第11話
ガサガサと進んでいく度、少年に着せられた衣服が汚れたり、ほつれたりした。
本来ならきれいな状態で山神の御前に出るはずだったが、状況が状況だ。汚れた格好でも山神は何も言わずに受け入れてくれるだろう。
「それに、山神様はこの状況をご覧になられているはずじゃ」
「山神様が?」
「俺も親やジジババから聞いただけじゃ。山神様はこの山一体すべてをご覧になられている。だから土砂崩れや鉄砲水なんかの気配があるときに、神託として俺らに教えてくれるんだと。だから山で悪いことはすんじゃねえと悪さしたときにゲンコツ喰らって叱られた」
ケラケラと笑いながら男は少年の手を引いて、藪の中を突き進む。
男は少年よりも上背があるからか、男が通れば少年は楽に通れた。突き出た枝などは抑えてから通してくれる。
「だからあの兄弟と道を塞いだ連中はもう終わりじゃ。いや、村自体が終わりかもなぁ」
「終わり?」
ギョッとした声を上げた少年を背に、男は手を離して目の前の男ほどの身長がある壁をよじ登った。
哀れみのような、悲しそうな表情を浮かべながら手を少年に差し伸べる。少年は戸惑いながらも、差し伸べられた手を握った。
グイッと強く引き上げられながら、少年も壁に足を引っ掛けつつなんとか壁上へと上がった。
再び男と少年は手を繋いで、やや早足で道なき道を歩き出す。
「仮にも山神様がいらっしゃるこの山で二度目の殺傷沙汰を起こそうとしたんじゃ。お前さんは知らんかもしれんが、だいぶ昔にこの山で山神様に気に入られた人を殺した奴がおってな。そのときかなり山神様はお怒りになって、食うにも困る状況になったらしい」
弥兵衛と村の者たちのことだ、と察した。
弥兵衛が死ぬきっかけを与えたのは伊介だが、根本的な原因は村の者たちである。山神が村全体に怒りを抱くのも無理はないだろう。
だって、彼女は弥兵衛が死んだときに泣いていたのだ。
神様なんて人の生き死になんて気にしないと思っていたのに、彼女は泣いていたのだ。
人と同じように泣き笑いする神が、恨みを抱かないわけがない。
「おし、抜けた」
ガサガサッと大きな音を立てて男が進んだ先は、山頂まであと少しの見慣れた整備された山道だった。
少年の衣装も汚れていたが、先頭を歩いていた男の方がもっと汚れている。空いた手で少年の土埃を軽く叩き落としながら「もうちょいだ」と男は笑う。
手を引く男の手を、少年は引いた。
その場から動かない少年に男は目を瞬かせる。
「どうして」
「うん?」
「どうして、ここまで良くしてくれるんですか」
道なき道を歩いているときからずっと疑問だった。
男と少年は関わりはなかった。
少年の付き人はあの老人であったし、少年を煙たがっていたのはあの異母兄弟や村長の家の使用人たちばかりで、村の者たちはどちらかというと遠巻きに少年を見ているだけだったと思う。
男は少し考えるように視線を空に向けると、左手で頭を掻いた。
「正直、俺らもお前さんのことを気味悪く思ってたよ。生まれたときから腕がないっちゅーもんは初めてだったからな。山神様に限らず、神様に何か罰のようなものを受けたんじゃねぇかって噂もあった」
「っ」
「でもお前さんはお役目にひとつも文句は言わなかった。ここの山はそこまで高さはねぇけども、日を置かずに山に登って、お役目を果たしていた。まだ元服もしとらん子どもがそこまでやるのなら、最後まで応援してやるのが筋ってもんさ」
付き人は決まっていたし、お役目を担った子たちへの接触は制限されていたから村人たちが手を貸すことはできなかったのだと言いながら男は山頂へと視線を向ける。
「ま、御神託のこともあったけどな。気を悪くしたか?」
「……いいえ」
ふ、と少年は口元に笑みを浮かべる。
村長と会話したときも少年は感じていたが、村全体が悪いのではなく、一部が悪いのであろう。
伊介のときもそうだ。伊介は「やりたくてやった」という顔つきではなかった。
夢の中でもなにかに背中を押されていたような、なにかに追われていたような、そんな顔つきだったのを、少年は覚えている。
だから、少年は信じることにした。
「すみません、行きましょう」
「おう、んじゃ行くか」
互いに手を握り直して、山道を上がっていく。
多少なりとも整備されている道だから、さっきの道なき道よりはすんなりと山頂に上がっていけた。
鳥居の頭が見えた。
早く行きたい気持ちはあったが、道ならぬ道を歩いてきた弊害か。少年の足取りは重く、息が切れている。
そんな少年を見てか、男は少しだけ歩く速度を落とした。
もうすぐそこが目的の山頂で、社殿がある場所だ。
つづら折りの山道を上りきり、鳥居の下をくぐろうとしてふたりの足はピタリと止まった。
―― 社殿の扉の前に、異母兄弟が立っていたのだ。
弟の方の手には、あの御神体である鏡。その鏡には、べっとりと赤黒い何かがついている。
少年たちが来たことを認めた異母兄は「なぁんだ」と残念そうに呟いた。
「下のやつらも役に立たないなぁ」
「何を……しとるんじゃ」
目の前の光景が信じられない様子の男の問いに、異母兄はキョトンとあどけない表情を浮かべる。
「何って、こわすんだよ」
「はぁ!?」
「だって、村の外では “うみ” っていう大きな湖の向こう側にいる外人から、新しいものをいろいろ教えてもらってるんだ。この村だけだってよ、神さまだなんだっての信じてるの。だからこわした方がいいんだって!」
ニコニコと笑う異母兄に少年の背筋がゾッとした。
(なんだろう。なんだろう。これは ―― これは、誰だろう)
隣に立つ異母弟の表情はない。
ただぼうっと鏡を持って立っているだけだ。
赤黒く染まった鏡に反して異母弟の着物は綺麗だし、手も触れている部分が赤黒くなっているだけだった。
ああそれよりも。何よりも。
あの赤黒いものは、なんだ。
「……まさか、あの爺さんやったのは」
「しらなーい。これは使われたみたいだけどね」
異母兄が言う ”これ” とは鏡のことを指している。
男が言った “あの爺さん” とは、老人のことだと少年は察した。察してしまった。
では、あの赤黒いものは。
ぐらぐらと視界が揺れる。
ふらついた少年に気づいた男が咄嗟に少年の肩を抱いて、異母兄弟たちを睨みつけた。
それを受けても異母兄はニコニコと笑う。
「古いものはこわせばいいんだよ。村がなくなったって、また新しいのを作ればいいんだよ」
「バカ言うんじゃねぇ! 壊すのはあっという間じゃが、新しいのを作るのはなんであれ時間がかかる。それに何より、今まで世話になってきた山神様に対して不敬じゃろう!」
「ふけい? あんなみにくい女が? ないよぉ、あれはバケモノだもの!」
―― 山神に対して醜いだとかバケモノだとか、まるで面識が《《あった》》かのような言い方をする異母兄に疑問を抱かなかったわけではない。
だが、それよりも、何よりも。異母兄が彼女を侮辱したのだと理解した瞬間、少年の頭にカッと血が昇った。
支えてくれていた男の手を振り払い、一歩踏み出して少年は叫ぶ。
「あのひとに対してそんなこと言うな! あのひとはみにくくなんかない、バケモノじゃない!」
花を愛で、生き物を愛で、季節を愛でる彼女がバケモノなものか。
人に対して少なからず憎しみを抱いていたとしても、きちんと向き合ってくれている彼女が醜いものか。
「みにくいのはお前だ! 人の体を借りなければ何もできないバケモノめ!!」
それは “目の前にいる異母兄は異母兄じゃない” という少年の直感だった。
暴れる問題児ではあったとは聞いていたし、多少なりとも交流はあったがここまで壊れていなかった。
少年の隣にいた男も違和感を感じていたのだろう。「下がっとれ!」と少年を背に庇った。
一方、異母兄はというと。
少年に言われたことがすぐに理解できなかったのか何度か目を瞬かせていたが、やがて理解が追いついたのだろう。
眉間に皺を寄せ、眦を釣り上げて少年と男を睨みつけた。
《バケモノ、バケモノだと!? よりもによって私にそんなことを言うか!! 我らに庇護しか願えないガキが!!》
異母兄の声と誰とも知らぬ大人の男の声が重なって響く。
そんな異母兄の異常を目の当たりにしても異母弟はぼうっとしていた。明らかにおかしい。
異母兄らしき者が右腕を上げ、空に手のひらを向けた。
《いいだろう、お前らもろともここら一帯など潰してくれる!!》
「誰が、どこを潰すって?」




