「近づかないでくれます」
社長室にある鈍く光沢が出た高級そうな、デスクに数枚際立つように紙が乱雑に置かれている。藤堂は一枚を手に取ると、小さく笑った。
――新入社員、か……。
「社長。手が止まってます」
まだまだサインを書かなければならない書類があるというのに一枚を見続ける藤堂に対し、花札は眉間にしわを寄せる。
「ん。わかっているよ」
サインをして紙を横に流し、花札から紙を貰う。
花札は流され床にバラバラに広がる書類を睨みつけ顔を僅かにしかめた。
「今日は行くかい?」
藤堂の脈絡のない話に花札の目は丸く見開かれた。
「あの、何のことでしょうか?」
「新入社員の入社会。今日だっただろ…、手止まってる」
『すみません』謝りながら書類を藤堂に渡すと、さらさらと名前を綴った。
「どうぞ――今日でしたっけ?忘れてました」
「普通忘れるか?まあ、いい。来るだろ?というか、来い」
――あれ?今、拒否権がない文があったような。
「行きませんよ。社長は行くんですか」
花札が呆れたように藤堂を見ると少し口角を上げ、また一枚書類にサインをし、流した。
「行くよ。君を連れてね」
「聞こえてませんでした?行きませんよ」
「「………」」
順調に進んでいた藤堂の手は止まり、花札を見る。
「なんで」
――なんで、って……、こっちが聞きたいわッ!
「自由参加なはずですよね。でしたら身体を早く休めたいので」
「だーめ。君は今日私と……ああ、これは後でのお楽しみだったな」
「行きません。今ので決意しました絶対に行きませんから」
――何考えてんだ、こンの変態。
そんな、危険なとこ行くわけないだろ。
握り締めたせいで書類に小さなしわが入り、それを渡された藤堂は凹凸に顔をしかめた。
「花札、これは勤務妨害じゃない?」
「社長、それくらいは当然の報いではないでしょうか」
小さく舌打ちすると藤堂が低い声で呟く。
「絶対に連れていく」
本気の目をした藤堂に見つめられ、花札は思わず背筋を伸ばした。
7時、今日の仕事は全て終わった。
しかし、花札は今だ藤堂から離れることを許されなかった。
「社長、私就業時間過ぎたので帰りたいのですが」
「……、言ったはずだよ゛絶対に連れていく゛って、逃がすわけないだろ」
ギリギリと段々と力の篭る手に花札は今捕まっている。
それは、引きずるように引かれ、花札の意思とは関係なく藤堂の後を着いていく形になった。
「離して下さい。変態が。」
――目的を知ってて着いていく馬鹿じゃないのよ私は。
睨む花札の目には藤堂の後ろ姿しか見えず藤堂が今どんな顔をしているのか解らない。
だが、強まったまま引きずられ続けるこの状況は花札の言ったことはあまり気にしていないようにも見えた。
そのまま、藤堂の高級車に押し込められ、シートが柔らかく沈む。
「強制送還」
素早く車を発進させた藤堂の顔には笑みが現れていた。
「ちょッ、規制速度……」
シー、と形の良い唇にすらりと伸びた指をあてる。
――いや、いや、いや、いや!
"シー"じゃない!何、微笑んじゃってんの?
馬鹿なの?アホなの?狂ってるの?
目を開く花札に藤堂は進行方向を見つめながら、
「規則っていうのは破るためにあるもんだと思ってる」
と、いつになく真剣な声が車内へと響いた。
それを聞いた花札は開いた口を閉じ、コクンっと唾を飲み込み、そして、肩を落とした。
「……、もぅいいです」
遠いはずの店は花札が諦め呆然としている間にあっという間に着き、藤堂は花札をエスコートしながら「これくらいで参ってたら後が大変だよ」と、耳元で甘く囁きかけていた。
店内は賑わっていて、案内された方へ行けば見知った集団と緊張しているのがまるわかりの新入社員がこちらを見ている。
「おぅ!花札ー、社長と一緒かぁ……へぇ」
営業部部長の金森がにやにやと茶化すような笑みを浮かべて藤堂に手を引かれる花札を見ると酒を一口飲む。
「何ですか、その下品な笑い。薄気味悪いです」
花札は引っ張られる情けない姿にも関わらず見事な悪態をはく。
「花札…私といるのに他の男に目移りかい?感心出来ないね。公開調教が望みなら今すぐ叶えてあげるよ」
そう言いながら藤堂の握る手はぎりぎりと腕を締め付ける力が強くなっていた。
――本当、力で従わせるって最悪。
「望んでません。というか、いいんですか?ピチピチの新入社員が恐怖で怯えちゃってるじゃないですか」
今やっと新入社員に気づいたのか藤堂は花札を拘束した状態で社員に向き直る。
「ようこそ我社へ。君達はこれから働いていく中で大変なことがあるだろうけど上や同僚を信頼して頑張ってくれ」
綺麗な笑みをしてるせいか社員の女子が何人か頬を染めた。
それを花札は口をへの字に曲げ、難しい顔で見る。
――目を覚ましてくださーい。
この人、先程"公開調教"などとほざいていた男ですよー。
何ならこいつ引き取って貰えませんかね?
「さあ、座ろうか」
引き寄せられた力に無理矢理座る形となった花札は眉間にシワを寄せる。
「社長…近づかないでくれますか」
精一杯身体を引く花札に藤堂は笑いながら近づく。
「駄目だよ。離れたら君は逃げるだろ?それはとても困るんだ」
全くもって困った様子のない藤堂は目の前に並べられた料理の中から焼鳥の串を手に取ると花札の口にそれを寄せた。
「はい、あーん」
可愛がっているペットに餌でもやるように藤堂は口を綻ばせさらに近づける。
タレのついた焼鳥は花札の唇に当たり、閉ざされた唇を開こうと少しなぞられた。
「ん、んー!」
かたく閉じている唇をタレが汚してゆく。
睨みつける花札を特に気にした様子もなく、閉じられた唇を眺める藤堂は「どうしたものか」と空いていた手を顎にあてる。
「ああ、そういうことか……御免ね気づかなかったよ」
しばらく考える素振りをしていた藤堂はにっこりと笑みを浮かべると、小さく舌なめずりをした。
――何が、何がそういうことなの?
意味わからないし、わかりたくもないが何故お前は私の顎を掴む?
不安と困惑の入り混じる瞳で藤堂を見上げる花札は次の瞬間、感情を全て消していた。
「んっ、美味しいかい?」
ころん、口の中を転がったのは甘しょっぱいタレを身に纏った焼鳥だった。
ぺろぺろと花札の唇についたタレを舐めとる藤堂はいつもと変わらぬ笑みで花札を見た。
一方、それどころではない花札は口の中を占領する焼鳥を噛むことなく、無意識に飲み込んでしまった。
そして、口を半開きにしながら顔を赤くし、青くした。
「な゛ッ、あ、あんたは何考えてんのよ!さいて……、ふぐぅ、」
怒鳴りつける花札を押さえ付け、恍惚とした顔で花札を抱きしめた。
「はぁ、なんて可愛いんだ…。早く泣き叫ぶ君を丸裸にしたいよ」
絶世の美形、だがその発言は変態であり、花札は背筋を凍らせる。
絶句する花札に藤堂は身体を優しく撫でた。
「や、止めてください異常性癖者!」
いつもの冷静な花札ではなく本気で全身が危機を発している状態で抵抗も弱々しいものになっている。
「ああ、そうだね…性癖が悪いのは認めよう」
余裕のある口ぶりに逃げようとする花札を藤堂の手が妨げ、そして再び唇を塞がれた。
「ンっ、………ふぅ!」
熱く流れ込む液体に花札は吐き出すことも出来ずに飲み下してゆく、次第にかすれる視界とぼぅ、と徐々に思考が遅くなる頭に花札はゆっくりと瞳を閉じ、意識を離した。
藤堂はくたりと身体を投げ出す花札を見るとしょうがないなと笑いながらため息をついた。
「酒に弱いことを忘れていたよ、もっと辱めたかったが仕方ないな」
抱き寄せて言う藤堂に周りの者は顔を引き攣らせた。
「私の可愛い秘書は潰れてしまったようだ…私はこれを寝かせないといけないから先に帰らせてもらう。皆は愉しんでいてくれ」
それだけ残すと花札を抱き抱え上機嫌でその場を立ち去った。
◇◆◇◆◇◆
藤堂が花札を運んだのは自分の部屋だった。もっとも部屋と言っても藤堂はあまり使っていないので、購入当時のような綺麗さだが、逆に言えば何もない部屋。
「本当に可愛いね…いっそのこと、君を縛ってこの部屋から出れなくして仕舞おうか」
一定の感覚で息をする花札に藤堂は小さく笑った。
いつものように返事がこない花札の唇を指先でなぞれば吐息が小さく当たる。
乗り出せばぎしりとベットが軋み、マットを沈めた。
「おやすみ…」