番外編~通り雨side長塚⑧~
「ママ~、神様に弟が欲しいってお願いしたんだ~。ママはどっちが良いの?」
小さな女の子の声に、ハッと我に返る。
「う~ん、ママは元気な子なら、どっちでも良いかな?」
そう答えた彼女が、少しゆったりとした服を着ている理由を、そこで知った。
「パパは?」
「パパも、どっちでも良いかな」
穏やかに笑った彼が、ふと俺の存在に気付いて視線を向ける。
彼女は娘と話していて、まだ気付いていない。
おそらく、彼女に俺の存在を伝えようとしたのだろう。
彼が声を掛けようとしたのを察して、俺は慌てて小さく首を横に振った。
すると彼は、ほんの一瞬だけ俺に会釈をし、何事もなかったかのように視線を戻した。
俺が咄嗟に物陰へ身を隠すと、彼女が不思議そうに振り返る。
「……誰か、居たの?」
そう彼に問いかける彼女に、彼は小さく微笑んで、
「まぁな」
とだけ答えた。
「え? 誰? 誰?」
きょろきょろと周囲を見回す彼女に、彼はそっと耳打ちをする。
彼女は一瞬驚いたように目を見開き、そして、ゆっくりと俺の方に向かってお辞儀をした。
「ママ? どうしたの?」
不思議そうに首を傾げる娘に、彼女は優しく微笑んで言った。
「ママがね、昔、とっても大好きだった人が居たんだって」
「え~! パパじゃないの?」
驚いた声を上げる娘に、彼女は少し困ったように笑う。
「そうね。残念だけど、パパじゃないのよ」
「じゃあ、みかはパパが大好きだから、パパのお嫁さんはみかだからね!」
そう言って、彼の足にぎゅっと抱きつく娘を、彼はそっと抱き上げた。
「そうだな。
大好きな人は譲ったけど、家族になりたい人は譲らなかった。
だから、パパの勝ちだな」
冗談めかして言う彼の声は、とても穏やかだった。
「……会いたかったなぁ」
少し残念そうに笑う彼女の声を聞いて、
俺は、とっくの昔に自分の存在が“思い出”に変わっていたことを知る。
「いつか、会えるよ」
そう言う彼に、彼女は首を傾げた。
「そうかな?」
「でも、会ってどうするんだ?」
そう問いかけられ、彼女は少し考えてから、柔らかく笑った。
「えっとね……まず、お礼が言いたいかな。
短い間だったけど、付き合ってくれて、嬉しかったから」
そして、彼女は続けた。
「長塚君も、幸せだといいね」
その言葉と一緒に浮かべた横顔が、とても綺麗で──
胸の奥が、静かに痛んだ。
ふと、あの日、手を離さなければ、
彼女の隣に立ち、家族として笑っていたのは自分だったのかもしれない、
そんな考えが、一瞬だけ胸をよぎった。
……けれど、その思いはすぐに消えた。
彼女の「長塚君も」という言葉が、
彼とだから幸せになれたのだと、
はっきり告げているように思えたからだ。




