終息
前回エピローグにすると言いながら、出来ない悪癖。
今日の19時か22時にはちゃんとエピローグをアップする予定です。
そして閑話を1つ挟んで第3章に突入予定(あくまでも全て予定。そして予定は未定……)
刀において最も重要な部分の一つに数えられる、切先の焼刃である鋩子。
鋩子が無い日本刀は価値が無いとまで言われ、刀を打つ工程で最も難しい部分と言われている。
もちろんそのことを賞金首の魔物が知る由もない。だが、その鋩子を鼻先に向けられてしまえば嫌でも本能が理解させられる。
――――殺される
今まで一方的に虐げ、喰らい、殺戮する側にいた化物が初めて命の危機を感じた。
赤い瞳に宿っていた怒気の炎はわずかに揺らぎを見せ、化け物はジリッと微かな音を立て一歩後ずさりする。
「ほぅ……単なる畜生という訳ではないのか」
知性も理性も備えないただの畜生なら恐れも何も感じずに、ただ目の前の敵を殺すために襲い掛かるはず。だが眼前にいる賞金首は僅かながらに退くそぶりを見せた。
そのことに思わず感心し、そっと呟く隼翔。だが逃さないとばかりに地を蹴る。
予備動作を読ませない、とても静かな疾駆。地面を一切砕くことも無ければ、ましてや土煙すら巻き上げる事のない無駄を全て省いた動き。それは化物の突進とはちょうど真逆の動作と言えるだろう。
だからこそ、化け物は反応が致命的に遅れた。
「――――だが、逃げられると思ったのか?」
静かな問いかけと共に、動きを止める化け物に斬り上げ一閃。溜め、踏み込み、斬り、の一連の流れが一つの動作に凝縮された、まさに洗練された斬撃。
あまりにも一連の動きが滑らかすぎ、見ていた者たちはおろか、斬られた化け物すらも何が起きたのか理解できなかった。
一秒の到達点が遠く離れた世界の中で、くるくると宙を舞い踊る化け物の腕。それはゆっくりと下降し始め、ドシャっと生々しい音を上げ地面へと落ちる。
「ガ、ガァァァァアアアアアッ!?」
腕が地面へと落ちるのが引き金となったかのように、時間の流れが元に戻る。
悲痛な慟哭を上げる化物。切断された肩口からは噴水のように鮮血が飛び散り、しじまを汚す。
「吠えている暇はないぞ。次はもう片方の腕を貰おうか」
隼翔は再度強く踏み込み、今度は斬り下ろし一閃。
ヒュンと子気味の良い音を立てながら、一切の抵抗を感じさせずに落とされる腕。
「ガ、ガァァァァアアアアアッ!?」
先ほどと同じように悲鳴を上げる化け物。
瞳に宿していた怒りの炎はすでに沈静化し、その巨躯はバランスを失い左右に揺れ始める。
「う、嘘……でしょ?あの化け物、鉄のように硬いのに……」
さしも茫然と見入っていたアイリスもやっと思考が追い付いていたのか、小さく言葉を漏らす。
見ている4人の中で唯一賞金首と交戦経験とまでは言わないものの、相対したことのある彼女からすればその体躯の硬度を理解していた。
自分では絶対にあんな風に斬り飛ばすのは無理、それどころ傷すらつけるのすら危ういというのが彼女の評価。
その評価の真偽は不明だが、少なくとも硬度の見立ては間違っていない。
賞金首は進化を遂げたことにより、鉄を超えるほどの硬度を持つ毛皮と異様に発達した筋肉に覆われる体躯を手に入れていた。それこそ幾多の冒険者が傷一つつけることが出来ないということを実証していたし、Cランクの冒険者すらも寄せ付けない程度の力は持っていた。
それをいとも容易く斬り裂いて見せる剣戟。正直アイリスには今日何度目ともわからない驚きをついに隠しきれなくなっていた。
「さて、次はどこを斬られたい?」
だが、外野の変化など気にも留めない隼翔はうめき声をあげる巨躯を少し離れた位置から眺める。
7mを超える巨躯の化物と日本人の標準的体格の人間。本来なら隼翔が化物に見下ろされているはずなのだが、今はどちらかと言えば隼翔が巨躯の怪物を見下ろしているように感じる。
それほどまでに萎える存在感と萎む殺気。そして対照的に膨れ上がった人影。
「おいおい……今さら逃げ出すなんて選択肢をとっても遅いぞ?」
狩る者と狩られる者が完全に逆転した。
器用に二足のまま、怯え逃げ出そうとする賞金首。その後姿は見た目と比べるととても小さい印象を与え、恐ろしいという感情をまるで抱かせない。
そして死に物狂いで逃げ出そうとする哀れな兎を、捕食者である隼翔は決して逃がさない。
逃げる兎の正面に回り込むと、再び斬り上げ一閃。赤い一条の線が兎の正中に刻まれる。
降り注ぐ鮮血の雨。それらは地面に赤い海を作りだし、ウサギの巨躯を飲み込む。
「……死んだか」
子気味良い空斬り音を鳴らしながら血振りし、ゆっくりと刀を深紅の鞘に納める。
視線は横たわる巨躯から決して外すことはなく、聴覚を研ぎ澄ます。しばしの残心。
兎の筋の一本まで動かなくなり、呼吸と心臓の微かな鼓動が消えたことを確認して、ようやく隼翔は小さく息を吐きだす。
決して慢心していたわけではない、それでも小さくない傷を右腕に負った。それほど緊張感のある戦いだったし、気の抜けない相手であったのは間違いない。
(流石異世界。まだまだ上は遠いし、幸せを完全に掴むのはかなり先だな)
横たわる異形の兎を眺めながら、相変わらず隼翔は口元に小さく笑みを浮かべる。
迸っていた殺気はいつの間にか霧散し、刃のように鋭く研ぎ澄まされていた神経は平常のレベルまで鈍化する。
じくじくと右腕の怪我が疼き、熱を帯び始める。視線を落とせば、右手は指先まで真っ赤に染まり、生暖かい。
「殺し合いとなれば多少支障をきたすだろうが、日常生活には問題ないかな」
ぐっと拳を作れば、たちどころに神経が発火・炎上し、痛みを訴える。だが、この程度なら武士として生きていた時代にも負っていたし問題ないと結論づける隼翔。
確かに深層域の階層門番レベルならいざ知らず、目の前で横たわる兎を含めそんじょそこらの魔物なら負傷した今でも問題なく屠ることは隼翔にとって可能。それでも常人でなくとも酷いレベルの怪我を負っているには変わらない。現に痛みを体が訴えているのが良い証拠と言えよう。
だが、人斬りとして生き、二度の死を経験した男は自分の怪我や痛みに非常に鈍感になっている節がある。
「ハ、ハヤト様っ!?腕を、腕をお見せくださいっ」
「早く治療しなくてはっ!?」
「別にそんな大げさな問題じゃないぞ」
振り返れば必死の形相で駆け寄ろうとする姉妹の姿が見える。隼翔はその姿に相好を崩しながらも、血をまき散らしながら右腕を問題ないとばかりに振って見せる始末。
その姿に姉妹は、ギャァアア~っと絶叫し、鬼の形相を浮かべる。姉妹の後方ではクロードとアイリスが事態の急転直下についていけず、ポカンとした表情を浮かべている。
完全に弛緩した空気が漂い始める中――――。
「っ!?」
隼翔は瞬間的に表情を引き締め、振り返り、左腕だけの神速の抜刀で一閃した。
「ガ……ア、アァァ……」
「なぜだ……確実に死んでいたはずだぞ?」
真一文字に切断され、断末魔を上げる兎。その姿に隼翔は驚きを禁じ得ない。
何百、下手したら何千と己の手で命を奪い、その死に際を見てきた。だからこそ、失命した瞬間というのを誰よりも知っている自覚はあるし、確かめる術も持っている。
もちろん魔物と人という点では異なるが、それでも同じ生物である以上呼吸し、筋を動かすということは変わらない。何よりも生者と死者は彩が違うと隼翔は感じている。生者には彩があり、死ぬと彩が抜ける。
そして兎からは完全に彩が抜けていた。だから完全に死んでいたはず。
それなのにその巨躯を血の海から起こし、殺気を放ち、襲い掛かろうとしていた。そのことに隼翔が驚かないはずがない。
(これが不死化か?……いや違うな)
一瞬、過去に森で交わした双子との会話が脳裏を過る。死んで一定期間経過した魔物は不死化し、再び活動を再開すると。
確かにその現象に当てはめるなら疑問は氷解する。だが、隼翔は違うと結論付けた。
(あまりにも速過ぎる。何よりも赤い紋様が脈打っている……)
上半身と下半身が完全に分かれた兎。その表面を脈打つように、あるいは締め付けるように脈打つ赤い筋。それは血管というよりも神経や木の根と表現するのが正しいかもしれない。
侵食するように今まであった筋から新たな側枝を伸ばし兎だったモノを覆い尽くそうとする。正直見ていた気持ちの良いものではないが、それでも隼翔は目を離せなかった。
「ちっ、フィオナ!フィオネ!その場で火の魔法の準備だっ。俺が合図したら骨も残らないほど焼き尽くすつもりで放てっ!!」
「「っ、了解いましたっ!!」」
観察という名の躊躇いも一瞬のことで、隼翔はすぐさまフィオナとフィオネに魔法の準備をさせる。
そして自分自身は肉の塊を飲み込もうと気色の悪い動きを続けるソレと対峙するように一歩足を踏み込む。
一歩近づいたことによりその気色の悪さはより際立ち、先ほどまでと違った危機感が本能を刺激する。それでも隼翔は微動だにせず、耳を傾ける。
『『灯や、灯。汝や御霊でありて身を焦がす蒼き輝き放ち、我を導け』』
聞こえてくる聖句の二重奏と高まる魔力の波動。
唱えられるのは中級の火魔法。人により差異はあれど、上手い者で10秒弱は要するその旋律の調の終わりを、隼翔は目を閉じ呼吸を数えながら待つ。
吸って吐く、そのセットを1回、2回と数え……4回目に差し掛かったところで、すっと目を見開く。
半身に身体を引き、刀を水平に構える。そして、ふっと息をすべて吐き出す。
「双天開来流 閃華型・薄刃陽炎」
神速の連続水平斬り。刹那の間に何度も煌めく銀閃は残像を生み、あたかも流星群を見ているかのような光景を生み出す。
そしてその斬撃は瞬く間に肉塊を薄くスライスし、無数の肉切片を生み出す。
「やれっ!!」
「「御狐魂火」」
最後の剣戟とともに隼翔は後方に大きく跳躍、そして双子に向かって叫ぶ。
だがその声は不必要だったのかのように、隼翔の離脱と同時に狐を象った炎の化身が二匹、肉切片を喰らうがごとく殺到する。
直後に業炎が広間を焼き尽くす。バチバチと爆ぜる炎。それは小さな狐となり、再び火柱に戻り、すべてを骨をも喰らわんと焼き尽くしていく。
あたりに漂い始める、肉の焦げた臭い。その臭いが濃くなるにつれ、反比例して炎は静まりを見せる。
「完璧なタイミングだったな。よくやった」
「「いえ、ハヤト様がタイミングを見計らって攻撃を始めてくれたおかげです」」
完璧と言っていい連携を見せられたのはもちろん日ごろの鍛錬もあるが、やはり隼翔が姉妹の魔法の発動をしっかりと見計らっていたという部分が大きい。
それをしっかりと理解している姉妹は控えめな言葉を口にするが、顔は褒めてもらったことによりすっかり緩み、満面の笑みとなっている。
「これだけやればとりあえずは大丈夫かな?……それにしても何なんだ、これは?」
「うーん、私たちにも分かりませんね」
「そうか……。まあとりあえず目的は達したし、帰還して休むか」
「そうですね……って!!そうだ、ハヤト様っ!?」
「そうです、腕を、腕を見せてくださいっ」
すっかり炎は残渣となり沈静化を見せた。火柱が立っていた場所には煤けた地面だけが残り、まさしく骨すらも残さず燃えカスだけが山となり残っている。
異形の化け物についての情報は結局何も得られなかったが、隼翔としては別に後悔はない。唯一あげるとすれば賞金首討伐依頼が未達成になることぐらいか。それにしてもどうやって討伐したかなど聞かれても正直困るので、本当に些細な心残りといったレベルである。
だからこそ、さっさと引き上げて休もうと提案した隼翔だったが、姉妹はハッと怪我のことを思い出し、ワタワタと慌てながら隼翔の右腕を優しく掴む。
その慌てぶりに大げさだと苦笑いを浮かべる隼翔だが、何も言葉を発さずに甘んじて治療を受け入れることにした。
赤い回復薬を傷口にかけ、ガーゼを当て、包帯をぐるぐるに巻くという一連の動作を神速の動きでこなす姉妹。さしもその速さに隼翔も驚きを通り越し、若干引き気味になる。
「できましたっ」
「今日はもう無理してはだめです。家に帰っても大人しく休んでくださいねっ」
「あ、ああ。わかったよ」
物凄い剣幕というか、力強さに気圧されタジタジとなる隼翔。
その姿にとても先ほどの殺気を放つ人物と同じだとは思えず、離れた場所でクロードとアイリスの二人は首をかしげるのだった。