返す答え
その言葉はソルの想いを吹っ切れさせる為に体よく付いた嘘ではない。
ノナは影だ。ノナ・スキアード《九番目の影人》と名付けられ、ルーナの身代わりになるべく用意された生きた盾に過ぎない。いつ凶刃や毒を身に受けて果てるか、明日の見えない日々を送ってきた。
ましてーー『偽物』が『本物』に抱かれた想いに応えるなど、許されるはずがない。
ただ、ソルが納得するかどうかはまた別の話だ。
「だからその理由を教えろ! 大病なのか、それとも何かの呪いか!? それなら恐れることはない、大陸最高の医師も呪い師も帝国に呼び寄せてある! 死人すら癒すという創世樹の葉から作られた霊薬も、如何なる願いも叶えるという聖杯も手に入れた!! みすみすお前を死の神に拐わせなどするものか!!」
一年前、同じ文句で断られたソルはただ取り乱すことしか出来なかった。
ルーナに理由を聞いてもすげなくあしらわれ、躱され、帰国の途に着く彼女の背に力無く手を伸ばすだけーー己の無力を呪った。
だからこそ優れた医術を持つという東方の国の名医や、秘境に隠れ住む呪い師の元に自ら赴いて破格の待遇で帝都に招き、信憑性の乏しい霊薬や聖遺物とやらにも大枚はたいて飛び付いてでもルーナを救うために奔走したのだ。
愛しのルーナの正体が、偽者だと知らぬままに。
「それでも……仮に、それでも治らなくても……一時だけでもいい。子が成せなくても構わない、必ず幸せにしてみせる!! 俺はッ、お前と一緒になりたいんだ!!!」
ソルの魂から絞り出したような悲痛な叫びに、ノナはうろたえた。
(……貴方はそこまで、ルーナのことを……)
ソルの人柄はよく理解しているつもりだった。
いつも陽気で明るく、傲岸不遜で、そのくせ誰からも慕われる。王として誰かの上に立つ姿がこれほど似合う人物を、ソル・レグナス以外にノナは知らない。
その誇り高い男がなりふり構わずに、怪しげな呪法などに頼ってまでノナを救おうともがいていたことを知ってしまうと、彼女の心は罪悪感でどうしようもなく締め付けられた。
おそらく自分は影人として失敗作なのだと、そうノナは思う。
国に、主に忠誠を誓いそれ以外のことには自分の命にすら無関心に生きる、それが影人の正しい姿だ。かつては自分もそうだった。
けれどルーナの代わりとしてソルと接する内に、凍て付かせたはずの感情は徐々に彼の手で溶かされてしまった。
このままでは危険だとは分かっていた。だから一度は遠ざけもした。
それでもなお自分をーーいや、ルーナ・アクシアスを求めるソルに、これ以上正体を偽り続けるのは彼への、そして彼のルーナへ向ける愛への侮辱としか思えなくなって、気付けば口が勝手に動いていた。
「……ソル。わたくしは、私は本当はーー」
だが、ノナが今まで隠してきた自分の秘密を暴露するすんでのところで、口をつぐませた者がいた。同様に、恥も外聞もなくルーナへ愛を叫ぶソルの下にも。
それはノナとそしてソル双方の腹心である老将達だった。
「陛下。聞き分けの無い稚児ではありますまい。いい加減になさいませ」
「姫殿下。貴女様は御自身の立場をお忘れか?」
ガイナスとオドアケル。同時に言葉をかけた両将は、その意図も近しいものだった。
ガイナスは、主の浅慮な行動を諫めるために。
オドアケルは、心揺らぐ影に自分が何者かを思い出させるために。
その忠言を受け取ったソルとノナは、両極端な反応を見せた。
「黙れガイナスッ! 余の邪魔をするなッ!!」
ソルがガイナスに牙を剥いたのに対し、ノナは雷にでも打たれたかのように驚き立ち尽くした。
「将軍……私、は……」
色恋に心揺さぶられ自分の正体を告げようとするなど、影人としてあるまじきことだ。そしてそれは、影人としての在り方以外の全てを奪われてしまった少女が、自らその存在価値を否定してしまったに他ならない。
被らされていた偽物の姫の仮面を失い、道にさ迷う幼子のような心細さに襲われたノナに、オドアケルは巌のような面相を変えずに道標を示した。
「しゃんとなさいませ姫殿下。まだ終わってはおりませぬ、お役目を放り出させれるおつもりか?」
「役目……?」
「如何にも。彼の方のお申し付けを、まだ姫殿下は果たしておられぬではないですか」
こうまであからさまな言葉を口にしてしまえば、アルファルド側がいぶかしむのは必然だ。現に敵方の名将ガイナスはこちらを見定めるように睨み付けている。
しかしノナに腑抜けたままいられては、オドアケルと、そしてノナに下された命令は遂行出来ない。
ゆえに言葉を選ぶ余裕もなかったのだが、危険を冒しただけの効果はあったようで、ノナは両の眼に光を取り戻した。
(そうだわ、私はまだルーナ様の御命令を完遂出来ていない。最期くらい、影人としての使命を果たさなくちゃ)
数瞬の沈黙の後、顔を上げたノナは本物以上に完璧なルーナ・アクシアスに立ち戻っていた。最早そこに迷いはなかった。
「ごめんなさいオドアケル、もう大丈夫です。……アレを」
凛とした仕草でオドアケルに向けて手を差し出す。
それを受けてオドアケルはノナの前に歩を進めて屈むと、うやうやしく細長くて棒状の物体を頭上に掲げる。
ノナが手に取ると、ずっしりとした重さが腕全体に伝わった。
七日間続いたアベンエズラ城攻防戦の最中、片時も手離すことのなかったソレは剣だ。ノナの為にあつらえられた通常よりか小振りの、しかし人を殺めるには十分な鋭さを持っている。
手に馴染む愛剣の感触を確かめるように鞘の上から撫でていたノナに、ふいにオドアケルが小声で囁いた。
「姫殿下。……思い残すことは、何かありませぬか? 拙に出来ることでありますれば……」
先ほど自分の心の揺らぎを正し任を思い出させた男の言葉とは思えず、驚きのまま見れば彼の顔は苦渋に歪んでいた。
王都に残る殿軍の将としてだけでなく、ノナの監視の任も担っていた彼はノナの正体とその任務の内容を当然知っている。
国に仕える軍人としての職責と孫ほどの年齢の少女を使い潰す非道への義憤、その狭間にオドアケルはあった。
老将の深く刻まれた皺から彼の真意を読み取ったノナは、軍人として人として尊敬に値する彼に深く感謝しながらも、迷いなく剣の柄に手を掛けた。
「ーーありがとう将軍、その気持ちだけで十分です」
一息に鞘から引き抜けば、シャンっと涼やかな音と共に白刃が姿を現す。その切っ先を、自分をぼうっと見つめるソルに向けた。
抜き身の刃を目にした敵兵の練度は高く、瞬く間にソルの周囲を固めて守る。
「何をなさる!? ご乱心召されたかッ!!」
アルファルドの老将が腰の剣を引き抜いて鼻先に突き付けてくるが、ノナは眉一つ動かさない。
平静を保ったまま、老将に構わず彼の背に庇われたソルに語りかける。
「ソル。わたくしを妻にしたいと、そう言いましたね」
「……ルー、ナ……?」
ソルは状況を飲み込めていないようで戸惑うばかりだ。
無理もない。恋慕う儚い女を口説いていたら、その女に剣を向けられて何がなにやら、というところだろう。
だがソルがルーナを妻にするという目的の元に行動していたように、ノナも一週間前、主の居室で命じられた最後の命令を果たすために今こうしている。
「わたくしが欲しいなら、侵略者らしく力づくで屈服させてみて下さい」
そう言ってノナは、ソル目掛けて手に嵌めていた白い手袋を放り投げた。
勿論それは護衛に阻まれて彼自身には届かなかったが、床に落ちた手袋はソルの目に確かに留まった。
その意味するところはただ一つ、決闘の申し込みである。
「ばっ、馬鹿な!? なぜ俺がお前とーー決闘だと!?」
混乱の極みにいるソルを、ノナは無感情な瞳で見据えたまま似姿の主の言葉を反芻していた。
『ーー影よ、もう一つお聞きなさい。もし七日の間を戦い抜き、わたくし達がデフェクティオに逃れるまでの時を稼ぎ終えたのならーーその時お前は、何としてもアルファルド帝国国王ソル・レグナスを討つのです。例えどんな手を使ったとしても、ね』
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