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隔絶した世界に転生した親友と  作者: まーくん
青年期ーリュート編ー

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第70話 ただいま

(リュート視点)


 夏の昼前の強い日差しの中、遠くにブランデル領の境界線が見えてきた。


 見知った森の広がり。木々の濃い緑、葉の茂り方、空気の湿った匂い。それらが一つひとつ、記憶の中にある景色と静かに重なっていった。「帰ってきた」という感覚が、言葉より先に体の中に湧いてきた。


 領内に入り、ブランドルフへ向かう道を進んだ。夏の昼の光が木漏れ日になって地面に散らばり、馬の足元で揺れていた。風が吹くたびに木立が鳴り、その奥から土と草の混じった重い匂いが漂ってきた。知っている匂いだった。体が先に知っていた。


 途中、道沿いに整備された水路を見かけ、馬の足を止めた。小ぶりだったが、石積みが丁寧だった。きちんとした仕事のされ方だった。


「こんなのあったっけ?」と首を傾けながらアリシアに聞いた。

「昔、ヴァルトがお父さまに提案した村の改善内容の一つよ」アリシアが答えた。

「あぁ」それだけ言った。


 紙に書き出していたヴァルトの姿が浮かんだ。「なんとなく思いついた」と言い訳がましく笑いながら書いていた字。あの時の声。あの姿勢。


 ヴァルトはもういない。けれど、水路はある。他にも、あちこちに、あいつが思いついたことが、形になって残っていた。それがどういうことなのかを考えようとして、やめた。言葉にすると、何かが壊れる気がした。


 短い沈黙が訪れた。アリシアが何を見ているのかはわからなかった。ただ、声はかけなかった。


「行こう」と言い、馬を進めた。アリシアがそれに続いた。


――――――


 午後も深まる頃、ブランドルフに着いた。


 入口で馬を止め、少しの間、村を眺めた。二年半、長いようで短い時間だった。建物の配置は変わらなかった。見慣れた屋根の連なりがそのままそこにあって、それが不思議なくらい当たり前だった。夏の午後の光が村全体を等しく照らし、井戸のそばに猫が一匹、無関心に伸びていた。


「……帰ってきたね」アリシアが言った。

「そうだな……」と返した。


 もう少しだけ村を眺め、アリシアと目が合ったところで、馬をゆっくり歩かせた。村の中を並んで進んだ。家々の間を抜けるたびに、顔見知りと目が合った。会釈が返ってきた。知っている匂いがした。知っている色だった。


 家までの道が分かれる辻で、「じゃあ、また」と言い合って別れた。アリシアは領主の館の方へ馬を向けた。その背中が木立の向こうに消えていくのを少しだけ見てから、俺は家へと馬を向けた。


――――――


 家の前まで来ると、スーリィが外に出てきた。馬の蹄の音を聞きつけたのか、走ってきた。背が少し伸びていた。顔つきが、少し、大人びていた。


「おかえり!」そう言って飛びついてきた。

「ただいま」と短く答えた。


 スーリィから少し遅れて、父さん、母さん、兄さんが出てきた。


 兄さんが、「遅かったな」と笑いながら迎えた。父さんが、「よく帰った」と言い、少しだけ表情を崩した。母さんが、「おかえりなさい」と言った。声に、わずかな震えがあった。長い道のりを無事に越えてきてくれたことへの安堵が、その小さな揺れに滲んでいた。何があっても顔に出さない母さんが、その声だけは抑えられなかった。


 全員に「ただいま」ともう一度言った。その間もスーリィに好き放題されていた。


「部屋はそのままにしているわ。疲れたでしょう。少し休むといいわ」母さんが言った。

「さあ、家に入ろう」父さんが促した。


 荷物を馬から下ろすと、兄さんが「先に入ってな」と言って、馬を裏の馬屋へ連れて行ってくれた。「ありがとう」と言い、スーリィが小さな手で少し荷物を持ってくれながら一緒に家に入った。


 玄関の敷居をまたいで、もう一度「ただいま」と言った。


 この家の匂いがした。変わらなかった。二年半のあいだ、ずっとここにあった匂い。何も変わっていないのに、俺だけが変わっていた。それがなんとなく、おかしかった。


 部屋に荷物を置いて、居間に降りてきた。二年半の話をしようとすると多すぎて、どこから話せばいいかわからなかった。時間はある。食事をしながら、ゆっくり話せばいい。そう思って、居間の椅子に腰を下ろした。スーリィが隣にくっついてきた。


――――――


 帰郷の翌朝、父さんが稽古の準備をしていた。


 自然に稽古着に着替えて外に出ると、父さんが一瞬目を留めた。今日くらい休めばいい——そういう目をしていた。しかし俺の顔を見た後は、目の色が変わった。師として、今のお前はどのくらいだ、と問うような目になった。休む気がないことが顔に出ていたのかもしれない。


 素振りから始めた。一本一本、丁寧に。体が覚えていた。二年半、欠かさず続けてきたことは、この感触だった。朝の光が庭の草に差し込み、木剣の音が静かな朝気に響いた。振るたびに、腕の動かし方が少し変わっていることに気づいた。いつのまにか変わっていた。


 次に、兄さんと軽く打ち合った。最初の一打で、すぐにわかった。兄さんが上がっていた。力も速さも、以前より確実に増していた。同時に、自分がそれに対応できていることもわかった。焦らず、落ち着いて、相手を見ていた。以前の俺には、そういう余裕がなかった。


 次に父さんと向き合った。


 父さんは本気ではなかったが、手を抜いてもいなかった。「見る」ための稽古だった。木剣の縁を当て、受け流された。その繰り返しの中で、父さんがわずかに眉を動かす場面がいくつかあった。何を確かめているのかまではわからなかった。ただ、その目が何かを見ている目だということはわかった。俺はそれを見られることを拒まなかった。


 稽古が終わり、汗を拭いていると、父さんが「続けていたんだな」と言った。


「はい。日課ですので」と答えた。


 タオルを持つ手が、少しだけ止まった。


 父さんが、何かを言いかけた。喉が一度動いた。でも言葉は来なかった。そのまま、短く息を吐いて、別の方を向いた。


「精霊術の学院に行ったのに、剣が強くなってるじゃないか」兄さんが笑いながら言った。

「兄さんもね」と返した。兄さんが少し嬉しそうにしていた。


 兄さんが上がっていた。力も速さも、以前より確実に増していた。何かを決めたように鍛えている、という感触があった。何かは聞かなかった。


――――――


 数日後、ガレス様の館を訪ねた。帰郷の挨拶と、学院生活の簡単な報告のためだった。


 館の扉を開けると、ガレス様がすぐに俺たちの顔を見て、少しだけ目を細めた。それだけで、報告より先に何かが伝わった気がした。


 授業のこと。精霊術の進捗。生活の様子。表面的な範囲で話した。


「ヴァルデンブルク様へは、挨拶に行くのか?」ガレス様が問うた。

「はい。王都へ戻る途中でグランヴァルクに寄って、挨拶しに行こうと思っています」

「そうか、それならよい。私からも連絡を入れておこう」

「ありがとうございます」


「せっかくグランヴァルクに行くんだ。街並みも見てくるといい。王都とはまた違った雰囲気があって面白いぞ」エリオット様が言った。

「そうなの?楽しみだわ」とアリシアが笑顔になった。

「観光ではなくて、挨拶が目的ということは忘れないでくれよ」ガレス様が言うと、「いいじゃないですか。そういう楽しみがないとつまらないでしょ」とマリナ様がアリシアを擁護した。


 ガレス様が渋い顔をした。それを見たマリナ様が堪えきれずに吹き出し、つられて皆も笑い合った。庭に夏の午後の光が差し込んでいた。


 帰り際、ガレス様が「ヴァルデンブルク様は、礼儀よりも姿勢を見る人だ。構えすぎるな」と一言かけてくれた。


「はい」と答えながら、少し気が楽になっていた。


――――――


 夏も半ばを過ぎた頃、俺とアリシアの精霊術を家族全員に見せる場が設けられた。


 場所は領主の館の庭。午後の光の中で行った。ガレス様の一家と、俺の家族も揃っていた。夏の高い空の下、皆が輪になるようにして立っていた。緑の匂いがした。蝉の声が遠くから聞こえていた。


 母さんとスーリィ以外は精霊を感じられない。だから、精霊の反応を見せることはできない。わかるように見せるとしたら、形と制御しかなかった。俺もアリシアも、それを意識した。


 先に俺が披露した。


 速度。制御。安定性。土の形を細かく変えた——丸から薄い板へ、また細い棒へ。水の流れを複数に分けて、それぞれを同時に維持した。光の粒を空中に散らして、位置を変えながら長く保った。


 スーリィが「わあ」と声を上げ、手を叩いた。父さんが、腕を組んで静かに見ていた。その目の前で精霊術を動かしながら、俺は少しだけ息が深くなった。続けてきたことを、この人に見せていた。それだけのことだった。


 二重発動は見せなかった。見せたい気持ちがないわけではなかった。ただ、今ここでは見せない——という感覚があった。切り札のようなものは、それが切り札であるうちは持っておいた方がいい。そういう気持ちだった。


 次にアリシアが披露した。


 わかりやすい派手さを意識した俺の精霊術とは、明らかに違った。光の粒を丁寧に空中へ並べた。炎の大きさを均等に揃え、揺れを消した。水の表面を乱さずに形を保った。精霊への働きかけが丁寧で、それが動きの端々に現れていた。制御の繊細さが際立っていた。


 精霊の反応を見た。応えたがっているような感触があった。アリシアが精霊を動かしているというより、精霊がアリシアに合わせているように見えた。一緒に練習してきたから知っていた——これがアリシアのやり方だった。


 皆がそれぞれ違う顔をしていた。エリオット様が「こんなことができるのか」と驚きを隠せず、ガレス様は「よくぞ、そこまで……」と低くつぶやいていた。


 母さんだけが、少し違う目をしていた。精霊を感じられる者には、他の誰も受け取れないものが届いているのかもしれなかった。


――――――


 その数日後の午後、アリシアと村を歩いた。


「帰ってきたのか?」「学院は大変か?」「精霊術見せて!」顔見知りに次々と声をかけられた。「夏季休暇だから一時的にね」「それなりに」「今度ね」と答えながら歩いた。


 葡萄畑のそばを通ると、畑から水路に引かれた排水溝ができていた。石で縁が丁寧に固められていた。夏の終わりに向かう葡萄の房が、緑の中に少しずつ色づき始めていた。


 二人とも、少しだけ足が遅くなった。どちらも何も言わなかった。ただ、そこにあるものを、二人でただ見ていた。


 村の外れまで歩いて、折り返した。日が傾き始め、影が長くなっていた。夏の夕方の光が、家々の壁を橙色に染めていた。


「帰ってきたって感じがするね」とアリシアが言った。

「そうだな」と答えた。


 その言葉が午後の光の中に溶けていった。しばらく、二人で黙って歩いた。


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