シーノン公爵家の使用人の秘密(後編)
『復讐を考えたことはないのか?』
ナィールは、この質問を二度セデスにした。最初の質問はナィールが12才の時だった。
4才のころから、イミルグランとナィールに己の持つ格闘術を教えていたが、健康な体を持ち、何でも器用にこなすナィールと、体はどこも悪くないはずなのに、体に不調を感じるイミルグランでは、その実力の差は明らかだった。
「ハァ~、またナィールに負けてしまったな、私は……。ナィールは強いなぁ。私も……もっと努力に耐えられる体だったら良かったのに」
「仕方ないさ、また頭が痛い体調不良なんだろう?大丈夫だよ、イミルグラン。いざとなったら俺がイミルグランを守るからさ!俺はお前の忠実な家来になって、一生お前の傍にいて、ずっと主人であるお前を守ってやるって決めてるんだから、心配するな!」
気落ちした声で落ち込んだ様子のイミルグランの肩をポンポンと優しく叩きながら、明るく笑うナィールは、いつもそう言って自分の乳兄弟で親友、そして将来の自分の主を慰めていた。ナィールは本当に心の底から、いつもそう思っていたのだ。だから、正体不明な老人の正体を……自分達の師となっているセデスの正体を知りたいと、ある日イミルグランが部屋を暗くして籠もっている時を見計らってナィールは、セデスを問い詰めてきた。
「セデス先生が俺達に色々教えてくれているのには感謝してる!でも、さ。本にもどこにも先生の教えてくれる格闘術なんて載ってない!勉強だって、教科書の中身よりも先生の方が詳しいよね!先生は何なの?年寄りにしか見えないけど、違うよね?本当は何者なの?イミルグランに先生の事を聞いても、『さぁ、昔のことは聞いていないし、興味もないなぁ……。私にとっては、今セデスがここにいて、私が求める長い布や、ハーブティーを黙って差し出してくれるってだけで充分だ』なんて言いながら、のんきに苦い茶を飲んでいるだけだしさ……。
ねぇ、セデス先生はイミルグランの味方だって、信じて良いの?俺さ、イミルグランを守りたいんだ!あいつは体の不調さえなかったら、俺より格闘も強いはずなんだ!あいつは賢くて真面目で、優しくて、すっごくいい奴だろ!だからイミルグランは絶対に、将来いい公爵様になる!
でも、親戚連中はいつもあいつを狙ってるし、あいつの体の不調の原因はわからないままだし、俺さ、あいつがすごく心配なんだ。だからさ、イミルグランが出来ない分は俺がやってやろうと思っているし、あいつを一生傍で支えていくって俺は決めたんだよ!だから先生がイミルグランの味方なのかどうかを俺は知らなきゃいけないんだ!」
12才の少年の瞳は、真っ直ぐにセデスを見つめていた。乳兄弟で親友、そして将来は公爵になる彼を支える忠臣になる。ナィールの瞳には強い意志と明るい未来を夢見る少年の無垢な願いが宿っていた。
セデスは、こういうときのために真実ではない答えを沢山持ち合わせていたにも係わらず、その純粋さに対して、馬鹿正直にナィールに答えてしまった。多分、その時のナィールの真っ直ぐさが、セデスが惹かれてやまないイミルグランの真っ直ぐさと似ていたからかもしれない。
12才の少年に影の一族の罪を告白し終えると、ナィールはまるで自分がどこかに大怪我をしているかのように、苦しげな表情になりながら言ったのだ。
『復讐を考えたことはないのか?』
この時、セデスは彼に否と答えた。自分の親世代の影の一族を罠に嵌めて、口封じに一族の皆殺しを謀った今の王家を作った奴らに憎しみを感じないわけではないが、騙された一族にも非がないわけではないし、残された子ども達を無事生き延びさせることが、影の一族の最後の長としてのセデスの願いだった。
「ふ~ん……、まぁ、よくわかんないけど、イミルグランに手を出さないなら、いいっか……」
その事を説明すれば、理解はしても共感はしていないような、釈然としない表情だったが、一応ナィールは無理矢理納得してくれた。
納得しなかったのは、2度目の質問の時だった。セデスが声を掛け、他家で働いていた、残りの一族の全てがイミルグランとの面談を済ませた結果、彼を新しい、自分達の王とすると認めたので、他家からここに移って、シーノン公爵邸の使用人として働いていた。弁護士の挨拶の帰り、その事に目聡く気づいたナィールだった男は、皆にあの質問をした。そして皆がセデスと同様に否と答えた途端、ナィールはセデス達を責めた。
「あんた達は腰抜けなのか!負け犬なのか!親を殺されたんだろう!?仲間を!同胞を!……愛しい人を失ったんだろう?何であんた達は復讐しようとしないんだ!?一族を騙したナロン王達が憎くないのか!
自分達を欺いた貴族に、一矢報いてやろうと思わないのか!?悔しくないのか!憎くないのか!腸が煮えくりかえる怒りに、どうして身をまかせないんだ!!悔しくて、悲しくて、憎くて、この我が身が張り裂けそうな痛みを味わわせた相手に、同じ思いを味わわせてやろうと思わないのか!」
セデス達を責める言葉は、彼自身の叫びだった。12才の時の無垢さは消え、瞳には明るい未来はなく、あの時とは違う強い意志が剣呑にぎらついていた。目の前にいる青年は、過去の自分達の姿だった。
一族の大人達が亡くなってしまったのは、一番上のセデスが15才、下の者はまだ10才の時だった。自分達はまだまだ子どもで、復讐するには成長しなければ話にもならなかった。11人は一族を亡くした哀しみや憎しみ、後悔、不安、その他様々な負の感情に押しつぶされそうになりながら、必死に励まし合って生きてきた。
……でも、残された11人は最終的に復讐を選ばなかった。
「私達は守らなきゃいけない王に出会ってしまったんだよ。復讐よりも何よりも、私達が心から守り、支え、仕えたいと思える王に出会ってしまったんだ。影の一族は自分達の命よりも、王の幸せを望む一族なのさ」
ナィールだった男は、黙り込んだ。11人が誰を王としたのか、聞くまでもなかったからだ。彼らが王と決めた男は、かつて自分も、自分の主にと望んでいた男なのだから……。
「俺は……あんた達とは違う、俺は……」
「そうだな、お前は私達とは違う修羅の道を選んだ。それを私達は、とやかくは言わない。ただ……、
体調不良で苦しむイミルグラン様を巻き込むな!王に危害を加えるなら、私達は全力でお前を潰す!」
「……わかった。あいつを……イミルグランを俺の分も頼む……頼みます」
ナィールは復讐のために悪魔になった。イミルグランとセデスは悪魔になった彼を止めずに、影の一族の秘伝とも言うべき変声術と変装術を与えた。悪魔になった彼の悲劇故に、彼の復讐に手を貸してしまった。そして悪魔は復讐のためなら、自分の親友だったイミルグランを殺してしまうかもしれない。セデスは牽制をして彼を見つめた。
あの時のカロンの暗い眼差しが忘れられなかった……。
昨日、イミルグランの決意を聞いたカロンは憑き物が落ちたかのように、それまで纏っていた、張り詰めたような緊張感が失せて、屋敷から出て行った。
逆にミグシリアスは、何日か前にカロンに会ってから思い詰めた表情をしていたのが、さらにイヴリンの
告白を聞いた後、決死の覚悟を決めた表情でカロンの後を追っていった。
あれでミグシリアスが悩んでいたことは把握していたので、ついて行こうとしたところ、屋敷の前で、出て行ったはずの武人姿のアンジュリーナに出会い、あれが予想通りの代物だと判明し……セデスは、15年ぶりに師として教え子に少々お説教をした。
そして今日、カロンは最初から最後までナィールだった。あの12才の時の澄んだ少年の瞳で、彼は親友のイミルグランと別れの抱擁をしていた。
今日でシーノン公爵家は終わる。今日で完全にナィールは消える。国を出ても、自分達11名の影の一族はイミルグランと共にある。だからイミルグランの心にいるナィールを自分達一族も忘れないだろう。馭者となって馬を走らせるセデスの目に、国境が見えてきた。
さようなら、私のもう一人の教え子よ。さようなら、私の王だったかもしれない者よ。これからの君の往く道が、どれだけ血塗られていようとも、君が王の守り手で、王の親友だったことを我らは、けして忘れはしない。最後の最後で親友の命を選んだ君の良心を、我らは無駄にはしない。さようなら、12人目の王の守り手よ!
セデスが、どうやってあれを見つけたかは、次回のお話で・・・。




