8/3 横須賀 前半
最初は8/3(横須賀観光)の全部を一話にまとめて載せるつもりでしたが、文量が多いのでキリがいいところで分けておきます。
明け方には既に神奈川の県境を越えていた。
バスが横浜の目的地に停車して、私たちが各々の荷物を受け取るのは午前七時手前の予定だったが、その三十分以上前から目は覚めていた。
六時頃だったか。日が昇って少しした頃に、運転手が抑揚のない声色で、朝の挨拶の類の放送をしたのだ。
カーテンの隙間から差した白い陽光に薄目を開けていた私は、その時に意識を覚醒させていた。
人生で初めての横浜の街は、極端に感慨深いものには感じられなかった。何処かありきたりな景色に思われる。
眠気と疲れ……それによる気の滅入りだけでなく、そも降りた位置が大して横浜らしさのある場所でなかったのも理由だろう。
――中心部となる横浜駅には近かったものの、とは言え降りた付近にあるのが高速道路くらいなものだったから、そう感じるのも仕方ないと思う。
目的地そのものは横浜でなく横須賀だったから、私たちは電車に乗る必要があった。神奈川のなかで、横須賀という街は南東側に位置している。
案内は一切をYに任せた。
…ところで私が頼むでもなく、彼は予め旅行の中で利用する交通のすべてを調べていたらしい。その足取りに迷いは無かった。
私といえば、横須賀に向かうのに京急線を使うというのを初めて知って感心するばかりだった。
……情けなく思われるが、Yに対する信用の裏返しだと捉えたい。
無論、横須賀と横浜とでは後者の方がより都市として発展している。だから、早朝の時間帯に横須賀へと赴く電車に乗り込む人の数など、多いわけもなかった。
おかげで人の空いた快適な車内だったことを保証する。
あんまり快適なので、半ば惰眠をむさぼるような時間を、車内で過ごした。
その頃には朝焼けは既に過ぎ去って、車内の窓からその影が見えることもなかった。
斜めに差し込む日差しが床を暖色に照らすばかりだった。
思い出のなかでは、彼も私も、ほかの乗客も口数少なく、だらだら揺られている。
電車から見える窓越しの背景というのは、凡そ住宅街ばかりだったが、やがて海が見えるようになった。横須賀の海は、その角張った海岸線の為に、所々削り取ったようなジグザグな姿をしている。
無論、内湾を出てしまえばそこには広々とした海が広がるのだろうが、一般人の私にそれが見れるはずもない。
それに目に見える海が狭かろうが、本来、海という存在はどんな姿であれ美しいものだから、私が気にするべくも無かった。
汐入駅で電車を降りる頃には、ちょっと体力も戻って、私たちは復調したように見えた。
駅のプラットフォームを出て、私は潮風を嗅ぎたくなった。
(あの艶やかで、内に万物を蓄えたような巡るめく変化する香りは、私の琴線に豊かに触れてくれる。)……海は見えなかった。
汐入の人影はまばらにあった。ほとんどが観光客のように見えた。総じて、夏らしい軽装をしている。
朝食については、結局昼と一緒くたにして食べることにした。この時間帯に開いている店は限られていた上、私にも彼にも大した食欲もなかったからだ。
しかし、飲食店が開いていない時間帯だというのに、他の店が営業しているわけがない。殆どのシャッターが降りていた。
私たちは暇を持て余した。ホテルのチェックインは一四時を予定しているが、手首の時計は未だ午前八時を指している。
取り敢えず、何をするにしても大荷物は邪魔になるからと、キャリーケースをホテルに預けておくことにした。
早朝の立ち寄りだったが、スタッフが快く対応してくれたのは嬉しかった。(書き加えると、静謐としたホテルのフロントは程々に照明も明るく、上品で居心地が良かった。)
私たちは海岸の辺りへと足取りを定めた。
一先ず海が見たかったのだ。駅から海へと向かうには、途中の歩道橋を通過するのが便利であった。
その傍らにあるショッピングモールに行ったとしても近道ではなかったが、中の冷気を求めて、どちらからともなく彷徨い込んだ。
入ってみれば中はありきたりなもので、特別目を惹くような存在は無いように見えた。強いて言えば、中心部にあたる吹き抜け天井部の窓ガラスの構造は荘厳で、見応えがあった。
一部のスペースでは物産展なども企画されているようだったが、先述の通り店の殆どは開店準備中だったから、足を止めることは無かった。
やがて外に出る…、そこで初めて、私たちは横須賀の空と海との全貌に相まみえた。
私は、少しでも海が見えれば、途端に色々なことに満足してしまうタチだった。なんだか満足げにしげしげと海を眺めていたのを覚えている。
しかし暑苦しくもあった。
日差しは弱まることなく、空を昇って頭上で煌めいている。私にしてみれば、その日差しは厄介だった。
余計に汗水を滴らせ、生気を削いでいく。
また夏は騒がしくもある。私は蝉が嫌いだ。
大抵のこと、冬の方が好ましかった。
けれどもそれは平時の話しであり、このひとときとあれば、趣向も変わるものだった。当時の私は心底こうした時間を楽しんでいた。
海岸からは様々な情景が一目で見て取れた。
海自の護衛艦の多数、フリゲートほどの船から潜水艦……それらに加え、米軍所属も見て取れる。
珍しいタイプの船もあった。
それらが一堂に会して、私の目前に凛と佇んでいる。
…その光景を前にして、私は嬉しかったのだと思う。
ただ単に、憧れていた存在を身近に感じて、その姿を目に焼き付けることが出来て、そうした何気ない行動の中に彼女らを感じるという状況が、ほんとうに嬉しかった。
暫く感傷に浸りたくなった。大きな喜びの直後には、たいてい喪失感に似た悲愴が心の隅を照らす。私はそうした感情の動きに気づいて、じっと佇んでいたくなった。
しかし隣には友がいるから、大した意義もなく彼を待たせるわけにはいかない。
とりあえず、私はYと海岸の歩道に沿って辺りを練り歩くことにした。
どうだろうか、海風がよく吹いていたから気分転換には丁度よかったのかもしれない。私は案外けろっとして旅行の続きを楽しんでいた。
麗らかな、といった言葉がよく似合う、平和な道だった。足元にある海面と港とを眺めながら、他に人のいない道を歩く。
とつとつと足音が鳴る。
そこに波と風の音が混じる。
時折人の話し声も入る。私と友との会話である。
海と歩道とを隔てる柵から軽く下を覗いてみれば、すぐに壁に打ちつける波が見えた。波と言っても穏やかで、ちゃぷちゃぷと言った擬音の付く様子だった。
しかし、なんとフナムシの多いことか。夥しいとまではいかずとも、勢ぞろいしているようだ。
あてもなく、のったりと歩いていく内に、ちょっとした広場に出た。
何の変哲もない……用途不明のモニュメントがあるだけの、普通の広場で、その不明な意図を探ろうと二人して試みてから、やがて成果もなく通り過ぎた。
結局は百メートルから二百メートルぐらいの道のりだったと思う。
一つの公園が海を向いて門戸を開くかのように、その途中に置かれていた。
花草、ツタ。鳥かごを人間の大きさに作り変えたような見た目の建物……後に調べたが、ガゼボと呼ぶのかもしれない……が目に留まった。
そうした装飾の類は総じて丁寧に調えられて、華やかだった。
私の両目の視力さえ良ければ、或いは、その細部に至るまでを視界に捉えて、もっと感動できたのかもしれない。
(正確な数値は分からないが、裸眼で過ごすには厳しい視力の低さだった)
今になって思い返せばきっと、一面に植えられた草花の香りが、吹き込んだ潮風に紛れて鼻腔をくすぐって、訪れた人々の安らぐところとなるのだった。
昼になる頃には、土を踏む音も花を見つめる視線も、増えていることだろう。
その公園に差し掛かったあたりで気づいたが、その海道沿いには、一定の間隔でベンチが多く並んでいた。
容赦なく照りつける日差しさえなければ、そこに立ち寄り足腰を休めたいものだった。
仕方なしにそこを通り過ぎる……。
公園を過ぎてもまだ道は続いていたから、私たちの足取りは止まらなかった。
やがて一つの足跡を目にした。戦艦陸奥、その主砲の砲身が目の前のヴェルニー公園の敷地内に安置されている。過去の史跡とはいえ、戦艦の砲身というのは巨大であり、圧巻の存在感を放つ。
大戦当時、事故により失われたという船だったが、やはりこんな砲身があと七本も加われば、それは見事な力の象徴となっただろう。
陸奥を丘から遠目に見て憧れるような子どももいたのかもしれない。
公園にはその他にも、退役した護衛艦のスクリューといった史跡が展示されていた。鋼の質感の、重苦しい雰囲気がそこらかしこにあって、私は嬉しくなった。
私も、Yも、ろくに口を開かずに歩いた。会話で間を埋める必要生をまるで感じなかったのだ。
静かな時間がしばしば生まれては、足音がそれを埋める。やがて、自衛隊の庁舎が私たちの道のりに現れて、岐路に立ちふさがった。行き止まりである。
私たちは引き返した。行きと同じ道を辿ったと思う。
飲みきったペットボトルを捨てようとしたYが失敗するのを見て、その見慣れないゴミ箱は気難しいタチなのかと考えた。
彼を鼻で笑った後、私もさっとペットボトルを差し込もうと試みた。面倒になって無理やり押し込んだ。
日はまだ地平線から浅い角度の辺りに留まっている。
昼になるまでに、まだ多くのこと、観光や食事なんかが出来るだろう。
そうして、一頻りの楽しみを済ませて、疲れたらホテルで休めばいいと思った。一日は長い。
やがて先述のショッピングモールに戻ってきた。
ついさっき海道沿いから眺めたばかりの軍港で、フェリーを用いたツアーがあるという。私たちはそのチケットを取ることにした。
チケット売り場はモール内の一角にあった。
軍港ツアーというのはこの街の観光業として栄えているようで、やたらと綺麗だった。
事前購入でもチケットは中々人気らしい。人がちらほらと並んで行列になっていた。横須賀の軍港が日本でも一二を争う規模の発展した軍港だからだろうか。
昼手前の…十時半ぐらいの便を、予約したのだと思う。一つ前にも出航する船があったが、何某かの都合が悪くて止めた。
学生料金で手頃な価格のチケットを二人分揃えて、出航の時間まで随分と余裕があるものだったから、また散歩することにした。
今度は方角を一転して、街の方に向かう。(結局海に面することにはなる。)
駅からモールに向かう途中に跨いだ幹線道路に差し掛かって、そこからは車道に沿って歩いてみる。
目的を持って歩いていたのか、それともただ彷徨うだけの時間だったのか、それは定かでない。
とはいえ慣れない土地だから、暇つぶしに見る分には面白い光景もあった。
ありふれたヘルパーステーションだとか、白塗りの交番だとか、寂れた飲食店もあった。何より印象深かったのは、ふと見かけたドル表記だろうか。
(思い返せば、ホテルのエントランスにも両替機が設置されていた。)
横須賀は本州では珍しい米軍の駐在地であり、彼らの家族も多く移り住んでいる。彼らには彼らのための土地が与えられているはずだが、一般の街に出歩くような用事も当然多いのだろう。
そういった点で文化の違いが明白に現れるからこそ、やはり遠出は面白いのだと思える。
結局、計画性のない私たちは目的地を定めていたのだろう……私がその場所を提案したのか?……とある場所に行き着いた。
戦艦三笠……かつての日本海軍の艦隊旗艦として名を馳せていた象徴的な艦。
退役してからも紆余曲折を経て観光地として再び人々に注目されることとなる、武勲艦のひとつだった。
(世界三大記念艦であり、観光するにも中々良いところだから、余裕があれば読者の方にも行ってみて貰いたい)
その三笠が鎮座する公園に、私たちは辿り着いていた。
ひとつ記憶に残っているのは、向かう途中の真っ直ぐな一本道を進んでいくときに、その三笠のホストが、ちらちらと建物の影からはみでていたことだろうか。
私は船というのが好きだが、なにせ海から物理的に遠いもので、遠目からもホストがけっこう目立つとか、船の揺れは車や電車と違って独特であるとか、そういう経験的な知識には疎かった。
私の好みは、現代らしい護衛艦よりはむしろ、大戦期の旧来艦に強く向いている。だから、三笠を目にしたときの感慨は、到底言葉にしきれない強烈さを多く含んでいた。
(身勝手にも、僅かばかりの哀愁を感じていた。)
ハナから艦影を遠目に眺めて、それで済ませるつもりだったから、私とYは感嘆も横目に踵を返した。
モールに帰る道すがら、彼が、猿島という無人島のことを教えてくれた。
帝国時代、猿島では旧日本軍による陣地設営が施されていたのだけれども、その史跡がほとんど変わらないままでその島に残っているのだという。
……つまるところ観光地として有名なのであった。
その島に向かうフェリーというのが、さっきの三笠付近から出ているのだと、彼は言う。
後にも書くが、正直なところ私はそこに行く気分にはなれなかった。
理由はくだらないもので、単に暑くて疲れていたからだった。
私は彼に妥協してもらおうと、ホテルで一息ついてからまた考えようかと言い包めた。
そろそろ、フェリーの予定時刻が迫っている。
モール脇の沿岸に戻って、私は、人の多さに驚かされた。そこの人々は一様に列を成しており、どうやら私たちと同じフェリーの乗船客らしかった。
十時を過ぎると辺りは日光で十分に暖まって、しかも真夏日というものだから、とんでもなく暑苦しかった。
折りたたみの日傘が無ければ私はそこでくたばっていたと思う。私は優しい人間だから、Yのことも時折影に入れてやった。
そんな炎天下で私たちが列に並んでいる間に、職員らしい人が熱中症への注意喚起をしていた。
ありがたいことに、塩分摂取の飴なんかが配られた。随分としょっぱい飴で、たまらず水分が欲しくなったのを覚えている。
(そこで何を飲んだのだったか。ミルクティー?)
やがてこれから乗り込むフェリーが桟橋に到着した。ゆっくりとした船の揺動が収まってから、人の列が動き出してぞろぞろと乗船が始まる。
二人はチケットを取り出して準備を済ませた。
私たちが乗り込んだ頃には、船内には既に大勢の人が乗り込んでいて、一階部分の室内席は殆ど埋まっていた。
最後尾の辺りにはいくつか空きがあったが、いかんせんそこに座っては外が見えそうもなかったので、私たちは外のデッキに居場所を求めた。
船内から甲板への出入り口をくぐってみると、日差しの強いところに出た。
やはり人は多く、デッキの階段から続く二階席にも人だかりが見えていた。
これではのんびり居座るのは難しいだろうと、私達は甲板のフェンスに身体を預けて、そこから見える景色を楽しむことにした。私たちが居たのは船尾のあたりだ。
やがてエンジンが始動し、船尾の下から無数のあぶくが海面に膨れ上がっては白く海面を濁して、少しずつ船は進み始めた。
風が吹いていた筈だ、日差しに熱気を押し込まれては汗をかいたが、少し不快さが和らいでいた。
初め港の全貌を視界に収めたとき、二隻ほどの護衛艦と一隻の潜水艦、それから米軍の駆逐艦とが見えていた。
フェリーの出る桟橋からもそれは大して変わりなかったが、乗り込んだ船が進むにつれ、その景色の細かいところが見て取れるようになった。
途中、私も彼も口数少なく、ときおりカメラで動画やら写真やらを撮ったりしながら船上を過ごしていた。
私はしばしば船体の曲線に見入って眼福の時間に浸ったり、彼に下らない蘊蓄を押し付けたりするのだった。(……船は女性として扱うから、同型の系列の艦艇を姉妹艦と呼んだりするのだとか、そんな他愛のないことを。)
フェリーが予定されたコースを一周して、元の船着き場に戻ってくる頃には、私はその時の横須賀の軍港の殆どを満喫していた。
無論、いくら見ても見飽きないほどに好んでいるという性格ではあったが、隣に友もいる以上は妥協が必要だった。
やがて船を降りて、私達はショッピングモールの中に入っていった。ツアーが終わる頃には既に昼を迎えて、朝には閉まっていた店も大体空いていた。
私達は、さっき利用した軍港ツアーを運営している店の、また別口のお土産店に入っていった。
店内で私が間宮羊羹に目を引かれている内に、Yはなにやら抽選会に参加していた。
曰く、さっきのフェリーの乗船チケットで参加できるという。
私はチケットを失くしていたため、相方が一等賞を引き当てるのを横で眺めるだけだった。
彼が店員から受け取った中身を一緒に吟味してみれば、御当地もののポテチやレトルトカレーなど、まあ妥当なくらいの量の景品が入っている。
彼はそれを家族あてのお土産にするつもりらしかった。(私は少し羨ましくなって券を失くした過去の自分を恨んだ。)
そうして、一つ買い物を終えてからは、ショッピングモールの中の、奥の方に入り込んでいった。
確か、外が暑くてかなわないから、一旦涼もうとしたのだったか。
記憶の中の、私は、冷えたミルクティーと閉じた日傘を手に携えている。
最初は書店に行った。
三階か四階かのどちらかにあって、そこに向かうのにはエスカレーターを使った。そのショッピングモールはコンパクトだったから、どこに向かうにせよ、あまり時間はかからなかった。
目当ての書店もまたコンパクトなのかと考えていた私だが、案外広かった店内にちょっと驚いたのを覚えている。
巨大な、というほどではなかったが、観光の合間に立ち寄るには十分なくらいの、つまり都合の良い店だった。
浮かれた旅気分はまだまだ続いていたから、私は適当な小説をひとつ買った。あんまり中身は気にせず、タイトルの語感と冒頭の文体だけで選んだように思う。
Yの様子を見てみると、漫画のコーナーで足を止めていた。なにやら神妙な表情でいくつかの漫画を見つめている。
そういえば漫画を買い集めるだけ集めて放置しておく癖があったな、なんて思い出しながら私もそこに加わった。
「ここ良いな。思ってたより広い。」
「そうね。なんか買う?」
「小説買う。良さげなやつあった。」
居心地の良いこの書店を、私達は旅の最中に幾度と訪れることになる。これを書いている今になっても、また行きたくなる。
書店というのはどの地域でもおよそ似たようなものだから、ほどよく日常感を味わえるのだろうか?
そして、それが他の感慨よりも心地良いと思っているのだろうか。
ただ旅の非日常さを求めるなら何回でもフェリーに乗り込む想像をすればいいものを、私はあの書店を思い出すばかりだ。
それから、十一時を過ぎた頃、私達は早めの昼食を取ることにした。どこにでもあるようなカフェのチェーン店に入って、それぞれ好きなメニューを注文した。
その時の写真を見返したが、私はカプチーノとチリソースのホットドッグを頼み、友人は、コーヒーとタルトらしきものを選んでいる。
記憶の中では、私達はひとつふたつ下手くそな写真を撮って、食事を取りながら談笑を始めている。
話の中で、外が暑すぎるやら腰が痛いやら、およそ旅の最中とは思えない生々しい苦言が吐き出されていたように思うが、彼も私も、言葉ほどの嫌気が差している訳ではなかった。
やがて、二人は次の行き先について意思疎通を交わし始めた。
私は気力も体力もすっかり削がれてしまって休む時間を望んだが、向かいの席に座る彼はなぜだか元気があったようで、観光を望んでいた。
大した不和とも言えない、些細な食い違いであった。
とりあえず、さっきちらりと眺めた戦艦三笠の観光はすることになった。旅行に行くずいぶんと前から、そこの乗船だけはしようと彼と話していたからだ。
それに加え、猿島にも行きたいと言われたが、私は少し渋って、
「まず三笠に行ってから決めようぜ」とはぐらかした。
無人島とやらにあんまり惹かれなかったのである。
食事を終えてそこそこに腹も膨れた私達は、これと言ってどこに向かうでもなく、ホテルのチェックインの時間を待つことにした。
一度休まなければ、流石に体力が保たないと考えたのだったと思う。
予約を取っていたホテルは駅とモールの間にあり、徒歩でもすぐに着く距離だった。
(つくづく旅行するのに快適な街だな、と感じてしまった。)
二人はモール近くの、開けた公園に足を運んだ。
遊具を最小限だけ設置して、一面に砂を敷いた簡素な造りの公園だった。
当たり前のように日差しは健在だったので、木の脇にあるベンチを見つけてそこに腰を落とした。枝と葉が影を作って、私たちを太陽から覆ってくれていた。
そこからは、青空が一面に広がって、その下に街と線路とが敷かれているのが見えた。
…今さらの話だが、私がこの日の情景を思い出すに至って、たまらず想起される言葉がある。
「素晴らしい夏だった。至る所に空の青さが染み込んでいるように思われた。」
いつか読んだ小説の、某頁の一文。
この言葉を発した小説内の彼と、この情景を眼窩に蓄えた私と、どれだけその観念に差異があるだろうか。
願わくば、夏に対するその感動だけは一緒であって欲しい。
二人はベンチに腰掛けて、半袖から覗く両足と両腕とを所在なさげに投げ出して休んだ。
やっぱり暑いが、ここまで来るとなぜか却って安らぐようで、可笑しい。
時折一言二言交わした。
鳩が痩せて見えるだの、蝉の声が案外煩わしくなくて新鮮だの、絶対に鳩が痩せてるだの、くだらない会話が記憶にある。
一時間はそこに居たのだったか? 長い時間だった。
私は途中で小説を読もうと努力し、暑さに従い投げ出して、微睡んだような意識でぼうっと足元の砂を眺めている。
午後二時の手前に、身体を起こした。隣で眠っている友人を起こす。
そろそろチェックインには都合よい頃合いだろう。ホテルに向かうべきだ。
彼もゆっくり身を起こして、ひとつ伸びをする。ベンチに忘れ物がないように振り返ってから、私達は公園を後にした。
歩道橋を渡る。人通りは昼前と変わらない。
彼も私も、その足取りに大した疲れは見えない。ちょっとは休まったらしい。
すぐにホテルに着いた。簡素な造りの入り口をくぐって、数時間前に荷物を預けたフロントに向かう。
フロントに名前を伝えてから、手続きを待つ。予約を取ったつもりが不備があったというような事態もなく、決済に移った。
少し想定外だったのは、宿泊費が予想していたよりも安かったことだろうか。
合計の値段から一人あたりの負担額を出したときに、私がひとつ勘違いを起こしていただけのことだったが、その分遊びや買い物に使える金が増えたと思えば僥倖だった。
部屋のカードキーと二日分の朝食チケットを手渡されて、私とYは指定された部屋に向かう。
ちょっと困ったのは、ホテル内のエレベーターの使い方が最初はまるで分からなかったことだ。
セキュリティ上の都合だとは思うが、部屋のカードキーを中の装置にかざさなければエレベーターを利用出来ないとは知らずに、私と友は中々苦戦した。
数回の無知との格闘の後、やっと使い方を心得てから私達は目当ての階に至った。
ホテルマンに使い方を教えてほしかっただの好き勝手な愚痴を零しあいながら、廊下を進んでいく。
そうして、やっとの思いで私たちは二晩を過ごす部屋に辿り着いたのだった。




