第十六章 砦からの行進
夜明け前、丘の中腹は、不思議な活気に包まれていた。
兵士たちが大鍋を組み立て、職人たちが石組みの竈を作り、農民たちが薪を運んでいた。誰も大声を出さず、それでも仕事は淀みなく進んでいた。
私は設計図を地面に描いた。木の棒で、丘の中腹に、七つの円を並べる。中心の鍋を一つ、その両側に三つずつ。風向きを考えて、煙が王都へ流れる配置。
「中央の鍋には、清水と塩。ここが、要の鍋です」
私は集まった人々に、ひとつずつ、役割を割り振っていった。
「水組十人。ここから西の井戸まで、煮沸した水を運んでください。途中で蓋を取らない、地面に置かない」
「分かりました」
「火組十人。鍋の下に火を入れる。火の強さは、わたしが指示します。途中で目を離さない」
「了解」
「素材組、二十人。検品済みのものだけを、私に渡してください。検品は、入口で書記様が立ち会います」
「は」
「運搬組十人。素材を、検品場から鍋まで運ぶ。途中で蓋を開けない、土の上に置かない」
「分かった」
次々に、私は指示を出した。
兵士、農民、商人、神官の見習い。立場の違う人間が、同じ列に並び、同じ指示を聞いていた。誰も、私を「下女」とは呼ばなかった。
砦長が隣で小さく笑った。
「アカネ、お前、人を動かすのが上手いな」
「私、これを、毎日やってきただけです」
「給食センターというのは、どういう場所だ」
「子供たちに、毎日二千食を作る場所です」
「二千食」
「はい」
「そりゃ、二千人の街を救うのに、ちょうどいいわけだ」
砦長はにやりと笑った。
私は書記の老人を、検品場の中央に座らせた。
彼の前を、農民たちが、籠に詰めた素材を一つずつ通していく。
「玉葱十籠。傷んだものはありません」
「香草五束。色良し。匂い、良し」
「塩三袋。湿気なし」
「肉二樽。表面、確認」
書記はひとつずつ確認しては、私のノートと同じ手順で印をつけていた。古代救済式の前文の手順を、現代の検品票に置き換えていた。
レイノルドは後方の指揮所から、地図を広げて全体を見ていた。城壁の中の街はいまも瘴気で覆われている。儀式の効果が及ぶ範囲、煙の流れ方、市民の避難経路。
彼の指は地図の上を、何度も往復していた。
昼前最初の鍋に火を入れた。
水と塩。最も基本の鍋。
「火、強めに。沸騰したら、すぐに教えてください」
「は」
火組の兵士が、手際よく薪をくべる。
私は竈の隣で、鍋肌を見守った。湯気が立ち、表面が震え始める。
「沸騰しました」
「中央の鍋は、ここから一刻、この温度を保ちます。脇の六つに、順番に火を入れます」
二つ目の鍋、根菜と香草。三つ目、肉と塩漬け。四つ目、清水と酒。五つ目、油と香草。六つ目、雑穀と塩。七つ目、最後の合わせ鍋。
すべての鍋に、火が入ったとき、丘の中腹に、七本の白い湯気の柱が立った。
その湯気が、ゆっくりと、王都の方角へ流れ始めた。
城壁の外の難民たちが、丘を見上げていた。
ある老女が、腰を曲げて、両手を合わせた。
「神官の祝福より、温かいねえ」
「あれは、何の儀式だい」
「下女らしいよ。北の砦から来た、料理上手な娘さんだって」
誰かが、小さく笑った。
私は聞こえないふりをして、湯気の方向を確認していた。
午後最初の異変が起きた。
城壁の方角から、白い長衣の集団が、丘へ向かって歩いてきた。
神官団。先頭に、聖女イレーナ。
「殿下、聖女様が、こちらへ」
兵士の知らせを受けて、レイノルドが私の隣に立った。
「アカネ、彼女が来る」
「分かりました」
「君は、儀式の進行を止めるな。話は、私がする」
「いえ」
私は首を振った。
「殿下、ここは、私の厨房です。私が話します」
レイノルドは私の顔を見て、そして、深く頷いた。
「分かった」
イレーナは白い長衣の裾を引きずりながら、丘を登ってきた。神官団は十二人。前後に分かれて、彼女を護衛している。
彼女の顔は舞踏会の夜と、違っていた。
肌が、薄く灰色がかっていた。瞳の縁が、わずかに青黒く滲んでいる。彼女が動くたびに、足元の枯れ草が薄く黒ずんだ。
私は丘の中腹で、彼女と向き合った。
七つの鍋の湯気が、私たちの間を、白く流れた。




