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陽は空の頂点に登り、日差しが燦々と降り注ぐ。それは、ルベウム教の主神にして、暁の神ルベリウスを頂く大聖堂にも、隔てなくその恵みを垂れていた。

その、陽光と昼の気配に満たされた地にあってさえ、彼女は玲瓏にして静謐なる夜の気配を纏っていた。

輝くばかりの髪は星のように、肌はその一刹那の瞬き、纏うは紫の闇。

その姿は、王子に振られたかわいそうな令嬢だの、ぽっと出の恋敵に嫉妬して暴君がごとくに振る舞う悪辣姫だのと、まことしやかかつ好き勝手に彼女の噂を流布していた貴族たちさえ黙らせる。それ程に、彼女は美しかった。

物憂げに翳りながらも、正面を見つめる瞳は凛として、強い意志を持つ。

そう、彼女こそは、貴き姫、ルーベルハイム公爵が一粒種にして掌中の珠。聡く気高き、エクレイア・テレージア・ルーベルハイム。

………と、そんな畏敬を含んだ視線を一身に受ける彼女が、そんなこととはつゆ知らずに、考えていたことというのは。


(いる。……いる! いる!!!)


何が、と問われればその答えは一択しかない。


(あの令嬢! やっぱりいる!! しかも最前列!!! あの王子、婚約破棄の儀に親族でも高位貴族でもない事実上の現恋人を招くなんてどういう神経してるの!?)


壇上にて待つジルベールの元へ、バージン・ロードよろしく設えられたカーペットの上、厳かに歩を進めながら、エクレイアは今すぐにその当のジルベールを睨みつけひっぱたきたい衝動を必死に堪えていた。伏せがちな瞳は、アンニュイな感傷などでは決してなく、ただジルベールを見ないように見ないようにというエクレイアのささやかな抵抗なのである。真実は知らぬが仏。

……と、何故ここでこんな風に、いわゆる結婚式のような演出がなされているのかというと、これは勿論、婚約破棄の儀の一環で。


(ご丁寧というか律儀というか、婚約破棄の儀って、結婚式の順序逆のようなものですのね)


一歩、一歩。エクレイアはしずしずと歩いて行く。

女はこのまま歩を進めて、新郎になるはずだった男の元へ行く。そこで男は、新婦になるはずだった女に告げる。「決別を」。そして女はそれを頷き、男の礼装の胸ポケットにあるブートニアを引き抜いて、神官の持つブーケに差し入れ、ブーケを受け取る。そして、男に向き直り、ベールを被せてもらう。それが済んだら、女の手でブーケを、祭壇の水盤に落とす。これで婚約解消の前段階が終了となる。それがひとまずの第一イベントである。


(手の込んだこと。ベールはジルベール殿下が被せた後、シスターたちが整えてくれるとして…。うん、宣誓の言葉も決まっているわ、大丈夫よ、私!)


自らを奮い立たせれば、エクレイアは既に、壇上へ上がる階段に足をかけていた。

ゆるり、ゆるりと、夜の気配が、しとやかに動いて行く。

儀式は驚くほどすんなりと進んだ。


「決別を」


まさしくシナリオ通りというべき言葉をジルベールが発する。ジルベールの顔を見ているようで見ていないエクレイアは、静かに頷いて一歩、ジルベールに近づいた。


(顔を見ない顔を見てはダメ顔を見ては……)


見たら殴る。絶対やらかす。だって腹立つもん。

そうわかっているので、首元から下を見つめることにして、エクレイアはつとめて穏やかに微笑んだまま、王子の胸元に手を伸ばした。

大丈夫、バレない。バレてない。


「何故こちらを見ない」

(バレてたーーー!!!!)


そりゃこんな至近距離に来ればバレない方がおかしいのだが。

けれども相手はごくささやくような声。大丈夫、他の人にはバレない。バレてない。

こんな冷や汗案件の真っ只中で穏やかな微笑みを崩さない自身の表情筋に、己がことながら脱帽してスタンディングオベーションを送りつつ、エクレイアは緩やかかつ優雅に、ブートニアを…棘の抜かれた青い薔薇を引き抜いた。


「何故そのように笑う」

(もういい加減黙れーーー!!!!)


またしても小声でささやかれた言葉に、令嬢として言ってはならぬ悪態をつきそうになりながらも黙殺を決め込み、エクレイアは手の中の青い薔薇を、神官の持つブーケへと差し込んだ。差し出された青い薔薇の花束を受け取り、ジルベールへと向き直る。

それから、僅かに頭を下げた。


(………………)


……。

…………。

………………。


(…………………)


…………。


(ねえまだーーー!!?)


いくら待ってもベールが来ない。というか王子が動かない。

動け! 働け! 職務怠慢だぞ!! と、エクレイアがギリギリしそうになっていると、訝った神官が声をかけてくれた。


「殿下……」

「………ああ」


まさに神だった。この体勢きついのだ。

エクレイアは内心ホッとして、さらに少しだけ、頭を下げた。それから間も無く、ふわりとベールが落ちてくる。見事なレースの、紫色のベール。勿論、ダニエラによるオーダーメイドである。

途端、両端から足音もなくシスターたちが登場し、ベールを整えてさっと下がる。


(アサシンかあのシスターたちは!!)


心臓が飛び出すかと思ったエクレイアは、狭まった視界で緩やかに頭を持ち上げ、ふうと息を吐き出した。

さあ。この腕の中のブーケを水盤に落とし、後は神への言葉、誓いの言葉だ。

エクレイアは左に、ジルベールは右に別れ、それぞれ祭壇への階段を登って行く。

滞りなく。曇りなく、恙無く。

ああなんて素晴らしい。


(近頃はアレとかソレとかコレとか、色んなお邪魔虫がちょこまかちょこまかしておりましたものね…)


打ち合わせ通りに進む儀式に、エクレイアはもしかしたら、浮かれていたのかもしれない。

ぱしゃん、と、水盤にブーケが落ちて行く。


「誓いを」


誓いの言葉は、女の方から先にするのが慣例だ。何故なら、結婚式の際は男からだから。

エクレイアは息を吸い込んだ。


(この婚約破棄は、私にとってはただの縁切り。でも、無理やり意味を与えるのなら、それは、ジルベール殿下とメリア嬢が、)



「………まことに愛しい方と、添い遂げるために。私はこれにて縁を断ち切ります」



………この、しばらく鳴りを潜めていた言葉足らずに、エクレイアは頭を抱えることになる。

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