番外編~通り雨side長塚⑨~
「みか~! ママが浮気してるよ~」
泣き真似をしながら娘を抱き締める彼に、
その子が「よしよし」と小さな手で頭を撫でている。
「あんなに好きになった人、他にいなかったからね……。
別れてからも、すぐには諦めきれなかったなぁ」
懐かしそうに呟いた彼女の言葉に、
なぜか胸の奥がぎゅっと締め付けられ、涙が込み上げた。
「あ、今はパパが一番だからね」
「はいはい。何度も聞かされたから、知ってます」
くるくると変わる彼女の表情が、滲んで見える。
彼女は彼の腕にそっと手を回し、
悪戯っぽい目で問いかけた。
「……妬いてる?」
「別に。俺にはみかがいるからな。な~、みか?」
「な~!」
きゃっきゃと弾む子供の笑い声。
その声が、少しずつ遠ざかっていく。
幸せそうに笑う三人の姿を、俺はしばらく立ち尽くして見つめていた。
──大切な人は、失ってから気付く。
どこかで読んだ本の一節が、頭をよぎる。
あの時、変なプライドさえ持たなければ。
もっと、彼女の声に耳を傾けていれば。
一度は打ち消したはずの思いが、また胸に蘇る。
あの場所に立っていたのは、本当は俺だったのかもしれない、と。
けれど──
あの日、彼女のためにずぶ濡れになった彼を、彼女は選んだ。
だからこそ、今、あんなにも穏やかに笑っているのだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
彼女との再会は、通り雨のように突然で、
そして、あっという間に過ぎ去っていった。
「長塚くん」
その「くん」の音が、
少しだけ鼻にかかって、ほんのわずかに高くなる。
あの呼び方が、好きだった。
俺を全身で好きだと言ってくれた彼女を、
俺も確かに、好きだったのだと──
今さらになって、ようやく気付く。
俺は、彼女たちが去っていった方向とは逆へ、
ゆっくりと歩き出した。
もし、またどこかで再会できる日が来るなら──
その時は、俺にも守るべき家族がいればいい。
そう願いながら。【完】




