美人と子どもと人形と その2
一通りむせた後のラフェイブの反応は、珍妙に尽きる。
大急ぎで汚れた口元を拭い、床を片付けようと立ち上がっては、反動で倒れた椅子に異様に驚く。
続いて意味なく両手をバタバタ上下に振った彼は、床と椅子を交互に見やると、はっとした顔で刹那を指差し、片付けを要求した。
すかさずリリアが、自分の方が適任だと申し出れば、慌しく頼んで椅子の方へ移動。
途中、椅子の脚に足を引っ掛けては盛大にすっ転び、それでもめげずに立ち上がった彼は、椅子を起き上がらせると、その背にささっと隠れ出した。
全く隠れていないそこからラフェイブが覗くのは、ここに着たばかりのエニグマ。
(……どこかで見たような光景ですね?)
思い出すまでもなく、それは昨日、リリアがエニグマと初めて対峙した時、彼が取った格好であった。
(種族は違いますけど、ドラゴンの頭を持つ方々の初対面の挨拶は、これが普通なのでしょうか?)
不思議な共通点を見つけ、リリアが小首を傾げたなら、ラフェイブが上擦った声で言った。
「か、かかかかかかかかか館長!!」
「はい?」
椅子の陰でエニグマを見つめながら、何故自分が呼ばれるのか。
それでもバタバタ手招く手に引かれ、ラフェイブの元へ近寄れば、一向にリリアを見ないで彼は言う。
「あ、あ、あの人の、御名はっ!!?」
「……あの人? 御名?……ああ、彼の名前が知りたいのですか?」
「…………!!」
手の平をエニグマに向けて尋ねると、ここでようやくリリアを見たラフェイブがぶんぶんと首を縦に振ってきた。
見るからに緊張している様子である。
がっちがちに固まりつつも、期待に満ち溢れたオーキッドの瞳に見つめられたリリアは、傾げた首を戻せずに、それでもラフェイブの問いに答えた。
「彼はエニグマです。種族は花竜で――」
「え、エニグマ様……」
「へ?」
うっとりとしたラフェイブの呼び方に、リリアが呆けたのも束の間。
『花竜之、餌爾愚魔――――死爾晒施獲獲獲獲獲獲獲獲!!』
それまで大人しかった刹那が、ラフェイブを叩いた太い棍棒を取り出し、いきなりエニグマに襲い掛かっていった。
「ええ!?」
「刹那!?」
突然過ぎる凶行に、リリアとラフェイブが叫びを上げる。
と、無理矢理な当て字で死を宣告されたエニグマは、慌てず騒がず、迫り来る刹那へ手の平を翳す。
「識は風。風は盾為り、剣為り。向かうは炎。歯向かう焔は流れを変える――防壁」
詠唱の終わりを待たず、エニグマに纏わりついた風が、意思を持ったていで刹那の身体を空中で留めると、発された単語に呼応する形で、殺気立つ自動人形を吹き飛ばした。
『愚亜!――血異!!』
一旦は風に流され、室内だというのに高く舞った刹那、器用にもそこで体勢を立て直すと、棍棒の先を下に向けて短く叫ぶ。
『御主人!』
「ぎゃあっ!?」
「ラフェイブさん!?」
飛ばされるだけだった刹那が地に落ちると同時に、何故か短い悲鳴を上げて倒れるラフェイブ。
リリアが小さくとも重い上半身を何とか起こしたなら、御主人と呼んだくせにラフェイブを後回し、エニグマと再び対峙した刹那が、棍棒の先を鋭く向けた。
『餌爾愚魔……忌環死鬼花竜目。積年之恨味、今此処出果死手呉留!!』
「せ、積年の恨み? エニグマ、刹那さんに何を?」
何がどうなってこーなっているのかはさっぱりだが、昨日のプリマとの一件もある。
エニグマ自身、人をからかうのが好きだと豪語している以上、非は彼に在ると即行で判断したリリアは、躊躇わずに直球で問いかけた。
が、しかし。
「にゃー。りりあ、酷いデス。えにぐまはこの自動人形に何かした憶えはない……というかお前さん、誰だ?」
「へ?」
目元を覆う布の下で、エニグマの眉辺りがぐぐっと寄った。
刹那に恨まれる心当たりが、本気で判らない様子を受け、それどころか刹那に見覚えがないという言葉を聞き、リリアはきょとんと瞬き数回。
(エニグマは刹那さんを知らない? ということは、刹那さんの人違い?……でも)
刹那は言っていた。『花竜』のエニグマ、と。
(花竜はエニグマ以外いないはずですし……ああ、ですが、刹那さんの世界では別の意味で――あら? ちょっと待って下さい? ということは、エニグマの生まれは刹那さんの世界?)
憶測が憶測を呼び、ちょっとした混乱をリリアに招く。
と、棍棒を下に降ろした刹那が、ギリッと歯を鳴らして剥いた。
『噴、憶得手無久手、当然駄。昔之刹那途今之刹那羽、略別人形。併、其我何駄? 餌爾愚魔経之憎悪爾変化羽皆無! 否、更爾増加傾向!』
「にゃー。そんなこと言われても困るデス。理由が判らないと、対処の仕様がないデス」
『問答無用! 御主人!!』
「ぎゃはっ!!?」
「ラフェイブさん!?」
のんびりしたエニグマの返答に、棍棒を構えた刹那がもう一度ラフェイブを鋭く呼んだ。
途端に前回同様、今度はリリアの腕の中で、ラフェイブの短い悲鳴が上がり、刹那の棍棒の先が光の刃を纏い始めた。
(刹那さんがラフェイブさんを呼ぶ度に、ラフェイブさんが悲鳴を上げて、刹那さんの棍棒が何かしらの力を得る……ということは、あの力の源はラフェイブさん? 刹那さんを動かしているのもラフェイブさんの魔力なら)
さすがに二度も同じ光景を前にすれば、自然とリリアの中で結ばれていく、二つの事象の因果関係。
加え、リリアの本体である魔道書が、ラフェイブの症状を勝手に詳しく補足していったなら、擬態である白い肌がさっと青褪めていった。
(ただでさえ、刹那さんを動かすのに必要な魔力を、補助術具でまかなっているラフェイブさん。それなのに、無理に引き出されてしまっては――彼の身体が持たない!?)
通常、自動人形には、主の魔力を思いのまま引き出す能力はないらしい。
それでも眼前に在る例外は、主を省みずにエニグマを倒す気満々。
となればリリアが――この図書館の館長たる魔道書が、為すべきことは、唯一つ。
エニグマに向かい、突撃しようとする刹那へ、あらん限りの声で叫ぶ。
「刹那さん、ストップ! というか、伏せ!!」
『駕!!?』
リリアの声に呼応し、一瞬停止した刹那の身体が、床へ勢い良く叩きつけられた。
『館、長……?』
起き上がろうとしても、起き上がれない刹那の露草色の瞳が、信じられないとでも言うように向けられ、リリアは申し訳なさから小さく頭を下げた。
「申し訳ありません。ですが、これ以上の魔力行使はお止めになって下さい。でないとラフェイブさんが危険です」
『御主人……』
リリアは抱えたラフェイブの頭を刹那へ傾けてみせた。
度重なる魔力行使により、オーキッドの目が完全に回っている。
これを認めた刹那は、悔やむ素振りで顔を伏せると、
『此之程度之魔力行使不可、情無』
私怨に走った己を反省するでもなく、御主人を詰る刹那。
ラフェイブを抱えるリリアはちょっと酷いんじゃないかと思ってしまった。