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不屈の葵  作者: ヌマサン
第7章 風林火山の章
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第314話 信玄、駿東郡の大半を制圧す

 元亀元年十二月。家康が甲三同盟を破棄したばかりか、人質として甲斐へ送っていた松平源三郎康俊を脱出させたと知った武田信玄の怒りは凄まじいものであった。


「おのれ、松平蔵人!」


 憤激した信玄の怒りを前に百戦錬磨の武田重臣たちが怯む中、齢二十五の嫡男・武田四郎勝頼は膝を進め、父に詰め寄った。


「父上!徳川三河守は越後の上杉謙信と同盟を結び、北条とも連携して我らを攻めようとしております!」


「松平が越後の長尾と起請文を交換したことなど存じておるわ」


 勝頼にすでに知っていることを述べられたことを受け、その怒りをぶちまける信玄。そんな彼は宿敵・上杉弾正少弼輝虎は元亀元年十二月より『不識庵謙信』を称するようになったのも、徳川との越三同盟締結が影響していると見ていたのである。


「十月より上杉謙信は上野に駐屯する当家の軍勢と幾度となく交戦しておりますが、かつてのような攻勢を仕掛けてくるようには見受けられませぬ」


「うむ、それは四郎の申す通りよ。謙信めは関東よりも越中のことが気にかかっておるであろうから、今すぐにでも軍勢を越後に戻したくてたまらないのであろう」


「なるほど、それゆえ積極的な攻勢に出て参らぬのですか」


「あくまでも北条からの要請を受けて越山してきたまで。すなわち、真の敵は長尾にあらず、北条ぞ」


 家康への怒りをぶちまけて気が晴れたのか、常の冷静さを取り戻した信玄は床の上に広げた駿河・伊豆の地図に視線を落とし、次なる駿河侵攻の策を練っているようであった。


「長尾が攻勢に出ぬとあらば、儂も心置きなく駿河表へ出馬できようものぞ」


「然らば、次の狙いは深沢城にございますか」


「うむ。此度こそ深沢城を落とさねばならぬ。これが成せれば、甲斐から駿河へ抜ける街道を二つとも押さえることも叶う」


 信玄の狙いは駿東郡深沢城であったが、ここは甲斐・駿河・相模の三国の国境にほど近い要衝であり、ここを制圧できれば駿河の北条方は興国寺城だけとなるばかりか、本国・相模を脅かされることにもなるのだ。


 そのことを良く理解している北条相模守氏康・左京大夫氏政父子は齢五十六となった歴戦の覇者で北条一門でもある北条左衛門大夫綱成を城主とし、北条左衛門大夫の十五歳年下の甥で宿老にあたる松田尾張守憲秀も在城させ、これでもかというほど守りを固めていたのである。


 しかし、何としてでも上杉謙信が動かないうちに深沢城だけは攻略せねばならぬと決意した信玄は十二月上旬、大軍を率いて駿東郡へ侵攻した。そして、別動隊には興国寺城を攻囲させ、北条の目が二分されるよう仕向けたのである。


 そんな信玄率いる大軍に包囲された深沢城の櫓には、一面にひしめく武田菱の旗を眺める北条左衛門大夫と松田尾張守の伯父甥の姿があった。


「伯父上、ついに囲まれましたな。打って出なくてよろしかったので?」


「よい、兵を無駄死にさせるわけにはいかぬ。小田原へは後詰めを要望する早馬を向かわせてもおる。それまで城を守ることだけを考えておれば良い」


「さすがは伯父上。では、信玄めに目にもの見せてやりましょうぞ」


 ともに各地の戦を経験している両名だからこそ、武田の大軍を眼下に望んでも慌てふためくことなく、淡々と籠城戦の支度を進めていく。


 そんな北条左衛門大夫・松田尾張守の両名が籠城する深沢城へ攻撃を開始した信玄であったが、案の定というべきか、幾度となく攻め手は曲輪一つ攻略することはできず、退けられてしまう。


「父上!これでは城が落ちる前に小田原から援軍が参りましょう!このような生半可な攻めは通じぬ以上、総攻めしかございませぬ!」


「ははは、四郎は若いのぅ」


「されど、悠長に兵糧攻めなどしているわけにも参りますまい。風説によれば病に臥せっていた北条相模守も快方に向かいつつあるとか。これまでの左京大夫のような手緩い真似はしてはこないかと」


 勝頼の申し分はもっともであったが、信玄から見て勝頼は経験も浅く血気に逸る癖があると感じていた。


「案ずるでない。こうなることは織り込み済みよ」


「なんと!」


「黒川金山の金堀衆に命じて隧道《ずいどう》を掘らせておる。これを用いて城内へ侵入すれば、力攻めなどせずとも城は落とせよう」


「されど、それも時を要しましょう。はたして間に合うかどうか……」


 勝頼としても信玄の金堀衆を用いて地下から城内へ侵入できる道を開き、城を落とす策は兵糧攻めよりも短期間で成果が出せそうであるが、それでも一朝一夕でトンネルを掘れるわけではないため、北条の援軍が到着する前に城を落とせるかどうかは疑問視していた。


「案ずるな、四郎。北条の援軍はすぐには来ぬであろう。房総の里見氏や常陸の佐竹氏が背後を衝くべく動き出してもおる。軍勢の招集にはまだまだ手間取っておろう」


 勝頼はどうして父・信玄がそうまで余裕でいられるのかが不思議であったが、その理由を聞いて納得がいった。


 事前に房総半島の里見氏や常陸の佐竹氏とも示し合わせたうえで駿東郡を攻めることで、北条の戦力を東西に分散させる狙いであったのだ。これが上手く機能しているからこそ、北条はすぐにも深沢城や興国寺城を後詰めすることはできないと見通していたのであった。


 そうして信玄は金堀衆を用いての破壊工作、里見氏や佐竹氏との外交を上手く利用して北条を翻弄し、深沢城への包囲を継続。


 元亀元年のうちに城を落とすことは叶わず、駿東郡にて越年することとなったが、一月十二日に城方から使者が派遣されたのである。


「父上、城方からはなんと?」


「うむ。後詰めが見込めない中での籠城は無謀と判断し、城を明け渡す代わりに籠城衆へ一切手出しせず、退却することを認めてほしいと」


「おお、では!」


「そうじゃ。城方からの申し出を受け、本日中にも深沢城は開城する運びとなった」


 父・信玄の言葉に勝頼は歓喜した。完封勝利とは言い難いが、深沢城に後詰めを派遣されてくるよりも早く、城を奪取することに成功したのである。勝頼のように喜びを体現することはなかったが、信玄も内心では念願であった深沢城を降伏させたことを勝頼以上に喜んでいた。


 かくして、駿東郡に残された北条方の拠点は深沢城が開城したことにより、興国寺城を残すのみとなり、北条家は駿河を領有しているとは到底言い難い情勢となったのである。


 この深沢城の降伏・開城の報せは、開城二日前の元亀二年正月十日に小田原を出陣していた北条家当主・左京大夫氏政のもとへ注進された。


「なんと!深沢城が落ちたと申すか!」


 開城して城を退去した北条左衛門大夫と松田尾張守からの使者によって本陣へ届けられた深沢城陥落の報せに、氏政は床几を蹴って立ち上がるも、あまりの衝撃に茫然自失としていた。


 無論それは氏政に限ったことではなく、参陣していた氏政の同母弟・北条源三氏照、氏政の妹婿で今川家先代当主・今川上総介氏真、氏政の同母弟・北条助五郎氏規、氏政の異母弟・藤田新太郎氏邦、氏康の養子となっている北条左衛門佐氏忠・右衛門佐氏光兄弟も同様であった。


「兄上、ここは兵を退かれてはいかがでしょう。深沢城の救援が成せなかった以上、もはや深沢城へ向かおうと、手遅れにございます」


「うむ、源三の申す通りか」


 文武ともに優れている北条源三の意見に同意する氏政。だが、これに真っ向から反対したのは藤田新太郎であった。


「兄者!ここで退いてはなりませぬ!戦わずして退却したとあっては、兄者は信玄に恐れをなして逃げたのだと吹聴する者も現れましょう。ここは深沢まで進み、対峙するべきであろうかと!」


 気性の激しい藤田新太郎の意見に、未だ十代の北条左衛門佐・右衛門佐の兄弟は触発され、藤田新太郎とともに深沢にて武田信玄と対峙すべしと唱え、撤退するべきであると主張する北条源三と真っ向からぶつかった。


 武田信玄との決戦だけは避けたいと考える氏政としては北条源三の意見を採用したいところだが、この場に六名いる一門のうち、一名が撤退を唱え、三名が深沢へ進むべきと述べている以上、多数決を取れば深沢へ進まざるを得なくなる。


 そこで氏政は自分と意見の近い弟・助五郎と妹婿の氏真を見やるが、氏真は落胆したのか心ここにあらずであり、皆を説得できる胆力があるのは北条助五郎のみであった。


「源三兄上の申される通り、深沢城が陥落した以上、某も深沢へ向かう必要はないと考える。されど、新太郎の申す通り、ここで退いたのでは北条一門が一堂に会していながら信玄との決戦を避けて逃げ帰ったなどと言われては当家の沽券に関わりましょう」


 北条助五郎の凛とした声音が響くと、それまで意見を対立させていた北条源三と藤田新太郎、北条左衛門佐・右衛門佐兄弟は言い争いをやめ、北条助五郎へと視線を向け、傾聴する姿勢を見せた。


 両者の言い分に理があると明言したこともあり、双方からの反感を買うことなく、両者の注意を引きつけてみせる北条助五郎の手腕に当主・氏政も感服しながら、弟が一体何を発言しようというのか、その口元の動きを注視する。


「それゆえに折衷案として、深沢にて数日だけ信玄と対峙し、その後に撤退するのはいかがでござろうか。こちらも大軍にござれば、信玄も決戦を挑んでくることはなかろうかと」


 北条助五郎の間を取った意見に決戦論者も撤退論者も頷き合い、それならば良いのではないかと険悪だった空気も落ち着きを取り戻し始める。


「よし、ならば助五郎の申す通り、ひとまず深沢へ進軍し、信玄と数日対峙した後、撤退することといたす。加えて、道中で左衛門大夫と尾張守の手勢も糾合するとしようぞ」


 かくして軍議にて方針は一決し、北条家もまた大軍でもって深沢へ進出したのである。この北条軍来襲の一報を信玄が聞いたのは深沢城に入城した後のことであった。


「父上!北条の後詰めがようやく到着したとのこと!ここは打って出て蹴散らしてやりましょうぞ!」


「四郎、そう慌てるでない。ようやく後詰めに参ったとは申せ、北条の者共も決戦するつもりは毛頭なかろう」


「ならば尚の事、その油断をついて攻撃なされるべきでは……?」


「たしかに野戦を仕掛ければ儂が負けることはあり得ぬ。されど、北条の大軍と決戦を挑んで勝利したとしても被害は甚大。そうまでして勝ちを得ずとも、駿東郡はもはや我らが制圧したと申してよい。別動隊が攻めておる興国寺城も落城寸前にまで追い込んだとの早馬も到着しておるゆえ、決戦を挑む必要もなかろう」


 北条家当主を決戦にて打ち負かし、北条家の威信低下を狙う勝頼。対して、すでに興国寺城を除く駿東郡を制圧したことで十分な戦果であると認識している信玄。親子であっても、目の前の状況を前にしても、いかに対処すべきかという方針には大きな開きがあった。


 かくして深沢の地にて武田菱の旗と北条鱗の旗が南北に並んで対峙する様は壮観を極めていたが、両軍が決戦へと舵を切ることはなく、数日後には北条軍が陣を払って南へ撤退し始めたことを受け、信玄もこれを追い討ちすることはせず、速やかに甲府へ帰陣してしまったのである。


 結果として武田別動隊が落城寸前に追い詰めた興国寺城は城主・垪和伊予守氏続の奮闘により落城を免れ、別動隊もまた本国へ撤退することとなった。


 とはいえ、駿河における北条方の勢力は駿東郡全域から駿東郡南部へと縮小を余儀なくされたのであり、これは氏政とともに後詰めに出陣した氏真にとって誰よりも残念な結果となってしまった。


「上総介殿、此度は深沢城を守り切れず、申し訳ない。されど、まだ当家は興国寺城を堅守しておるゆえ、必ずや上総介殿を駿河へ復帰させてご覧にいれよう」


 小田原への帰り際、馬を並走させる中で義兄・氏政からかけられた慰めともいえる言葉であったが、氏真の心を打つことはなく、むしろ虚しさだけが心に残った。


 ――もはや私は駿河へ戻ることすら叶わぬのであろう。


 そんな諦めの感情とともに虚空を見上げる氏真は、かつて元服直後に今は亡き父・今川義元から与えられた教訓状のことを思い返していた。


「ふっ、あの折は『このままでは国を治めることはできない』と仰られて鼻で笑ったものだが、今になってみてようやく理解できた心地がする……」


 父・義元は自分がこうなることを予見していたかのような教訓状を残してくれていた。それを駿河・遠江・三河の太守であった時分は馬鹿馬鹿しいと心底より思っていたが、一国一城も領していない身にまで落ちぶれてようやく理解できた。


 そう述懐しながら、愛する妻子と妹の待つ早川郷へ戻る氏真なのであった。

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