爪
「ふゎ〜〜……」
大きな欠伸をした。
何をしているのか? そう、いつも通り薬草採集のためにハリーさんを待っているのである。
他の人とパーティーを組まないのか?と思うかもしれないが、いないのだ。薬草採集をやりたいという、有志が。
他の依頼の方が実入りがいい、その上魔物退治なんてのは冒険者稼業の花形だ。
それに対して……うん。
時折、ハリーさん以外の人とも組みたいと考え他の冒険者を誘ってみたりするのだが、嘲るような視線を返されるのみだ。
罵られたことも何度あったか。
まあ、俺はやっていることは間違っていないと思っているので、続けるつもりだが。
そんな折、後ろから――ハリーさんではない人が嘲りをはらんだ声で俺に声をかけてきた。
「お前か? 噂の出来損ないのルーキーは」
出来損ない?
「ギルドの中でも有名だぜ? 登録からもう1カ月も経っているのに薬草採集しかしない新人サマの話は!」
なんか…… 今の言い方、俺がまるで安全な依頼だけこなして、高みの見物しているみたいじゃないか。
……ほぼ事実だけど。
男はまくしたてるように続ける。
「おまけにあの! あのハリーとつるんでるって話だ。あんなクズと一緒にいるんだ、ロクな奴じゃないに決まってる!」
なぜか、自分の眉間がピクリと動いたのを感じた。
「じゃあ聞きますね、貴方はハリーさんよりも上手く、新人を養成することができるんですか? 他人を罵るしか脳がない、冒険者の風上にも置けないような貴方が!」
「はあ?当然だろ! おい、今すぐ薬草依頼のサインを消せ! すぐにでも教えてやる!」
まさに一触即発の空気。
自分が何故こんなにも怒っているかはわからない。わからないけど、目の前の男に個人的な嫌悪を覚えていることは間違いない。
嫌だなぁと思ったが、仕方なくついていく事にする。
どうせここで断ってもロクな事になりえないことは自明の理だ。ならばいっそ一回で済ましてしまった方が身のためだろう。
受けることになった依頼は、オークの討伐。
実に身の丈に合っていない。
オーク。ハリーさんに代表的な魔物について教わったが、その中の一つだ。
人型をした猪のような魔物で、討伐推奨レベルは単体のみで25。集団でかかられると40あっても足りないという。
ハリーさんは53レベルなので、どれだけ脅威的な魔物かは相対的にわかるだろう。
Fランカーなんかが受けていい依頼じゃない。
この男は何をするつもりなのか。
いつも向かう草原の反対方向へ歩を進める。森の中へ入って、ただまっすぐ進んでいく。
オークが思いの外、街の近くに生息しているので大丈夫かと不安になるが、どうやらこちらから手を出さなければ問題はないらしい。
ならば何故討伐依頼が出ているのか、というと、オークは無秩序に繁殖することが挙げられる。
あまりに増えすぎると食いっぱぐれる個体も出てくるわけで、それが一斉に襲ってきた結果滅んだ街がいくつもあるのだ。
冒険者にとっては、街を守っているという正義感と、他に比べてオークの経験値が多いという理由から積極的に受けられる依頼の一つのようだ。
そうして何体かのオークに遭遇した。
――案の定というか、男が行ったのはパワーレベリングであった。
パワーレベリング。すなわち、強い人間とパーティーを組み、普通は倒せないような強い魔物(=大量の経験値を持つ)を倒してレベルを上げる方法だ。
オンラインゲームなんかでは、そうしてレベルを上げた人は基本的に技量が付随しない為に忌み嫌われる傾向がある。
それに、この方法は確かギルドの規約でやり過ぎると厳重注意を受ける、と規定されていた筈だ。
決して良い方法とは言いがたい。
しかし、今目の前で首をはねられているオークが、もし俺が男に逆らえば『明日は我が身』であることを如実に物語っている。
オーク撃破の推奨レベル以上――つまり、俺なんかより圧倒的に、男は強い。ステータス的にも、技量的にも。
事実として、レベルがもう3まで上がっている。仮にもレベリングを手伝ってもらっている以上、文句を言うのは筋違いというものだろう。
見ているだけで、俺自身は何もしていないが。
せめて技術ぐらいは盗もうと男を観察していると、唐突に彼は振り返った。
「おい」
「は、はい! 何でしょう!」
「お試し期間はここまでだ。ここからはお前一人で倒せ。俺が見といてやる」
……えっ?
「聞こえなかったのか?お前が、一人で、オークを、倒せっつってんだよ。見てやってるだけ感謝しろ」
「は、はあ…… ありがとう、ございます?」
ふざけんじゃねえ殺す気か!?
獅子の子落としみたいに俺のことを考えてくれているのかと思ったが、どう頑張ってもそうには見えない。
お前がいてもただ退路を塞がれてるだけだっつの!
――待て、落ち着くんだ、俺。
これはあれだ。そう、背水の陣だ。
きっと、この男は俺の力を120%引き出させるためにここにいるんだ。そうだ、そうに違いない。
……見世物を見るような目で見ていようにも見えるが、そんな訳があるまい。
いつでも抜刀できるように剣の鞘に手をかけ、そろーりそろりと進んでいく。
――と、その時、右手側の茂みが揺れ、巨体が目に入る。
いや、だがしかし、そのオークの様子は他と一線を画していた。
まず、色が他のオークと異なっている。
普通のオークは焦げ茶である。まあ、それこそ猪と似たような感じだ。
一方のこちらは血染られたような赤。一回り他より大きい体つきもあり、恐怖を禁じえない。
――変異種。
そんな言葉が脳裏を掠めた。
そして、それに関する情報がスパークを起こしたようにニューロンを駆け巡る。
変異種は通常種と体色が異なること、一般にステータスが跳ね上がり、討伐推奨レベルも5倍、下手すると10倍以上になること、つまりギルド総出で掛かっても倒せない可能性が高いということ……
――あ、俺、ここで死ぬのか。
絶望のようなもの。纏わりつくような感情に、鞘を握る手から力が抜け――
てしまう前に、ガッと握り直す!
こんなところで人生バッドエンド? 冗談じゃねえ!
親孝行すら出来なかったこの身だ、精々あいつらに誇れるようなもの残すまで、死んでいられるか!
しかしどうする?
気付くと男は既にトンズラしていた。大口叩いてこれかよ、と呆れてしまう。
まあ、このくらい(言い方は悪いが)卑怯な方が冒険者として長く生きられるんだろう。今、彼を責めるのはお門違いというものだ。
しかし、このままじゃあ良くてこいつの昼食である。
まさかこのステータスの差で逃げられる筈もない。変に逃げようものなら死期を早めるのみだろう。
奥歯を割れそうなほど食いしばり、刀身をすらりと抜き放つ。
今できることは精々、あの男が援軍を率いてきてくれるのを待つばかりだ。
確か、彼もCランクと言っていた。流石にこの状況になってもパワーレベリングの厳重注意を恐れ、保身に走るような器ではない――と信じたい。
一陣の風が流れる。
先に動いたのは――勿論オーク。
速い! そう知覚した時には、俺の剣を巻き上げ、その勢いのまま俺を叩き斬ろうとするオークの得物。
ガードしようにも、剣は既に手中には無い。焦った俺は思わず手を掲げて
――『延爪』
相変わらずの遅さで伸ばされた爪。
――間に合え!
少しでも長くすると、剣筋を遮るように爪で防御の体制に入った。
少し遅れて、衝撃。
タンパク質って凄いというべきか、オークの攻撃に爪は割れ、肩は痛み、指先から血が垂れてこそいるものの、なんとかガードに成功し、命のみは助かった。
だが、それも一時。
まさかバトルフェイズが終了したから攻撃しない、なんていうほど現実は生温くない。
衝撃ゆえに右手は相当やられている。左手も巻き上げられた時に捻ったのか使い物になりそうに無い。逃げられないし、足はもはや震えまくっている。魔法だって発動できた試しがないし、都合よくここで発動するほど甘くもないだろう。
八方ふさがりとはこのことだ。
トドメといわんばかりに振りかぶるオークに、俺は目を閉じることしか出来ない。
辞世の句が思い浮かばなかった。
――と、その時!
オークの腹部が唐突に、本当になんの前触れもなく爆発し、朱が飛び散る。
血塗られたような毛皮が、新しく上塗りされる。
流石の変異種と言えど、腹が抉れるのは堪らなかったのか。
重い音を立てて仰向けに倒れた。
……死んだ?
竦む足を無理矢理動かし、右手を傷めないようにかばいながらつま先でつつく。
……死んでる。
「結果こそ全てだぁぁぁぁぁぁッ‼︎」
死の恐怖から解放された俺は、そんな事を叫んでいたのであった。




