5.お遣いで裏路地に
商店が立ち並ぶ区域に着き、ライラは帽子をさらに深く被ると気をつけつつ目当ての店を目指した。
繕い用の丈夫で地味な色の糸、アガタに頼まれたスパイス、残り少なくなっていたインクと今日特売になっている野菜。それから卵。
バスケットはあっという間にパンパンになり、ずっしりとした重さになった。
「……一度に買いすぎたかしら」
ライラは重さには後悔するが、とても安く新鮮で美味しそうな野菜が買えたし、スパイスは少しオマケしてもらえた。卵料理はウェンディの好物なので、絶対に今夜の夕食には出してあげたい。
「よし。頑張って帰りましょう」
時々休憩しつつ、ライラは重いバスケットを抱えて帰路に着く。
日中なのでそれぞれの屋敷の使用人達が行き交う裏路地も、人通りが多い。社交シーズンはとにかく王都に人が多いので、買い物に出る者も多いのだ。
「腕が痺れてきちゃった……」
唇を尖らせつつ、何度目かの休憩でベンチの上にバスケットを置き、ライラはその隣に座った。伯爵邸まで徒歩でもさほど距離はないというのに、張り切って買い出しでウロウロした疲れと重い荷物に、途方もなく遠く感じる。
建物の裏手のベンチは、木を組んだだけの簡単なもので側には枯れた小さな噴水がある。少しでもこういった意匠めいたものがある、ということは貴族街の表通りに近い路地だということだ。長居は無用ね、とライラはバスケットを抱え直した。
すると、たまたま開いていた窓は表に面したカフェのものだったようだ。中にいる、客の令嬢達の噂話がライラの耳に届く。
「昨日のショーン男爵家の夜会、すごかったわね」
びく、とライラは震えて帽子を下げる。
どうやら窓は店内の個室に通じていて、換気の為に開けられているものの噂話に興じる彼女達はこちらが裏路地に面しているとは知らないらしい。
レースのカーテンが引かれているので、動かなければライラがここにいることはバレなさそうだが、逆に帰ることも出来ずに困ってしまった。
「ファニーったら。そりゃあジャック様は見目麗しいけれど、婚約者のいる男性を誘惑するなんてはしたないわよね」
「本当。あの子は今年デビューの年だし、舞い上がっちゃったのかしら」
くすくすと小鳥のように笑う声は、無邪気で残酷だ。
「ショーン男爵から正式にジャック様のおうち、ゴドル子爵家に抗議がいったらしくて、子爵はジャック様にカンカンらしいわよ」
「そりゃあ没落寸前でも相手は伯爵家。一方的に婚約破棄なんて通るわけないわよね」
「ゴドル子爵は、弱ってるヴィルリア伯爵家を乗っ取りたかったのかもね」
甘いお菓子と、芳しい紅茶。令嬢達の声は可愛らしいのに、それらはまるで甘い毒のように恐ろしい。
社交界の噂は、使用人を通じて風よりも早く令嬢達に伝わり、彼女達は無責任にお喋りで広げていくのだ。
「でもオフィーリア様は、そう簡単に乗っ取らせてなんてくださらないに違いないわ」
「そう、オフィーリア様! とても凛々しくて、素敵だったわ」
「本当。式典の時の騎士服も素敵だけれど、ドレスもお似合いだったわねぇ……」
うっとりとした令嬢達の溜息が、唱和する。それを聞いて、ライラはじっとしたまま内心でホッと胸を撫で降ろした。
オフィーリアの評判はあまり落ちておらず、ライラの為に怒ったことは好意的に受け止められているようだ。
元々誠実で優秀な姉なのだから、ほとぼりが冷めたら求婚者も現れるだろう。
特に女性人気の高いオフィーリアだが、容貌は文句なしに美しいし彼女と結婚すれば伯爵位も手に入る。結婚相手として申し分のない令嬢なのだ。
問題は伯爵家が傾きつつあることと、
「でもあの妹のことは、いかがなものかしら」
ライラ自身の存在が、オフィーリアやウェンディのマイナスポイントとなってしまっているのだ。
誰か一人が口火を切ると、口々に令嬢達は文句を言い始める。
「そうよね。伯爵は亡くなったんだし、どこの子とも知れないあの子なんて追い出してしまえばよろしいのに」
「オフィーリア様はお優しいから……」
「でも末の妹様にも悪影響なんじゃなくて? お可哀相だわ」
少女達は異質を嫌う。
自分達も努力をして世界に馴染んでいるというのに、あからさまに異質であるライラが馴染もうと努力もせずにオフィーリアに大切にされていることが許せないのだ。
ライラも始めは社交界に馴染もうと努力したのだが、親世代の貴族達の目は冷ややかで、それを見ているライラと同世代の貴族達も親に倣った。気付けばライラは、社交界ではつま弾きにされていたのだ。
野良犬でも見るようなあの目。ライラにとって社交界は恐ろしく、居心地の悪い場所だった。
オフィーリアやウェンディと血が繋がっていない。親が誰なのかも分からない。それだけで、ライラは受けいれてもらえないのだ。
令嬢達のお喋りは無責任で残酷だが、社交界を端的に表している。
悲しくなって、そして姉や妹に申し訳なくなってライラは俯く。
家事や、家の仕事を手伝うのは、罪滅ぼしのようなものなのだ。たくさん役にたってみせるから、私を嫌いにならないで、という下心だ。
その時、路地に風が吹き抜けてライラの帽子と令嬢達のいる窓辺のレースのカーテンを舞い上がらせた。
「あっ」
「え……」
ふわ、と帽子が頭から離れ、慌てて両手で掴む。大きな動作だったので、室内にいる令嬢達の視線も集まった。
彼女達と目が合い、ライラはびくん、と立ち竦む。その瞬間パチパチッ、と魔力が爆ぜていくのを、肌で感じた。
止めないと、と思うものの、ばっちり合ってしまった視線に焦り、上手く制御出来ない。
「あっ、あ……」
魔力が導火線を焦がして進むイメージが膨らみ、バチン、とスパークする。
途端、令嬢達は一瞬小さく痙攣して、座ったままパタリと静かに気絶した。