1.我慢の先を夢見て
第一部は離脱編となります。
二十数話ほど、毎日20時台に更新予定です。
お付き合いいただけたら幸いです。
私、クロエ・ハストンは伯爵家の門を前に、これで最後だと全体的にくたびれ感をひしひしと醸し出す幸薄そうな父親を見上げた。
父の後ろには形式的にアカデミーに行く私を見送りに出ていた義母と、その連れ後である二つ下で十三歳のダニエル、あとは数人の使用人たちが並んでいる。
「お父様、約束は守ってくださいね」
「わかっている。クロエが学業を疎かにせず無事卒業することができれば、約束通り好きにしていい。ただし、アカデミーにいる間はイレイド侯爵のご令嬢の機嫌を損ねないようにな」
父親として娘にエールを送っているように聞こえるが、ちっともありがたいものではなかった。
父の言葉を要約すると、学業を疎かにせず奨学金は己で獲得してこい、借金をしているイレイド侯爵家の娘のためにアカデミーでは奴隷のように媚びてこいという意味だ。
「ええ。すでに奨学金の申請はアカデミーで通っておりますし、あとは三年間食らいつくだけです。決して、家門に迷惑はかけませんのでご安心ください。イレイド侯爵家のご令嬢にも十分に配慮いたします」
「ならいい」
そこで父親は安心し、義母は開いていた扇子をぱちんと閉じた。
「クロエ。これまでいろいろごめんなさいね。私もわからないことが多くてとても不安だったの」
私が必死に家門のために奔走している時、義母は贅沢することしか頭になく散財してきた。
私がどれだけ現状を説明しても理解を得られず、もう少し考えて買い物をしてほしいと苦言しても逆効果だった。
散々嫌味を言われ、可愛げがないと邪魔者扱いを受けてきた。
それを父はまあまあと言うだけでろくに仲裁をすることはなく、ふらふらとあっちこっちで機嫌をうかがうだけだった。
父は役に立たないどころか、むしろその態度が私と義母の軋轢を生んだ。
止めなければ湯水のごとく金が溶けていくので言わないわけにはいかず、関係は日に日に悪化していった。
生活がかかっているため嫌味を受け止めながら口を出してきたが、今後のことは私には関係ない。
形だけの謝罪だとわかっているし、こちらも改めて言うこともないのでにっこりと微笑んだ。
「いいえ。私のほうは大丈夫です。アカデミーにいる間も帰ってくるつもりはありませんのでこれでお別れとなりますが、お父様と家をよろしくお願いします」
「ええ。こちらのことは気にせず、専念してきなさい」
そこで義母は再度扇子を開くと口元を隠した。
邪魔者は消え、アカデミー入学でかかるはずだったお金はすべて自分の物になると思い笑いが止まらないのだろう。扇子の向こうでどのような表情をしているのか、容易に想像がつく。
予想通りの反応に、ちらりと父へと視線をやると父は気まずそうに視線を逸らした。
「はい。そういたします」
「最後になるのでしたら積もる話もあるでしょうし、親子水入らずの時間も必要ね。私たちは先に戻っているわ」
そう告げると、義母はダニエルを連れて屋敷に戻っていった。
ダニエルのほうは終始興味なさそうに頭で腕を組み、最後まで私を見ずに行ってしまった。
「はあ」
父と二人きりになり、情けなくて溜め息が出る。
「クロエ。すまない」
義母は私がアカデミーに行くことにずっと反対し、事あるごとに嫁ぐことが幸せだと私に説いていた
だが、実際に費用はかからないため伯爵家に負担はなく、卒業後も帰ってくるつもりがないと知り一瞬で考えを改めたようだ。
出立ぎりぎりになって、アカデミーではなく後ろ盾となる家門に嫁げと言われる可能性もあった。
そのため考えを改めてもらえたことは喜ばしいが、最後まで自分たちが贅沢することしか考えておらず、なぜあんな人を後妻として迎えたのかと呆れた気持ちになる。
だが、こうして悩むのもこれでおしまいだ。
「今更謝っていただかなくても結構です。お父様が選んだ方ですのでそれについて文句は言いませんが、使用人や領民に迷惑をかけるようなことはなさらないでください」
「わかっている。クロエもいなくなるし今度こそちゃんとするよ」
伯爵家と関わりを断つということは、父とも関係を断つということだ。それくらいしないと、一生私は伯爵家、そしてこの父に振り回されることになる。
跡取りがいなければまた違っただろうが、ダニエルがいる。父も一人ではない。それは父が選んだ道だ。
ならば、私も私で自分のために生きる道を選んでもいいはずだ。何も自分で選べず、人の幸せのために生きていく、そんな人生は嫌だ。
そう思い、自由を選び取るためにアカデミーに行くことを決めた。
「連絡も一切取りません。アカデミーを出ればハストンと私は名乗ることはありませんので、こちらのことは気になさらないでください」
「そういうわけには」
「これは約束です。この三年間頼りませんが、伯爵家の名を語る三年間はハストン家のためにイレイド侯爵令嬢にしっかり媚びを売っておきます。ですがそれ以降、私は何も関与いたしません」
そう告げると、私と同じアメジストの瞳をすまなそうに揺らした。
――困窮した伯爵家の現状をわかっているのよね。
なのに、何もしてこなかった。
基本的に父は悪人ではない。だから、借金のために嫁げとは直接言わない。言わないが、義母が告げるのを止めもしない。
そんな人だ。
私がそれらを受け入れていることを申し訳ないと思いながらも、してもらえることに甘える自分に弱い人間だ。
基本的にずぼらで、外面がよく頼まれると断れない。力量はないのに何でも引き受けて、借金は見る間に膨れ上がってしまった。
「そこまでしないといけないのか?」
「ええ。お父様。私は自由になりたいのです。お父様の人生があるように、私も私の人生を歩みたい。幸い跡取りもできたことですし、独り立ちしたく思います」
「ああ、クロエ。結婚をしても自由はあるぞ。それに」
まだ言うのかと、私は手を上げて父の言葉を止めた。
誰もが自分と同じ考えを持っているわけではないし、何より娘の気持ちも汲めず最後まで変わらない父の姿に情けなくなる。
――最後まで父は父のまま、ね。
優しい振りをした欲望に忠実な人間。
今度こそはと理解してくれるかと何度も繰り返し、同じようにそれらをなかったことにされる。肉親だから期待し切り捨てられずにいたけれど、父に期待することにもう疲れてしまった。
「女性が一人で生き抜くためには今の時代、好待遇の職場で働くことかと考えましたので、アカデミー卒業はまさに私の人生の第一歩だと思っております」
母が亡くなってから、何かにつけ我慢ばかりしていた。
ここで私が動かなければ、ろくなことにならないのは目に見えている。
これまでは年齢的にできることも限られていたし、世間体を気にして義母も放り出すことはしなかったが、適齢期になれば伯爵家のためだと言い借金の形に嫁がされるに決まっている。
その場その場でいい顔をして、どれだけ家計が火の車で、伯爵家が没落寸前だとしても気にしながらも現実を受け止められない人だ。あの義母に説得され、父はそれが娘の幸せだと己に言い聞かせ楽な方法を取るだろう。
私はそういった意味で父を信用していない。
「そうか……」
「はい。契約書もサインしましたし、覆すことはできませんよ」
だから、後で覆されないように契約書を作成した。ここまでしないと、父は本気にしない。わからない。
二枚の内の一枚は大事に鞄に仕舞っている。
「寂しいものだな」
そうさせたのは誰なのか。
そう告げることもできたが、私はゆっくりと瞼を伏せてきゅっと口を引き結んだ。
それでもここまで育ててくれた恩はある。
父は父として認めているし、嫌いではない。だが、その生き方に巻き込まれるのはもうごめんだった。
「これまで育てていただき、ありがとうございました」
「何もしてやれなくてすまない。元気でな」
「はい。お父様もお元気で」
数秒間、目を合わせる。
父親の目に涙が滲んだのが見え、気持ちが揺れないように私は頭を下げて馬車に乗り込んだ。
肉親との別れはつらい。それでもここで離れなければ一生縛り付けられ、家族のために犠牲になるだけだ。
そうならないために動き出すのだと、私はぎゅっと手を握った。
アカデミーを卒業できるのは、入学当初の人数から半分ほどになると聞いている。
その中でも上位をキープしなければ特待生の特権もなくなるためとても大変なものになるだろうが、乗り切ってしまいさえすれば自分の人生が待っている。
「三年我慢さえすれば、自由を得られるのよ」
そう自分に言い聞かせ、切なさと不安と、そして自由を夢見て王都にあるアカデミーへと向かった。




