1006.「全軍に告ぐ」
魔物狩りに戻って間もなく、覚醒した血族に動きがあった。鎧の擦れる音と、抜刀の動作。彼は魔物へとサーベルを振るうわたしではなく、別の魔物に剣を振るった。
妥当な判断だ。今ここでわたしを倒して捕縛したら、彼もほかの血族も無事ではない。苦汁を呑んででも共闘するのが適切というものだろう。
「俺は小型の魔物を相手にする! あなたはキュクロプスに集中してくれ!」
命令されてもなんとも感じない。無言で手近なキュクロプスへと歩を進め、敵の足に風の斬撃を飛ばした。
鎧の血族が並以下の手合いなら、指示を無視しただろう。彼の動きはそれなりに練磨されていた。小型魔物程度なら後れを取ることはない。囲まれれば多少の手傷を負うかもしれないが、血族にとっては痛手ではないはずだ。
「これは……」
「なんで魔物が……」
「ルドラ様はどこに?」
どうやら次々と血族が意識を取り戻している。少し面倒だ。ちらと振り返ると、数人の血族と目が合い、わたしを認識して剣を抜いた。
彼らはあくまでもわたしを捕縛するようルドラに命じられている。魔物の相手をしている状況はある意味好機だろう。迅速に捕らえ、中心地まで運んでしまえば済む。魔物は覚醒した同胞に任せればいい。
厄介だとも面倒だとも感じなかった。キュクロプスと血族を同時に相手にしたとして、今のわたしが負ける気遣いはない。
けれど――。
「お前ら! その女性には手出しするな!」
最初に覚醒した血族が怒声を放つ。
「し、しかし、あれはルドラ様が指定した標的で……」
「彼女は気絶した俺たちを魔物から守ってくれたんだ! たったひとりで!」
しばしの沈黙が流れる。鎧の血族の言葉が事実であることは、キュクロプスと戦うわたしの姿から明らかだろう。
やがて新たな覚醒者は鎧の血族とともに魔物狩りに参加したようである。納得したのかどうかは謎だ。それからも次々と血族が意識を取り戻しては、先に起きた血族からの指示で、わたしではなく魔物を倒すよう命じられた。誰ひとり離反者が現れないのが不思議である。
守られたから。命を救われたから。そんな理由で敵を見逃すつもりだろうか。判断を留保して一旦魔物討伐を優先していると考えることも出来るが、彼らにとってはこの状況を逆手に取って背後を狙うくらいしなければわたしを捕まえるのは不可能だろう。あっけなく気絶させられた過去を忘れていなければ。
魔物に向かう血族はすでに数十人もの規模になっている。誰もわたしを狙おうとしないのだから不合理だ。
彼らの頭上へと振り下ろされたキュクロプスの拳を、風の刃で切り刻む。ほぼ隣り合っているような状態なのに、誰もわたしを攻撃しない。魔物の相手で手一杯というわけでもあるまい。妙なことには、拳を振るったキュクロプスの足に潜り込み、斬撃を浴びせる者もいた。
よろめいたキュクロプスの手首を落とし、足を切断する。倒れたキュクロプスの首のあたりまで跳躍し、左側から頸部を掘削していく。と、切っ先が打ち合った。巨人の首を半分ほど落とした地点である。すでに事切れた巨人が霧散していき、向かい側に鎧の血族が立っているのが見えた。最初に覚醒した男である。
彼は一瞬顔を綻ばせ、すぐさま引き締めて魔物の討伐に取りかかった。わたしも同様に、次の標的へと足を運ぶ。
笑みの理由は分からない。自分の感情が消えても、過去の記憶から他者の感情を類推する力は残っている。それでも謎だった。まあ、強いて追求する気にもならない。大した意味はなさそうだから。
数十分ほど前から、煙宿の周縁に変化が生じているのは気付いていた。ちょうど広場の反対方向にある不夜城付近で魔物の歩みが停止し、そこから右回りに次々と動きが止まっているのである。ルドラの指令ではないだろう。指揮権を放棄したのだから、もう彼は命令を下せない。
行動停止の波は広場付近まで迫っていた。
やがて一条の閃光が空に弾け、宙で人型となった。
「全魔物に告ぐ! 行動停止! 誰も傷付けては駄目!」
髪を後ろで束ねた白装束の、女性の血族を見上げる。付近の魔物は彼女の声を耳にして、一斉に動きを止めた。
あれは、わたしが相手にした血族よりもずっと強い。魔力は控えめだが、あえて抑えているのだろう。閃光からして、雷を得意とする魔術師。
「マヤ様! ご無事でなりよりです!」と、粗野な服装の血族が声を張った。
呼びかけられた女性――マヤは空中で振り返っただけで、ろくに返事もせず、眉間に皺を寄せる。
わたしと目が合ったが、立ち向かってくることはなかった。マヤは身体を雷に変え、次の魔物の集団へと一直線に駆け去っていく。
魔物たちはルドラの義体が健在だった頃と同じく、その場で佇立している。もはや誰にも危害を加えようとはしない。どうやらルドラ以外にも魔物の指揮権を持つ血族がいたらしい。考えてみれば当然か。わたしを捕縛したルドラが、そのまま魔物を放置するのは始末が悪い。誰かが彼に代わって命令を下す必要がある。
しかし、わたしは健在だ。マヤが独断で魔物に指示を与えたことになる。ルドラの破滅的な作戦に待ったをかける権力があるのか、罰を覚悟で行動に出たのか。あるいは、離反行為か。
「クマール!! ラニ!! 魔物を駆動させろ!! マヤめ! 儂を裏切るのか!!」
空中で怒声が轟く。ルドラだ。彼ほどの声量があれば、マヤは即座に魔物を止められたことだろう。まあ、それは仕方ない。
ルドラは何度か『クマール』と『ラニ』とやらの名を叫んだが、反応はないらしく、苛立ちばかりを募らせていた。姿は見えずとも声で分かる。
マヤのほかにもまだ二人、魔物の指揮権を持つ者がいるようだが、この胴間声が耳に入らないということは、死んだか気絶したか、従う気がないかだ。
なんにせよ魔物の脅威は今のところ退けられた。
周囲で安堵の息が漏れる。血族たちはもはやほとんど意識を取り戻しており、その多くがわたしを見据えていた。あからさまに剣を構えている者もいれば、困惑顔で突っ立った者もいる。
不意に、わたしの前に鎧の血族が背を向けて立った。同胞に剣を向けて。
「彼女を捕まえるつもりなら、俺が相手になる。この女性は俺たちを魔物からずっと守ってくれた恩人だ。いかにルドラ様の命令であろうと、命を救われたのだから手にかけることは出来ない。これは俺の個人的な判断だ。ルドラ様を優先する者を否定はしない。ただ、刃を交える覚悟を持て」
彼の言葉に呼応して、わたしの周囲に人垣が生まれた。誰もがこちらに背を向けている。
やがて、彼らは一斉に振り向いた。表情はそれぞれだったが、どれもはにかんだような、恥じ入るような、あるいは誇らしげな顔をしている。
「ここにいる者は皆、あなたの味方だ」
鎧の血族が、さっぱりした笑みを向ける。
これが演技なのかどうか、わたしには分からない。だからサーベルを納めなかったが、真実ならば助かる。面倒は少ないほうがいい。
「ありがとう」
「いや、礼を言うのはこちらだ。守ってくれて、本当にありがたい」
次々と頭を下げる血族に、わたしは「どういたしまして」と呟いた。
しばしの間があって、空中に老いた呻き声が響き渡る。
「全軍に告ぐ! 我々は敗北した! このときをもって、一切の人間に手出しをせぬように!」
どうやらココは仕事を完遂したらしい。彼女の得意げな表情とピースサインが脳裏に浮かんだ。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。人間と比較して長命。もともとは王都の敵国であったラガニアの人々のごく一部が、オブライエンの生み出した『気化アルテゴ』によって変異した姿。詳しくは『90.「黒の血族」』『間章「亡国懺悔録」』にて
・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場
・『縫合伯爵ルドラ』→黒の血族で、ラガニアの伯爵。領地に金鉱を有する老翁。夜会卿主催のオークションの常連であり、彼とは表向き親密な関係。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー③赫灼の赤き竜ー」』『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。ゆえに人探しはご法度。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」「煙宿~②不夜城~」』にて
・『不夜城』→『煙宿』の中心にそびえる塔のこと。富裕層や要人が住まう。詳しくは『第二章 第四話「煙宿~①ほろ酔い桟橋~」』にて
・『マヤ』→縫合伯爵ルドラの次女。ルドラの指示で夜会卿に捧げられたが、兄であるアビシェクのみが殺害され、彼女は生かされた。詳しくは『第四章 第三話「永遠の夜ー④銀嶺膝下マグオートー」』にて




