20位目
精霊にも人格に相当するものがある。精霊だから霊格とでも言うのが正しいのだろうか。ならば神は神格か。詳しいことはわからないけれど、幻獣や魔獣を含めた獣にも個を個として確立する要素が存在して、それを『格』と言うわけだ。神話時代の物語にも、ほとんどの神にはその神独自の個性があったとされている。なぜか『人格』あるいは『神格』といった書き方はされていない。学校でそのことを突っ込んだ質問をしたら教師は確か『おそらく神々が人間種を作った時、それが持つ人格相当のものを人間に完全には再現できなかったため、今の人間には人格があるのだろう』とかなんとか言っていた。
要するに、神々の持つ『神格』というのは人間が持つ『人格』とは似て非なるもので、なおかつより上位のものだから『人格』とは記されなかったのだろうと。そして人間が到達できないその境地に人間が勝手に名前をつけるのは不敬だとか何だとか。そんな話だった。だったら神って呼び方はどうなんだよとも思うが、そこはそれ、人間種に言葉を授けたのは神々である。こちらから名をつけるのは不敬でも、名乗ってもらえたなら問題はないのだと。
閑話休題。
とにかく目の前の若さん似の水精霊にも霊格があり、それに付随する個性、考え方、感情が存在する。そうでなかったとしても相手の個をないがしろにしていい理由は無いわけで。ここは僕が謝るべき場面だろう。
「えっと……ごめんね? 悪気はなかったんだけど」
一言謝ると、水精霊は一転笑顔になった。花の蕾が綻ぶようなとかっていうのはこういう表情に言うんだろうか。気を許すのが早すぎるんじゃ無いかと少し心配になるけれど、相手が自分であるならありがたい。っていうかすごい精度で人間化してるような気がするんだけど、若さんはこの子とどんな密度で交流していたんだろう。
というか、どうしてもわからないんだけど、何で君ここにいるの? そーっと足元に目をやると、そこには僕の荷袋がある。可能性としてはまさか、水筒の水から出てきたとでも言うのだろうか? なんども中身を交換してるはずだから、最後に水を入れたのは……廃村になった元ガロンガルの井戸か。確かに井戸に水精霊がいてもおかしく無いけど、そこに何でこの子がいるんだ? さっぱりわからない。
……まさかと思うけども。
「君、ずっとついてきてたの?」
それはにっこり笑ってから片目をつぶって見せた。どうやらそれであってるらしい。片目を瞑るのは、幼い子供なんかが悪戯をしたときとか、積極的に嘘をつきましたって時にするような仕草だ。『やっちゃったぜ』みたいな。こっそり付いてきたことを悪いと思ってるってことでいいんだろうか。いや、悪いと思ってなくても、僕が困るとは思ってるってことになるのかな。
精霊の館に入った時荷物は全て玄関で預けてきた。この精霊にあったのは水精霊の部屋が最初で最後だ。
つまりこの子は……僕の体内か身につけていた服のどこかにいたことになる。水筒から出てきたことを考えると、体内から口を通って向こうに潜り込んだと見るのが妥当だろうか。
なんでそんなことをしたのかは想像もできないけど。いや、というか何でいるんだよ。今それどころじゃ無いのに。
「その、ついてきてくれて嬉しく無いわけじゃ無いんだけど、今忙しいんだ。もし帰り道がわからなくて困ってるとかなら、その、また今度に……」
……また今度にしてもらってどうするんだろう。帰り道説明したら、この子一人で帰れるんだろうか。ある程度金があれば、荷運びの依頼とかして水筒ごと送るなんてことも……いや、それは危険すぎるな。精霊は気軽に他人に預けていい存在じゃ無い。だいたい、水筒に閉じ込めて送るとか非人道的にすぎる。人じゃ無いけど。
っと、それどころじゃ無いんだってば。今はヴァクシャサのことに集中しなきゃ。
「なあ、頼む。今忙しいんだよ。風妖精の力が必要なんだ。この子を苦しむままにしておけない」
もう君のことはとやかく言わないから、今はおとなしくしててくれ。
だけどそう訴えても、今まで言葉が通っていたことが嘘のように芳しい反応が得られない。頬を膨らませる動作は言葉に詰まる、何を言えばいいかわから無い、もしくは伝えることをためらう動作だけど、この場合は何を言ってい良いかわからないって感じだろうか。それとも僕が何を言っているのかわからないってことだろうか。
ちなみに大人が疑問を覚えると、若干顔を背けて耳を相手に向けるような動作をする。言葉に詰まったときは少し出した舌を噛む。どうせなら大人の動作を身につけてくれていたらわかりやすかったのに。もしかして舌が無いからそういう動作ができないんだろうか。そうだとしたらそれは一種の愛嬌かもしれない。
じゃなくて! くそ、なんで今こんなに心が乱れてるんだ。
「なあ、何でここにいるんだよ」
だめだ、この子を何とかしないと僕は動けない。
「帰りたいんじゃ無いのか?」
一番最初の疑問に、水精霊はゆっくりと首をかしげる。違う。
「どこかに行きたいのか?」
一瞬迷うようなそぶりはあったけど、再び首をかしげて戻した。違うか。
「何かが欲しいのか?」
何かを言いかけるように口を開いて、閉じる。そして首をかしげる。惜しいのか?
「何かを……して欲しいとか」
動かない。だけど、じっとこちらを見ている。これは……何かを、期待しているのかな?
だとしたら僕にできることは一つだけだ。彼女が望んでいることが何であれ、他には何も持っていないのだから。
「名前が、欲しいとか」
つまり、僕をよく知った上で契約 を求めているのか。
その問いに、彼女は両手を広げて空を仰いだ。いや、僕を見つめて両腕を広げたというべきか。
契約にあたって名前を送るのは完全に僕の趣味だ。契約とは一切関係無い。契約は精霊たちに血を捧げ、精霊たちが受け取ったそれを一滴、口から再び自身に戻すことで交わされる。ジスコも、アストラも、アルファートもそう。ただ僕が必要だと思ってすること。
それをなぜ彼女が把握しているのかはわからない。だけど、それを求めるなら。
僕は深呼吸して彼女に手袋を外した左手を差し出す。親指の爪で薬指の先を弾き、溢れた血で手のひらに線を引く。
「僕と契約するんだな」
なら名前を。
そっとヴァクシャサの様子を伺うと、まだ眠っているようだ。よし。どうせなら僕の名前を半分やろう。
別に、ジスコを若さんに取られた意趣返しとかじゃ無いぞ。
「僕はイル。あるいは、エル・シルヴァリン」
僕の手に触れたその小さな指先が赤く濁る。彼女の手がなぞるにつれて、手のひらの線がするするとのまれていく。
全ての線が消え、その手が薬指の傷口に触れると出血は止まっていた。
「君に僕の半分を送ろう」
彼女が手を差し出し、僕はそれを受けるように両手のひらをむける。
彼女が拾い上げた一滴の血をその手で受けて、飲み干す。契約は交わされた。
そう。君の名前は。
「エリクシル」
彼女は弾けた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今更再登場する若さん似の水精霊。帰ってこないアステラ。
高熱出したまま3話喋ってないヴァクシャサの運命やいかに!?
などと言ってみたりして。




