っていた。イヴは出陣する前に、敵の攻撃を防ぐ装備の点検を終え、こちらから先に敵に仕掛け、敵の攻撃を防ぐ戦略を練っていた。
用意は万全、決意も固まった。いつでも冷静な気持ちで敵に立ち向かうために、敵に対する戦法を忘れないことが勝利への道だとイヴは考え、もう一度頭の中にそれを刻み込もうと声に出して読み上げ始めた。
「睡眠時間は多くても少なすぎてもいけない。寝ている時に痛くなった時用に、枕元には水差しと鎮痛剤とハチマキを常備しておく。朝、目覚めた時に痛くなかったら、頭痛予防体操を三種行う。痛む時は体操は控える。
散歩の後は、食事と片頭痛予防薬をかかさない。手荷物の中には鎮痛剤とハチマキを必ず用意しておく。鎮痛剤は8時間は間を置き、用法用量を必ず守る。強い日差しを避けるために、外出時は帽子を常時被ること。痛む時は出来るだけ人混み、きつい匂いは避ける。衣服の調節や、日陰を歩くことを心がける。無理はしない、疲れているときは必ず休む。月に10日以上の鎮痛剤の服用は控えること。
学院内で痛みが襲ったときは、担任と保健室の先生に知らせること。少しでも異常を感じたら服用は中止し、医師の診察を受ける。毎日日記を付け、頭痛の回数、頭痛の強さ、服用した薬や対処方法を記録しておき、次の一週間の対策を練る。後、忘れていることはないかしら?」
イヴは荷造りを終えた部屋で、手荷物用の鞄に入れたメモ帳を手に取る。パラパラとめくり、忘れていることはないかと確認していると、部屋に弟達が入ってきた。ロキとソニーは顔はグランに似ているが、その髪色も瞳の色もアンジュにそっくりで、二人共がオレンジ色の瞳を潤ませてイヴに抱きついてくる。
「「姉様、どうしても行っちゃうの?」」
イヴの旅立ちが決まってからというもの、ロキとソニーは赤ちゃん返りを起こしたみたいに、イヴに甘えるようになった。普段は二人とも利発な少年なのに、行かないでと駄々をこねる。イヴは二人のツンツンした赤い短髪の頭を撫でた。
「ごめんね、ロキ、ソニー。これは姉様や父様の悲願なのよ」
ギュッと抱きつかれ、身動きが取れなくなったイヴは二人をキュッと抱きしめ返した。ロキは拗ねた表情を向け、甘えるようにイヴに言った。
「でも姉様、治験は成功したんでしょ?この一年間、姉様と父様は、お家で治験をしていたでしょ?」
ソニーは鼻を啜らせ、イヴにすがるように言った。
「そうだよ、この間、無事に終了して皆でお祝いしたよね?なのにどうして、まだ治験なんかするの?今度は遠い場所で、姉様一人っきりでなんてあんまりだよ!何かあったら、どうするの!」
「二人共寂しがってくれて、私とても嬉しいわ。私も二人に毎日会えなくなるのは、すごく寂しくて辛いです。でもね、人には何が何でもやらなきゃいけない時があるの。今までの一年間の治験はね、沢山の理解者が見守る中、穏やかでのんびりと過ごせる、リン村での治験だったから、私は最高の一年を過ごせたわ。こんなこと初めてで、とても幸せだった。
でもね、私にとっては、これからの一年間が本当の勝負なのよ。沢山の人達の中で、生活を送るとどうなるのか?生活環境が変わると鎮痛剤の効力はどう変わるのか?ライトおじ様の呼びかけに答えて1000名もの人達が、色んな場所で今、鎮痛剤の治験に参加しているという話だったわ。
病気の症状は人それぞれで、私みたいな片頭痛だけではなく、腰痛や関節痛などの人達が体を張って自分達の病と闘っているのよ。私も負けていられないでしょう?ついに、ここまで来たのよ!わかってね、ロキ、ソニー?」
イヴが12才になったとき、ライトとグラン達はついに鎮痛剤を完成させ、多種多様な実験を繰り返し、イヴが14才の時に人による2年間の治験を開始した。頭痛持ちの3人、グランやイヴ、ライトは当然頭痛に対する治験に参加していた。この一年間、3人に鎮痛剤は見事に効果を発揮し、よほどの悪条件が重ならない限り、頭痛はかなりの確率で抑えられることがわかった。
次の一年間は恵まれた環境から離れて治験を行わなければならないということでライトは城に戻り、臨時顧問として城勤めをし、グランも王都の調剤局で働き、イヴはライトの勧めで学院に通う事が決まったのだ。今までは学院は男子のみだったが、ここ数年程前からどこの国の学院も男女共学となっていた。
「心配しなくても大丈夫よ。学院には村にいた子達も先に入学していて、皆、私が着いたら、色々教えてくれるらしいの。兄様達も待ってるって、お手紙が届いたから安心して良いわよ」
弟達を安心させてあげようと言った言葉に、二人はグランそっくりの眉間に皺の表情になって、顔をしかめた。
「え~!あいつらに頼っちゃダメだよ~!!確かに強かったと思うけど、あいつら時々暴走するじゃん!姉様やっぱり行かないで!」
「ダメダメ!狼二人の元に無防備な子リスが突撃かます構図しか浮かんでこない!!僕らが大きくなったら、王都でもどこでも連れて行ってあげるから、行っちゃダメ!」
二人に体を揺さぶられ、イヴは久しぶりに目を回しかけたところへ、セデスが部屋に入ってきて、二人をやんわりとイヴから引きはがした。
「ロキ様、ソニー様、いい加減になさいませ。それ以上イヴ様を困らせるなら、この私が今から二人にお説教をしますよ」
そうセデスが言うとピタッ!!と二人は同時に押し黙った。それまでの駄々をこねていたのが嘘のように、サッと二人はイヴから身を引き、部屋の隅まで飛び退いて、二人で抱き合いながら青い顔色で首を横に振って、セデスのお説教は嫌だとプルプル震えだした。セデスは二人に部屋に戻るように伝え、二人が走り去ると、お行儀がなっていないので、お説教は5分だけ必要ですねとつぶやき、すっかり荷造りの終えたイヴに笑顔を向けた。
「イヴ様、タイノーとイレールが馬車の用意が出来たので荷を積んでもよいかと尋ねておりましたが、ご用意が終わっているようなので、早速これらを積んでもよろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします。いつもありがとうございます。あのセデスさん、私がいない間、皆のことをよろしくお願いいたします。それとセデスさんもあまり無茶はしないでくださいね」
「はい、イヴ様も。……もしも向こうで困ったことがあったら、いつでも帰ってき……、いえ、こう言ってはいけないのですよね。イヴ様は長年の宿敵との闘いに赴くのですから、こういう時はご武運を……というべきでしたね」
「フフッ……そうですわ。私、きっと勝利を手にしますわ!」
「さすがです、イヴ様!何と力強いお言葉でしょう!このセデス、イヴ様がお戻りになられるまで必ずやイヴ様のご期待に添うよう、皆を守っております!それでは、行きましょうか」
荷運びが始まる中、イヴはセデスに小声で囁かれた。
「では姫君、スクイレルを守る忍びの一族、銀色の妖精の守り手を束ねる長として一言。私達の愛する銀色の妖精姫にご武運を。もし学院内で思わぬ敵に出くわしましたら、4才の時のお誕生日を思い出してください。それと向こうで何を見ても聞いても、”死して屍拾う者無し”を貫いてくださいね」
「?はい?よくわからないけど、わかりましたわ、長」
こうしてイヴは3才の時からの宿敵である片頭痛との闘いのため、勇ましくリン村を旅立ったのであった。
その乙女ゲームの主人公であるヒロインはイヴと同じ転生者。しかも前世の記憶があり、その乙女ゲームが大好きだった者だった。ヒロインに転生した彼女は学院は攻略対象者となる男性達との出会いの場所だと思っているし、恋を競う相手は悪役令嬢である、イヴリン・シーノン公爵令嬢だと思っている。
一方、イヴは前世の記憶もなく、自分が乙女ゲームの悪役令嬢だということも知らないまま、自分の持病である片頭痛のせいで貴族になることを辞退していた。なのにイヴは何故かゲームと同じように15才になった今、多くの貴族が通う学院に入学することになってしまっていた。とはいっても、イヴにとって学院は鎮痛剤の治験を受けるために必要な場所であり、イヴの闘う相手は人間ではなく、片頭痛であるのだが。
……その乙女ゲームは、こんな二人の転生者を迎えて始まるのであった。




