第2話 「陽のあたる場所」
大学の講義終了を告げるチャイムが響き渡ると、教室内は一気に騒がしい空気へと包まれた。
「裕也、いこっか」
「ああ、そうだな。怜花」
ノートを片付け、カバンを肩にかける裕也。そのすぐ隣には、慣れた手つきで身支度を整える怜花の姿がある。
「裕也~、今日も直行か?」
「うん、ちょっと今撮影の追い込みなんだ」
「え~っ、たまにはみんなで遊びに行こうよ~」
「無理言うなって」
「でもさ、去年の学園祭の演劇で裕也くんと怜花ちゃんがロミオとジュリエットをやってくれたら絶対優勝したのにな~。だって学園公認カップルだし」
「そうそう、もう熟年夫婦の域に入っているというか」
「あのなあ……」
「ごめんね、あたしたちプロだから、そういう特別扱いはできないんだって」
「そっか~残念。でも今年の学園祭はみんなで一緒に模擬店やろうね」
「その時にあたしたちがお仕事なければね」
「ああ、すまんな」
「じゃあ、俺たちもう行くから」
「お疲れ、裕也! 怜花ちゃんもまた明日ね!」
「おう、お疲れ。また明日な」
「うん、また明日ね」
すれ違う学友たちが、ごく自然に、親しげに二人に声をかけていく。
その挨拶のトーンには、一種の「お約束」のような、温かくも不可侵な空気が満ちていた。
「ねえ、裕也。今日の夕飯は何がいい?」
「う~ん、そうだなあ」
裕也は、怜花といつも一緒に取っている夕食について考えを巡らせる。
「怜花の作るものはみんなうまいからな~」
「ちょっと、裕也の作ってくれるのだって美味しいじゃない」
と、そこへ——。
「お待たせー!」
二人の前に弾むような声と共に合流してきたのが桃華だった。
キャンパス内で誰もがその関係性に立ち入らない裕也と怜花——だが、桃華だけは別だった。二人の間にするりと溶け込むように現れた彼女は、まさに三人にとって「特別」な立ち位置にいる存在だった。
「桃華、お疲れ。前の講義、長引かなかった?」
「ううん、時間通り! さ、行こ!」
他愛のない会話を交わしながら、三人は学内を歩き、キャンパスを後にしていつもの帰り道へと足を進める。
夕暮れ時の街並みを歩いていると、前方の角から見覚えのある顔ぶれが歩いてくるのが見えた。
レンと「ディープ・タウン・シンデレラ(DTシンデレラ)」の面々たちだ。
「あれ、レン? 奇遇だね」
裕也が声をかけると、レンは少し疲れたような、しかし引き締まった表情で足を止めた。
「あ、裕也さん! 怜花さんに桃華さんも、お疲れ様です」
「お疲れ様。最近どう? 忙しそうだけど……」
怜花が気遣うように問いかけると、レンは苦笑いを浮かべながら、こめかみを軽く掻いた。
「いやあ、実はあたしたちメンバーのほとんどが今度受験なんですよ。勉強もしなきゃいけないし、色々とやることが重なって正直かなり大変で……。でも、ここが踏ん張りどころですからね」
「そっか、受験か……。体調だけは崩さないようにね。応援してるよ」
桃華がエールを送ると、レンは「ありがとうございます! 元気出ました!」と少し表情を和らげ、再び忙しそうに歩き去っていった。
レンたちと別れ、さらに数分ほど歩いた頃。
通りに面したライブスタジオのビルの前を通りかかると、ズンズンと空気を震わせる重低音と、熱気を帯びた歓声が漏れ聞こえてきた。
入り口の看板には『アングラサス』の文字。
「あ、ゆめちゃんたちだ。ゲリラライブやってるんだね」
桃華がスタジオの入り口を見上げながら、感心したように声を漏らす。
「本当だ、相変わらず凄い熱気……よくゲリラライブやってるよね、あの子たち。本当にタフだなぁ」
怜花も、スタジオから漏れ出てくる音の波を浴びながら、感嘆とどこか親しみを覚えるような表情で呟く。
「まあ、あいつららしいよな。あそこが一番輝ける場所なんだろう。よくやってるよ、本当に」
裕也もまた、通りがかるたびに出くわすそのお馴染みの光景に、心の中でエールを送りつつ、スタジオの脇を通り過ぎていった。
さらに歩いていくと、別の大きなスタジオの前に差し掛かる。
そこはこの世界で急速に頭角を現し、今や業界のパワーバランスの中心にいる超人気グループ『HED』が使用している現場だった。
『HED』——。
天咲弥勒をセンター兼リーダーとし、皇野音緒、城亜聖、不二貴典、多々木ナナミ(たたき ななみ)の5人から構成される、まさに神格化されたトップアイドルグループである。歌手としても俳優としても超一流の絶大なポテンシャルを持っていた。
スタジオの入り口付近では、機材の搬出や片付けが行われている。
そこを支える『HED』のスタッフたちは、業界の最前線を走る超一流の裏方でありながら決しておごらず、きわめてスマートで謙虚な仕事ぶりだった。現場の下請けスタッフたちとも対等なプロとしてリスペクトを払い合い、ごく自然に、テキパキと「お疲れ様です、ありがとうございました」と風通しの良い挨拶を交わしている。
そのプロフェッショナルな現場から、スタッフたちを伴って出てきたのが、グループの中心人物である弥勒だった。
「——やあ、裕也くん。何、いま帰り道かい?」
スタッフと軽く言葉を交わしていた弥勒が、不意に通りを歩く裕也たちに気づき、片手を挙げてごく自然に、そして気さくに声をかけてきた。
周りのスタッフたちも、弥勒が親しげに声をかけた相手が裕也だと分かると、納得したように会釈を向ける。
「あ、弥勒さん。お疲れ様です。はい、大学の講義が終わってちょうど帰るところでした」
裕也は立ち止まり、背筋を少し伸ばして丁寧な敬語で答える。弥勒に対する敬意をしっかりと感じさせるそのやり取りに、怜花や桃華もそれに倣ってぺこりと頭を下げた。
「お疲れ様です、弥勒さん。相変わらずお忙しそうですね」
怜花が微笑みかけると、弥勒は「まあな。これから次の打ち合わせだよ」と肩をすくめつつも、「お前たちも相変わらず仲良さそうで何よりだよ」と、どこか気恥ずかしそうに口元を緩めた。
すると、メンバー内でもその人離れした美しさゆえに様々な噂や議論が絶えない城亜聖と不二貴典の二人が、怜花や桃華たちに向かってにっこりと華やかな挨拶を交わす。
圧倒的な男前である他の三人とは、何かが根本的に異なる佇まい。
その洗練された佇まいを目にして、裕也はふと胸の中で思った。
(この二人って……どう見ても大人の女性にしか見えないよな……)
そんな彼らのやり取りを、少し離れた街灯の下から眺めていた一人の少女が、タタタッと駆け寄ってくる。
るなだった。
「あ! 裕也たちじゃん! おつるなー☆」
いつものキャラ口調全開で、弾けるような笑顔を見せながら会話の間に滑り込んでくるるな。
「こんなところで会うなんて奇遇だねー! もしかして、るなと弥勒の尊いツーショットを拝みに来てくれたのかな、なーんちゃって!」
「いや、本当にただの偶然の帰り道なんだけど……るなも今、仕事終わり?」
裕也が苦笑いしながらも、きちんと答える。
「そうなのー! 超忙しくてるなのこのお肌が擦り減っちゃいそう! でもね、みんなの笑顔のためなら頑張れちゃうのが、るなちゃんクオリティなのデス!」
テヘッと憎たらしいほど可愛くポーズを決めるるな。
その様子を遠目で見つめていた弥勒は、「おいおい……」と呆れたように息を吐きつつも、どこか楽しそうに彼女を見守っている。
HEDの凛とした空気、弥勒たちという本物のプロへの敬意、そしてそこに絡んでくるるなの自由奔放さ。
一見すると、どこにでもある平和な日常のひとコマ。
だが、この奇妙で確かな繋がりが、彼らをさらなる芸能界の深淵へと引きずり込んでいくことになるのを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。




