第七話 修業編③
アンナは剣を杖のように両手で持ち、震えなら一歩を踏み出した。
足を上げるだけで、太ももが悲鳴を上げる。
重力が何倍にもなったかのような圧が、全身にのしかかっていた。
(……音を……立てない……)
そう意識した瞬間、体がぎこちなくなる。
筋肉に力を込めれば込めるほど、関節が軋み、衣擦れの音すら大きく感じる。
――カサ。草を踏んだ小さな音。
「3メートル先だな。失敗な」
エイドは目を閉じたまま言う。
「……っ」
アンナは歯を噛みしめ、足を止める。
たった一歩で、息が荒くなっていた。
「アンナ、今のお前な」
エイドは目を閉じたまま、淡々と続ける。
「“歩いてる”んだよ」
「……歩いて……いますが……」
「そうじゃねぇ。“歩こうとしてる”」
アンナは意味がわからず、眉をひそめる。
「体を動かす時に、"触る"って動作を目標にしてるんだよ。君は」
「……」
「それが起こりになる。敵からしたら、今から歩くって看板出してるようなもんだ」
アンナは、自分の胸に手を当てる。
確かに、踏み出す前に、呼吸を整え、力を入れ、覚悟を決めていた。
「……では……どうすれば……」
「思考を捨てろ。目標も捨てろ」
即答だった。
「はい?」
「俺に触ろうと考えんな。動いてる“途中”でいろ」
「……途中……」
エイドは目を閉じたまま、地面を指で軽く叩く。
「今、お前が立ってるその場所から、俺のとこまで」
「……」
「“歩く”って意識を捨てろ」
「……では……」
「世界が動いているって思え」
アンナは目を見開く。
「……意味が……」
「さっきも言ったろ。意味わからん状態が正解だ。これは神の修行だぞ?理屈なんてない」
アンナは、小さく息を吸う。
(……考えない……)
剣の重さや足の震え、呼吸の荒さ。
全部、意識しないようにする。
代わりに、視線だけをエイドに向けた。
次の瞬間、
彼女の体が、わずかに“流れる”ように動いた。
――ス……。
音が、しなかった。
草も、石も、衣擦れも。
アンナ自身でさえ、動いた感覚がなかった。だが。
「……惜しいな。2.5メートル先」
エイドの声が響く。
アンナの足が止まる。
「今のは……?」
「気配は出てた」
「音は……」
「音じゃねぇ。“存在感”」
アンナは、ぎゅっと拳を握る。
「……気配まで……」
「魔王は、音より先にそれを感じる」
エイドはゆっくりと目を開ける。
「だから、お前が消すのは足音じゃない」
「……」
「お前がそこにいるっていう情報だ」
アンナは、はっとする。
(……私が……そこにいる……)
「……難しすぎます……」
「当たり前だろ」
エイドは肩をすくめる。
「簡単なら、魔王もう死んでる」
ロッドが後ろで息を呑む。
「アンナ……」
だがアンナは、剣を握り直した。
「……もう一度……お願いします……」
「はいはい、どうぞ」
エイドは、再び目を閉じる。
「今度は、音も、気配も、殺意も、目的も消せ」
「……目的も……?」
「“触る”って考えも捨てろ」
「……」
アンナは、ゆっくりと息を吐く。
(……私は……歩いてない……)
(……近づいてない……)
(……ただ……そこに……)
体が、勝手に動いた。
重い剣を持ったまま、足は地面を滑るように進む。
一歩。
二歩。
三歩。
エイドのすぐ目の前まで来て......。
指先が、震えながら、伸びる。
あと、ほんの数センチ。
その時。
「……今」
エイドが言った。
アンナの動きが止まる。
「……失敗……ですか……?」
エイドは、ゆっくり目を開ける。
「……いや」
アンナの指先は、
エイドの服の裾に、触れていた。
「……成功」
アンナは、一瞬理解できず、目を見開く。
「……え……?」
「今のは、気づいたの“最後”だ」
「……」
「魔王だったら、もう死んでる距離だな」
アンナの足から、力が抜ける。
「……でき……ました……?」
「今のはな」
エイドは、にやっと笑う。
「おめでとう!“入口”だ」
アンナは、剣を支えながら、息を荒くする。
「……え?......入口?」
「ここから先は」
エイドは指を鳴らす。
「これを、戦闘中にやる」
「……戦闘中……」
「剣振りながらな」
アンナの顔が引きつる。
「……それは……」
「地獄」
即答だった。
「でもな」
エイドは、アンナの額を指で軽く突く。
「魔王に勝つには、それくらい必要だ」
アンナは、震える手で剣を握り直す。
「……やります……」
「いいね、その顔」
エイドは、満足そうに頷いた。
「じゃあ次」
目を細める。
「“攻撃しながら”、今と同じことやってみよっか」
アンナの表情が、固まった。
「……え……?」
「さ、第二段階だ」
こうして、
アンナの身体と心を削る修行は、さらに深い地獄へと進んでいった。




