シーノン公爵家の忍者と馬車と毒薬と(前編)
主人一家をセデスとマーサに任せ、馬に乗る彼等は他の仲間と共に、北方へと裏工作するため向かっていた。彼等、影の一族は王のためなら、一人で100人の働きが出来るほどの体力も気力も持ち合わせていたのだ。
今の彼等の見た目は、昨日までの白髪黒目の老人姿ではなかった。彼等の実年齢はイミルグランより5才から14才ほど上なだけの中高年で、今の髪色はへディック国に一番多い茶髪で瞳は黒かったが、この髪色でさえも昨日までの白髪のように擬態でしかなく、本当の髪の色ではなかった。バッファー国に着くまで、目立たないようにとの配慮で染めているだけで、彼等の本当の姿はミグシリアスと同じ黒髪黒目だった。侯爵や前王ナロンが、黒髪黒目の弟を陥れるための魔性の者の噂の捏造は、ナロン達の悪事を知る影の一族を炙り出すためのものでもあったのだ。
始祖王の時代から代々、王を守護する一族は今、イミルグランを王として定め、忠誠を尽くす。そして王の愛娘のイヴリン自身にも、彼等は心からの忠誠を誓って……いや、それ以上の親愛をイヴリンに対し持ってしまったのだ。
セデス達は主従の域を超え、まるで我が娘、我が孫娘であるかのようにイヴリンを大切に慈しんでいた。だから5才になって、神様の子どもからイミルグランの子どもになるイヴリンのため、5才のお誕生日のお祝いの贈り物を一年も前から用意していた。
イミルグランはイヴリンを抱えたまま馬車に乗ると、先に乗ってイヴリンのために子供用の座席の固定をしていたマーサが頭を下げ、イヴリンを受け取った。馬車の車内で進行方向に向かって、一番右奥にその席は用意されていた。小さなイヴリンをそこに座らせると、身体が揺れで振り落とされないように、マーサは幅広の帯でイヴリンが苦しくないように調節した後、帯を固定した。
「イヴリン様、もし、ご気分が優れないときは、上の紐を引っ張って下さいね!」
「ありがとう!マーサさん!私、馬車に乗るの初めて!」
喜ぶイヴリンの横をミグシリアスが座り、マーサは彼にも急ごしらえの固定帯を止めて、頭を下げると馬車から出て、馬車の扉を閉めると、前の馭者席に向かっていった。子どもと向かい合う席に、イミルグランがアンジュリーナを先に座らせて、彼女の体を帯で固定すると自身もアンジュリーナの横の席に座り、帯を巻き、自身の身を固定した。
前世の記憶にある、チャイルドシートやシートベルトに似たそれに、アンジュリーナは驚きを押し殺し、イミルグランに怪訝な表情を見せた。アンジュリーナの知る限り、へディック国の馬車に安全のための固定帯などついているのを見たことは一度もないし、そんな噂話だって耳にしたことはなかったからだ。実際、ミグシリアスも帯を不思議そうに触って、これは何だろうね?とイヴリンと話している。怪訝な表情を浮かべるアンジュリーナや不思議そうな様子のミグシリアスの疑問も当然だろうとイミルグランは言い、これらはセデス達が一年前から用意していたイヴリン専用の馬車なのだと説明を始めた。
シーノン公爵家の大人達は、3才のイヴリンに初めての激痛が頭に起きたときに、何も出来なかったことを……とても悔いていた。イミルグランは仕事で屋敷にいなかったことを後悔し、セデス達は身分差故、抱きしめて安心させることも、イヴリンの痛みを理解する医師や治す薬さえ、見つけられなかったことを後悔していた。……特にセデスは彼等の王であるイミルグランに、イヴリンの望みは全て叶えるようにと言われていたのに、助けを求めるその手を握ることが出来なかったことを大いに後悔していたのだ。
イヴリンが2才の誕生日に願ったことは、屋敷の図書室の本を読む許可だった。イヴリンが3才の誕生日の時は、ノーイエに一度でいいから肩車をしてほしいというお願いだった(ちなみに影の一族で一番背の高いノーイエは、このお願いを聞いて、嬉しさのあまり泣きながら狂喜乱舞し、他の者はノーイエを羨ましがった)。そしてイヴリンの4才のお誕生日にイヴリンが強請った物は……額に巻くリボンのみだった。
本を読む許可に肩車、そして今年はリボンのみ……この国で一番裕福な家の神様の子どもが願う物は、何と欲のない物ばかりだろうとマーサ達が話す横でセデスは、このリボンに既視感を感じた。……何故ならばイミルグランも4才の頃、母親の白いリボンで頭をきつく縛って欲しいと、セデスに何度も頼んでいたからだ。
イヴリンは欲がないのではなく、痛みを少しでも感じないようにするために必要なリボンが、どうしても欲しかったのだ。セデスはイミルグランに、このことを報告した。するとイミルグランは、不機嫌顔をさらにしかめた。イミルグランが顔をしかめたのは、日常生活を過ごすために必要なリボンなど、言ってくれれば直ぐにでも用意したのに、イヴリンは自分の誕生日まで言わずに一人で痛みを我慢していたということが明らかになったからだった。
イミルグランも屋敷の使用人達もそれを知って、とても悲しくなった。3才の時の激痛を一人でやりすごしたイヴリンは、あの時イヴリンを助けることが出来なかった自分達を信用出来なくなったのではないだろうか?と激しい後悔と自責の念に駆られた。小さなイヴリンが、アイという心の中の友達だけを頼りに……アイという自分自身だけを信用して、頭の痛みを誕生日が来るまで堪え忍んでいたなんて、あまりにも悲しくて……切なすぎた。
娘を愛するイミルグランは、何か他にイヴリンを喜ばせるモノはないだろうか?あったら、どんなモノでも手に入れてくれ、もしくは、やりたいことでもかまわないから、もう一つイヴリンが喜ぶ贈り物をやってくれとセデスに命じ、セデス達もまた娘同様に愛しているイヴリンのためならば、それを得るために死力を尽くすと、その命を心から快諾した。
セデスに、「もう一つお願いごとをしてもいいですよ、物で無くてもやりたいことでもいいですよ……」と言われたイヴリンは「え?もう一つ言ってもいいの?」と目を丸くさせて驚いた後、「本当に……いいのですか?」と頬を赤らめてモジモジし出した。
恥じらいながらも期待するような眼差しでセデスを見上げるイヴリンの可愛らしい姿を見て、目を細めたセデスは、「遠慮せずに言ってみて下さい」と再度尋ねると、真っ赤になったイヴリンは、生まれて初めてセデス達に、あるお強請りを口にしたのだ。
そのお強請りが……後に一年がかりでイヴリン専用の馬車の制作にセデス達が取りかかる理由になった。
「私、一度でいいから忍者になって、巻物に書かれた宝物を見つけるために家に忍び込んでみたいんです!お願いします!私も忍者にしてください!」
イヴリンの言葉を聞いたセデスは、目をパチクリさせた。
「あの、イヴリン様?わざわざ忍び込まなくても、このお屋敷はイヴリン様のお家なのですから、どうぞ、どこでもご自由に歩かれて宜しいんですよ?」
「違うんです、あのね、セデスさん。私は忍者になって……」
しゃがんでイヴリンと目線を合わせたセデスは、一生懸命に自分のしてみたいことを話すイヴリンの話を最後まで聞いて、頷いた。
「ふむ。アレですね。旦那様の昔おっしゃったスパイと同義語ですね。理解しました。イヴリン様の初めてのお強請り……、わかりました!我らが全力でイヴリン様を忍者なるモノにしてみせます!!皆、イヴリン様の希望通りに!」
30分後。サリーによって作られたそれは、淡いピンクの忍者服。アイビーによって結われた、痛くないお団子頭に、イヴリンの額にはイミルグランが選んだ誕生日のお祝いの白いリボンがハチマキのようにして巻かれていた。マーサは、イレールが作った小道具……イヴリンの説明に出てきた、忍者にはかかせないという巻物なる小道具をイヴリンに手渡した。
「ではイヴリン様……、ああ、違いました、ではくノ一イヴリン?様、使命頑張って下さいね?」
「はい、『お館様のためならば、このイヴリン命に代えても!!』ですわ。じゃ、いってきまーす!!」
イヴリンは、ご機嫌で玄関の外へスキップで向かった。ちょっとリズムがややずれた、そのスキップも可愛らしいと、3人のメイド達は、にこやかにそれを見送る。
「イヴリン様、あんなにお喜びになって……」
「本当にイヴリン様のお強請りなんて、初めて聞きましたわ!何だかすごく嬉しいですわね!!」
「それにしてもくノ一とは何のことでしょうか?イヴリン様の説明では、間者のような印象でしたけど、あのように目立つ格好の間者などいませんし……」
「イヴリン様は読書好きですから、何かの物語の登場人物の名前かもしれませんね。……まぁ、所謂、探検ごっこみたいなものなんでしょうね。子どもというのはああいう……ごっこ遊びが好きですからね。それよりもイヴリン様が怪我をしないように、もう一度屋敷の点検をしなくては……」
「エチータン達から、仕込んでいた罠の解除を済ませたと報告があったわ!後、イヴリン様に喜んでもらおうと長が宝物をいくつか仕込んでいたわよ!それに危険がないようにセドリーに、イヴリン様に気づかれないように護衛させるって!」
「それはきっと、お喜びになられるでしょうね。それに探検はお屋敷の中だけだもの。イヴリン様が危険なことにはならないでしょうから、安心ね」
……所がである。万全の体制で望んだ、ごっこ遊びのはずなのに、その後20分も経たない内にセデス達11人は、未だかつてないくらいの緊張感を強いられることになったのだ。




