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3.朝と厨房


 悪夢のような夜から、明けて翌朝。

 王都の中心に居を構えるヴィルリア伯爵邸。その厨房で、ライラはせっせと野菜を刻んでいた。

「ライラお嬢様、夜会の翌日ぐらいゆっくりなさってください」

 年嵩のメイドであるアガタに言われても、ライラは笑って首を横に振る。


「ううん、色々考えてたら早く目が覚めちゃったの。邪魔にならないようにするから、お手伝いさせて」

「猫の手も借りたいぐらいですから、手伝いは助かるんですが……」

 アガタはてきぱきと朝食の用意をしながら、こちらを困ったように見て来る。


 本来ならば料理人が数名働いている筈の広い厨房だというのに、朝日の差し込む明るいそこにはアガタとライラしかいない。

「お嬢様に厨房の手伝いをさせたなんて、奥様が生きておられたら叱られてしまいますわ」

「私が叱られるから、アガタは心配しないで」

 叱られてもいいから、優しくて厳しい義母にまた会いたい。

 ライラは手を止めて、ちょっとだけ感傷に浸った。

「……お嬢様。お疲れでしたら、無理はなさらないで下さいね」

 アガタの優しい言葉に、笑顔で応える。


 一年前、外交官を務めていたヴィルリア伯爵リチャード・クラインとその妻アウローラは隣国を訪問の後、帰国の際の道中で落石による事故で亡くなった。


 ヴィルリア伯爵領自体は小さくさほど肥えた土地でもなく、これまで税収を抑えて国へ納める税が十分に賄えていたのは、伯爵自身の領地経営の手腕のなせる業だった。しかし伯爵が亡くなったと知るやいなや親戚達はこぞって利権を貪り尽くし、領地経営も資産管財も何も知らない三人の娘達は成す術もなく家は傾いていった。

 急速に衰えていく伯爵家は、大勢いた使用人達は紹介状を渡して解雇せざるを得なかった。

 今屋敷で使用人として働いてくれているのは、メイドのアガタと、その夫である執事のフーゴ。そして彼らの息子であるネイトが、庭師や馭者などを纏めて務めてくれている状態だ。


「何でも出来るようになっておきたいの。あの時……私がもっとしっかりしていれば、お父様の築いてきた資産を一年でここまで細らせることはなかった筈だもの」

 まるで何もかも自分の所為かのように背負おうとするライラを、アガタはいつも心配してくれる。


「でもそれだって、旦那様に経済学を教えてもらっていた、あの男が守るべきだったんですよ」

 あの男、とはジャックのことだ。

 伯爵家に婿入りすることになっていたジャックは、ヴィルリア伯爵から領地経営を学んでいた筈だったが、親戚達から資産を守ることをしようともしなかったのだ。

 その上、伯爵夫妻の喪が明けてからにしよう、と結婚を延期させての、昨夜の婚約破棄騒動である。


「旦那様は立派な方でしたけれど、あの男に関してだけは見込み違いでしたねぇ」

 長年屋敷に勤めているだけあって、アガタの物言いは容赦がない。義父が生きていた頃と同じ調子で喋るアガタの様子に、ライラはちょっとだけ嬉しくなって微笑んだ。

「アガタはいつもお父様に厳しいわね」

「そりゃあ旦那様が子供の頃からお仕えしてますからね、ついつい」

 野菜を全て切り終わるとそれらが入った籠を持って、火に掛けられた鍋の方へと向かう。

「あら、もう全部出来たんですか? ライラお嬢様は手際がいいですね」

 驚いたアガタに褒められて、ライラは嬉しくなってにっこりと微笑んだ。祖母よりは少し若いぐらいの年の頃のアガタは、ライラのことを子供のように褒めて可愛がってくれる。


「ありがとうございます、こちらの手伝いはもう十分ですよ」

「そう? じゃあウェンディの支度を見て来るわ」

「助かります」

 自分を責め手伝いたがるライラの心情を、アガタはよく汲み取ってくれている。

 ライラは優しい家族と使用人達に恵まれながらも、出自が不明な所為もあって「役に立ちたい・恩に報いたい」という気持ちが強い。

 その為、本来ならば令嬢として家事を手伝うことなどもっての外なのだが、アガタはちょっとお小言を言いつつも手伝うことを許してくれた。


 厨房を出たライラは、広い屋敷の中を足早に進む。

 伯爵令嬢らしからぬ簡素なドレスと柔らかい布の靴は使用人の作業用の衣服だったが、今はライラの普段着だ。銀の長い髪も、布で纏めてある。

 伯爵夫妻が亡くなってから来客はぐっと減り、閉ざしている部屋も多い。寂しい廊下を見ると、両親が健在だった頃の姿を思い出して苦しくなるので、つい早く歩いてしまうのだった。


 二階の日当たりの良い部屋の前に辿り着いて、ノックをする。

「はぁい」

 と眠そうな返事を受けて、ライラは微笑んで扉を開けた。まっ直ぐ部屋を横切ると、窓辺のカーテンを開けてからベッドに近づく。

「おはよう、ウェンディ」

「姉様、おはよう」

 ベッドの上で半身を起こし、眠そうに目を擦るのはふわふわの金の髪と青い瞳の妹。ヴィルリア伯爵家の三女、ウェンディ・クラインだ。


 彼女は、すぐ傍に立ったライラの腰にぎゅっと抱き着いた。

「姉様、いい匂いがする」

「厨房を手伝っていたから、ご飯の匂いかしら」

 ライラも小さな妹を抱きしめ返して、おはようのキスを贈る。

 ウェンディはまだ11歳の、甘えたい盛りの子供だ。両親を亡くしてから自分なりにしっかりしようと気を張っているのが分かるので、ライラはめいっぱい甘やかしてあげたくなる。

「さぁ、朝の支度をしましょう」

「ライラ姉様、私もう一人で支度出来るわ。子供じゃないのよ」


 ツンと大人ぶるウェンディが可愛らしくて、ライラは声を上げて笑った。


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