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12.薔薇とキャンディと、抱かぬ期待

 

 オフィーリアがレオンに向けて言った声に、ライラはハッとした。

 彼の長い腕が、まるで自分を囲って守るように抱きしめられている。ライラの指先は、ぎゅっとレオンの上着の裾を掴んでいて、小さな皺を作ってしまっていた。

 その指を解いて、手を離すのに随分と時間がかかる。のろのろと離れる指先を見て、ライラはまた不甲斐なさと寂しさが胸に落ちていくのを味わうのだった。


「……レオン、助けてくれてありがとう。何だか、この数日で何度もあなたに助けてもらっちゃってるね」

 苦笑して顔を上げると、レオンの端正な顔が優しく微笑んでいた。

「いつでも何度でも、ライラを助けるよ。やっとそれが出来るところまで来れた」

「?」

 ライラが首を傾げると、彼ははにかんで自分の顔を手の平で擦る。

「俺は、ライラのことが大切だから、きちんと手順と段階を踏む。誰もが認めるぐらいに」

「レオン。何のことを言っているのか、分からないわ」

 強く断言されても、ライラには返す言葉がない。レオンはまだ何一つ確かなことを言ってはいないのだ。

 これ以上無駄な期待はさせないで欲しい。ライラはこの三年間、無駄な期待をしないように一人で耐えてきたのだから。


「ごめんね、ライラ。必ず説明するから、俺にもう少しだけ時間を与えて欲しい」

「……知らない」

 ぷい、と顔を背けると、レオンがシュンとしたのが分かった。

 侯爵令息で、魔術が出来て、外国で働いている大人の男の人なのにライラの一言でこんなにも萎れてしまう人。

 可愛い、だなんて思ってはいけないのだ。彼はただの幼馴染。期待なんてしてはいけない。


 レオンはシュンとしたまま玄関の外に出て、自分が持ってきた荷物を回収している。

 予定より少し早く伯爵家を訪問し、ジェラールの暴挙をみて介入したのだ。その際に、持ってきたものは全て放り出してしまっていたらしい。

「乱暴に取り落としてしまったもので申し訳ないけど……」

 はい、どうぞ、と言ってレオンから渡されたのは、香りの濃い赤い薔薇の花束。思わずライラは受け取ってしまったが、これは家長であるオフィーリアが受け取るべきお土産に違いない。


「……綺麗ね。お姉様もきっと喜ぶわ」

「これはライラにだよ。ウェンディにはメルボンのキャンディボックスを持ってきたけど、あの子はまだこのお菓子が好きかな」

 にこ、と微笑んだレオンの笑顔は完璧に美しい。

 この美男に微笑んで花束なんてプレゼントされたら、ライラでなければ勘違いしてしまうだろう。罪作りな男だ。

「……ありがとう、嬉しいわ。……ウェンディも、メルボンのキャンディは今も大好きよ」

 ウェンディが好きな菓子店の限定商品を土産に持ってきたように、ライラは薔薇が好きだから花束を贈ってくれたのだ。深い意味はない。


「いい香り……」

 目を閉じて香りを嗅ぐ。豊かな芳香とは別に、近くに立ったレオンの温かな気配がした。

「ライラ」

 名を呼ばれたので目を開けて顔を上げると、思っていた以上に近くにレオンが立っている。大きな窓から差し込む明るい光に、レオンの紫色の瞳が綺麗に輝いていた。

「レオン?」


「近いぞ」


 びゅん、と小さな音と僅かに風を感じた。

 ライラと彼の間には、瀟洒な縁取りの扇が衝立のように広げられていて、その向こうに数歩分後ろに下がったレオンが見える。

 扇の持ち主は勿論、

「お姉様!」

 いつの間にかライラのすぐ傍にはオフィーリアが戻ってきていて、姫君を守る騎士そのままの姿勢で扇を閉じて構える。カッコイイ。

「未婚の女性と長時間二人きりでいるのは、紳士じゃないな。レオン」

「会いたい人に挨拶をするのが訪問の目的だよ、オフィーリア」


 やけに剣呑な二人だが、レオンが隣国に留学するまでも彼らはこんな感じで丁々発止に言い合っていたものだ。そのくせ、妙なところでは非常にウマが合うのが不思議だった。

 そんな二人は、互いの美しさも相俟ってとてもお似合いに見える。ライラはスン、ともう一度自分を励ますように薔薇の香りを嗅いでから、意識的ににっこりと微笑んだ。

「……迎えに来てくださってありがとうございます、お姉様。レオン、応接室に参りましょう?」


 ごく自然に言ったつもりだが、寂しさが漏れてしまっていたのだろうか。二人とも少し変な顔をした。


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