動き出す怪物と鏡の中のピエロ
いつもお読みいただきありがとうごます。
どうぞお楽しみください!
深夜、都内の一等地にある高級ホテルの高層階。
遮光カーテンの隙間から都会の夜景が微かに覗く薄暗い寝室で、高田と美優はベッドの中にいた。
シーツの擦れる音と、情事の余韻が残るけだるい空気の中、高田が煙草に火をつけながら、隣に横たわる美優の肩を引き寄せた。
「美優、お前を今度の映画の主人公に抜擢しようと思う」
「えっ……?」
美優は弾かれたように顔を上げ、濡れた瞳で高田を見つめた。
「今回の作品で、美優は助演女優賞にノミネートされた……もう立派な女優だよ。これからは格の違うステージで戦ってもらう」
「本当ですか――? 私、本当に――」
歓喜に震える美優は、たまらなくなって高田の胸に抱きついた。これで自分の時代が来る。売れっ子大女優への階段を、ついに駆け上がれるのだと確信して。
高田は美優の背中を愛おしそうに撫でながら、満足げに微笑む。
「これから、ちゃんとマネージャーもつけるし、マンションに引っ越してもらう。一流にふさわしい環境を用意してやるからな」
「嬉しい……! 高田さん、大好き……っ」
高田の腕の中で、美優は全能感に酔いしれていた。
この男の権力さえあれば、どんな未来だって思いのままだと。
――だが、二人はまだ知る由もなかった。
高田が美優をひいきし、新たな夢物語に現を抜かしたその瞬間から、破滅へのカウントダウンが始まっていたことを。
◇
翌日、テレビ局の楽屋フロアは、いつも通りの慌ただしさに包まれていた。
各部屋の清掃を担当しているスタッフの城田芳恵は、高田プロデューサーの部屋の掃除に入り、ふとデスク脇の大きなゴミ箱に目を留めた。
そこには、乱雑に丸められた紙クズに混じって、しっかりと製本された厚みのある冊子が突っ込まれていたのだ。
芳恵は手を止め、怪訝そうにそれを引っ張り出す。
「あっ、高田さん、大事な脚本をゴミ箱に捨てている……」
表紙には、殴り書きのような文字でタイトルが躍っていた。
いくらヒット作を連発している敏腕プロデューサーとはいえ、これから制作に入るかもしれない大事な企画書や脚本を、こんな風にゴミと一緒に捨てるなんて。
昨夜、美優との新企画に頭を支配され、不要になった『タカシ』の製本版をゴミ箱へ放り込んだ高田の顔が浮かぶようだった。
芳恵は優しくその表面の埃を払い、大切そうに抱きかかえた。
「高田さんに渡さなくっちゃ――。」
◇
それからしばらくして、芳恵は収録スタジオへ続く賑やかな通路で、ちょうどスタッフと談笑している高田の姿を見つけた。
「高田さーん、脚本がゴミ箱に入ってましたよー」
芳恵は早足で近寄り、声をかける。高田は話の腰を折られたことに少しだけ面倒そうな顔をしながら、芳恵の手元に視線を落とした。
「ん? 脚本……あぁこれか、ありがとう城田君……」
「いえいえ、大事な物なので、良かったです」
芳恵はほっと胸をなでおろし、ペコリと頭を下げた。
しかし――次の瞬間、高田が取った行動に、彼女は目を見開くことになる。
高田は受け取った脚本の表紙を一瞥することすらせず、近くにあった通路の長椅子の上に、まるでゴミでも放るように雑に投げ捨てたのだ。
タカシから奪い取ったプロットの『データ』はすでに自分のパソコンに保存してある。だから、手元にあるこの紙の製本版など、高田にとってはただの嵩張るゴミに過ぎなかった。
「じゃあ、さっきの件だけどさ――」
そのまま何事もなかったかのように、高田は再びスタッフを連れて通路の奥へと去っていく。
長椅子の上にぽつんと残された、タカシの魂の結晶。
そのあまりにも冷酷で雑な扱いに、芳恵はポツリと、行き場のない不満をこぼした。
「……せっかく拾ったのに、あんな扱いしなくてもいいじゃない。何よ、偉そうに……」
せめてデスクの上に置いておけばいいものを、人通りのある長椅子に放置していくなんて。
モヤモヤした気持ちのまま、芳恵が掃除用具カートを押してその場を離れようとした、まさにその時だった。
――カツ、カツ、カツ……。
静かだが、一本の芯が通ったような、美しい靴音が通路に響き渡る。
歩いてきたのは、大女優・世奈だった。
ただそこにいるだけで、空気の密度が変わるような圧倒的なオーラ。彼女はすれ違いざまに高田たちの軽薄な笑い声が響く方へ一瞬だけ冷ややかな視線を向け、それから、長椅子の上に不自然に転がっている『それ』に気づき、ふと足を止めた。
世奈の鋭い瞳が、長椅子の上の冊子を捉える。
表紙に書かれたタイトルは――『鏡の中のピエロ』。
(※のちに高田が美優に見せるプロットと同じタイトルである)
そして作者の欄には、掠れた文字で『タカシ』とだけ書かれていた。
「……何、これ」
ほんの気まぐれだった。普段の彼女なら、こんな場所に落ちている有象無象の企画書など見向きもしない。
けれど、世奈の研ぎ澄まされた表現者としての本能が、その薄汚れた束から放たれる異様な「熱量」を察知していた。
スッと美しい指先が、長椅子の脚本を取り上げる。
パラパラと、最初の数ページに目を落とした、次の瞬間――世奈の身体に、電撃のような戦慄が走った。
(――な、に……これ……!?)
文字の羅列から、狂気的なまでの情念と、緻密に計算された圧倒的な構成力が溢れ出してくる。
今、高田たちが作ろうとしているお気楽なトレンディドラマなんかじゃない。人間のエゴとドロドロとした本質を容赦なく抉り出す、本物の『怪物』が書いた脚本だ。
読み進める手が止まらない。世奈の心臓が、久しく忘れていた興奮で激しく鐘を打つ。
「城田さん、だったかしら」
「えっ、あ、はい! 世奈さん!?」
背後から突然声をかけられ、芳恵は慌てて直立不動になった。
世奈は脚本を胸に強く握りしめたまま、射抜くような真剣な目で芳恵を凝視している。
「これ……高田が捨てたの?」
「あ、はい……高田さんの部屋のゴミ箱に入っていたので、今お渡ししたんですけど……いらないみたいで、そこに……」
「そう……。あの男は、本当に底が浅いのね」
世奈はフッと、妖艶に、そして底冷えするような笑みを浮かべた。
高田という権力に溺れた凡骨が、自ら至高の宝物をドブに捨てたのだ。そしてそれを、今自分が拾い上げた。
(美優とかいうあの小娘を主役にして、悦に浸っているあの男……。表舞台ごと、一気に引きずり下ろしてあげるわ)
「城田さん。これ、私が貰っていってもいいかしら?」
「えっ? あ、はい、高田さんもいらないって言ってましたし、どうぞ……!」
「ありがとう。……ふふ、次の舞台が、最高に楽しみになったわ」
大女優の目が、極上の獲物を見つけた肉食獣のようにギラリと輝く。
タカシの血と呪詛が混ざった魂の脚本が、ついにそれを表現できる本物の天才の手に渡った瞬間だった――。
◇
そして数日後、高田の計画は動き出す――。
「……すごい。何、これ……っ」
芸能事務所のデスクで、高田から手渡されたばかりの最新のプロット(プロデューサーである高田が、手元のデータから『自分が書いた』と偽って印刷し、用意したタカシの盗作脚本)を読み進めていた美優は、身体が震えるのを止められなかった。
めくる原稿用紙が、指先の汗で湿っていく。
そこに描かれていたのは、今まで彼女が読んできたような、ありふれた綺麗事のドラマなんかでは断じてなかった。人間の内臓を素手で抉り出すような、あまりにも斬新で、えげつない、狂気的なサスペンス。
もし、これがリアル(現実)の話だとしたら。
もし、この物語の主人公と同じ目に出遭った人間が実在するなら、その恋人は精神を完全に破壊され……いや、二度と生きていくことすらできないであろう。それほどまでに、裏切られた人間の絶望と怨念が、一文字一文字から血を流すように生々しく伝わってくるのだ。
(高田さん、よくこんな恐ろしい物語を書けたものだわ……。あの人の頭の中は、一体どうなっているの?)
美優の脳裏に、つい数日前まで一緒に暮らしていた、同棲相手のタカシの顔がふと浮かぶ。
「タカシの書く純愛物も、優しくて素晴らしいと思っていたけれど……」
けれど、レベルが違う。次元が違いすぎる。
タカシの書くものはどこまでも綺麗で、お行儀が良いだけの「おままごと」だ。でも、高田が提示してきたこの狂気の脚本は、読んだ人間の魂を無理やり引きずり回すような本物の『才能』に満ち溢れている。これなら、自分は間違いなく誰もが羨む地位まで行ける。
――美優は、何一つ気づいていない。
その脚本に描かれている、吐き気がするほど生々しく、えげつない裏切りの描写。
主人公を絶望の底へ叩き落とした、ヒロインの「別の男の甘ったるい香水の匂い」も。「夜の闇でもはっきりと分かる、体中に刻まれた毒々しいキスマーク」の拷問も。
すべて、他ならぬ自分自身がモデルになっているという事実を。
自分が、高田に抱かれたその足でタカシの布団に潜り込み、彼を内側から完全に壊したことで産み落とされた『呪詛の結晶』だということを、彼女は微塵も知らない。
「高田さん……私、この役、全力で演じます。これなら私、絶対に売れます!」
美優は、高田が奪った男の脚本とも知らずに、狂喜乱舞しながらその原稿を胸に抱きしめた。
鏡の中に映る自分が、世界で一番滑稽なピエロであることにも気づかないまま、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
第8話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
もし少しでも「おもしろい!」「続きが気になる!」と思ってくださったら、ページ下部にある【ブックマーク】や【評価(☆☆☆☆☆)】をポチッと押していただけると、執筆の励みになります!
感想やレビューもお気軽にどうぞ。それでは、次回もお楽しみに!




