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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第234話 武士の沙汰も知行次第

 織田弾正忠信長が足利義昭とともに上洛し、征夷大将軍就任を見届けて帰国するべく京を発したのが永禄十一年十月末。


 その翌月にあたる十一月六日。岡崎城の家康のもとへ武田信玄からの申し入れが穴山左衛門大夫信君を介して届けられた。


「殿、その書状は?」


「作左衛門か。うむ、これは穴山左衛門大夫殿からの書状じゃ」


 冬の風が身に沁みる書院にて書状を開く家康。側には本多平八郎忠勝や榊原小平太康政といった近侍の他には重臣の本多作左衛門重次が控えるのみであった。


「なんと……!?」


「いかがなされましたか、殿!」


「来る十二月六日をもって信玄殿は甲駿同盟を破棄し、駿河へ侵攻すると書かれておる……!」


「じゅ、十二月六日とはもう来月ではございませぬか!一ヵ月しかございませぬぞ!」


 武田軍が駿河へ進軍するのは十二月六日であると知り、家康以上に仰天したのは齢四十の重臣・本多作左衛門であった。


 もはや侵攻開始まで一ヵ月をきっている。となれば、悠長に遠江衆調略をしていればよいというものではなくなってくる。


「信玄殿が急遽日時を定めたのか、それとも我らの支度が遅れることを狙ってあえて日時を直前に知らせてきたのかは分からぬが、戦支度を急がせねばならぬ!わしが急いで文をしたためるゆえ、急ぎ吉田城の左衛門尉へ早馬を飛ばす支度をせよ!」


「某は兵糧や武器弾薬を吉田城へ運搬するのを急がせるよう、奉行らに命じて参りまする」


「うむ、頼むぞ」


 武田方からの突然の申し入れに、家康は戸惑った。交わした密約には事前に侵攻する日時を報せることを記してあるが、二ヵ月前には伝達すること、といった何日前までに通達しなければならないという内容は一切記していなかった。


 これが武田信玄の悪意あるやり方だとすれば、抜け駆けの功名を信玄は狙っているのだと家康は爪を噛んでいた。


 ともあれ、信玄から伝達された駿河侵攻の開始日時は吉田城の酒井左衛門尉忠次のもとへと早馬が入り知らされることとなった!


「なんじゃと!武田軍の駿河侵攻は十二月六日からと!?」


「ははっ、殿は遠江衆の調略を急ぐようにとの仰せにございました。加えて、兵糧と武器弾薬を吉田城へ運搬を開始するゆえ、受け入れの支度も整えておくようにとのこと!」


「うむ、承知したと殿に伝えてくれ!」


「ははっ!では、これにて失礼いたしまする!」


 慌ただしく家康からの使者が去っていくと、酒井左衛門尉は浜名湖周辺の絵図を広げ、睨めっこを開始する。その近くには、そんな張り詰めた空気の夫を心配そうに見つめる一人の女性の姿があった。


「あなた様、ずいぶんと張り詰めたご様子。いかがなされたのです」


「おお、於久か。なに、岡崎の殿から遠江衆の調略を急ぎ進めるよう命じられたのじゃ。なんでも、武田より駿河侵攻の日時が来月六日との申し入れがあったそうな」


「まあ、一ヵ月ほどしかないではありませぬか……!」


「そうなのじゃ。それゆえ、殿も焦っておられるご様子。じゃが、焦っておるのはわしとて同じこと。武田が申してこぬゆえ、まだまだ先のことじゃと思うておったのが災いしたわ……!」


 酒井左衛門尉より齢は二つ下の四十歳の於久。だが、戦のことで思い悩む夫の姿を見るのはこれで二人目。こういう時の夫の心境がいかなるものか、結婚して数年とはいえ、手に取るように分かった。


「あなた様。殿が城へ参られた折には妾《わらわ》とともに海老すくいでも踊りましょう」


「なに、海老すくいとな」


「はい。小五郎も近ごろはあなた様のように踊れるようになりたいと練習しておりますし、家族三人で海老すくいを踊って御一同を喜ばせ、場を盛り上げてはいかがでございましょう」


「うむ、それは良い。じゃが、それよりも今は……」


 調略だ、と言いかけた酒井左衛門尉は次の瞬間には両頬を温かい掌に挟まれていた。


「お、於久……?」


「平時こそ戦時の心がけが大事にございます。そして今は、戦時こそ平時の心がけが肝要。焦ったところで調略は上手く参りませぬ。ここは腰を据えて調略にかかるべきでございましょう」


 於久が真剣な表情で言い切ったことはまさしくその通りであった。焦ったところで調略が成せるわけではないと気づかされた酒井左衛門尉はようやく冷静さを取り戻し、遠江衆を調略するべく筆を取った。


「まず、殿は浜名郡と引佐《いなさ》郡が本坂道の要路にあたることからこの地域の諸士から調略するようにと仰せであった」


「本坂道に沿って割拠しておる者らと申せば、後藤氏、浜名氏、新田氏あたりでございましょうか」


「その通りじゃ。さすがは於久、吉田城に入ってからこの辺りの地理に随分と明るくなったのぅ」


「はい。西三河におりました頃より名を聞く機会が多いものですから、自然と覚えましてございます」


「それは良いことじゃ。まあ、調略の方は任せて於久は小五郎の相手でもしてやってくれぬか」


「ええ、そういたします。ではあなた様も頑張ってくださいな」


 愛妻・於久からの激励もあり、焦りという感情を取り除いた酒井左衛門尉は後藤氏、浜名氏、新田氏といった本坂道に沿って割拠する豪族らへの調略を開始。そして、数日のうちに吉田城へ返答が届けられることとなったのだが……


「なにっ、後藤も浜名も新田も調略を拒絶したと申すか!?」


「はっ、すでに甲州屋形へ誼を通じてもおるゆえ、徳川の調略は無用であるとの一点張りで……」


 ――よもや浜名湖西岸に位置する国衆までもが武田信玄の調略を受け入れていようとは。


 酒井左衛門尉としても三氏からの返答は実に予想外の内容であった。これでは徳川軍は本坂道を利用しての遠江侵攻を断念せざるを得ない。


 加えて、浜名湖西には元吉田城代であった大原肥前守資良が城代として入城している宇津山城、そして吉美城も今川方であるため、浜名湖西岸を進軍ルートに選ぶのは非常に厳しいと言わざるを得なかった。


「やむを得ぬ。ひとまず、このことを岡崎の殿へ注進せねばならぬ!」


 酒井左衛門尉は状況を報告するとともに、次はどこを調略するべきかの指示を求め、岡崎城の家康のもとへと早馬を飛ばした。そんな後藤氏、浜名氏、新田氏の調略失敗との酒井左衛門尉からの報せは岡崎城にて戦支度に明け暮れる家康へも間もなく知らされることとなった。


「ちっ、調略ならずか」


「はっ、よもやここまで武田の調略が伸びておろうとは、と酒井様も仰せにございました」


「ならば、調略を受け持つ者を変えてみるとしよう。左衛門尉へは調略は良いゆえ、出陣に向けての支度を急ぎ整えるように伝えてくれ」


 家康は酒井左衛門尉を後藤氏、浜名氏、新田氏の調略担当から外すと、熟慮した末、とある人物へと三氏の調略を命じたのであった。


 そんな家康からの後藤氏、浜名氏、新田氏を調略せよとの指示は東三河の野田城主・菅沼新八郎定盈へ届けられることとなった。


「ほう、某に後藤氏、浜名氏、新田氏を調略せよと殿は仰せか」


「はっ、日頃より関係のある菅沼様からの調略であらば応じるのではないか、とのお考えのご様子」


「相分かった!他ならぬ殿からの命じゃ、必ずや調略を成してみせると岡崎の殿へご注進されたし!」


 所領が遠江との国境に位置することから菅沼新八郎は後藤氏、浜名氏、新田氏との関係は深かった。


 それもあり、酒井左衛門尉のように調略をそもそも拒まれるということはなく、何度か書状をやり取りして調略を進めることに成功したのだが、物事というのはそう上手くいくものではなかった。


「なにっ、新八郎でも調略は成せなかったか」


 書状には幾度と盛んに使者を派遣し、武田ではなく徳川へ付くように勧誘したが、それでも三氏とも肯んぜず、調略成功とはならなかった旨が記されている。文面からして、菅沼新八郎自身も成せると踏んでいただけに、気落ちしている様子が家康にもうかがえた。


「新八郎でも調略できぬとあっては本坂道からの遠江侵攻は諦めざるを得まい。何より時がないゆえな」


 本坂道からの遠江侵攻を断念せざるを得ないとなれば、家康としても別の進軍経路を選ぶ必要があった。


「よし、ならば井伊谷を経由しての遠江侵攻しかあるまいか。さすれば、鳳来寺道を経て曳馬へ至ることも叶おう」


 家康が本坂道沿いの後藤氏や浜名氏、新田氏を調略しようとしたのは本坂道を進む前提であったからだ。だが、家康が目を付けた井伊谷を経由することが可能となれば、本坂道を迂回しての遠江侵攻が可能となるのである。


「ふっ、新八郎に今一度名誉挽回の機会を与えられるやもしれぬ……!」


 良いことを思いついた、とばかりに家康は口角を上げる。そんな家康から菅沼新八郎へ新たな命が下された。そう、井伊衆を味方に付けるうえでも菅沼新八郎が最も適していると判断したからであった。


 かくして家康から味方に付いた暁の条件はいかにするかなどの子細まで事細かに定められたうえで野田城主・菅沼新八郎は井伊谷三人衆を調略するべく、まずは誼のある菅沼次郎右衛門忠久のもとへ書状を届けさせたのである。


「ふっ、新八郎殿は面白きことを申される」


 同族である野田菅沼新八郎からの徳川方へ付くようにと勧誘する書状を読んだ都田菅沼次郎右衛門忠久はくすりと笑う。そこに記された家康から協力した暁に与える知行があまりにも破格なものであったからである。


「これは武田が示した条件よりも遥かに良い。ここは徳川三河守殿に賭けてみるべきであろうか」


 秘かに徳川方に転じることを決めた菅沼次郎右衛門忠久は残る井伊谷三人衆の二人、近藤石見守為用、鈴木三郎大夫重時を屋敷に呼び寄せ、徳川方につくよう勧誘することにしたのである。


「次郎右衛門殿、此度は何用で我らを呼び寄せられたのか」


「婿殿、久しいではないか。三人衆を勢揃いさせるとは何か大事でもあったか」


 そう言って初めに顔を出したのは近藤石見守為用であった。齢五十二にもなる老将は老齢であることに加えて長年の戦働きによる負傷で歩行が困難であったため、齢二十二の嫡男・平右衛門秀用に肩を貸してもらいながらなんとかやってくる有様であった。


 続いて到着した鈴木三郎大夫はまだ十もいかぬ一人息子の平三郎を帯同して到着したのである。そして、他ならぬ鈴木三郎大夫は菅沼次郎右衛門の舅にあたる人物でもあった。


「お二方ともご足労いただき、感謝申し上げまする。此度お呼びしましたのは、野田城の同族、菅沼新八郎定盈殿よりかような書状をいただいたからにございます」


 菅沼次郎右衛門は懐にしまっていた菅沼新八郎からの書状を披露するべく、書状を開いたうえで近藤石見守・鈴木三郎大夫の前へ差し出した。


「こ、これは徳川三河守殿が我らを味方に付けるべく提示してきた条件か……!」


「おいおい、嘘だろう。井伊谷跡職五百貫文、二俣左衛門尉跡職一円だけじゃねぇ、気賀《けが》、高梨、国領などの十四ヶ郷で二千貫文、さらには田原で三百貫文を与えるだと……!」


 戦国時代は貫高制から石高制へ移り変わる時期であった。一貫を二石と仮定した場合、井伊谷跡職一千石、二俣左衛門尉跡職一円、気賀《けが》、高梨、国領などの十四ヶ郷で四千石、田原で六百石を与えると家康は言ってきているのである。


 二俣左衛門尉跡職一円を除いても五千六百石を与えると言ってきているのである。これだけの石高があれば、江戸時代では大身旗本といっても良いほどの石高となる。


 これを井伊谷三人衆を手懐けるためだけに与えるというのだから、家康が何としても井伊谷三人衆を味方にしたいという熱意は十二分に井伊谷三人衆に伝わっていた。


「ふっ、婿殿はもちろん徳川方につくのだろう?」


「いかにも」


「じゃあ、おれと同じだな。これほどまでに我らを味方にしたいと訴えてきたのは徳川だけだ。武田は精々所領の安堵くらいなものだ。けち臭いったらありゃしねぇ」


 虎髭から白い歯をのぞかせながら豪快に笑う鈴木三郎大夫は娘婿・菅沼次郎右衛門と同じく徳川へ付くことを決断した。残るは近藤石見守のみとなった。


「石見守殿、いかがいたす」


「ふん、このような条件を示されては断る謂れはない。儂も徳川方へ付くこととしよう」


 十二月に入り、徳川方の遠江衆調略は井伊谷三人衆を味方に付けるという大きな成果を上げたのであった。


 こうして家康が遠江への侵攻路を確保した頃、駿河の北に位置する甲斐国では十一月下旬に宿敵・上杉弾正少弼輝虎と「信玄滅亡之企」の密約を結んだ今川上総介氏真への報復が今まさに始まろうとしていた――

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