夜叉 8.
「全く、遺産絡みの話は何度聞いても嫌な気分になるよ。そもそも、葬儀の場でそんな話を大声でするかね」
三島信一の葬儀で“診察料”の支払いの確約を得た梶谷はさっさと診療所に戻り、応接室で煙草を吸いながら副島に愚痴を零していた。
「まあまあ、無事お金が頂けるなら良かったじゃないですか」
「無事なもんか。どれだけ食い下がられたと思ってる。自分の事を卑しい人間だと思ってはいたけれど、上には上が居るな」
やけに刺々しい皮肉が混じった梶谷の言葉に、副島は愛想笑いで「随分と気が立ってますね」と答える。
「身内が殺されてるんだぞ。奴らはそんな状況で金の話ばかりだ。ああいうのを同じ人間だと認めたくはないね」
副島は「そうですね」と相槌を打った後、何か言いたげに梶谷を見たが、結局口を開く事はしなかった。
少しして、来客の合図であるベルが鳴った。
「来客の予定、ありましたっけ?」
「ああ、言い忘れていたね。佐伯ハルが葬儀に来ていて、そこで彼女が今日手紙を受け取りに来るという話をしたんだ」
「そういう事は先に言ってくださいよ。掃除もまだですし、お湯も沸かしていないじゃないですか。——とにかく上がってもらいますね」
副島はそう言って慌ただしく応接室を後にした。梶谷はそれを確認し、吸っていた煙草を灰皿に押し付けて事務机から立ち上がると、灰皿を持って部屋の中央のソファに移動した。
扉が開き、副島と佐伯ハルが応接室に入って来た。ハルは副島に促され、ソファに腰を下ろす。それを確認した副島は部屋を出ていった。
梶谷は新しい煙草に火をつけ、改めて対面のソファに腰を下ろしている少女を見た。
平凡な女学生の装いは、かえって彼女の美貌から時代も身分も取り払っていた。国が傾く。然るべき人物の隣へ彼女を送れば、案外難しくないのかも知れない。
脳内ではそんな事を考えながらも、彼は至って冷静に口を開く。
「思ったより早かったね。一度、家へ戻ったのかい?」
「ええ。着替えてから参りました。ここから南へ、市電で三十分ほどです」
佐伯という姓と、南へ市電で三十分という距離が記憶の中で結びつき、梶谷の無表情はぎこちなさで濁る。
「——ええと、もしかしてお兄さんが居たりしない?」
ハルは梶谷の問いに不敵な笑みを浮かべた。梶谷の手元で、煙草の先から細長い煙が蛇行しながら登っていく。
「ええ。二人いましたが片方は“病気で”亡くなってしまいました」
「——成程、それなら此処について全て分かっているんだね」
数年前、梶谷は佐伯という姓の男から依頼を受けた事があった。内容はそれこそ身内殺しの隠蔽で、出来の悪い下の息子を何かのはずみで父親が殺したという面白くも無いモノだった筈である。
しかしあの家に娘が居るとは初耳で、それに、あの夫婦と佐伯ハルの外見には、血の繋がりを疑うほどの隔たりがあった。
「だから、無理矢理に理由をつけて来たんです」
梶谷の動揺を他所に、ハルは真っ直ぐな目で彼を見つめた。
「助けて下さい。このままだと、次に殺されるのはきっと私です」
「——それは、どういう事かな」
応接室の扉が開き、副島が盆を抱えて入って来た。洋服にエプロンを着けており、まるで婦人雑誌の表紙の様である。
彼女は二人の真剣な雰囲気に気が付かずに、何でも無い顔でテーブルに湯呑とお茶菓子を置くとハルを見た。
「ハルちゃん、ごめんなさいね。あなたが来る事が伝わっていなくて、これくらいしか出せないのだけれど」
「副島君、今大事な話をしているんだ。取り敢えず座って貰えるかな」
梶谷の言葉の調子から冗談の類でない事を察した副島は、何も言わず梶谷の隣に腰を下ろし、盆を膝の上に置いた。
梶谷はそれを見て、いつの間にか火が消えてしまっていた煙草に今一度火を着けて咥え、無表情のまま指を組んで肘をテーブルに置くとハルを見据えた。
「では、話を聞かせてもらおうか」




