〜8/2 出立に至るまで
七月の自室から読者の方へ。
旅行が終わって、そろそろ一年が経つ。
それについて思い出せることを、ここに一通り書き記していこうと思う。
先んじて断ると、ここに揃えられる言葉は全て私の回想に拠るものだから、それらは旅行当時の私の主観に大きく影響され、時には主観的な情緒を多分に含んだ脚色さえ加えられるものと思われる。
小説的であると言い換えてもいい。
―― それでは正確性に欠けるかもしれない。けれども、出来る限りのことを書き残しておかなければ、色々な記憶がこの頭から抜け落ちていきそうで、どうにも心許ない。
……私が思うに、人にとって大事なことほど、それを忘れ去るのは一瞬のことなのだ。
不正確であっても、今のうちに言葉に残しておきたい。
…出立に至るまで。…
三人でひとまとめだった。私たちは互いに互いのことを親友と認識し、加えて、
「どうせ集まるのなら三人全員が揃うべきだ」
とも常々考えていた。
けれども、同い年のその三人が晴れて中学を卒業しようというときに、ひとつ問題が起きる。
一人が県外に引っ越すことになった。彼を、Mと呼ぶ。
私は深く動揺した。私にとっては、中学三年次における一年間の殆どを制限した高校受験がようやく終わり、これで少しの憂いも抑圧もなく遊びに呆けられる、となんの心配もせずに信じていたからだ。
私はそのMと、もう一人の親友のYと、高校に入学するまでの数週間の余暇に、出来る限り遊びたかった。
彼ら二人が私と同じ高校に来ないことを知っていたからだ。これからは共に過ごす時間が大きく減るだろうこと、覚悟していた。
予期していた別れの前に、一つでも多くの楽しみを共有しようと、そう望んでいたのだ。
そういった訳で、私は深く動揺した。当然のことと思う。当時の、不躾に送られた、Мの引っ越しを告げるチャットに目を疑うしかなかった。
しかしその動揺も一過性のものであり、結局私は二日三日とですぐに立ち直った。彼の引っ越しが国内で済んだことと、スマートフォンでの遣り取りやらなにやら、いくらでも関わりを保つことは可能だったからだ。
とは言え、別れに際して三人で集まり、最後に一頻り遊ぶことはした。これは無論楽しかった想い出だが、それについて言葉を費やすことは差し止めておく。(正直なところ、交わした会話をなにも覚えていない)
そういった一連の出来事が、旅行のきっかけの一つだった。
あの二人に教えたかどうかは忘れてしまったことだが、もう一つのきっかけは私の内にあった。
けれども、そちらは私の個人的な事情でしかなく、それ単体ではあの旅行には繋がらなかったと思う。
一つ読者の方に覚えていてもらいたいのは、私にとって彼ら二人の友人の存在こそが、この旅行の契機になったということである。
それから、また時間が経って、予想通り、疎遠になることなどはなかった。
私達は連日通話などして落ち合い、距離が離れていようとも遊んだ。
その交流に飽きることなく、随分と長い間、今も尚続いている。
その時間は居心地が良かった。きっとふたりにとってもそうであろう。
しかし特別な間柄であったから、私は誰よりも親しいその二人と、直接集まりたくなった。Y ―― 私の家の近くに住んでいる方の親友にそう言ったところ、彼も同じような思いを抱いていると教えてくれた。
そのあたりの時期だったろうか、突然Mが私たちの街に帰ってきた。日帰りの家族旅行のようなものだったらしい。出発の数日前に連絡をよこしてきた彼が自慢げに喋っていたのを覚えている。
誰から提案するでもなく、三人は集まった。とはいえ、日帰りの予定だったMにとって遠くに出掛けることは難しく、なじみの町を散策することにした。適当に歩き続けた。飲み物やら菓子やら、軽食なんかも買い、できる限りの時間を使った。
その道中、Mだったか、Yだったか、そのどちらかが言った。
「俺とY(M?)、もう十年くらいの付き合いになるな。」
私よりも少しだけ、ほんの二,三年分だけ、付き合いが長いようだった。
私は、彼らとは小学校で知り合ったのだが、二人とも元は転校生であり、しかも以前は同じ学校にいた。おそらく同じクラスでもあったのだろう。そうして、私だけが交友の帯の長さで出遅れたわけだ。
私はその時、自販機で買った缶のロイヤルミルクティーを飲んでいた。お気に入りの味で、加えて安くもあったから愛飲していたのだ。
ちびちびと、出来る限り余韻を楽しむようにして飲んでいた。
別に後ろめたい感情が湧くわけでもなかった。
愉快だったかと言われれば違うが、簡単に割り切れることだ、その時の私は大人びた性格に憧れていたのだ。ただ僅かに羨みのようなものが口に染み出た。
他にも多くの話をした。Мが不在の間にあったこの町の変化だとか、新生活のことだとか様々のことを。大半は思い出話をしていた気がする。
Мが帰る時間になって、少しだけ寂寥を感じた。他のふたりにも、共通した思いが去来していたはずだ。
私は、もっと長く、顔を合わせていたかった。できる限りこの時間を引き延ばせやしないかと宛もなく考えた。
そんなことばかり考えていたせいだろうか、私はМとYに向けて、ちょっとした軽口を言った。
「今度は、俺たちふたりでそっちに行ってやろうか。日帰りじゃ物足りないから、適当にホテルでも泊まって、それでどこかで遊ぼうか」
私の口をついて出たこの言葉は、半分冗談だった。この頃の私たちに、旅行を気軽にできるほどの資金はなかったからだ。
聞いていたYもそれを大真面目に受け取ったでもなく、意味ありげに大きく頷いてみせ、あっさりと同調した。
Yはなんと云うべきか、少し抜けた気質の男だった。軽薄、というと性根の悪いかのようだが、私たちのなかで首肯するのが一番に早いものだから、彼がその提案に賛同するのは分かりきっていた。
そうして私は、私たちの意識の底に共通認識を作り出した。
それが、高校一年の秋、十月頃の話だった。
以来私は、彼らのいない学校生活をそこそこに楽しみながら、淡々と日々を過ごした。それが空虚だとまでは言わないが、物足りないのは確かだった。
結果論からものを言えば、欲求の渇きは避けたほうがいい。それを心の内で認めた上で放っておくようなことをすれば、たちまち、理性と衝動の釣り合いが保てなくなる。
なにか突拍子もないことを、無意識のうちにやってしまったわけでもなく、その利き手で犯すことになる。それは人には毒だと思う。
進学した高校ではアルバイトが禁止されていたが、私はその校則を早々に破った。高一の夏にスーパーでの勤務を始めてから、丁度一年間粛々と続けた。
高校生が使い切るには中々多い額の収入が毎月入り、かなり嬉しかったのを覚えている。
その頃の私に軽々と散財するような趣味はなく、毎月一定の額が口座に加えられていた。
短い間に多くの額が溜まっていったと記憶している。
それが私の旅の資金になる。
学生が、そこそこの規模で旅行するには有り余るほどの額が残高に表示され、道脇に茂る低木に寄りかかるほどの絶妙な安心感をもたらした。
親友やその他親密な人との交流を除いて、取り立てて私の好きなもののなかに、海と船とがあった。
中でも、艦船の類を好み、それが海面に鎮座するような絶景を夢想しては悦に入っていた。(今でも時々してしまう)
――そうやって、言葉で測るのに重荷が過ぎるくらいには、それらは私の性癖の向かうところを占めている。
けれども、私が住む街は、海や軍港からは遠い。少なくとも、日帰りで訪れて済むくらいの手間では、到底足りそうもなかった。
だから、遠出の計画を立てようと思い至った。若い内に、あるいはこの若い身に何の柵もないうちに、旅行という形で己の欲を納得させたかったのだ。
けして彼女らを貶めるためにこんなことを言うわけではないが、艦船たる彼女らの追っかけをすることは、私にとっては、毒に近しかった。
何故なのかと言えば、私はその憧憬に一生を費やしても不思議ではないほど、彼女らに入れ込んでいたからだ。事実今でも、魂を売っても良いとすら考えてしまっている、そんな癖が治らないのだ。
しかし私の中にはその先にある結末を否定する心持ちもあった。一人の人間としてまっとうな一生を生きるには、その破滅願望は罪悪に等しい。
なにか、楔のようなものが要ると思った。彼女らに何ら関係のないところで、私がそれを求めてしまうが故に自己保身に走るような、そんな楔を手に入れるべきだった。
そんな訳で、私は、彼らとの約束を実現させた。(許されることではないかもしれない、私は貴重な友情を全く私欲のために利用した)
行先は横須賀とした。Мが引っ越した先に一番近い軍港がそこだったのが大きな決め手だった。
けれど、三人の中でただ一人バイトをしていないМには、横須賀まで出張って、その上ホテルに泊まったりするような金はないと言う。仕方のないことだ。
ない袖は振れないのだから、計画の修正が必要だった。とは言え、横須賀という街は物価が特別高くもない上に、今ある金で可能な限りの奮発をしてやろうという共通認識が私とYとの間にあったから、大した事態にはならなかった。
そういう経緯があって、二夜連続で横須賀のホテルに泊まり、最後の日に東京(Мが日帰りで遊べる都合の良いのが東京だった)で観光するという予定が立てられた。
ホテルの予約や、この街から関東までに至る移動手段の確保まで、多くの準備を私は進んで担った。
自ら手間を増やすような行動は、普段の日常で、一切とらないようにしていた。が、今回は言い出したのが自分だったから、責任を持つべきと考えた。
その上、そういった事前準備の過程はどこか楽しくもあった。彼らと三人で再会することが決まって熱に浮かされていたこともあるし、他方、自分の働きが彼らに役立つという感慨もその喜びを助長した。
…八月二日。深夜の出立。……
関東に至るまでの移動は、夜行バスを利用した。Yと合意したことだが、できる限り奮発しようかと意気込むにせよ、観光先での漫遊に金を多く使いたいと思ったので、安上がりなバスを選んだのだ。
……結論から述べると、この選択は、半分失敗だった。何しろ、長時間バスに座り込んで過ごしたせいで、身体の至る所が強張って痛んだのだ。
普段から運動量の多かった私は幸運にも疲労と少しの痛みで済んだが、習慣の無いYは酷かった。
結局、向こうに到着してから数時間はふたり揃って身体の不調を嘆くことになる。
そういった経緯で、私がキャリーケースとその他諸々の荷物を携えて戸口を跨いだとき、夜は既に更けていた。
家族と一言二言交わしてからドアを潜って、その夜の暗さを認めた時の感慨は、筆舌に尽くしがたいものだった。
けして短くない期間で着々と進めた休暇の計画を、漸く実行に移せられようという瞬間にこそ訪れる、一入の歓喜がそこにあった。
あの夜は、普段と比べ不思議と綺麗に映った。無論、その差異は心理的要因に拠るものだろう。(けれども、このとき確かに私は、なんとも美しい夜を見ていた)
それは至福に近いようだった。
ごく個人的な美的感覚に由来する、例えるなら一種の絶景への感嘆のような、本質的な人間らしさを痛感させられる官能の励起。
……思えば、今この瞬間に至るまでの回顧は、そのときに始まったらしい。恋焦がれるような、何よりも愛しく何よりも惜しい、然る思い出がそれを起点に始まった……。
予定通り、Yは私の住むマンションの玄関口に姿を見せた。彼の家から最寄り駅に至るその道中にマンションが立地しているため、何の用であれ、私とYが落ち合うのはそこが殆どだった。
奴は思いの外、軽装でやってきた。
中学時代に使っていたリュックサック一つを背負い、加えてやや大きめのショルダーバッグの二つだけでやってきたのだ。
やがてそれが目に留まり、私は
「二泊三日だろ。それだけで済むのかよ」
と思わず尋ねてみたが、予想通りと言うべきか、Yは自慢げな顔のまま鷹揚に頷いた。
私は少し心配になる。彼は時々信用の足らぬ男だった。――愉快な男でもあった。私も、Мも、彼のことを飽きないやつだと評価している。
マンションからは徒歩で駅に向かった。既に夜九時を回り、人通りといえば、仕事帰りのサラリーマンばかりだった。
私とYは随分はしゃいで、わざとスーツケースを奇妙な持ち方で担いでみたり、しきりに笑ったり、変に浮かれていた。周囲から見て、騒がしい子どもに見えたことだろう
駅のホームに着いてから、やはりYは愉快な男だと改めて思った。なにしろ、自前で旅のしおりを作ってきたのだ。(この時まで知らなかったことだが、彼は工作の類が性に合うらしかった。)
旅のしおりなど、学校行事でしか見かけなかったから、私はまた笑った。彼も、照れくさそうにしながらそれを胸元に掲げてみせた。(その写真が残っている)
そのしおりを二部作ってきたというから、その一つを貰った。改めて読み込んで分かったが、しおりは中々に出来栄えが良く、周到に計画を立てて仕上げたのだと分かった。
思っていたよりもずっと、彼がこの旅行を楽しみにしてくれていたのだと気づいて、私は内心嬉しくなった。
やがて駅に到着した電車に乗り込んでからも、他愛もない話しを続けた。近況を互いに話してみたり、旅行の持ち物を確認したり、そんなことを延々と話した。
「ああ……失敗したかも」
「なにが?忘れ物?」
「いや、長ズボンにしたけど、ちょっと暑い」
「夏やもんなあ、そりゃ」
「М、ちゃんと東京来れるかね?」
「行けるでしょ、体調も悪くないらしいし」
「前も言ったけど、明日は横浜つくの早朝になるから」
「六時ぐらいか、朝ご飯どうしよ?」
「あぁ……向こうで考えたい」
十分ほどして、目的の駅に到着する。近辺では最も発展した駅であり、これから利用する夜行バスもその近くから出ていた。
余談だが、普段の住居がこのような巨大な街に物理的に近いというのは、この上なく便利に感じられる。
バスの発着場は付近の商業ビルの裏口に位置していて、駅を抜けてから徒歩で数分かかるくらいの距離だった。
駅から直結の橋(渡り廊下のようなもの)を渡れば、地上に降りずに直接例のビルに辿り着く。
一先ずはバスの発着場を確認しておいて、それからコンビニにでも寄って時間を潰すこととなった。
家を出る時間に余裕を持っておいて正解だったのは、この発着場を見つけるのに少し手間取ったことだろう。なにせそのビルは、一般的なものより縦にも横にも太く、方向感覚が掴みづらかった。
コンビニでは、私は特になにも買わず、Yが飲み物やらを見繕うのを待っていた。彼の分の荷物番もしながら、じっと立ち竦んでいた。
夜もたけなわ、私たちと同じ旅行目的であろう人で辺りは溢れていた。私は手元のスマホをぼんやりと見つめては、その人の行き交うのを視界の端で眺めていた。
高揚感は未だ衰えるところを知らず、酩酊感にも似た心地で、その記憶を覆っている。(それは惜別の表れでもあったかもしれない)
やがてYが戻ってきて、それでも目的のバスまでには十分くらい時間に余裕があったから、屋内で涼んでいることにした。
既に夏は始まって、夜でも尚、地面を這う熱気が頬を汗ばませた。この暑さは、その思い出の一部となるほどに、旅先でいっそう強まることとなる。
発着場は慌ただしかった。人混みは絶える気配もなく、代わる代わる大型バスが到着しては、その人混みの一部が乗り込んで、数分も経たずにまた走り去っていく。夜行バスについて無知だった私たちはその光景に圧倒されていた。
交通整理員、と呼ぶのだろうか。そんな名前が付きそうな役割の人たちがそこで働いていた。バスの乗車や発着、待機する人々の列整理まで、色々と仕事をこなしていた。記憶の限りでは、全て女性だった。
彼女らはおよそ中年の頃合いで、付け加えると日雇いでなくパートの類なのだろう。手慣れた様子で怒号を飛ばしていた(人が多く、大型バスも休む間もなくやってくるのだから、現場に余裕はないらしかった)。
余りにも人々が忙しないので、心配性の私は、しきりに鞄から取り出したバスの搭乗チケットの詳細を睨んだりするものだった……特筆すべき問題は起きなかった。
二二時五十分頃、私たちが乗り込む高速バスがやってくる。それまでに見慣れていたバスと変わらないサイズで、そのときの発着場にはありふれたものだった。
バスの運転手や途中の交代要員らしき職員にチケットを提示して横浜で降ろす大荷物を預けたりと、慣れないやりとりをどうにか終わらせて、それから車内に足を踏み入れた。
そのバスは、私たちの乗り込んだ場所からの始発でなく、一つ前の所からのものだった。既に乗り込んでいた先客が散見され、その大半は石像にでもなったように深く眠りこけていた。
私たちの席の前にも一人先客の男性がいたのだが、例に漏れず彼も眠っていた。
――リクライニングを最大限に倒して。
その背もたれの角度の鋭さと言えば!私もYも呆気にとられて、一瞬立ち尽くしてしまった。(ある意味で洗礼のようにも思えて、少し面白かった。)
とは言え席に着く他なく、私は窓際に座りたかったので、そのリクライニングの真後ろの席に身を滑り込ませた。
一度座ってしまえば、身動ぎがしにくい以外に苦慮は無いようだった、それを確認して私は、委細問題無しとでも言うように、隣に座り込んだ友人にニヤリとわざとらしい笑顔を向けた。
五分ほど経ったろうか、大勢の客が乗り込んで、この発着場で予約していた乗客は全て済んだようだった。やがて運転手が客席の通路前に躍り出て、「ご利用感謝致し云々」と言い、運転座席とを遮るカーテンをきっちりと閉め切って姿を消した。
私は予め鞄に忍ばせていた安物の耳栓を耳に嵌め込んで、アイマスクも装着して、万全の準備を整えてみせたものだった。
Yは、普段使いのワイヤレスイヤホンだけを耳にはめ込んで顔を済ましていて、私には少し頼りなく見えた。
やがて車内が消灯される……。
消灯、出発の間際に声を忍ばせて少しYと話した後、私も彼もおのおの眠りにつくことにした。バスの駆動音も周囲の雑音も、案外気にならないほど矮小だった。
しかし、すぐさま意識が落ちることはなかった。まるで眠れなかった。
最初から、簡単に睡眠に耽ることができるとは思っていなかった。興奮冷めやらぬまま、暫くの間は目をきつく瞑っても、あくびさえ出来ないでいる。
瞼の裏はぼんやりと熱く、身体の節の至る所に力みが残っていた。眠れる筈も無いだろう。
ふと、思わずアイマスクを外して隣を見てみると、彼も似た様子でいるらしかった。スマホの微かに明るい液晶に目線を落として、ひっそりと暇つぶしをしている。
…僅かにタイヤの振動が伝わり、身体が揺れたような気がする。錯覚かもしれない。
私を取り巻くその状況の全てに、細やかな歓喜を覚えた。やるせなく楽しい。やるせなく、楽しい、そんな矛盾した言葉の似合う感覚だった。
……武者震いのような、身を打ち鳴らす衝動、あるいは恐る恐る食指を伸ばす様。
数十分ほどして、次の発着場……京都だったと思う……にバスが停まった。
私はその外の様子を見ていたかった。
暇つぶしとして、何を見出すでもなく眺めていたかったけれども、窓と外とを遮るカーテンは、ボタンで窓枠に固定されていた。それを外して光が漏れでもしたら、後席の他人に厄介が及びそうだったので、私は諦めた。
耳栓越しに微かに聞こえる環境音に意識を潜めて、瞼を薄く開いてぼんやりと車内を眺めることに終始し、やがてバスが走り出した。ここから先、新たに乗客を迎えることはなかった。
それからは、眠っているような起きているような、なんとなく曖昧な時間を暫く過ごして、やがて浅い眠りについた。
次に目が覚めた時には、とっくに出発地を遠く離れて、中部地方(具体的に何処かは覚えていない)のサービスエリアにいた。スマホの地図アプリで現在地を調べて、もうこんな遠い所まで来れたのかと、全く新鮮な感動に身を震わせた。
一つ目のSAだったか、或いは二つ目だったか。実にあやふやだが、どこかで私は試しにバスを降りてみたのだと思う。
私は事前に、Yにバスのナンバーを細かく覚えておくようにと口酸っぱく言い聞かせていた。
結局彼がサービスエリアで腰を休めていたのかは知らないが、万が一バスを見失うようなことがあると旅行どころではなくなるからだった。(実際彼が乗り損なうことはなく、無価値な回り道をせずに済んだ)
バスを降りた先、その夜、人気は少なかった。鈴虫の鳴き声らしき音が響いていたように思う。道路脇の木立は総じて鬱屈として、じっと暗い夜に身を潜めている。静かだった。タイルを鳴らす靴音が少し響く。
私は強張った腰を曲げて、深く呼吸をし、僅かな時間、感慨に身を委ねた。深夜を優に過ぎて、漠然とした時間の流れが目の前にあった。
私には眼前の無音が、まるで嵐の前の静けさのように見えた。旅行先での、何かしらの事件を期待していたらしい。やはり浮かれていた。
思うにトイレには立ち寄ったのだろう。SA内の、付近の地図らしきものを見かけた記憶がある。
それから寄り道などもせずにバスに戻った。
……思えば、席に戻るときにYの足を跨いだ気がするので、やはり彼は席を立たなかったのだろう。
停車から十分ほど経過した頃に、乗客全員が席に戻ったことを確認した運転手の手で、再びバスは走り始めた。
振り返れば、最初の目的地に着くまでの合間に、三つか四つか、そのくらいのサービスエリアに停車し、小休止が挟まれた。道中の半分は寝ていたので、詳細は覚えていない。
やがて夜が明ける。本当の意味での旅の一日目が、ぼんやりとした眠気を伴って始まった。




