シーノン公爵家の忍者と馬車と毒薬と(中編)
この回は、小さな子どもは意外と大人のしていることをよく見ているというお話です。
セドリーは小さなイヴリンが忍び込もうと屋敷の玄関で奮闘する姿を見て、笑いをこらえるのに苦労していた。
4才の小さなイヴリンでは、屋敷のドアノブにさえ手が届かない。一所懸命にその場で跳ねて手を伸ばすが、やはり届かない。扉の前で腕組みして小首をかしげて思案するイヴリンの姿が可愛らしくて、セドリーはいつまでも見ていられると思った。
イヴリンは忍び込みたい……と、口にしつつも、窓や裏口から入るという発想は、はなから持っていないらしく、このままだとイヴリンが自分の家に忍び込むのは……永遠に出来そうになかった。
(うちのイヴリン様は間者や盗人には、まるで向いていない心根をお持ちだから仕方が無いが、これではイヴリン様のやりたいことが出来ないままだ)
セドリーは庭にいたタイノーに目配せを送った。タイノーが玄関に近づいたので、くノ一のイヴリンは、慌てて玄関の横の生け垣に身を隠した。タイノーはイヴリンのお尻が隠れていないのを見て、セドリー同様に笑いを噛み殺しながら、全く気づいていないふりをしながら、大きく扉を開け『あ!しまった。道具を置き忘れてきたから、取りに行こう!』と、大げさに慌てるふりをして、玄関を開けたまま、庭に戻った……ふりをした。
イヴリンは、パァ~!!と輝くような笑顔になって、玄関を通り抜けることに成功して、玄関ホールで喜びの舞を舞ったが、やはり2回、その場をクルリクルリと回るだけで……目を回して転んでしまった。
((イヴリン様は、運動があまり得意ではないのかもしれないな。心身ともに間者や盗人、武芸関連には全く向いておられないのだろう……))
運動神経が鈍い……、所謂、運動音痴だとは口が裂けても言わない心優しい彼等は、その後もハラハラしながら、イヴリンを見守った。イヴリンを見守る役目は、セドリーだけだったにも係わらず、イヴリンが屋敷中の部屋を一通り回る頃には……一族全員11人が揃ってしまっていた。
「ああ、どうして何も置いていない廊下でお転びに!?下には何もないのに!?私、磨きすぎてしまったかしら?」
「二階のテラスの柵の間がイヴリン様には広すぎる!ああっ!!あんなに身を乗り出されて!!万が一落ちたら大変だ!!サリー、テラスからイヴリン様を中に入るように誘導してきて!!イレールとアダムは、この後の二階の部屋からテラスには入れないように施錠してきて!!」
「客室の浴槽を覗かれているぞ!ノーイエ、すぐに用事のあるフリをしながら、イヴリン様を浴室から出て行くように仕向けてきてくれ!!エチータンは直ぐ隣の部屋を封鎖!浴室などの危険な場所には鍵を掛けて、入れないようにしてから、開放!」
「ああ、客室のクローゼットに入り込んでおられるぞ!?あれは中からは開けられないようになっているんだ!アイビー、直ぐ行って片付けるフリをして開けてきて!」
……と、こんな感じで、いつも見慣れた屋敷だというのに、使用人達はイヴリンを通してみると、屋敷の中が、まるで見知らぬ危険な場所であるかのように見えて、ハラハラドキドキが止まらなくなった。
気をつけているつもりだったが、4才児目線で屋敷を見ると、イヴリンに危険を与える箇所はいくつもあったことに、彼らは衝撃を受けたと共に、普段大人しく読書をしているイヴリンも、他の子どもと同様に4才児の好奇心のままに行動することもあるのかと、セデス達はイヴリンが小さな子どもだということを再認識させられた。
セデスが仕込んだ宝物を全部見つけたイヴリンが全ての部屋を回ったときには、普段は絶対感じない疲労感というモノを感じていた皆は、イヴリンの次の言葉で凍り付いてしまった。
「さぁ、次は天井ですわ!アイは前に天井を制覇してこその忍者だと言っていたわ!……大丈夫よ、イヴリン!お爺さんのセデスさんやマーサさん達が皆やっていましたもの!私だって、出来るはずです!……えっと、たしか食堂の……暖炉のここに隠しボタンがあるんでしたよね。ありましたわ!押してみましょう!えい!……あ、ピ!という音と一緒に出てきました、隠し梯子!やりましたわ!さぁ、これを上っていきましょう!」
(((うわぁ~、た、大変だ!イヴリン様が……!?)))
悲鳴を押し殺し、イヴリンの様子を見守る皆は、梯子の段の幅が短いことで、小さなイヴリンでも簡単に梯子が上れてしまったので、非常に慌てだした。
(大変だ!天井に仕掛けた防犯用の罠は、そのままだった!!イヴリン様が危ない!!)
小さなイヴリンに隠し梯子の存在まで知られていたことに、影の一族としての自信喪失をしている場合ではない!と、影の一族達はイヴリンが天井の中に入ろうとしているのを見て、セドリーを除き、他の隠し梯子へと向かい、大急ぎで罠の解除に取りかかった。
セドリーはイヴリンが引き返すことを想定して待機していたが、天井に入ったはずのイヴリンが、一向に動き出す様子がまるでなく、心配になってきた。
もし、また痛みで動けなくなっていたら?……と思うといてもたってもいられず、梯子を上ったセドリーは、そこでプルプル震えて、ダンゴムシのように丸くなっているイヴリンを見つけた。
「イヴリン様。どうされましたか?」
セドリーの声に、パッと顔を上げたイヴリンは泣いていた。
「うっうっ……、しぇどりーしゃ~ん!!こわかったです~!!」
イヴリンは泣きながら、セドリーに助けを求めた。セドリーはそれを聞くやいなや、すぐに腹ばいになって、イヴリンの元へ向かった。
天井の中は真っ暗で、どこに向かえばいいのかわからない。戻ろうにも梯子のある場所から下を覗けば、急に怖くなって腰が抜けてしまい、下に下りる事も出来ない。イヴリンは困り果てて悲しい気持ちになってしまったのだと泣きながら、セドリーに説明する。セドリーはイヴリンを抱き上げて、梯子を下りる前に声を掛けた。
「イヴリン様。梯子を下りるときに下を見ると怖いのでしょう?私が安全に下ろしますから、良いと言うまで目をつぶっていてくださいね」
「うっ……、うっ……、あ、ありがとうございます。……私、皆みたいに……出来ませんでした。シュタタタッ……って、夜中にセドリーさん達みたいに、かっこよく忍者が出来なかったです。
……今日、ちゃんと出来たら、私も皆の仲間に入れてもらって、もっと仲良しになってと言えましたのに……。迷惑かけてごめんなさい、セドリーさん。後で皆にも謝らないと……いけませんね。うっ……うっ……本当にごめんなさい」
「いえ、迷惑なんて少しも思ってはいませんので、どうかお泣きにならないでください。……そうですか、イヴリン様は私達ともっと仲良しになりたいと思っていらっしゃったのですね……。俺は、いえ私はそれがすごく嬉しいです……本当に泣きたいほど嬉しいです!
大丈夫ですよ、イヴリン様!皆はイヴリン様をお慕いしております!私も……畏れ多いことですが、我が子のようにイヴリン様が大事だといつも思っておりますよ!」
「はい、……ありがとうです、セドリーさん。あのね、私もセドリーさん、大好きです。皆、すごく大好きです。……今日は痛くなかったから、いっぱい動けましたのに、忍者は、私には無理でした……」
セドリーはゆっくり梯子を下り、目をつむったまま静かに泣くイヴリンを、しばらくその状態で抱きしめていた。
身分差がある故、よほどの事がないかぎり、セドリーが公爵家の神様の子どもであるイヴリンを抱きしめることは、普段は出来ない。どれだけ我が子のように大事に慈しんでいようとも、抱き上げることも叶わなかったから、セドリーは、この短い抱擁をしばし味わい、自分が守る小さいイヴリンの体温を、自身の魂に刻み込む気持ちでいた。
(俺達はイヴリン様に嫌われていなかった……。俺達の仲間になりたいとは、何ともったいない、お言葉をくれるのか……。これが俺達が、心からお仕えする姫君。優しく可愛らしいイヴリン様。これからもずっと俺達は、イヴリン様をお守りいたしますからね……)
天井の中でイヴリンの気配が動く様子もなかったので、他の仲間がセドリーが救出したかと食堂に向かえば、イヴリンは泣き疲れてセドリーの腕の中で眠っていた。セドリーの報告を聞き、セデス達はイヴリンの心を知り、一時感動に打ち震え、また天井の罠を設置した後、隠し梯子のボタンをイヴリンの手の届かない高さに設置し直すことにした。
この時の経験から、イヴリンは運動があまり得意ではないという事実が新たにわかったので、イヴリンが公爵令嬢になったときに、イヴリンは馬車の急な揺れに対処できないのでは無いか?自分で2回、その場をクルリと回っただけで、目を回して転んでしまうイヴリンは、その揺れ自体にも弱いのではないだろうか?……とセデス達は考え、心配した。
そこで、5才になったら屋敷の外に出て、貴族の社交をしなければならないイヴリンのために、彼等はイミルグランに、新しい馬車の製作を打診した。イミルグランもイヴリンと出かけることを楽しみに思い、セデス達の打診を了承した。
それが、今乗っているイヴリン専用の馬車だった。後は公爵家の馬車として、外装を白く塗装し、家紋を入れるだけだった、この贈り物が今回役立ったのだ。イミルグランの話を聞いたアンジュリーナは前世のアイを思い出した。
(そういやアイは幼い頃、三半規管が未熟で乗り物酔いをよくしてた。……それに、運動神経は確かにに少し……いや、かなり鈍かった……)
「この時の4才のイヴリンのお誕生日のごっこ遊びは、後の二つの利に繋がったんだ。一つ目はイヴリンのための馬車を作る必要性を見つけたこと。もう一つは、またイヴリンがセデス達の気付かない所で怪我をしないように屋敷の設備を見直し、改装し、天井にも入らないように日に二度、天井の中を点検するようになったことで、屋敷の警備はより強固になったとセデス達は喜んでいたんだ」
イミルグランは、にこやかにそう言って話し終えた。アンジュとミグシリアスは、一瞬視線を絡ませた後、イミルグランに視線を戻す。……そう、セデス達は、そのイヴリンのごっこ遊びから学んだ教訓を忘れずに天井の中の警備も真面目にしていたおかげで……そのガラスの小瓶をミグシリアスが隠した日の夜に、すでに見つけて、中身をすり替えていた。
そしてセデス達は、ミグシリアスの動向を注意深く見守っていた。だからカロンと対峙しようとしたミグシリアスの前にセデスは現れることが出来たのだ。
※小さい子どもは、安全なはずの自分の家での怪我も多いと聞きますし、シートベルト(ベビーシート・チャイルドシート)を付けていないままで、もし交通事故になったらと思うと怖いです。なので世界観を無視していようとも、馬車にシートベルトを装備させてしまいました。イヴリンを大事に思う彼らなら、これぐらいのこと考えつきそうですし……。




