第20話 転生の旅は道連れ
エメルサンクティス宮殿の皇太后ティエルシアの住まいは、聖光樹にいちばん近い皇太后専用の区画にある。
聖なる森を渡ってくる風が涼しくて、静かで空気がきれいな場所だ。
もちろん、母上が前から住んでたわけじゃない。この二カ月で宮殿の人たちが全力で整えたピカピカの新築物件。魔法建築は基礎工事がすぐできるから、あっという間に完成したらしい。
母上の私室、謁見の間、小さな庭園、専属侍女の控室に加えて、護衛の詰め所や来客用の応接室まで完備されている。温泉じゃないけど、大きいお風呂もあるよ!
調度品もすべて新調されていて、金糸の織物や高級感のある照明が並ぶ、まさに皇太后のための特別仕様だ。
オレの部屋も母上の隣に用意されてるけど――結局いつも母上と一緒に寝てる。母上が離してくれないし、まあ、灰ネズ時代の心の穴がじわじわ埋められてくからね。
朝は母上と一緒に聖光樹の森まで散歩して、聖の大精霊にご挨拶。
それから母上が兄上たちと鍛錬するのを見たり、ゆったり朝風呂に入ったり。
午後から母上がお偉い方とお茶会してるあいだはお昼寝したり、兄上の子どもたちと赤い竜のところに遊びに行ったり。
あ、もちろん毎日キイロのエサやりも遊びも欠かしてないよ。
いつもオレの肩か頭にいるし、オレの服は完全にこいつありきのピヨピヨコーデになってる。
大精霊と皇太后のいとし子として、オレはこの上なくのんびり、まったり、甘いものたっぷりの毎日を過ごしていた。
だけど、静かで穏やかなのは、聖光樹の森と皇太后の住まいだけだ。
一歩外へ出れば、空気は一変。
宮殿内ですらざわつき、帝都中の貴族が騒然としたまま。
地方領主の館は対応に追われ、神殿では神官たちが経典の解釈を巡って声を荒げている。
その波紋は国の外へも広がっているらしい。帝国の動向を探るため、伝令や使者が次々と国境を越えていく。
けれど――誰もが受け入れるしかなかった。
あの日の聖の大精霊のお出迎えは、政治も宗教もすべてを沈黙させるほどの、絶対的な神聖現象だったからだ。
そして、皇太后ティエルシアの復活。
高位貴族たちにすらオレの存在を一切悟らせず、自身の体調不良という名目で完璧にすべてを隠し通した母上の手腕は、すでに『帝国史に残る秘術』として語られているらしい。
母上の株は、前々世でいうストップ高みたいな勢いで連日、爆上がり。
まあ、実際、母上、すごいしね!
兄上の評価も連動して上がった。
どれほど己の立場を危うくしても、金緑の瞳のルクレリアを守り抜いた――その一点だけで、兄上は帝位の威光を一段と高めた。
まあ、実際、兄上、すごいしね!
そして、この二人が本気になれば、帝国の制度も貴族社会も、宗教の教理すら根底からひっくり返る。
オレはそれを、身をもって思い知らされた。
◇◇◇◇◇
「え? 児童管理院の名前が変わるって……」
午後からの母上の私室でのトップ会談。座り心地のいい長椅子が円卓を挟んで置かれている。
母上と並んで座ったオレの頭の上で、キイロは最初こそピヨピヨしていた。
けれど、卓上に置かれた三段の銀のケーキスタンド(※オレ発案のアフタヌーンティー仕様)を見つけた瞬間、「ピピーッ!」と突撃していった。皿の上で滑りながらも、器用にフルーツサンドをついばんでいる。
向かい側の長椅子には兄上が背筋を伸ばして腰かけている。
すでに侍女も侍従もすべて下がらされ、室内には防音の結界が張られていた。この場に残るのは、母上と兄上とオレ――そしてキイロだけだ。
「実態を早急に根底より改めんがため、名を児童愛護院と改め、皇族直轄の院と定むることと相成りたり」
母上の声は謡うように美しく、部屋の空気を凛と震わせる。
だけど、『児童管理院』が『児童愛護院』って……?
オレは兄上の顔を見上げて確認する。
「あの、それ、兄上的に大丈夫?」
「当然だ。あの院は、名ばかりの保護を掲げながら、実際には子らを搾り潰すための収容所と化していた。旧き制度に縋りつく無能どもに任せていては、腐臭は広がるばかりだ。ゆえに、まずは名を改め、皇族の責任のもとで根から作り直す」
辛辣だ。円卓の上でスコーンをむさぼりはじめたキイロがビクッとして、そのまま白いクリームに頭を埋もれさせてしまった……。
「それに先ごろ、異国から『魔力核』なる革新的な論文が齎された。神殿の老いぼれどもが千年かけても思いつかぬ理だ」
「は?」
「新たな概念は、魔力に恵まれた貴族ではなく、魔力が乏しいと蔑まれていた平民の医師から生まれたらしい。皮肉なものだ。ゆえに我が国でも平民教育を底上げし、無料の給食制度を導入する。費用は各領の負担だ。自領の子らを無知のまま飢えさせておけば、いずれ領主自身の首を絞めるだけとなろう」
すっげー他人事みたいに言ってるけど、それ、兄上が外国にまで手ぇ回してリークさせたやつだよね?
で、そっから一気に『無料給食制度』ってなんですか!?
「平民の子らも、学び舎に足を運びさへすれば、昼餉に困ることはあるまい。児童愛護院の子らとの軋轢もいくばくか和らぎ申そう。また、地域によりては月ごとに親子の食事会など催されるやもしれぬな」
母上は優雅に言いながら、オレの髪を撫でる。その仕草は甘く優しい慈母そのものだ。
だけど、孤児院の子の待遇改善のために、領主に給食とか親子食事会の費用まで出させるって……ヤバくない?
「あの、それ、費用負担する領主の反発がすごいんじゃ……?」
兄上は穏やかなのに、どこか容赦のない笑みを浮かべた。
「この先、皇太后陛下は気の向くままに各地を巡幸なさる。目的がどうあれ、胸中に疚しき影を宿す領主ほど査察が来たと恐れて、平民への支援を厚くするだろう。皇太后陛下が児童愛護院にて子らへ惜しみなく与えておられるというのに、自領の子らを飢えさせたまま知らぬ顔を決め込む領主など、陛下の御前でどれほどの恥を晒すことになるだろうな」
いや、これから確かにオレと母上は気ままな旅する予定ですけど、ほんとにただの観光旅行だよ?
温泉とか、新たな食材あればいいなー、でも景色がきれいならそれでいいんじゃないってくらいで、特に目的なんてないのに……。
「児童愛護院の資金は当面はルクレオンや妾の私財にて賄ふ。 ゆくゆくは、院の子らに菓子作りなどをおぼえさせ、その院でのみ買へる土産を設けるのも一興と考えておる」
あー、そういやご当地土産みたいな話もしたっけ……。
隣の母上を見上げると、笑顔は柔らかいのにその目はどんな不正も見抜くような慧眼を宿していた。
本気だ。この人たち、本気で同時多発テロみたく、神殿も貴族も平民も児童管理院も、ぜんぶの改革を多方面から一気にごり押しするつもりだよ!
「でっ、でも、全方位で敵作るよ? 兄上、ほんとのほんとに大丈夫なの?」
「魔力核の理論はすでに広まり始めている。霊核よりも医師たちには納得しやすい概念らしい。数年もすれば常識となるだろう。変化はもう止まらない」
そして兄上は、ひとつ息を整え、覚悟を固めた者の声で断じた。
「七年前、ルクレオンは人のために世界の理を変えた。――ならば今度はこの世界がおまえの考えに合わせて変わる番だ」
いやでも、オレの考えって言ってもさぁ……。
そもそもオレはこの世界で科学魔法を広める気はない。その危険性についてはすでにヴァルムホルンで話してある。
「無論、そなたが案じておった『文明の行きすぎた果て』とやらを思ひ、精霊魔法は今のまま、久しき祈りを経てのみ発る神異の御業と定め置く。人の手に余る力を、易々と扱ふべきものとしてはならぬ」
文明の進化の先にあるもの――前々世のAIがいい例だ。
人工知能がどこまで発達するのか、オレは知らないまま地球を去ることになった。
だけど、エネルギー問題や環境問題を根本的に解決する方法として、究極的に進化したAIが人間いらねーって判断して、そういう方向に人類を洗脳していったらと思うと怖い。
七年前の負の精霊王の出現に対して、聖の大精霊はすでに一度、 『もし人滅びなば』って結論に至ってる。
ルクレオンの命がけの魔法で今はなんとかなってるけど、この先、もし精霊を介さない魔法が発展したら、自然界の魔素が大量消費されてしまうかもしれない。
そうすると結局、精霊たちが困って、やっぱり人類いらねーってなりそう……。
だから、この世界の魔法はあの長いお祈りのままでいいと思う。オレは精霊のいとし子だから、例外ってことで。
「魔力核がもたらす新たな考え方は、主として医療に用いられるだろう。平民の生活は大きく変わらぬが……精霊魔法以外の力を試す愚か者が出ぬよう、神官どもに目を光らせておかせばよい。神殿は霊核の権威を失えば、新たな利権を求めて血眼になる。喜んで監視役を引き受けるだろう」
「……なんか、壮大すぎてくらくらするけど……でも、これで一人でも多くの子どもがおなかいっぱい食べられたら、オレが転生した甲斐もあるかな……?」
この先はきっと、困難や難題が荒波のように押し寄せて、不満を抱く者も大勢出てくるだろう。
けれど、あの冷たく貧しい児童管理院が少しでも変わるなら、オレの灰ネズとしての七年も多少なりとも報われる。
「そろそろ時間か。続きはまた改めて話そう」
次の予定がある兄上が席を立つ。
つられて円卓に目をやったオレは複雑な気分になった。
満腹になったらしいキイロが皿の上で丸くなってる。
母上も兄上も甘いものはそんなに好きじゃないし、オレも話の深刻さに食べるどころじゃなかった。
なのに、卓上の食べ物はすべて跡形もなく消えている。
今、その黄色い腹に収まってる菓子って、孤児何人分の食費になるんだろう……。
まあ、でも、なんとなく。
もし、仮にキイロの正体がオレの思った通りだとしたら――…。
「……前は呪うだけだったけど、転生して人間の作ったものをおいしく食べてる限り、世界は平和か」
心の中でつぶやいただけのつもりだったけど、声に出ていたらしい。
「何か申したか、ルク?」
「ううん、母上……じゃなくて、お母様! それで、最初の旅先なんだけど――」
オレは慌てて首を振って、今後の楽しい旅行計画を立て始める。
黄色いおともを引き連れて、温泉に入って贅沢スイーツ。
三度目の人生でオレは思う存分、気ままな旅をして、そのうちどこかでオレ流スローライフを送る。
二度あることは三度あるにはしない。
順番的にいつか家族を見送ることになっても、たぶん最後までキイロはオレの傍にいる。
大食いで役立たずだけど、まあ、可愛いし、長い旅路には相棒がいたほうが心強い。
オレもキイロも、転生人生まだまだこれから。大いに楽しんで、長生きするよ!
これにて完結。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます!!




