1065.「亡きひとを知るために」
メイドに案内されて応接室に通されると、すでに四人がソファに座っていた。
ひとりはヨハン。対のソファにラクローと漆黒の鎧――すなわちベアトリスである。双方の間に配されたローテーブルにはなにもない。身体のほぼすべてを失ったベアトリスへの配慮だろう。おそらく。
そしてもうひとりはベアトリスの斜め後ろで佇立していた。といっても猫背である。眼鏡をかけた長身の姿。肌の色は紫。
ベアトリスの従者カイルだ。
わたしがメイドと土いじりをしている間に、万事席を整えておいたらしい。
「それで、話とはなんだ」
ベアトリスの声は普段の高圧的な調子に混じって、少しばかり憂愁な色合いが入り込んでいた。落胆をなんとか誤魔化している印象である。無感情ゆえ、こんな推量はアテにならないが、なるべく他人の様子からそれらしいものを、過去の記憶をベースに引っ張ってくるよう心がけているのだ。そうでもしないと今のわたしは間抜けなコミュニケーションしか出来ないだろうから。
「端的に申し上げますと、カイルさんにラブロマンスを執筆していただきたいのです」
ラクローが首を傾げ、片目だけのベアトリスがヨハンを睨む。ただ、その眼差しにも気落ちが透けているように見えた。
王城でヨハンが語った『ラブロマンスに目がない使用人』がカイルを指しているのは、なんとなく察していた。誰にも内緒で執筆活動に励んでいると当人が語ったのを覚えている。
カイルは前のめりになりつつも主君の横まで素早く移動し、跪いた。
「いかがいたしましょう、旦那様」
従者の眼が輝いている。彼の意志はその一点だけでも雄弁だ。
「好きにするといい。従者の役目を疎かにしなければ、あとはお前の自由だ」
許しを得たカイルはサッとヨハンに向き直る。
「書きます! 是非とも! 腹案は山ほどございますし、なんならこれまで執筆した内容をご覧に入れましょうか!? 旦那様! 一度ヘイズに戻ってもよろしいでしょうか? 参考用の短編をひと抱えほど持ち込んで、率直な意見を伺いたいのです!」
かくしてカイルが一時的にヘイズへと戻っている間、『転移道具』の話題になった。ラクロー曰く地下の『転移道具』は閉鎖されており、マグオート側からは稼働不可とのこと。しかし誤情報――というよりベアトリス卿の慎重さゆえ、実は動かせると明かされた。
「無論、誰でも使えるわけではない。ヘイズの者が認証してはじめて転移が可能になる。下手に動かそうものなら壊れるだろうな」
戦場にいなかったカイルがこの場にいたのも、一時的にヘイズに戻ったのも、そうした機構に基づいているらしい。
戦時中に『転移道具』を封じたのは妥当だ。マグオートが襲撃された際、ラガニアの流刑地との繋がりが発覚すれば重大な問題となるだろう。
「ところで……イアゼル卿はどんな人物だったか、率直に聞かせてくれ。ラクローからは一切を聞きおよんでいるが、メフィスト、お前は彼に会ったことがあるか?」
「ありませんよ。ただ、良い噂は聞きませんでした。なんでも領地の者を洗脳していたとか」
「……だろうな」
ベアトリスの声はすっかり沈んでいる。
「ねえ、ベアトリス卿。そのイアゼル卿って貴方の友達なのかしら」
ベアトリスは視線を俯けたまま、首を横に振った。
「なんら親交はなかった。だが、毒色原野でイアゼルの乳母が言ったのだ。彼が俺の異父兄弟だと。ただ、接触は戦後にしてくれと頼まれた。イアゼルは実母を知らんらしい。どうしてかヘイズにいると確信していたようだ。実際、母は最近まで存在してはいた」
地図を思い描き、ベアトリスが失意に沈んでいる本当の理由を悟った。イアゼルはマグオートを制圧したのちに亡くなっている。この町に記された髑髏のマークが証拠だ。
夜会卿に敗れたことより、イアゼルの死を悲しんでいるのだろう、彼は。ベアトリスとイアゼルに面識がないのは想像出来る。なにしろ前者は流刑地内の秘匿された地下都市に住んでいるのだから、顔を合わす機会さえない。
悲しみを感じるのが自然だと思う。たぶん。
「……残念だったわね。とても」
それらしい表情と声で呟いた。ベアトリスとは視線を合わせず、俯いたまま。これが正しい反応のはず。
ベアトリスはなにも言わない。わたしの演技に瑕疵はないと思うが、もし嘘だと看破したなら腹を立てるだろう。相手が黙っているあたり、こちらの態度が通用しているのだと考えよう。
沈黙を引き取ったのはラクローだ。
「ベアトリス卿にはすでにお伝えしましたが、イアゼル卿は我々を襲う気などなかった。ただただ、母を求めてこの地に来たのです。洗脳魔術を拡散して皆を幸福にしたのが証左と言えます」
しかし、洗脳を突破した者がいた。彼らの活躍でイアゼルは撤退を余儀なくされたとの話。どこまで本当かは謎だが、イアゼルはこの地で討たれたのでなく、ましてやマグオートが追手を出して討伐したわけでもないらしい。どこかで落命した。
会話の隙を縫って、ヨハンが話題を変えた。
「洗脳魔術の拡散ですか。どうやっておこなったのでしょう」
「それは、喇叭の貴品によってです。お持ちしましょうか?」
「ええ。是非とも」
しばし席を離れ、町長はすぐに戻ってきた。手には金色の喇叭。一目で魔具――すなわち貴品だと知れた。
「なるほど」とヨハンは喇叭を手に、目を眇めて観察している。「グレキランス流に言うなら魔具ですね。魔道具ではなく」
双方の違いは物品に宿る魔力の複雑さで分かる。基本的に魔具は魔力を吸い上げて稼働するため、複雑な機構が多い。かつ繊細だ。魔術師が扱おうとすれば構造が瓦解する程度には。
他方、魔道具は空気中の魔力、あるいは持ち手の魔力を少量だけ用いるため、単純で頑強な構造になっている。どのような魔力が流れ込んできても安定した出力を発揮出来るのは、ひとえに内部の回路が過剰な魔力を逃がす仕組みになっているからだ。それでいて微小な魔力でも動作可能なほど魔力の吸収効率が高い。
「これはベアトリス卿にお渡しすべきですな」とヨハンは呟いた。
その意味は明白だ。イアゼルの遺品にも等しいのだから。
しかし、とヨハンは続ける。
「しばしお借りしてもよろしいでしょうか。傷ひとつ付けないと誓います」
「……かまわん」
ベアトリスは依然として消沈している。彼はイアゼルについて、多くのことを知らないのだ。マグオートで起きた事柄やヨハンの言を耳にしても、断片的な印象しか持てないだろう。イアゼルの過去を集めようにも、領民が洗脳されているのなら正確な証言は得られまい。術者であるイアゼルが亡くなっている以上、洗脳は解除されていると思われるが、完全に元の状態に戻ったと言えるかは怪しいものだ。つまり、いくら聞き込みをしたところで真に受けるに値する情報とは見做せない。
「ベアトリス卿」顔を上げて呼びかける。片目がわたしを捉えた。「イアゼル卿の領地に、彼についての文献が残ってるかもしれないわ」
これは単なる慰めでなく、現実的なアドバイスだ。イアゼルの領地に、彼に関する文書がなにも残っていない可能性のほうが低い。どのような動機であれ戦争に赴いたのだ。回顧録のひとつくらい残されていても不自然ではない。たとえ血族側の勝利が確定的だとしても、自分が生き残る保証はないのだから。
イアゼル当人が筆を執らずとも、側仕えの誰かが記録を残しているかもしれない。
「しかし私は流刑者だ。流刑地を離れる自由を持たない。イアゼル卿の領地への訪問は叶わん」
「そうでもないんじゃない? あなたは流刑地を抜けてグレキランスまで来たのよね?」
「それは例外だ。首都ラガニアの許しにより出征が認められたに過ぎん。このようなケースは金輪際ないだろう」
「それなら、もっと簡単な方法があるわ。これからあなたたちはラガニアに帰る。そこまでの道中でイアゼル卿の領地を訪問すればいいんじゃない?」
ベアトリスは険のある目付きでこちらを見返している。
「それは領地侵犯の憂いがある。爵位を持つ者が書状も無しに余所の領地に踏み入るのは罪だ」
「でも、あなたはイアゼル卿の兄弟なのよね……?」
「乳母が言うには、そうらしい」
はっきりしてないなら、はっきりさせればいい。
「ところで、領主ってどうやって決まるのかしら? 血縁関係なんじゃない? もしイアゼル卿とあなたが本当に兄弟だと証明する方法が――」
ベアトリスが立ち上がったので、さすがに言い過ぎたかと反省した。
が、どうやら事情が違ったようである。
「そうだ。方法はある。諸侯は魔力と血液を首都ラガニアに提供する義務があるのだ。領主の書状とともに。私は出征の際、男爵である証明を求められ、ラガニアの官吏に採血された。血があれば魔力も視える。そこに含まれる固有の情報もだ。首都に血液の照合を要請すれば、私とイアゼルの繋がりは証明される。もし本当に血縁関係にあるとなれば領地に足を踏み入れる権利は得られるはずだ」
ベアトリスは先ほどのカイルに劣らぬ嬉々とした眼差しで右手を差し出した。わたしは満面の笑みで握手に応じる。
「クロエ。貴女は実に聡明な女性だ」
なんと返したものか分からない。困ってヨハンのほうを見るとニヤニヤしているだけ。感情を喪失したわたしがどんなリアクションをするのか愉しんでいる様子である。
だから、ヨハンに見えないよう、ベアトリスにウインクを送った。
鎧からこぼれた小さな笑い声は、今のわたしがようやく獲得した繋がりなのかもしれない。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。現在はクロエと契約し、魔王討伐に協力している。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』
・『ラクロー』→マグオートの現町長。邸の地下にヘイズと接続した転送魔道具がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『ベアトリス』→ラガニアの地下都市ヘイズの長であり、バーンズの子孫。黒の血族で、ラガニアの男爵。誠実な男。祖先の恨みを晴らすべく、夜会卿への宣戦布告を目論んでいる。鎧をかたどった貴品『虚喰』により、無形の靄を自在に操ることが可能。ただし、力を使えば使うほど鎧の内部は空洞化する。戦争にて竜人と組んで人間側につくことを誓った。同じく戦争に参加したイアゼル侯爵の異父兄弟。夜会卿との戦闘において肉体のほぼすべてが空洞化した。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』にて
・『カイル』→ベアトリスの召使い。ロマンスに目がない。彼自身、どうやらラブロマンスをこっそり執筆しているらしい。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『悦楽卿イアゼル』→黒の血族で、ラガニアの侯爵。洗脳魔術の使い手。気分屋で子供っぽい性格。乳母のルシールに依存している。ベアトリス男爵の異父兄弟。左手の五指に別種の洗脳魔術の魔紋を彫り込んでおり、洗脳魔術に必須となる手続きを無視して対象に洗脳を施すことが可能。また、魔術を拡散する貴品『多幸の喇叭』で、各種洗脳魔術を拡散出来る。戦争に参加した理由は、マグオートから流刑地に入り、実母に再会するため。マグオートで敗北し、逃走先の廃墟ルピナスでフェルナンデスに討たれた。詳しくは『幕間「落人の賭け」』『第四章 第三話「永遠の夜ー②隠れ家と館ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『夜会卿ヴラド』→黒の血族の公爵。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『毒色原野』を越えた先に彼の直轄地アスターが存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。律儀で、礼儀を重んじる性格。不死の力を持ち、血液を資源とした魔術を扱う。肉体の大部分を蝙蝠の魔物に提供しており、攻撃を受ければ自動的に蝙蝠が反撃する。ヨハンと契約を結んでおり、アスターの人々は彼を殺すことが出来ない。戦争で実質的にニコルに裏切られたことにより、ラガニアに反旗を翻す心算。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』『927.「死に嫌われている」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑥宵闇の狩人達ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー⑦千年の都ー」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『洗脳魔術』→魔術の分類のひとつ。読んで字のごとく、対象を洗脳するための魔術
・『魔具』→魔術を施した武具のこと。体内の魔力が干渉するため魔術師は使用出来ないとされているが、ニコルは例外的に魔術と魔具の両方を使用出来る。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』にて
・『貴品』→血族たちの作り出した魔具。詳しくは『911.「貴品」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『転移道具』→ヘイズ内の『層間転移』や、ヘイズとマグオートとの行き来を可能とする魔道具。詳しくは『922.「技術の源」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。また、グレキランス一帯の地方を指して用いられる。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて
・『マグオート』→文化的、経済的に成熟した街。王都から流れてきた富豪が多く住む。トムとマーチの故郷。別名『銀嶺膝下』。ラガニアの辺境である地下都市ヘイズと、転送の魔道具によって接続されている。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて
・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域、と思われている。実際はグレキランスを領地として治めていた一大国家。オブライエンの仕業により、今は血族の土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』。詳しくは『間章「亡国懺悔録」』より
・『毒色原野』→人間も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。霧は一定周期で晴れる。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて
・『流刑地』→ラガニア城の管轄地。『毒色原野』に接している関係上、どの貴族も領有したがらなかったが、夜会卿ヴラドが邪魔者の追放先として運用。ヴラドに一定の額を納めることで流刑者として追放可能。土地の名はなく、地図上にも流刑地とだけ記されている。原野を除く外部とは高い壁で隔てられており、実質的な唯一の出入り口である門は常に警護されているが、流刑者以外は相応の金銭を払うことで門の出入りが可能。流刑者は内部で勝手に開墾をしている。流刑者として数年を過ごした者はヘイズに招かれる。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』『幕間.「徒花の蹉跌」』にて
・『ヘイズ』→ラガニアの辺境に存在する地下都市。夜会卿の町を追放されたバーンズが先頭に立って開拓した、流刑者たちの町。地下を貫く巨樹から恵みを得ている。夜間防衛のために『守護隊』と呼ばれる自警団がある。詳しくは『第四章 第一話「祈りの系譜」』にて




